移転者は異世界で踊る
彼方に浮かぶ雲の上に、日光を受けて輝く白亜の城が見えた。
「天気いいな……」
「だぁねぇ」
空はどこまでも青く突き抜けて高い。
行ったことなどついぞなかったが、TVで見た南国リゾートの空はこんな感じだったな、とほむほむらぶは呟いた。
ほむほむらぶと言うふざけた名前は、もちろん本名ではない。かつてのアカウントネームであり、現在のこの世界での通称だ。
「まぁここも、外国には違いないわなぁ」
相変わらず気の抜けた調子でティーザラス――こちらも無論、かつてのアカウントネームである――ティーザラスが同意した。
背後には遥か高くそびえる火山、上空は無風なのかと錯覚するような見事なドーナッツ型の雲を吐き出している。その火山の中腹にあたる、まばらに生えた木々が小規模の森を点在させている一角、風が抜けた見晴らしの良い崖の上。2人はそこから眼下に広がる裾野、シューレル森を眺めていた。
風を受けてそよぐ長い前髪の下で、ティーザラスが心地よさ気に目を細める。
「とにかく天気は良いしぃ、風は気持ちいいしーぃ、飯も旨い。ついでに空は青くて綺麗ときたもんだぁ……最高だおねぇ」
「そんで環境音楽はぞぬトレインしまくった間抜けの悲鳴か。落差激しいわ」
「いやぁ、血しぶきの鮮やかな赤と青い空のコントラストがたまりませんなぁ」
「確かに」
合いの手を入れたほむほむらぶが同意した。のんびりとした牧歌的な景色に共感し互いに頷き合うと、2人は再び食事を続ける。手首からお茶の入った小さな水筒を提げ、さらにその手にはサンドイッチを持っていた。
薄くスライスしたパンで大量のグランゾ鶏の焼き肉とリバス草を挟んだサンドイッチは、かつての世界の照り焼きサンドとよく似て、"プレイヤー達"には人気の食事だ。
しかし2人がこれを昼食に選ぶのは味とは別の理由からだ。不味い食事は気力が萎えて活動効率が下がるが、"まともな料理"でありさえすれば腹も心も充分満たされる。つまりサンドイッチを選ぶ理由とは、立ちながらも片手で時間を取らずに食べられる。ただそれだけだった。
3つ目のサンドイッチを食べ尽くし、水筒のお茶を一口飲む。それから物足りなげに息を吐き、ほむほむらぶはこことはまた別世界へと旅立つだろう眼下の人物達に、無慈悲なはなむけの言葉を贈った。
「横殴りマナー違反ですしおすし」
「――うぃうぃ」
神妙な顔でティーザラスが首肯した。
良かれと思って介入しても、戦闘終了後にトラブルになる事は良くあった。戦闘など常に自己責任で行うべきだ。そう改めて2人は肝に免じると、無謀な奮闘を続けるプレイヤー達の観察を続ける。
崖下の戦闘は一向に好転せず、実に惨憺たる有様だ。
与えられたダメージからくる痛みに、冷静さを完全に失ったプレイヤーが恐慌をきたして、ただ剣を振り回している。むやみに空を切るだけの剣先をくぐり抜け、グレイウルフの前足がプレイヤーを押し倒し、巨大な口で怜悧に整えられたアバターの首元に齧り付いた。痛みに絶叫し、もがくプレイヤーに構わず、グレイウルフが爪を深く食い込ませて首を振った。鋭い牙と爪に肢体を引き裂かれ、あっけなく四肢が散らばった。
かつてポリゴンで構成されて欠けることのなかったアバターは、今はステータスに依存したただの肉の塊だ。
眼下に見下ろす惨状は森の長閑さと相まって現実味が薄い。周囲にはむせかえる程の血の臭いがするのだろう。しかし、風はこの崖の上までは死臭を運ぶことはなく、現実味はモニタの向こう側の"リアル"となんら変わりない。
頭の上に疑問符を浮かべたように、ほむほむらぶが小さく首をかしげた。
「無双で効率レベ上げ目論見?」
「経験値美味しいれすしなぁ」
グレイウルフは大量に湧き続ける上に好戦的で、ターゲットを継続して取り易いモンスターだ。また、素早いが物理攻撃しか行わなず、魔法耐性も低いので纏めて駆逐し易い。"エンドレスぞぬ祭り""わんわんフィーバー"等々、中位レベル帯の経験値集めで人気の場所だ。
とはいえ、厳密には職業によって効率が良い狩り場というのは異なる。
呆れ顔のティーザラスが、空けている手で崖下を指をさす。
「僧侶と侍、忍で来るとはねぇ。三匹が切る? ロープレ馬鹿かお……。ぞぬ相手に物理で殴って数に対抗とか、まじプギャー!」
「ジャポニカわろすわろす。せめて侍3で派手に散ってこいやラストサムライっ!」
いずれの3つとも、防御の薄いことで有名な中位レベルの職業だ。
ただし回避と瞬間火力が異様に高く即死のクリティカル率も高いので、レベルと環境が適正ならば回避盾かつ火力として重宝される。さらにそれぞれの違いをあげるなら、僧侶は防御高めで生産可能、侍は攻撃特化、忍は素早さ特化で隠匿性能がある。
「掠るだけでアウアウ。紙装甲の極み乙!」
煽るほむほむらぶの片手だけが礼儀正しく拝んだ。
ライトノベルを正しく反映したかの様なデスゲームと化した現在ですら、ロールプレイを続ける者は存外多い。
それで精神安定を謀っているのか、あるいは正しくこちらに"適応"した結果なのか、ほむほむらぶにもティーザラスにも未だに解らなかった。
あーあ。と残念そうにほむほむらぶが呟く。
「またタゲる順番間違えてやんの」
「モンス、位置表示もHPバーも見えなくなったしねぃ」
「表示を探すんじゃない。気配を感じるんだ!」
「ですおねぇ~。いやはや断末魔がマジ渾身のギャグ」
崖下では悲鳴を聞きつけたのか、別の群らしきグレイウルフの集団が合流して、さらに脅威の数が増した。
立たせた2本の指をひらめかせ、ほむほむらぶがポーズを決めて叫ぶ。
「シャウトでぞぬ倍プッシュ召集!」
「ぞぬ達のバトルフェイズはまだ終わらないぜぃッ!」
「おーっと、ラスト僧侶アボン!」
プレイヤーならば――少なくとも現状でバトルジャンキーと呼ばれる彼らのような廃人たちならば、5分とかからず戦滅できる雑魚モンスター群れにすぎない。だが、この世界の大半の人間には免れぬ死の象徴であり、恐怖の対象だった。
そして先ほどの3人の様な、この世界に適応できなかったかつてのプレイヤーにとっても。
ほむほむらぶが、何かに気付いた様に唐突に顔を上げた。
「あ、こっちゃ側も沸いたかね?」
「だお」
「じゃぁメシ喰ったし、行きまっか」
「うぃうぃ」
ティーザラスがいかにも愉しげに頷いて、口の端に付いた照り焼きのタレを舌で舐めとった。
肌を撫でるような感覚が辺りに満ち始める。聞こえるのは先ほどと変わらぬ風と木の葉のざわめく音だけだ。しかし、大量の生き物が生息するかのような気配を、何かが息を潜めているかのような周囲の変化を感じて、2人は後ろに振り返った。
インベントリにパンの包み紙と、手首にぶら提げていた水筒を放り込んだら、それで戦闘準備は完了である。
「ここももう1レベ上げてお終いかね」
「確かに。そろそろ効率悪くなってきたしねぇ……。次、地下潜りに行こうず!」
名案とばかりにティーザラスが片手を振り上げた。
数値が見えるわけでは無いこの世界では、所謂レベルの概念は無い。
ただ何か、脳裏にステータス表示のような、ゲーム時代のHPバーのような、極めてアナログ的な形でおぼろげに浮かび上ってくる――或いは、漠然とこんなものだろうと判断できる――そんな感覚的なものがあるだけだ。しかしそれは明確に数値化されてはいない感覚的なものであっても、存在を身体能力として確かめることが出来る、理解と確認が可能な"何か"、だ。
その"おぼろげに浮かび上がる何か"は自分だけの感覚であり、他人やモンスターのステータスを正確に計ることはできない。とは言え、個人差はあれど経験に基づいてなんとはなしに判別することは可能である。――ゲーム時代の攻略情報を暗記している者にならば尚のこと。
眉を寄せたほむほむらぶが片手で身体を抱くと、嫌がるようにわざとらしく全身を震わせた。
「あ~、俺アリンコ苦手だわ」
「えぇー!? エサえほえほ運ぶところがまじピクミンで可愛いやん。ピクミン好きの俺歓喜!」
「ピクミン言うなや! つかエサって、ガチ死体、肉団子だっちゅーの。明日の俺らよ、アレ。FOS(安全率)考えると壁と回復足らんし、デバフ怖えーおす」
頭を振るほむほむらぶを横目に、ティーザラスは小首を傾げて答える。
「じゃぁー、よっすん呼ぼーよ。無料壁付いてくるし、マージン十分取れるしょ」
「知能犯乙! そうしよう。しかしよっすんスゲーわ。尊敬する。ネカマっぷりマジ女神。未だに気付いてない無料壁哀れだの」
拍手のジェスチャーを繰り返すほむほむらぶに、したり顔でティーザラスは返した。
「可哀想にのぅ……。しかし、これもいきもののサガか……」
「いや、男のだろ。ピンポイント下半身で」
「ですかぁ」
「ですよ」
掛け合う二人の目の前、茂みを掻き分け木の枝を揺らしながら人間の背丈の倍ほどのほどの熊が複数匹現れた。目を攻撃色の赤色に染め、みなぎらせた殺意に呼吸を荒らし、2人を威嚇している。
「とか言ってるうちに、熊プー大量リンクキタコレ」
「赤ベアらっきーぃ! おいでませ経験値! タゲ取る手間省けた」
装備された剣を鞘から抜き放つ様に"出現"させて、気色を顔に浮かべたほむほむらぶがレッドベアに向かって軽い足取りで駆け出した。
「じゃ、さくっと狩りまっか!」
「おけ」
追随するティーザラスの支援魔法を受けた刹那、剣を振り上げレッドベアの首をはね飛ばす。
「イエスッ! 確瞬っ!」
「おめっ!」
ほむほむらぶは器用に左手のみガッツポーズをとりつつ、右手に持った剣で目の前のレッドベアの突き出した腕ごと切り落とす。目前の巨体を盾に左右のレッドベアの攻撃を避けると、間髪入れずティーザラスの放った魔法の矢がレッドベア達を襲った。
矢に縫い止められたかのように一瞬硬直したレッドベアの、その首を狙って、さらにほむほむらぶは剣技を放つ。次元ごと切断させたかの様に数匹分の頭部が地面に跳ね落ち、残りのパーツ――頭部を失った巨体はそのまま立ち尽くした。
半瞬のち、切り取られた首部から噴水のように血が迸り2人に降り懸かる。が、吹き出す血しぶきを既に後にして、行く先を阻む茂みを飛び越えながらティーザラスは再び魔法を放った。
戦闘開始からの攻撃可能距離、移動速度、最適攻撃範囲、詠唱時間、コマンド入力後の発動時間、アタック・ガード時における硬直時間、MP消費率。
すなわち、コンシューマーゲーム標準値1秒120フレーム内における省エネかつ効率的戦闘の確立。
彼らは戦闘狂であり、検証厨であり、効率厨であり、そしてなにより正しく廃人であった。
「俺TUEEEEEE!! IYAHOOO! 異世界最高ッ! マジ楽しいですしおすし!!」
「強いは正義だぁお!! キリッ!」
吼えるほむほむらぶの後を追いながら、ティーザラスも歓喜に叫ぶ。
吹き出し撒かれる血潮、刈り取られ落とされた頭部、鮮血に染められた草木の森――。
シューレルの森の奥、カベン洞窟の手前。ここはかつてのゲーム時代、効率の良い上位初期レベルの狩り場として有名だった。
現在この世界では"旧世代"のなごり。高レベルモンスターの生息地として記録に残されている魔境であり、"深淵の地"のひとつである。
――そして、移転者たちは今日も異世界で踊る。