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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第2話 異世界移転者の日記
16/49

下 の した

 部屋に戻ったら、ようやく起きたらしいトウセが席に着いて食事を始めていた。

 怠そうな寝ぼけ顔で、テーブルに肘を付いて皿を突っついている。片手を器に添えないせか、フォークから人参らしきものが逃げて皿の上を滑り、舌打ちしている。食材を穴だらけに突き崩しながらもそもそと食事をしている姿がだらしなくて、私はトウセからそっと目をそむけた。

 せっかくゼロスが作ってくれたんだから、もう少しちゃんとした姿勢で食べればいいのに……。


 ギルメン全員が集まったのを確認して、カインが軽く手を広げて注目を促してきた。


「それでは全員揃ったところで、改めて報告します。3日後に俺とサブマスはビナーの群島に向けて出発します。そこに新しいギルドホームを購入しました。ビナーに入るまではワープゲートが使えますが、以降は7日程度の船旅になります。コール、メッセージ、ギルド共通・トレードタブ、共に正常に使えますので、何かあったら即時連絡ください」


 改めて口火を切ったカインへと、既に事情を承知していたらしいギルメンから、異口同音の了解の言葉が上がった。全員を見回して肯いたカインが再び椅子を引いてくれたので、私は席に着き直して食事を始めた。

 顔を顰めたトウセがこちらを見ているのに気付いた。トウセはサラダに付いていたキュウリらしきものにフォークにざくりと刺して齧り、隣に座るゼロスの前まで肘を付いて身を乗り出してきた。


「サブマスさァ、ビナー行くってギルマスと一緒だから? それってどうよ。こっちのホーム放置する気? 一緒に暮らしてたあの女の子どうすんの、高レベルエリアの船旅なんて危なくてフツー連れて行けねーし」

「ちょっと待てトウセ。ギルドのみんなで了承したことだ、意見があるのなら最初にカインに言うべきだ」


 私とトウセに挟まれたゼロスが苦い顔で忠告する。私はトウセの顔を見ずにそっけなく答えた。


「引き払うわよ。それにジュリアはもう居ないし」

「えっ……!? そ、そうなの!? 彼女家出たの? いつ、何時から? い、今どこに居んの?」


 なんだかやたらと動揺したトウセが矢継ぎ早に聞いてくる。思いがけない反応に、うっかりトウセの方を向いてしまったので、仕方なく教えてあげることにした。


「昼から。ジュリアを養子にしたいって人がいて――、この都市でお店やってる凄ーく素敵な夫婦なんだけど、今日からその人たちの所で暮らしてるわ」

「あー、そ……。……どの店?」

「紅茶屋さん。学園街の手前の、美味い紅茶が手に入るいい店なのよ? ……で、どうしたの? トウセ」

「……や、べ、別にィ。ジュリアとはこっちに来るとよく話とかしたし、仲良かったから気になるわけじゃん? 元気してるかとかさァ……」


 誤魔化すように口の中でもごもごと呟く。耳の先が赤く染まり、目を泳がせて取り繕うトウセに、何というか、凄く意外な姿を見たと思った。

 確かにジュリアは可愛いから、気になるって言う気持ち解らなくもないけど……。でも、この反応ってアレだよね? 恋愛対象として見てるってことだよね?

 ……確かトウセって、オフ会の時に26歳とか言ってたはず。――ってことは、今28歳だから……。確かにこの世界ではアバターで、自分設定以外の肉体的な年齢は無いけれど、でも中の人として当然存在があるわけで。つまり……。ロリコン、だよね。


「トウセ、あの……。ジュリアってまだ17歳なんだけど。知ってた?」

「はァ? ……知ってるけど? だから?」


 何を言ってるのか本気で解らない。そんな顔をしてトウセが首を傾げるのを見て、思わず口元が引き攣った。

 ……うわぁ、気持ち悪い……。

 私が引いたことに気づいたのか、トウセの眉間にしわが寄る。


「あ? だから、別に気になるだけっつてんだろ!」


 小さな声で吐き捨てるように言われる。

 流石にその言い様にむかっときてトウセを睨みつけると、ゼロスが宥めるように会話に入ってきた。


「ようやく別の所で暮らしはじめたところだろ? 今後どうなるかは彼女次第なわけだ。あの家も引き払うし、下手に関わって後を引くのは、独立した本人の為にもならない。これから俺たちがやることは、そういう彼女の幸せを願って、陰ながら見守るだけだ。――な?」


 やんわりと、けれどはっきりと、"関わるなよ"、とゼロスが忠告した言葉に追加して、私はトウセに冷たく言い放つ。このロリコン!


「そうよね。ゼロスの言う通りよね。せっかく家族が出来たのに、今、外野が余計な邪魔入れるのはダメよね。遠くから見守っておかないとね!」


 ――うっせんだよ、このスイーツババァが。

 トウセがぼそりと小声で呟やいた暴言に、頭が怒りで沸騰した。


「ふざけ……!」

「ストップッ!! サブマス、トウセッ! そこまでにしてくれ! 飯がまずくなる」


 慌てたゼロスがレフリーのジェスチャーで割って入る。ゼロスのその声に、別の話に夢中になっていた他のギルメン達が驚いた顔でこちらを見ていた。

 やりとりに気付いてたらしい変態男が、いつもの面白がるような顔で白々しく聞いてくる。


「どうしたよ?」

「別に何もねェーですよ! 腹一杯だから部屋戻るわ。じゃぁなっ」


 吐き捨てるようにロリコンが言った。「ごちそうさまぐらいは言っとけ」と、そう珍しくもっともなことを言う変態に、生返事でロリコンが返した。


「ぁあ? ……ごっちゃんでしたァ」


 ――もう、ほんとこのロリコン犯罪者、頭にくる……ッ!


 立ち去るロリコンの背中を、半ば振り上げた拳を握りしめながら思いっきり睨みつける。とたん、視界の端で一連の流れを楽しそうに見物していた変態男が爆笑した。ゲラゲラと笑いながら、腹筋を押さえて体をよじっている。


「変わらないねぇ……! トウセもアレだけど、相変わらずサブマス沸点低いわ。――なぁ、人生不便じゃねぇ?」

「ヒヨさん、混ぜっ返さないでくださいよ。今のはトウセが悪いんですから。それに変わらないと言うのも、この世界では大切なことでしょう。ある意味、非常事態が継続してるわけなんですから」

 

 怒りでぶるぶると震える私を宥めながら、ゼロスが変態を諫めた。にがり切ったゼロスが落ち着くようにと、私の背中をあやすように叩く。目元に滲んだ涙を拭いながら、変態男が、悪い悪い。と全く反省の欠片もない謝罪を口にした。


「うん、悪かった。確かに変わらないってのは貴重だ。そうそう、ありがたいことだったわ」


 そう言って変態はいきなり姿勢を正すと、真っ直ぐに私を見て――ドキッとする。凄く柔和な目をするんだもの。いつもそうしてればいいのに――そして、ふざけた色のない瞳と、あの甘くて落ち着いた声で、優しく、本当に優しく微笑んだ。


「サブマス――ゼロスも、いつもありがとうな」



「え……ええ、え? え……?」


 あまりの事態に目を見開いて硬直する。熱だけが頭の天辺まで一気に上がる。唐突な謝罪と感謝の言葉に動揺して、思わずゼロスに助けを求めて目を向けたら、そこには私以上に挙動不審のゼロスが居た。


 ――どうなってるの? 何これ、どうゆうことなの? えっと、えっと、なんでどうしてこうなってるの? どうしてこういう時にシリアスモードなの? このひと。


 もはやどうして良いか分からずにギルメン達を見れば、ぽかんとした顔のほむくん達と、強ばった顔を引き攣らせているバルサ、それに、それらを苦笑して見ているカインが居た。

 ようやくカインと目が合う。助けを求める私の思いに気付いてくれて、カインがパンパンと高い音をたてながら手を叩き、硬直した空気を動かしてくれた。


「とりあえず。落ちがついたところで食事を再開しましょうか。――せっかくの美味しい料理が冷めてしまいますので」

「う、うん。そうね……」


 すっかり毒っ気が抜けて、私はぼんやりした頭で椅子に座り直した。なんだか居住まいが悪くてもじもじするんですけど……。そっと横目であの男を伺ったら、ばっちりと目が合って笑われた。慌てて顔を逸らす。

 ――あいつは変態。変態男なの! あの見た目に騙されたら終わりなんだから……!


 いつもと同じ、人を面白がるような笑い顔の筈だったのに、少しだけ、ほんの少しだけその笑顔が物柔らかに見える。俯いて食事に専念するフリをしながら、あの男の視線を感じて、頬が自然と赤くなっていくのを自覚した。


 なんなのあのひと。これなんなの、もう! 急にそういうのやめてよ……。

 たっぷりマスタードを付けた子羊の骨付きロースト肉に手に取る。とっ散らかった思考を振り払うように、行儀の悪さに目をつぶってかじりついた。



 ――もう本当に、変態はどうにかなればいいのに……!






 はぁ。と緊張から解放されて思わず大きく溜息を吐いたら、カインが私を慮るように微笑んだ。


「大丈夫ですか、気分が悪くなったりはしていませんか?」


 不吉さを感じさせるほど深い青紫の、魔法エフェクトがまだ体に纏わりついている。それには構わず、安堵に弛緩した体をソファに預けて私は答えた。


「あ、大丈夫です。……少し、緊張しただけです」

「それなら良かった」


 そう安心した様に頷いて、カインが私に解呪用のアイテムを渡す。――白色に透けるクリスタルで作られた小さな十字架。解呪用の呪文が込められていることを示して、十字架の中央に青い光が浮かんでいる。とても綺麗だ。

 応接間のソファで脱力しながら、手に持った十字架を苦労してインベントリに収納する。夜になると聞こえ出す虫の声と、庭に生い茂る木々のざわめきが、満腹になった体から眠気を引き出して怠い。

 眠気を払うように大きく深呼吸をしたら、湿った草木の匂いと窓の傍に吊るしたハーブの香がした。……すごく良い匂い。この香がすると、自宅に帰って来たって感慨を覚える。


 ギルメン達との食事会のあと、カインに自宅まで送ってもらった。そのついでに、レベルが上がったらしいカインに私は洗脳・従属魔法をかけられた。……ちがう、護身用にかけてもらったのだ。


「あの、解呪アイテムは無くても大丈夫だと思います。せっかくの自衛用の呪文なんですから、わざわざ解呪したりはしませんよ?」

「一応、念のためです。自衛用と言っても、そこは洗脳魔法なわけですから。無意識レベルではきっと抵抗があると思いますよ?」

「でも……私、カインを信用していますから」


 きっぱりと言い切った私を、カインが笑う。


「ありがとうございます。……俺の責任、重大ですね」


 眉を下げて苦笑したカインに、慌てて手を振って弁解する。


「そんな……! これで安心して暮らしていけるわけなんですから! 本当に感謝しているからで……。……あの、そう言えば、カインはどうやって自衛しているんですか?」

「俺は自分でかけています。ヒヨシさん達も呪術師スキルを持っているのですが、そのキャラは俺とレベル差があるので、自分がけした方が良いらしいです」

「なんだか自己暗示みたいなんですね」

「そうですね」


 可笑しそうに笑って、カインは紅茶に口を付けた。――マルコスさんに淹れてもらった紅茶をカップに注ぎ直したものだ。「美味しいです」そう言って頷いたカインを見て、私も紅茶を飲む。うん、美味しい。さすがマルコスさん。

 ……本当のことを言うと。カインが私に魔法をかけてくれたように、私もカインにかけてあげたいんだけど……私の呪術スキルはモンスのテイム(飼い馴らし)用の物しか持っていないのだ。……残念。


「そう言えば、レベル補正ってやっぱりこの魔法もあるんですね」

「ええ。レベル差がありすぎると、ちょっとした"お願い"にも強制力が出てしまうみたいで。それからあまりレベルが低い場合は、今度は耐性スキルで無効にされてしまったり、他者から強引に解呪される可能性もありますし、なかなか難しいところです。……まぁ、自衛用とは言え、わざわざ洗脳魔法をかけあうなんて、余程の信頼関係がないとできないことですが……」

「はい。信頼してます」


 すかざす言った私に、カインがにっこりと笑った。



 カインが私にかけてくれたこの深い紫色のエフェクトが特徴的な洗脳・従属魔法は、こちらの世界――異世界で過ごす様になってからギルメン達の自衛用にと取得し、使いだした永続魔法だ。

 もともとカインのメインキャラ――呪術師の魔法にも似たものがあり、それらは全て重ねがけが無効な魔法だった。ゲーム時代は戦闘中に自分よりレベルの低いモンスにかけて、そのモンスを使役することが出来たりもした。戦闘が終われば魔法もまた解けるので、それらの永続版の魔法にカテゴライズされ、モンスとの友好度を上げて訓練が必須のテイム(飼い馴らし)スキルとはちょっと系統が違う。

 もっとも、今ではどれも自衛にしか使わないけれど……。


 ――この世界には奴隷が居る。


 私が買い取る前のジュリアにもかけられていたその洗脳・従属魔法は、奴隷ではない人間にとっても恐怖の対象だ。

 私たち冒険者プレイヤー以外の人間、この異世界の一般住民――つまりゲーム時代のNPCは基本的に魔法が使えない。もちろん、"王侯貴族"とか"魔術師"やら"騎士団"、"盗賊"などクエストに関連する特別な役割を負っているNPCは別だけど。

 この世界の魔法とは、貴族など血統からなる素質を開花させ、それ専門の機関などで訓練して初めて使えるようになる特殊技能らしい。使える人間は稀な存在なのだ。


 だとしても。行使できる人間がそう居ないだろうとはいえ、不意をつかれて"辻がけ"された挙句に拘束される羽目になりたくない。そう言ってギルメン――当時、変態行為に身を注いでいたあの男が自衛用へと利用を思い付いた。

 確かに高レベル帯に位置し、対抗スキルも当然持っている私たちギルメンに対して、洗脳・従属魔法をかけられるNPCはそんなには居ない筈だと思う。むしろ確実に居ると分っているのは、同じレベル帯の他のプレイヤーであり、それ故私たちが1番警戒しているのもまた、私たちと同じプレイヤーなのだった。


 だからこそ万が一の為に、私たちはカインに洗脳・従属魔法をかけて貰っていた。


 より正確に言えば、私とゼロスやバルサ、トウセ、それに姫プレイ専門としてあの男が作った"火力オフィーリア"が、カインに魔法をかけてもらっていた。

 ティーくんとほむくん、それからあの男の他のキャラはレベルが私たちより高いので、カインではなく、彼らの持っている別のキャラで魔法をかけ合っているらしい。――らしい、とカインから教えてもらった。



「紅茶、ごちそうさまでした」

「あ、はい」


 カップをテーブルの上のソーサーに戻して、ソファからカインが立ちあがる。……下のオアシスのホームに帰るのだろう。

 心細くなった私の気持ちが顔に出ていたのか、安心させるかのようにカインが微笑んでくれた。


「明日は午後一に商家の方たちに紹介しますから、また迎えに来ますね。――そうだ。この家ですが、片付けとか人手は要りますか?」

「いえ、倉庫に収納するだけなので全然大丈夫です。もうこの居間と自室以外は全部片付けちゃいました」

「ああ、それは良かった」


 カインは笑ったまま頷き、ふと、なにか思案するように一瞬沈黙して、そして部屋を見回した。


「そうですね……片付けがすぐ終わるなら、明日から皆と一緒に下のオアシスのホームで暮らしませんか? 直ぐに出発するとはいえ、それでもこちらで独りで過すのは不用心だと思いますし。オアシスのホームでも同じ倉庫にアクセスできますから、不便は無いはずです」


 カインの提案に心が浮き立つ。私を心配してくれるカインの優しさに頬が熱くなったのが分った。


「あ、はい! 嬉しいです。やっぱり独りは淋しいですし……。あの、明日の朝には全部片付けておきますね」

「ええ。明日は昼にこちらの浮遊都市で会う予定になっていますから……午前のうちに旅に必要なものがあったら買い物をしておいてください。そうすれば午後以降自由に行動できますから」

「はい!」


 大きく肯いて返事をした私を見て、カインが安心したように微笑む。

 ……よかった。紅茶もフリュイ・コンフィ(果物の砂糖漬け)も昨日買ってある。だから……。……うん。特に買い物も無いとは思うけど、他の物を確認して見ておこう。


「それでは、また明日に」


 扉の外でカインが手を振る。私も手を振って応える。


 これがゲーム時代だったら、コマンドひとつで登録されたホームへのジャンプが出来るから、いちいちオアシスへのゲートを通らなくてもホーム間を行き来できる。……だったら、すぐに家を片づけて下のホームにいけるし――そしたら、寂しくないのに。


 とは言っても。この浮遊都市は他から隔離されているので、ジャンプが使えるホームは下のオアシスだけだ。

 それに同じホームでも、この家の様に所有権を持っていない場合はジャンプ先として登録出来ない。登録するには所有権をもったプレイヤーの許可が必要になるのだ。そしてゲーム時代でのホームの購入は、そのホームの"所有権"を買うという意味だったが、今この異世界では"使用権"を得た事にしかならない。――土地も、その上に立つ建物も、突き詰めればその領土を支配する国家の持ち物になるからだ。

 もっともゲーム時代でも、厳密には、運営から購入する"課金別荘"と、各フィールドにある国家から購入する――と設定された"ホーム"、それに建物を持つNPCから部屋として借り受けて購入することになる"ルーム"では、それぞれ扱いが違ったけれど。



 カインの背中が前庭を抜け、目を凝らしても見えなくなって、そしてようやく、扉を閉じて戸締りをした。


 しんっ、と静まりかえった室内でため息を吐く。

 静寂になんだか気が急いで、手持ちぶさたを解消するように広間に飾ったままのタペストリーやサッシュをインベントリに入れて片づける。そのまま広間の隅に設置されたコフル――倉庫へのアクセスボックスにインベントリのアイテムを一括移動コマンドした。

 我ながら馬鹿みたいだけど、今日だけで、インベントリと倉庫へのアイテムのやりとりが随分と上達したと思う――いつまで持つかは分からないけど……。


 またジュリアの事を思い出して嘆息する。


 ああ、ダメダメ! 頭を切り替えなきゃ。そう、あとは自室だけだから、バスルームは使った後で、ベッドルームは明日の朝に片づけよう。食事はさっきゼロスからお土産として色々もらったし、もうキッチンを使う必要もない。

 物を仕舞えば掃除をする必要はないって、カインが言っていたし、楽で助かった。もちろん掃除する必要はないと言っても、汚いままで出て行くなんて私にはできないけれど――。……ただ、ジュリアが毎日綺麗に掃除してくれていたおかげで、家はどこもかしこも新築同様に綺麗で、埃一つ落ちてなかったから……。

 うん、バスルームだけ簡単に掃除すれば大丈夫だ。


 お風呂に入るついでに簡単な掃除もして、ほかほかと体が温まった。水差しからグラスに水をそそいで、机の上に置く。

 汗が引くまでしばらく休もうと机に向かい、お気に入りになった綺麗な色のノートと、インクペンを引き出しから取り出す。まだ新しく使い始めたばかりの蒼い表紙のノートを開いて、ペンにインクを付けると、いつものように、この異世界での物語を書き残すことにした。




 まず最初に自分の名前を書くべきなのだろうけど、私は自分の名前が好きではないから、私が決めた秘密の名前を使うことにした。


 そもそも私は自己紹介をする時は、いつも自分の名前はありきたりで面白みが無いとがっかりしていたのだ。もっと華やかな名前がいいのにと、そうずっと思っていた。あの赤毛の女の子だって、名前を庶民的だから駄目だって嫌がっていのだから。だからせめて名前ぐらいは誇れるものにしたくて、私は私に秘密の名前を付けることにした。

 今の私に相応しい名前だと思うから、友人のあなたにはその名前を告げておきます。あなたにだけはこれまで決して明かすことの出来なかった全てを告白することができるから。どうか私の心の支えになってください。そして、それらの事はどうかこのまま秘密であって欲しいと、そう思うのです――。



 私が思い出す幸せな記憶はいつも、祖母が生きていた時のものだ。


 同じ深いグリーンの瞳は柔らかくなごんでいて、あたたかい窓からの日差しをうけて澄んでいた。

 窓ぎわに置いてある安楽椅子に座る彼女に、家に帰ってくると私は真っ先にあいさつに行く。かけよる私の頭を、彼女はいつも目を細めて優しくなでてくれた。穏やかな日々の幸せな記憶だった。


 彼女が亡くなった時、今まで私をかえりみなかった父親が会いに来た。

 それまで私は周りの人たちから、私の父親は大変な嘘つきだと教えられていたので、この父親の言葉をけして信じてはいけないと考えた。そして、いかにもしぶしぶと私に会う彼の様子にも後押しされて、これからも私にかまわないでと伝えてみた。

 けれど、彼は私言葉を無視すると私の腕を乱暴につかんで、あのあたたかな窓辺から永遠に私を引き離してしまった。


 父親の用意した狭い家はごみごみとしてせわしない街の中にあり、そしてその街は私に冷たかった。私があやつる言葉はつたなすぎて通じないことが多く、周りの人はみんな聞かなかったふりで私を無視した。

 私は何度も父親に、あのあたたかな家に帰らせて欲しいとお願いした。しかし父親は、好きなものを何でも用意するから自分をこれ以上わずらわせるな、そう言って私の前から居なくなってしまった。

 彼は大変な嘘つきで、家に帰りたいと望む私の願い同様に、何かを欲しいと言っても叶えてはくれないだろうと考えて、私は何一つお願いすることはしなかった。



 私の幸せな記憶の中には、祖母と同じくらい大切な記憶がもうひとつある。


 それは時々祖母を訪ねてくる男の子で、彼は家に来ると、必ず私と手をつないですてきな場所へと案内してくれた。彼が教えてくれるのは、例えば裏庭のしげみの中で咲いた小さな花のありかだったり、私の家の屋根から見える茜色に焼けたきれいな空だったりした。

 彼が私にだけこっそり教えてくれるものは全部、私の宝物になった。私はずっと彼が大好きで、彼もおなじ気持ちでいてくれるといいな、とそう思っていた。


 私がせまい家で毎日ひっそりと暮らしていると、どうやったのかは知らなけれど彼から連絡が届いた。そしてすてきな場所に案内するのに必要だから、私に用意して欲しいものがあると告げた。私はその言葉にわくわくして、必ず用意するからと約束した。けれどそれらは、人から無視される私には、手に入れることが出来ないものだった。

 仕方なく私は彼が教えてくれた必要なものを、私の嘘つきな父親に欲しいと伝えてみることにした。きっと叶わないだろうと落ち込む私に、けれど嘘つきなはずの父親は、私が欲しいと言ったものすべて用意してくれた。だから、私は、私の父親は大変な嘘つきではなく、ふつうの嘘つきなんだと考えることにした。

 父親のおかげで必要なものをそろえられた私は大変満足すると、さっそく彼と連絡を取って報告した。だが彼はそれはそろえただけでは駄目で、使えるようにしなければいけないと私に教え直してきた。

 そして私がそれを手に入れるのと同様に、私がそれらを使えるようになるのは、とてもむずかしい事だった。


 嘘つきな父親は私との約束を守って欲しいものをくれたのに、残念ながら私はというと、父親の欲しいものはあげられそうになかった。

 私は父親に、大変申し訳ないのだけれど、使い方が分らないので教えて欲しいと言って、父親を酷くわずらわせた。意外なことに父親は私がそれを使えるように、何度もていねいに教えてくれた。その上、私が父親にとても感謝していると伝えたら、父親は嬉しそうに笑ってくれた。

 それを見て私は、私の父親はやはり嘘つきだと確信し、わずらわせるなと言うあの言葉も嘘だったのだなと、ただそう感じた。


 私はいよいよ彼に使えるようになったと報告した。彼はとても喜んで、次の金曜日に私に会いに行くから、その時に案内するとそう言ってくれた。私はその日をとても楽しみにして毎日をすごした。

 普段ひっそりと暮らしている私が、とてもうきうきしている事に気付いて、父親がどうしてそんなに浮かれているのかと聞いてきた。私は嘘つきな父親に彼のこと話しても、秘密のままにはしてくれるか怪しいと考えて、土曜日にこの間教えてくれたものを使うからとだけ伝えた。何故か父親は大変満足そうに、これからもいつでも教えようと私に約束してきた。

 しかし私はその言葉こそが、父親を嘘つきだと人から言われる原因だと判断した。その時私はただ無言で頷いたが、父親はそれでも喜んだ。私は私の父親は嘘つきではあるけれど、けして悪い人間でないと感じてとても安心できた。

 私はこのせまい家があまり好きではなかったが、それでも好きになるように努力しよう、とそうその時初めて決心した。



 約束の日、彼は私との約束を守って会いに来てくれた。私の手を握り、いいものを見せてあげるよと、以前と同じセリフで笑って歩き出した。

 いくつもの街を通り、そのたびにその街のすてきなものを教えてくれた。細道の先にある、しっぽの2本ある猫たちの集会所とか、橋の下のトンネル奥に置かれた大きな振り子時計とか、家と家の間の壁をよじ登ると見える、気性の荒い白い風見鶏とか。

 風見鶏は風見鶏のくせに生きていて、風に向かって羽ばたいては白い羽根をまき散らしていた。私が手を出すとものすごい勢いで手のひらをついばんで、私は酷く傷付いた。彼は傷ついた私に困ったように笑って、傷薬を差し出してくれた。私が傷薬を使うと、傷はあっという間治った。彼は再び手をつなぎ、危ないからもう触ろうとしてはいけないよ、そう私に注意してまた別のへ街へと渡った。


 宙を風船のようにただよう水。そのなかでふらふらと泳ぐ、骨だけの魚。凍りついた水たまりの底に沈む巨大な遺跡。廃墟にある鏡に写る部屋と、その部屋の窓から見える豪華なお城。ばらの木の根元の書庫の本には、人々の秘密ばかりが記されている。並んだ水晶の鍵盤を叩くと妖精がでてくるし、おばけキノコは胞子をラッパのように吹き鳴らした。


 最後に彼が案内してくれたのは、高い山脈をながめられる小さな鉱山の炭鉱で。掘っ建て小屋の裏手、いくつもの岩に影に隠された洞窟のなかにある、虹色の石がぷかぷかと浮かぶ蒼い泉を見せてくれた。泉の底から虹色の石が、ぽかりと泡のように湧き上がってくる。

 小さな泉はとても冷たそうで、私はそこに手をひたしてみたくなった。彼が虹色の石を私に見せようと屈み込んだ時、私は彼との約束をすっかり忘れて泉に触れてしまった。刺すように冷たい水に驚いて、慌てて手を引っ込める。さっきまで手を握っていたはずの彼の姿が、私の隣から消えていた。


 穴の中見渡しても、彼はどこにもいなかった。大急ぎで穴を出て、坑内をくまなく探す。大声で彼の名前を叫ぶが、返ってきたのは反響した私の声だけだった。だんだんと心細くなって来た私は、彼が私を探しやすいからと言い訳して、その場にしゃがみ込んだまま動かずにいた。

 もしかして、私が約束を破ったせいで彼は消えたのだろうか。約束を守れない私に呆れて、彼は私をここに見捨てて帰ってしまったのかもしれない。見捨てられるほど彼に嫌われたなら、もう2度と私とは会ってくれないのかもしれない。そう思って私が心の底から後悔していると、人の声が聞こえた。

 彼が私を許してむかえに来てくれたのだろうと甘く考えて、私は彼の名前を呼びながら声の聞こえる方に夢中で走った。けれどそこで会ったのは、私が探していた彼ではなく、私のようなものが決して出くわしてはいけないと、そう一目でわかる人間たちだった。



 部屋の扉を叩く音が聞こえる。


 我に返った拍子に、ノートにかけた手に力がこもり、ぐしゃりと紙が寄ってしわが出来た。

 波打った文字に、ひとつふたつと音を立ててしずくがこぼれる。染められたばかりのインクが滲みだした。慌てて吸い取り紙を挟み、ノートを閉じる。美しい蒼色を隠すように引き出しにしまった。

 無造作に袖で目を拭って、声を出す。


「――おやすみなさい」


 呟いて、柔らかな羽毛布団に潜り込んだ。――深呼吸しても、もうあの苦手な臭いはしない。ごく薄く匂いが感じられるが、不快感を覚えるほどではない。


 ベッドに寝そべりながら、ぼんやりと白い石造りの天井を見る。

 見知ったあの模様でないと確認するたびに、ここがかつての世界ではなく"Annals of Netzach Baroque"というゲームに酷似した異世界だと思い出す。何日経っても終ることのないこの世界に絶望したけれど、今はもうただ苦々しく思うだけ。

 そう、苦しく思うだけ。――もう何が起こっても、これ以上悪くなりようなんて無い。

 だからこの世界で生きよう。だって他にどうしようもないから。せめて自分に出来ることを精一杯がんばろうと思ったのだ。だから――。


 変わる環境に思いを馳せて、目を閉じる。


 目をつぶると、今日言われたことを思い出して、胸がどきどきと早鐘を打った。

 きっと素敵な暮らしになる。新しい生活が始まるんだ。だからめいいっぱい楽しもう。……いつか、この異世界が終わる日まで。


 動悸が速まって、眠気の訪れる気配は一向になかった。

 それでも、私は柔らかな布団に身をゆだねて、目を閉じ続けた。


 ――現実に戻れる日が来るようにと、そう、願いながら。


最後まで読んでくれてありがとうございます。

そしてほんとにアレで申し訳ないです。


3話はギルメン達それそれの話になります。

あとUMEEEEE!

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