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溺れる、連鎖  作者: miz
第1章 赤
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5. 「殺したい」

 自分が異常だということに気づいていたが、気づかないふりをしていた。

 今まで興味があるだけで行動が伴わなかったからだ。高校生によくある"死にたい"と駆られるような、そんなものだと思っていた。

 ナガクラを一方的に殴り申し訳ないという気持ちなんてなかった。猫を殺し可哀想なんて気持ちもちっともない。

 ただ自分のしたことが恐ろしくなって布団に潜り震えた。

 ふつふつと自分のなかに育つ得たいの知れない気持ち、いや。以前からすくすくと育っていた気持ちを抑えようとしか思えなかった。

 マキだった猫をどうすればいいのか分からず抱いたまま家へ帰りタオルに包んでクローゼットの中に隠した。

 だけど隠したままにはしておけない。ベッドの中で震えながら考えていた。

 死体がある場所へ運ぼう。あの場所だと人間の死体さえ見つからないのだ。

 明日はちょうど学校が休みだ。朝早く行けば誰にも見つかることはない。



【9月2日】


 新聞とニュースを確認したあと、猫の死体をリュックに入れて家を出た。

 あの雑木林に行くには駅前を通るのが一番近い道のりだったが交番の前を通りたくなかった。遠回りになるが違う道から行くことにした。

 今朝も夢を見た。ずっとずっと同じようなところを上り結局これは夢だから水面の上にはたどり着けないのではないだろうかと思っていた節があった。

 だけど最近では水面が近くなってきているような気がしていた。

 頂上ははもうすぐなのだろうか。疲労感があった体も今では随分とマシになっていた。

 雑木林に到着すると、辺りを見回してから足を踏み入れた。

 そして急いで死体がある場所へ向かうと嗅いだことがないような強烈な臭いが漂ってくる。

 夏休みのあいだ女の人は容赦なく腐っていった。

 色があったものは色を失くし、腹には蛆が沸いていた。

 リュックから猫を取り出しタオルを取り払ってから死体の横にそっと置いた。

 猫はぐったりとした形で硬直していた。

 頭を撫でるといつもの温かさはなく毛がついた硬い人形を撫でているような感触だった。

 撫でつづけていると志紀さんの笑顔がちらつく。それを払拭しようと頭を振り立ち上がった。

 死体を後にして雑木林から抜けようと歩きだす。

 出て行くときも慎重に辺りを見回し確認するよう心がけていたが、頭のなかは志紀さんでいっぱいになっていて、いつものように警戒心を張り巡らすことができなかった。

 雑木林を出た瞬間に「梶くん」と呼び止められ心臓が跳ね上がった。

「……こんなところで何してるの」

 ゆっくりと振り向くと小川が不思議そうにこちらを見ていた。

 雑木林に目をやりながら僕に近づいてくると彼女は心配そうに「平気?」と尋ねた。

「……何が」

「すごく……疲れてるように見える。顔が真っ青」

「あ、ああ……昨日飼ってる猫がいなくなって眠れなくてさ」

「探してるの?手伝おうか?」

「大丈夫、いつものことだし。もう帰るとこ」

 ともかくこの場所から離れようと「じゃあ」と去ろうとしたが腕を掴まれ制止された。

「……少し、話したいんだ……時間ある?」

 小川ははじめて話したときのように思いつめた表情をしていた。

 断る理由も思いつかなかったし、僕が去ったあと雑木林に入られることを恐れつき合うことにした。


 以前と同じ喫茶店に入り同じアイスコーヒーを頼んだ。

 小川はアイスコーヒーが運ばれてくるまで一言も口を開かず俯いたままだった。

 アイスコーヒーが入ったグラスが運ばれてくると彼女はグラスを鷲掴みにし一点を見つめたまま話しはじめた。

「あたしが繭に無視されてるのはね男好きだからなんだって」

 小川はちらっと顔色を窺うように僕を見たが、すぐに目を伏せコーヒーを見つめつづけた。

 そして小さく「そんなつもり全然ないのにね」と笑った。

「このあいだお母さんに言ったんだ。繭に無視さてクラスの皆からも無視されてるって……学校行きたくないんだって」

「…………」

「そしたら、そんな小さな世界のこと気にするなだって……そうだよね、そうなんだよね。」

 彼女は吹っ切れたように言うが、泣いていた。

 一粒だって涙は見せないし表情も笑っていたが、僕には泣いているように見えた。

 人は涙を流さなくても泣けるのだ。

 大人は学校のことを"小さな世界"だと言う。昔、父も母もそう言っていた。

 だけど僕たちにとってその小さな世界が世界の全てなのだ。

 逃げるところなんてない。助けを求めるところなんてない。自分でどうにかする大きな力もない。ただその世界に流されるだけだ。

 彼女は別れ際、自分の話しをつづけるよう「あのね」と僕を呼び止めた。

 振り向くと夕日で小川の表情は見えなかった。

「繭があたしを男好きなんて言ったのはあたしが梶くんのことを見すぎなんだって」

「……そうなのか?」

「……そのときはそんなはずないって思ってた。けど、今はそうかもって思える」

 そう言って小川は走り去って行った。

 表情は見えなかったが笑っているように思えた。

 僕は小川の姿が見えなくなるまでながめつづけた。


 小川のことで交番の存在をすっかり忘れてしまい駅前を通り交番が目に入ったときには自分が情けなく感じた。

 できるだけ姿を隠そうと暗い場所を通ったが交番にはあの冷たい目をした男の姿しかなかった。

 今までもそういうことはたまにあったので普段なら気にも留めなかったが猫のことがあり少し心配になった。

 通りすぎようと歩みを速めたがやはり交番へ足を向けた。

 志紀さんが猫を探していたらどんな言い訳をしようだとか知らないふりをしようだとか考えていたわけではなかったが。もしも探しているのならば、と思うと居た堪れなくなった。

「あの、すみません……」

 交番の扉を開け机に向かって何かを書いている冷たい目の男に声を掛けると彼は笑うことなく「ああ」と僕を知っているというような顔をした。

「志紀さんならいないよ」

「……どうして?」

 彼は煩わしい、と言うように大きく溜息をつき「あのさ」と切り出した。

「用もないのに交番を出入りするのはよくないの分からないかな?」

「…………」

「それに。彼、優しいから何も言わないけどああ見えて忙しいの」

「……すみません……」

 冷たい目をした男は見た目通りの人間で癪に障ったが一応謝罪をし扉を閉めようとすると、彼は追い打ちをかけるかのように「それと」と話しをつづけた。

 聞く必要もなかったが志紀さんのことを教えてくれるかもしれない、という僅かな思いで耳を傾けた。

「君プライベートでも世話になっているようだけど、そういうのもやめなよ。彼、結婚するようだし。邪魔したくないでしょ?」

「……失礼します」

 はじめて冷たい目の男を見かけたときは志紀さんと同い年くらいだと思っていたが話してみるとどうやら志紀さんよりも大分年下のように思えた。

 大人だというのにバカみたいな話し方をし制服を着崩していた。

 腹が立ったがそんなことはどうでもよかった。志紀さんはあの男が言っていたように忙しい人だとは招致しているが猫を探していないだろうか、……というのはこじつけだ。

 志紀さんに会いたかった。

 困ったように笑う笑顔が見たかった。



【9月3日】


 学校へ登校すると教室がいつもより騒がしかった。少し不思議に思ったが、僕には関係のないことだったので席に着き窓の外をながめていた。

 そういえばナガクラはどうなったのだろうか。気になり姿を探すと一番後ろの席でクラスメートたちと話している姿があった。

 目は相変わらず腫れあがり数ヵ所に絆創膏を貼っていたが大きな怪我はしていないように見え少しほっとした。

 窓に視線を戻そうとすると担任の先生が教室にやってきた。

 いつもなら始業のチャイムが鳴らなければやってこないので、生徒はおしゃべりをつづけていた。

 担任は教卓に立つと静かな声で「座って」とつぶやくように言った。

 先生は生徒たちが席に着くまで待ちしばらくしてから口を開いた。

 「知っている人もいるかもしれませんが、」そこで担任は息を飲み「小川さんが亡くなりました」と早口で言いきった。

 静まり返っていた教室は驚くような声や悲鳴のような声で一瞬で騒がしくなった。泣き崩れてしまう女子までいた。

 僕は、全身からどっと汗が流れ落ちていた。

 ―――亡くなった。

 死んだと先生は言ったのか。

 いや。いや。いや。いや。いや。

 冷静を保たなくてはと必死に呼吸をしようと心がけたが。上手く息ができない。

「昨日の夜、自宅で亡くなったので事件とは一切無関係です。安心して下さい。」

 "安心"という言葉を先生は使ったが果たしてどれくらいのクラスメートたちに安心を与えられただろうか。

「先生、小川さんは自殺ということですか?」

 勇気ある男子生徒はたぶんクラスメートが全員聞きたかったであろう質問をした。

「そのようです。遺書がなかったので原因を究明しています。もしかしたら、でもいいので何か知っている人がいたら教えて下さい。お願いします。」

 そう言うと担任は逃げるようにして教室を後にした。

 教室はざわざわと耳が痛くなるほどうるさく騒がしかった。

 自殺。

 自殺ということは理由は明確ではないか。

 小川ははじめから僕に言っていた。死にたい、と。

 そうか。そうか。そうか。

 ゆっくりと僕の隣の席の女子を見ると彼女は口元を押さえ涙を流していた。体は音が鳴りそうなほど震えている。

 僕の口角が上がっていく。

 なんて。なんて。なんて。なんて。

 拳をぎゅっと握りしめた。

「なぁ……」

 隣にいる女子に向かって話しかける。

 会話なんて今まで一度だって話したことなんてなかったがどうしても彼女に聞いてみたかった。

「お前なんじゃないのか?」

 彼女は恐れるように目を見開き僕を見つめていた。

 涙を流している。だけどこの涙は、申し訳ないとか謝罪のものではなかった。

 これは、恐怖。恐怖だ。

 笑ってしまいになりそうになるのを堪えた。

「お前だろ?なぁ……」

 教室は静まり返り、クラスメートは僕たちを見ていた。

 だけど僕には自分の唇を止めることができずマユという女に詰め寄った。

「お前すご」

「梶ッ!!」

 突然ナガクラが立ち上がり、今まで見たことのない怒りの表情をして僕に向かってやってきた。

 殴られる、と思った。だけど僕には恐怖なんてなかった。

 胸倉を掴まれ教室が悲鳴のようなものをあげて、そこで意識は飛んだ。

 暗い。暗い。暗い闇の中。

 呑まれていく。

 意識が遠くなっていく。

 やはり恐怖はなかった。

 マユという女に僕は聞きたかった。ナガクラに殴られて口を噤む形となってしまったが、今から思えばそのほうがよかったかもしれない。


 ―――なぁ、お前すごいじゃないか。人を殺したんだよ。人の一生を終わらせたんだ。

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