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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
24/49

異世界礼賛 上 その1

礼賛概要:「このあらいを作ったのは誰だあっ!! 」(AA略)

 太陽がふたつの小さな恒星を纏っている。大小3つの日の光を全身で浴びて、俺は思い切り深呼吸をした。


 視界いっぱいに連なる高山の山峡から、朝日が射し込み始めた。日に映えて紫色に染まる切り立った山肌が、昇る日の動きに合わせて徐々に水色へと変化し、月白の空に浮かぶ。美しい街並みと白群のジュラ山脈、辺りを焼く恒星と谷間に落ちる舛花色の影。

 高台に建てられたこの課金別荘――小規模な新古典主義様式ヴィッラの裏庭に備え付けられた小さな農園は、作物が生い茂り、朝露に濡れて朝日に輝いている。


 色とりどりの果物や野菜は、実はホームの所有者――ヒヨさんの事だ――所有者のマスター権限で一括管理ができ、収穫や伐採、植え替えなども自動で出来るらしい。ただし、ゲーム時代でもそうだったらしいが、レイアウトを変更して植え替えられた植物はある一定期間生命力が落ち、枯れ易くなって花や実も付けない。現実と同じだ。だが植物の手入れはかなりの重労働になるから、それを気にしなくてよいのが有難い。


 少し冷えた空気を肺いっぱいに取り込んで、ゆっくりと吐き出す。気持ちが良い。こうして毎日好きなだけ太陽の光を感じられるのは、一体何年ぶりだろうか。多分そう――15年以上は前のはずだ。


 思う存分背を伸ばして深呼吸を堪能すると、裏庭に掘られた井戸から水を汲み上げて顔を洗った。指先が凍えるほど冷えた井戸水で顔面を叩いて否応無く目が覚めていく。ついでに両の手ですくった水を口に含んで味わった。美味い。舌の上に、甘いが僅かに硬さの感じられる水が滑り落ち、喉を潤していく。


 ジュラ山脈から流れて湧く水に恵まれたこの街は、排水が川に垂れ流されることはない。地下に存在する巨大な排水路――ティー曰く、ゲーム時代はそこで一風変わった趣味系クエストが発生したらしい――その地下奥深くで、"神々のおわす時代に創られた謎の巨大施設"によって浄水処理されていた。

 この課金別荘にも街にある建物の裏手や路地のあちこちにも、排水を流し込んでいるらしい管があり、道端にも排水用の浅い溝が存在していた。それら全てが地下の施設まで繋がっている。

 おかげでこうしてためらい無く水が飲める。流石ゲーム的異世界だ。しかしゲーム会社もよくこんな細かいところまで考えるものだ。


「ゼロス、はよー」

「ああ、おはよう。ほむ、もしかして徹夜か?」


 インベントリから引っ張り出したタオルで顔を拭きながら訪ねると、気怠げな顔のほむに「そう、今から寝るところ」と欠伸と共に返事を返された。

 ほむは眠そうなそぶりで、それでも裏庭の入り口に植えられてたわわに実るトマト――のようなもの、をひとつもぎ採ると、洗いもせずに真っ赤に完熟した実にかぶりついた。「美味ぇ」1言感想を漏らして、口元を濡らす汁を手の甲で拭い、残りもあっという間に食い尽す。無造作に茂みへとヘタを放り投げ、俺が差し出した桶の水で手と顔を洗った。相変わらず旺盛な食欲だ。

 ほむが使い終わった水を井戸脇にある切り出した石を組んで作られた排水溝へと溢す。この水もまた地下施設で浄化され、どこかへと循環して行くのだろう。


「最近夜遊び多くないか? ティーが拗ねてたぞ」

「あー……、ティーとは午後に遊ぶ約束してる。なんだっけ? アレ――"Lock・Knock・Clock"か、ほらあの地下んトコにある古時計のクエストやり直すんだってさ」

「ああ、メルヘンっぽいクエストらしく、ボスがカエルの王様なあれか……」

「そうそれ。メルヘンじゃなくて、単なる言葉遊びだと思うよ。"おいぼれ馬"に乗った"ほらふき男"からクエストアイテムの"卵"と"怪しい薬"をもらって、クエスト始まるんだし」

「そうなのか? いまひとつ解らないな……。ほむお前、あーぁ……」


 応えるほむがさっきから盛んにヒゲのない――生える気配のない、滑らかな顎をしごくように指で撫でている。あげく濡れた顔を掌で拭って、手を振っては水を飛ばしていた。――無精にも程がある。

 俺はインベントリに入れ直して綺麗になったタオルを差し出した。


「……これ使え」

「サンキュ」


 ほむは乱暴に水を拭き取り、くわっ、と声を上げて、大欠伸と共にタオルを返してきた。なんとも言えず呆れ顔の俺に、ほむが悪びれずに笑った。


「ゼロス日光浴ほんと好きだね。少し日に焼けたんじゃん?」

「ずっと日に当たりたくても浴びれない生活してたからな。こうして気兼ねなく日焼けできるのは嬉しいんだよ」


 袖を捲って腕を見る。異世界に来たここふた月で、ずいぶんと色を変えた手の甲と腕の差違を確かめつつ言うと、「あー」と、ほむは思い出したように頷く。


「リアルで日光アレルギーって言ってたね。でももう直ったんだよね?」

「ああ、治療後の経過観察中だったんだが……。こうして異世界来たからな」


 たかが日光とは言え、重度の光線過敏症だった俺は、日に当たれば皮膚が炎症を起こしてただれる。だからアレルギーが発祥してからずっと、それこそゲームによく登場する吸血鬼のような生活を送ってきた。もともと朝方の生活を必要とする俺には、かなりの苦痛と不自由さだった。

 しかし日進月歩の医療研究のおかげで、丸1年かかるとは言え、アレルギーを改善する治療法が認可された。そのニュースに喜んで飛びついた俺はさっそく治療を受け、もうあと2ヶ月程で退院できるまでになっていた。

 退院間近だったとはいえ、経過観察の為にごく弱い日の光を浴びたことはあっても、こんな風に普通の人間と同じようにして、日の元で生活したことは本当に久しぶりだった。


「アバターはアレルギーの心配が無くて、とても素晴らしいな……!」


 しみじみと実感する俺に、ほむが微妙な顔を見せる。


「うーん、でもさ。今んトコは回復魔法が結構な万能魔法になってるし、大丈夫だとは思うけどさ、現実とどうリンクしてるか分からないし。日光浴も程々にしといた方がいいんじゃない? 後で困んのヤじゃん」

「ああ、心配してくれてありがとう。今は、確かにやりすぎだったと反省してはいるから大丈夫だ。……にしてもほむ、お前ヒヨさんと同じこと言うな。いつも一緒にいるせいか? やっぱちょっと似てるな、お前とヒヨさん」


 うげぇ、最悪! と、心底嫌そうな顔でほむが呻いた。


「なんでだ? 褒めたつもりなんだが……。あれでもちゃんと肝心な所で気を使える人だろう? ヒヨさんは」

「……ゼロスさー……。いや。んー……あのさ、俺さ、あそこまで性格悪くねぇよ」


「――いやいや? 外面は聖人君子のごとく。女にはデキリの極みのごとく。つまり何が言いたいかというと、俺以外のイケメソは爆発しろっ!」


 いきなりほむがトマトを引きちぎって、振り向きざまに声の方へと投げつけた。


「うーんオッティモ! 素晴らしきこの黄金の輝き! 完熟トマトの旨いこと美味いこと……ほむ、これ以上お前の愛情の証はいらな――」


 無言で振りかぶるほむを、俺も黙ったままで殴りつける。

 ヒヨさんが爆笑した。4個目のトマトを投げるのを辞めて、ほむは殴られた頭を押さえて、眉を寄せた怪訝な顔で俺を見た。

 俺の頭の中で渦巻く怒りが、熱と共に静かに引いて、冷えた。


「ほむ。いいか。2度と、食材を、投げるな。今日の食事、お代わりとデザートは許さん」


 ひょぁっ! 微妙な風切り音を喉の奥で立てて、ほむがムンクの叫びのごとく絶望に固まる。

 

「ほむ、良かったなトマトが美味くて。御飯代わりに存分に喰え」


 ほむは一瞬ヒヨさんを睨みつけ、それから表情を一転させて俺に向き直り、「ゼロス、ごめん!」と、心底情けなさそうに哀願しだす。


「もう2度としないから! 俺腹減んのダメ、苦手、絶対無理! だからさ……!」

「駄目だ。第一、そう思うなら食材投げるな」

「だって絶対受け止められるって分かってるからさ! だからさ!」

「駄目だ」


 にべ無く拒絶する俺に、ほむは洗顔で水をまき散らかされて濡れた地面に構わず膝を着くと、拝むかのように嘆願を続ける。


「頼むよゼロス! 無理っ。腹減って死ぬ。絶対死ぬ! 俺が餓死したらゼロスのせいだ。ゼロスを怨んで俺は死ぬッ! 今夜枕元に立ってずっと喚いてやる……ッ!」


 深い緑のほむの瞳が虚ろに濁り、這うような低い声で言葉を吐いた。思った以上に仄暗いほむの食の執着に、正直俺は引いた。後ずさった俺の横で、心底呆れた様子のヒヨさんがほむを見下ろしていた。


「阿呆。朝っぱらからなに恨み節かましてるんだお前は」

「誰のせいすか……!」

「トマト投げたお前のせい」


 射殺すようなほむの視線をどこ吹く風で流し、ヒヨさんは朗らかに言い放って肩を竦めた。ほむがヒヨさんへ歯を剥いて唸っている。


「ゼロス、ほむが意地汚いのは確かなんだが、体質的にも燃費悪くてな。悪いがお代わり無しは勘弁してやってくれ」


 平然とほむをあげつらったヒヨさんを見て、ほむへの怒りが萎えた。ため息が出る。本当にしょうがない……。


「まったく……。ほむ、2度とするなよ。とにかく今日はデザート抜きだからな」


 妥協した俺にそれでもまだ不満そうなほむがそれでも渋々と肯いたのを確認して、ヒヨさんはまるで犬でも追い払うかのように手を振って、ほむを追い立てる。


「丸く収まったところで、ほむ、午後からティーと出かけるんだろうが。とっとと寝てこい」

「……アイサー」


 不承不承とした態度でほむが立ち上がって、「マジひでぇ」そう零して裏庭を出て行った。

 ……ほむの背中が丸まり、肩も落ちている。と俺が思った瞬間、跳ねるように体を起こして背筋を伸ばした。


「誰のせいだよッ!!」


 凄まじい形相でほむが振り返って吼えた。

 "コール"か。俺の隣でヒヨさんがにこやかに微笑んで、ほむへと手を振っている。何をコールで伝えたんだか……まったく。

 俺が非難がましい視線を向けると、ヒヨさんは軽く肩を竦めてみせる。


「姿勢が悪いって注意しただけよ?」

「……そうですか」

「そうよ? この間みたいなサービスサービスぅ! は、夜だけのお・た・の・し・みっ!」


 苦虫を噛み潰した俺に、ヒヨさんはわざとらしい含み笑いの口元を手のひらで隠すフリで、とても愉しげに告げてくる。

 この間のようなサービス、か。


「俺はあんなサービスを受けさせられるくらいなら、窓から飛び降りますよ」

「あら嫌だ。心配しなくてもゼロスにそんなことしないわぁ! ゼロスもほむみたいな真似、しないでしょ?」


 まー、窓から飛び降りた程度じゃ俺たち怪我もしないけどね。と笑う。が、そう言う問題ではない。

 無言で溜息を吐いた俺に、ヒヨさんは笑いながら口を開く。


「ほむに注意してたとこに口を挟んで悪かったな、ゼロス」

「……体質はまぁ仕方ないことですから、それは別に気にしてませんよ。街で変なもの買い食いして体調を悪くされるよりずっとマシだ」

「そうそう。そのヘンなモノが俺にとっては納豆なのね。――ほんと存在の意味が解らないわぁ、あの腐れネバネバ」


 うへぇ。と、自分の体を抱きしめて、ヒヨさんが震えている。――いつものわざとらしさがない。本気で納豆は嫌らしい。


「すまんね。ほむのアレは一種のコミュニケーションでな、ほむも言っていたと思うが、俺が必ず受け止めると理解して投げているんだ。一応手加減もされてるしな」


 頭を振ってまた溜息を吐いた俺に、今度こそ真面目な顔でヒヨさんが謝った。それから、「ほら」と、受け止めた真っ赤なトマトを俺に見せる。


「万が一顔面にあたっても大丈夫な物しか投げないし、どれも完熟しているだろ? あとで調理出来ないような青いのは選んでない」


 確かにヒヨさんが齧っていたトマトもそうでない物も、全て充分に熟した美味しそうなものばかりだ。たわわに実るトマトのうねを確認すると、ほむがもぎ投げていたトマトのうねにはまだ青いものが沢山あった。

 俺は心の底から呆れるあまり力が抜けた。あの一瞬でなんて無駄な判断をしているんだ……。その判断力をまず、「食いものを投げない」という当たり前のところに何故使えないのか。

 ぼやく俺にヒヨさんが苦笑する。


穂澄ほずみは口より手の方が早いから、ストレス溜まるとああやって手が出るのよ。初対面の時はいきなりぶん殴ってきたから、まぁちっとはマシになった方かね」

「……畝村ほむらに初対面で殴られるようなことしたんですか、ヒヨさん」


 疑いの眼差しを向けた俺に驚いたように――本気で驚いてはいない、驚いたフリでヒヨさんは大袈裟に嘆く。


「――あら嫌だ! なんで俺のせいなの? 違うよ? 俺が正直だっただけよ? ちょっと、少し、予想以上に、あんまりにも穂澄のツラが上等すぎてな、つい感想を上のお口からお漏らししちゃっただけなのよ?」


 イケメソは死ね! ってな。


 極めて上品なオフィーリアの姿で、大層下劣に――わざわざ親指で首をかっ切る真似までして、ヒヨさんは笑う。頭が痛い。


「自業自得じゃないですか……」

「嫌だわぁ! 正直者はいつだって割を喰――ゼロスさん、どなたかいらっしゃったようです」


 嘯くヒヨさんが唐突にオフィーリアになって、おっとりとした動作で首をかしげた。何度見ても不気味なその切り替えの早さに、俺はまたため息を吐く。

 ……今さらだが。ヒヨさんに似ていると言ってしまった事を、ほむに謝っておかなくては。正直言って、だんだんと、ヒヨさんに物を投げつけるほむの気持ちが分かってきた。……これは不味い。


「もうそんな時間か。納品ですね」

「ではイヴァノエさまでしょうか?」 

「まあ多分」


 この状態のヒヨさんの相手をしても、もう無駄だ。まともな会話にならない。俺はそう判断すると、生返事をしながら垣根が重なる通路を抜けて、木戸を開けて裏門へ廻る。

 裏庭を隠すような背の高い垣根とは反対側、敷地をぐるりと囲む鉄柵の向こうの通りから荷台を引いた馬が近づいてきた。

 回る車輪が音を立て、馬の足音と重なって響く。荷物を満載した荷台を軋ませながら、荷馬車が石畳の道をゆっくりと進んできた。――しかしよくまぁ、あの距離からこの音が聞こえるな。ヒヨさんもたいがい耳が良い。


 俺は荷馬車を招き入れる為に裏門の閂を外した。


 さて、今日のイヴァノエさんお勧めの食材は一体なにやら。目玉メニューに出来るような物だと良いが、大抵は現実の食材に則しているものだとはいえ、異世界らしくよく分からない物も多いしな……どうなることやら。

 期待を込めて重い裏門を押し開く。蝶番の擦れる重音が、朝の目覚ましのごとく辺りに響きわたった。


 御者台に乗る男――イヴァノエさんが大きく手を振る。俺も合図をするように手を振り返した。

 と、すぐ傍にある厨房への勝手口が跳ね開き、とんぬら――違った。メグさんところのサブマスでキャラクターネーム、とん(間に白星)ぬら。アカウントネーム、どら(間に黒星)くえ。こと本名、さかきだ。どうにも未だに名前を呼び慣れない――榊が飛び出してきた。


「おはようございます! すみません、寝坊しました!」

「おはよう。今ちょうど馬車が来たところだよ」

「すみません! 開門当番は俺なのに、本当に申し訳ありません!」


 ハーフパンツに皺の酷いシャツを羽織っただけの榊が、服とは対照に規律正しく"気を付け"をすると、あちこちはねまくった寝癖頭を深く下げる。目ヤニと涎の残る顔をおこして、「すみません」ともう一度謝った。

 榊は設定ネームとは裏腹に、リアルではとても真面目な性格で、いつも規則正しい生活をしている。寝坊するなら余程疲れていたのだろう。

 しかし、キャラチェンジ画面で髪型をセットし直す余裕もないとは……。幸いなことに、キャラメイク時にヒゲをつけなかったアバターはヒゲが生えてこないので、現実に比べれば多少はマシな状態だとは言える。だが、それを抜きにしても随分と酷い顔になっていた。


「ああ、次からは気を付けてな。2度は無しだ。とにかく顔ぐらいは洗ってこい。ちゃんと目を覚まさないまま作業して、怪我をするのも馬鹿らしいしな」

「はい。すぐに顔洗って出直します」


 榊はやたらと神妙な態度で肯いて、近場の水場――勝手口の外に設置された井戸だ。厨房は顔を洗う所ではないから、井戸に向かって走り出そうとして、俺の影に居たヒヨさん――オフィーリアに気づいて硬直した。


「おはようございます、榊さん」

「おおおおはようございます、おふぃ……っ!」


 噛みやがった。

 口を押えた榊にオフィーリアがそっと手を伸ばし、思わず、と言った風に口元を覆う手に指で触れる寸前、指を軽く折り曲げて、引いた。

 オフィーリアはただ痛ましげに眼を細めている。そして、いかにも慈愛に満ちた表情に心配そうな声色を足して、


「榊さん、大丈夫ですか? 寝坊されるほどお疲れでしたのね……毎日お仕事が大変ですもの。お体を壊さぬよう、どうかご自愛ください」

「へ、あ、はィ!」


 返事が裏声になってる。

 触れてこなかったオフィーリアの指先を物欲しげに見つめていた榊が、オフィーリアに労わられてどもり、微笑まれて声を裏返らせ、一歩たじろぎ、ようやく我に返ったらしく寝起きのままの自分の姿に気付いて、そして全身をきれいに赤く沸騰させた。


「すすすすみません! すぐ、すぐ、すぐ支度します」


 土に足を取られ、榊が蹴躓きながら井戸へと走って行く様を見送る。なんでそんなに焦るんだか。毎日会っているのだからいくらオフィーリア相手だからといっても、いい加減慣れもするだろうに。


《おーおー、若ぇな。後ろめたいんかね、榊ん》

「何やったんですか、ヒヨさん……」


 何を非難されているか分らない。そんな表情で小首をかしげて、オフィーリアが俺の冷たい視線を躱す。代わりにヒヨさんはコールで俺に説明した。


《俺は何もしてないぜ? 榊ん、昨日はほむご紹介のお店ではっちゃけたらしいから、そのせいでしょ。――ま、仕事があるからって徹夜しなかっただけ、ほむよりマシか》

「ほむの紹介した店?」

《あとで感想聞いたら? そのうちゼロスも必要でしょ》


 何のことか分らなくて眉を顰めた俺に構わず、オフィーリアは厨房の脇に停めた荷馬車に近づいて行った。説明をする気のないオフィーリアの後ろ姿に溜息を吐いて、仕方なく黙って俺も荷馬車へと向かった。


《さーて、今日は何をたかるかな~》


 いかにも愉しげにヒヨさんが非道な言葉を吐いた。

 ゲーム時代にも散々貢ぎ物を掻っ攫ってきたヒヨさんの手腕は、ド外道過ぎていっそ見事なものだったが、この異世界に来ても相も変わらず健在だ。

 御者台から飛び降りてオフィーリアに駆け寄る小太りの男――イヴァノエさんの腕に抱えられた小奇麗な包みを見て、俺は頬が自然と引き攣るのが分かった。

 出来たら俺の居ない場でやり取りしてくれないだろうか。いくら美女でも中身はヒヨさんだ。あの寒々とした光景を見るのは、俺にとっては正直拷問に等しい。


 思わず空を見上げる。

 戸惑ったオフィーリアのフリで、しっかり目当ての贈り物を手に入れるヒヨさんを視界から確実に外して、俺は細めた目で空を眺めた。


 ――ああ。日の光は本当に素晴らしいな……。


 異世界万歳! やさぐれた気分で俺は呟いた。


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