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溺れる、連鎖  作者: miz
第1章 赤
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4. 笑顔が似合う人

 志紀さんが住む町は、車で一時間ほど走ったところにある住宅街が立ち並ぶ穏やかな町だった。

 彼が暮らしているというマンションに案内されると、僕にでも分かるほど立派な建物だった。

 地下に駐車場がありコンクリートてできた生活感の一切ないお洒落な外観。

 僕が以前暮らしていたマンションよりも遥かに家賃が高いのだろうと想像ができた。

 そんなマンションに彼は自然に溶けこみ、きょろきょろと見渡す僕が滑稽に思えた。

 エレベーターで8階まで上り、一番手前のドアに鍵を差しこんだ。そして彼は「いらっしゃい」といつもの笑顔でドアを開けた。

 目に入ったのは男の家だとは思えないほど綺麗なリビング。白をメインにして不要なものが一切ない清潔感のあるモデルルームのような部屋だった。

「きれい……ですね……」

「本当?ありがとう。早速だけど風呂場へどうぞ」

 志紀さんは僕の肩を押し風呂場へ案内してくれた。

 先週、美容院に行こうとしたときに「髪を切ってあげる」と提案され厚かましいかとも思ったが切ってもらうことにした。

 彼と初めて話したときこそ印象は父に似ていてとても苦手だったが、出会う度にその笑顔と優しさに惹かれていっている。

 風呂場へ案内されると詮索するつもりはなかったが洗面台に置かれていた歯ブラシが目に入ってしまった。

 二本あった。恋人と同棲しているのだろうか。

「さ、座って座って」

「はい……」

 風呂場に簡易的な椅子が設置されそこに座るよう催促された。

 鏡に映る僕と志紀さん。

 恥ずかしくなって俯いてしまった。

 志紀さんの指が髪に触れ、想像したとおり温かかった。

「お客さん、どんな髪型にしますか?」

「あ……えーと……すみません。考えてませんでした」

「そっか。じゃあこのまま短くするような感じでいいかな。」

「お願いします」

 彼は「うん」と笑い、慣れた手つきで髪を切り落としていった。

 きっと恋人の髪も切ってあげているのだろう。

 しゃきしゃき、と髪を切り落とす音が風呂場に響き渡り心地よかった。

 だけど髪がなくなっていく自分を見ているとぞっとした。

 伸ばしていたわけではなかったが、どこか視界を覆い隠し世間から自分を遮っていたような気がする。

 髪を切ってしまうとずっと見ていたはずなのに鮮明に現実を見なくてはいけないような気がして少し怖くなった。

「……あの……ご兄弟っていらっしゃるんですか?」

「うん、4人いる」

 彼は「多いでしょ」と笑った。

 その困ったように笑う笑顔がたまらなく好きだった。

 志紀さんは家族の話しになると必ず困ったように笑う。だから僕はわざと家族の話しに触れ、その笑顔を強請るように見ていた。

 幸福が満ち溢れている。自然と笑顔になってしまう。

 志紀さんの前ではじめて笑ったとき彼は本当に本当に嬉しそうに「笑った」と喜んだ。

 笑わないように勤めていたわけではなかったが確かに久しぶりに心から笑ったような気がした。

「兄弟ほしかったな。兄貴とか姉貴とか。弟とか妹でもいい。」

 彼は僕の目をじっと見つめ「そっか」と笑った。

 少し驚いているようにも見えた。意外だと思われたのだろうか。

 よく想像することがある。幸せな家庭。そこには母と父、そしているはずのない兄弟たちの姿。

 兄貴や姉貴がいたら僕の家族は何かが変わっていたような気がするのだ。家族が、いや僕が。

 分からないけれど。弟や妹でもいい。弟や妹がいたら僕が守ってやるのに、なんて想像をし一瞬で冷めてしまう。

「ただいま」

「あ、帰ってきた」

「ちょっと待ってて」と志紀さんは玄関へ向かって行った。

 やっぱり一緒に住んでる人がいるのだ。

 何かを話しながらこちらへ向かって来る気配がした。

 しばらくすると志紀さんとやってきたのは綺麗な女の人だった。彼女は「こんにちは」と志紀さんと同じように屈託なく笑いかける。

「……こんにちは」

「よろしくね。志紀くんから聞いてるよ。彼すごく髪切るの上手だから」

 そう言いながら彼女は自分の短い髪に触れた。

 僕の髪の長さとそう変わらない彼女の髪は栗色のようなブラウンがとても似合っていた。

「あっちでコーヒー淹れて待ってるね」

 そうして彼女はもう一度笑い去っていった。

 笑顔が、志紀さんととても似ていた。

「綺麗な人……」

「ありがとう、(めぐみ)すごく喜ぶよ」

「……メグミさん……あなたも」

「え、俺も?」

 志紀さんは照れたように笑い「ありがとう」と言った。

 彼女も、志紀さんもとても笑顔が似合う人だ。


「さっぱりしたね。こっちのほうがいいよ、絶対」

 帰りの車中、志紀さんは赤信号で停車したあとに僕の髪を撫でた。

 撫でながら見るその目はとても僕を憐れんでいた。

 彼は時々そんな目で見つめることがある。居心地が悪いわけではなかったがどうしてそんな悲しい目にさせているのかが分からなかった。

 父親がいないこと?暴力のこと?それとも両方なのだろうか。

 志紀さんを見つめていると突然のクラクションの音に驚いた。

 信号を見ると青に変わっていて前にいた車は遥か先を走っていた。

 志紀さんは慌てる様子もなくゆっくりと車を発進させ「ごめん」と小さくつぶやいた。

「……あの、ずっと気になってたことがあって」

「なに?」

「二ヵ月前から起こっている事件の被害者……どうして同一人物の犯行だってわかるんですか?」

「……あまり詳しいことは言えないけど殺人犯ってあまり殺し方を変えないんだよ」

「そう、なんですか」

「それと傷口を調べたら同じ凶器で刺されたものだと分かったんだ」

「…………」

「どうかした?」

「あっいえ。まだ捕まらないのかなって思っただけです」

「そうだね……ごめん」

「いえ、そんなつもりじゃ……」

 心臓がどきどきとしいた。

 警察は、志紀さんは三人目の被害者のことをまだ知らないのだ。

 本当に三人目の被害者なのか確信はなかったが殺人が起こっているのは確かだ。

 言ったほうがいいのは分かっている。

 だけど―――

「また遊びにおいで」

「え?」

「梶くんが嫌じゃなければ」

 優しさが降り注ぐ。これでもかってくらいに。

 こんな僕にはもったいなくて涙が溢れだしそうになるのをぐっと堪えた。

「……はい」



【9月1日】


 夢の中、階段を上っている途中ふと上を見あげた。

 そこには空なんていうものはなく天井というものもない。円形で出来ている真っ黒な壁に囲まれ、海の中から見上げた水面のような虚ろなものが広がっていた。

 ここは水槽の中なのだろうか?いや、あたりは真っ暗だが魚が泳いでいる気配はないし第一息もちゃんとできている。体も地上にいるときのように軽い。

 水面の上には月のような光が浮かび上がっている。

 この階段の果てには外へ出られるのだろうか。

 分からない。だから上りつづけなければ。上らなければ。


「梶くんに会えなくて寂しかったよ~」

 ナガクラが言うと他のクラスメートたちもつづけて同じようなことを言った。

 バカなヤツらだ。いや、今までもバカなヤツらだったが以前よりも腹立たしく苛立った。

 にやにやと下品に笑う顔、声。全てが憎く思えた。

 そういう気持ちが次から次へと溢れ出るようで止まらなかった。

 睨んでいるとナガクラに「生意気だ」と髪を鷲掴みにされた。

 すると突然。

 二度目の突然がやってきたのだ。

 殴っていた―――

 ナガクラ目がけて胸倉を掴み押し倒した。そして馬乗りになって力いっぱい何度も何度も殴った。

 ナガクラの仲間たちはナガクラを助けようと必死に僕を引き離そうとしていたが、負けじとしがみ付き夢中でナガクラを殴った。

 殴って。殴って。殴って。殴った。

 人間を殴る音、クラスメートたちの叫ぶ声。

 気がつけばナガクラの仲間たちは僕を止めようとせず顔色が真っ青になり唖然としていた。

 ナガクラを見ると顔中から血を流している。

 僕の拳は皮が捲りあがり肉が見えナガクラと同じように血を流していた。

 はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。

 自分の息遣いとセミの鳴き声しか耳に入らなかった。

「…………」

 拳をながめた後もう一度ナガクラに視線を移すと彼の目は腫れあがり薄くしか開けられないのであろうその目でこちらを見ていた。

 目が合い、やっと自分のしたことが恐ろしくなった。

 急いで立ちあがり教室を飛び出した。

 痛い。痛い。痛い。痛い。

 手が焼けるように痛かった。

 走りながら思い出していた。

 志紀さんとメグミさんの笑顔を。

 必死に思い出さなければ何かが壊れてしまうような気がした。

 走って走って走って雑木林がある道を横切り住宅街を抜け、駅前にたどり着いて、足を止めた。

 体全体で息をしていて呼吸を整えようと大きく何度も溜息をついた。

 すると足に違和感を覚え、ふと足下をみるとマキが鳴きながら僕の足にすり寄って来ていた。

「…………」

 その場にしゃがみこみ、マキの背中を撫でる。

 撫でていると手が小刻みに震えだした。

 震えは止まらず、猫の首にゆっくりと手を回している。

 その様子を他人事のようにながめている自分がいる。

 猫は警戒心なんてものはなくごろごろと喉を鳴らし幸せそうにしていた。

 そして自分でも驚くくらいの力をその手に籠めた。

 猫は苦しそうな声で鳴き、僕の手から逃れようともがき歯を剥き出し爪を立てコンクリートを力いっぱい引っ掻いている。

 このまま力を入れつづけると確実に死んでしまう。

 マキが死んでしまう。

 志紀さんが悲しんでしまう。

 だけど僕の力が緩むことはなく首を絞めつづけていた。

 ―――死んでしまう。死んでしまう。死んでしまう。

 頭のなかに志紀さんの笑顔を思い浮かべても、猫が苦しみつづける声は止まなかった。

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