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溺れる、連鎖  作者: miz
第1章 赤
8/11

7. 行き着く先は

【9月21日】


「今日ね、あんたの学校から連絡があったんだ」

 母は厚い化粧をし、赤い口紅を塗っていた。

 俯きながらりんごの皮を剥いていたので表情までは分からなかったが、母特有の怒りが垣間見みえた。

 自殺は、失敗に終わった。

 死んでしまおうと思い過去を含め二度手首を切ったが死ねなかった。僕が本当に死にたいわけではないから死ねないのだろう。

 病院のベッドで朦朧と意識が戻り手首に巻かれた白い包帯を見たとき思った。

 小川は本当に死にたくて自殺を図り、死んだのだ。彼女にはじめて「死にたい」と告げられたときそうは感じなかったのに。

 彼女は本物だったのだ。

「……あんたのイジメを確認したって……」

「…………」

「イジメられてたんだ?」

「…………」

「……引っ越し、しようか……」

 母は変わらず俯いたまま皮を剥き、カーテンで仕切られた一角に音が響き渡っていた。

「お父さんも、心配してたよ……」

 その言葉を聞いた瞬間、我を失うように怒りがこみ上げてきた。

 母は離婚してから父のことを一度だって話したことはなかった。

 それなのに。それなのに。それなのに。どういうつもりで。

「心配……?何下らねぇこと言ってんだよ!そんな嘘まだ通じるとでも思ってんのか!?」

 大声を張りあげ母を責めた。

 こんなに大声をだしたのは初めてではないだろうか、というくらいに大きな声だった。

 自分の声じゃないみたいに他人事のように思えた。

 ベッドの周りはカーテンで閉め切っていたので辺りがどんな状況かは分からなかったが、困惑した声が聞こえていた。だけど母を責める言葉は止まらない。

「お前もあいつも嘘ばっかつきやがって!何がしたいんだよ!?それで慰めてるつもりかよ!?」

 怒りに任せて傍にあった花瓶を母に目がけて投げつけた。

 花瓶は母の顔へ当たり、そのまま床に叩きつけられ破片となり飛び散っていった。

 母は目を真ん丸にして驚いていたが、だんだんと怒りの表情へと変わった。

「何よ……!あんたが聞きたかった言葉でしょ!?あの人のために手首を切ってるのも分かってんのよ!私への当てつけなわけ!?ふざけんじゃないわよ!そんなことならあの人のところへ行けばいいじゃない!どうして私のところに来たのよ!?」

 手に持っていたナイフがだらりと垂れさがり、力強く握られ震えていた。

 そのナイフを僕に向けたいのだろう。

 ああ、殺したいなら殺してくれ。イラナイものを作ったのはあんた達だ。それならば自分の手で始末をつけろ。

 だけど母が持っていたナイフは僕に向かうことはなく、ただただ強く握りしめられているだけだった。

「……あんたのところにも父だった人のところにもいたくねぇんだよ」

 そう言ってベッドから抜けだし、病院からも抜け出した。


 電車に乗ると学生の帰宅時間だったようでTシャツにカーディガン、下はスウェットという姿の僕を変な目で見ていた。

 他人から見れば明らかに"病人"と映るのだろう。

 病院は隣町にあった。どこに行くわけでもなかったので自分が住む町へ向かった。

 雑木林で男を待とうか。いや、一度家へ帰って服を着替えようか、と考え駅前を歩いていると「梶くん!」と肩を掴まれた。

 驚いて振り向くと、そこには志紀さんがいた。

「…………」

「8月以来だよね」

 目の前に志紀さんがいる。

 会いたくて。会いたくて。会いたくて。どうしても会いたくて。でもずっと会えなかった人。

 もう会う資格がないので会えないのだろうかとまで考えていた人が、こんなにも近くにいる。僕を見つけて声までかけてくれた。

 確かに会いたかったが、もう会ってはいけない人だ。

 こんな最低で最悪の欲求を持った僕と会ってしまったら話してしまったら、志紀さんの何かが失われてしまうような気がしたのだ。

「……どうして……」

「どうしてって……梶くん……?」

 体が熱くなって顔までも熱くなり、鼻の奥がツンと優しい痛みが襲った。

 何が何だか分からず俯くと意思とは関係なく次々と熱い涙が流れ落ちていった。

 心のなかで何度も止まれ。止まれ。と念じたが止まらず流れつづける。

 恥ずかしい。泣くなんて。人前で涙を流すなんて。

 バレないようにカーディガンで涙を拭うが、声が漏れてしまい更に一層恥ずかしくなって耳まで燃えるように熱くなった。

 だけど彼は何も言わず僕の髪を撫でながら抱き寄せた。

 泣いてしまった恥ずかしさと子供のように抱き寄せられた、という恥ずかしさで顔を上げられなかった。

 体全体が心臓のようになりドキドキと脈打っていた。

 体を預け、目をつむり本当のことを彼に言った。

 言ってしまえば遠ざかっていってくれると思った。僕の意思に関係なく彼をどうしても遠ざけたかった。

「僕……人を殺したいんです」

 言った瞬間、体が震えた。

 言葉にしてみると何てちっぽけで安っぽくて下らないんだろうと思えた。

 だけどこの気持ちは本物なのだ。

 抑えることができずいつか溢れだしてしまう。

 志紀さんは驚いた様子もなく僕を離そうとしなかった。抱き寄せる力を強めた。


「……メグミさんは」

「実家に帰ってるよ」

 あのまま志紀さんは「泊まりにおいで」と言ってくれた。泣きじゃくる僕を放っておくことができなかったのだろう。

 メシを食べるまでずっと涙を流していた僕に志紀さんは笑った。そして何度も「梶くんは優しいね」と繰り返した。僕が「人を殺したい」と言ったのをかき消してくれるようだった。

 風呂に入るよう勧められたが手首が気になって断った。

 着替えだけ貸してもらい着替えていると志紀さんは険しい顔をしながら僕の体をじっと見つめた。

「……何ですか?」

「体、傷だらけ……」

「ああ……まぁ……」

 あやふやにかわしたが彼の険しい顔は元には戻らなかった。

「それに手首、もしかして切ったの?」

「…………」

 黙っていると志紀さんはそれ以上聞こうとはしなかった。

 床で眠るという僕に志紀さんは「いいから。いいから。」とベッドを貸してくれた。

 志紀さんは風呂に行き、僕は彼のベッドで横になっていた。

 手首を見ると包帯から少し血が滲みだしている。

 9月も終わろうとしているのにまだまだ暑い。窓を開けると風が吹きこみ涼しく感じた。

 そのまま横になり、目を閉じているとセミの鳴き声は聞こえないことに気がついた。

 もうすぐ夏は終わるのだろうか。

 死体はあのままどうなってしまうのだろう。

 冬になると雪は積もる。春になると雪は溶け、跡型もなく消えてなくなってしまうのだろうか。

 うとうととしていると髪を撫でられる感触がする。

「…………」

「あ、ごめん。起しちゃった?」

「……どうしたら人を殺さずにいられると思いますか……」

 また見る見るうちに涙が溢れ出してくる。

「周りの人が悲しむよ」

「……悲しむ人なんかいません……友達なんていないし、父は僕を捨てて母は僕に依存しているけど、全然見ていません」

「……もし梶くんが人を殺したら俺が捕まえることになるんだ。それってすごく悲しいでしょ」

「……しきさん……しきさん……」

 彼の名前をうわごとのように何度も呼んだ。

 "志紀さん、助けて。"

 本当はその言葉を言ってしまいたかった。

 だけどその言葉を言ってしまうと、きっと志紀さんは僕を助けようとするだろう。

 その言葉通り、僕がその欲求から抜けだせるまで。

 メグミさんを犠牲にし、これから生まれてくる子供も犠牲にしてしまうかもしれない。

 何度も何度も喉まで出かかるその言葉を呑みこみ、堪えるようぎゅっとシーツを握りしめ涙を流した。

 志紀さんはずっと僕の髪を撫でてくれていた。





【10月25日】


 いつだったか志紀さんは電車通勤だと聞いたことがあった。

 腕時計を確認すると午前7時。タイムリミットまではあと2時間。

 志紀さんの住む町の駅で、彼を待っていた。

 ポケットには以前彼から貰ったココアボールの箱を潜ませていた。

 壊れないよう軟らかく触れる。

 中身は捨てた。嫌いではなかったが長く置きすぎて表面が溶けてしまい変色していたのだ。

 あれから志紀さんとは会っていない。

 会わないようにすればやはり会うことはなかった。

 "殺したい"という欲求はじわじわと潜んでいたが前よりかはずっと治まっているように思えた。

 階段を上る夢も見なくなった。いや、厳密には見ているのだが上ることをせず同じ場所で躊躇っているという感じだ。

 30分ほど待っていると、改札へとつづく階段を上っている志紀さんの姿があった。

 今まで制服姿と私服姿しか見たことがなかったのでスーツ姿に違和感を感じたが、間違いなく志紀さんだった。

 朝の通勤ラッシュと重なっているようで人の波に呑まれるように志紀さんはやってきた。だけど僕には好都合だ。

 比較的人の少ない下りの階段に足をかけると志紀さんの元まで駆けるように下りた。

 志紀さんは階段の手すりに手をかけていた。名前を呼ぶ勇気がなく彼の手に自分の手をそっと重ねた。

 すると彼は驚くように僕を見たが、ゆっくりと大好きな笑顔になっていった。

「あれ?梶くん、久しぶりだね」

 彼は人の波に呑まれないようにぶつかられながらも歩みを止めた。

 道行く人々は迷惑そうに僕を睨みつけていた。

「おはようございます」

「おはよう。何だか痩せ、」

「あなたに重要なお話があります」

 彼が話そうとするのを遮り自分の話しをつづけた。

「口紅を塗った死体に心当たりはありませんか」

 志紀さんの表情は笑顔からじわじわと「まさか」というように青白い顔へと変わっていった。

 やっぱり。

「……どうして、それ……」

 やっぱりあの死体は第三の犠牲者だったのだ。

 一般には報道されていないだけで第一、第二犠牲者にも口紅は塗られていたのだ。

 強く"人を殺したい"という欲求に気づいたときから考えていた。それに志紀さんも犯人は殺し方を変えることをあまりしない、と言っていた。

 僕が犯人だったならば。僕ならそうする。僕が犯人なら三人全員にやらずにはいられないだろう。

「駅前から住宅街を抜けると雑木林があるでしょ……そこを隈なく調べてみて下さい」

 そこまで話して握っていた手を離した。

 そして志紀さんは人の波に流されていくように遠くなっていく。

「どうして!?」

「引っ越しするんです。今日」

「梶くん!」

「僕は見つけただけですよ」

 志紀さんの姿が小さくなっていく。

 もう彼とは二度と会わない。

 僕はいつか、いつか、いつか必ず人を殺す。

 だから僕はもう彼とは会えない。彼に幻滅されることを恐れたのだ。

 名残惜しむよう何度も振り向き、志紀さんを見たが彼の姿はもう人の波に呑まれ見えなくなっていた。

第一章 了

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