1. "××通り魔連続殺害事件"
【7月19日】
夕日が射しこむ学校の屋上が好きだ。
フェンスにもたれ足を投げ出し目を瞑り何も考えずただ風を感じる。
小さく風が吹くと長い前髪が揺れた。
たぶん他人が見たら鬱陶しい髪型なんだろう。クラスメートに鷲掴みにされ「鬱陶しい」と言われた。
そういうヘアースタイルが好きなのか、と聞かれればそういうわけじゃない。どうでもいいのだ。
目を瞑っていると五月蝿いセミの鳴き声と先程まで僕を殴っていたクラスメートたちの話し声が聞こえた。
―――なぁあと何人殺されると思う?
―――オレ、隣に住んでるヤツが怪しいと思ってるんだ。
楽しそうに話すヤツ。推理をしだすヤツ。彼らが話しているのはこの町で起きた連続殺害事件のことだ。
この一ヵ月で二人の女性が殺された。
こんな小さな田舎町で殺害事件が起こるだなんて、違う違う身の回りで殺人事件が起こるだなんて誰も想像していなかっただろう。もちろん僕もそのうちの一人なのだが。
下校時刻ぎりぎりまで屋上で過ごして帰路に着くようにしている。クラスメートたちに会うのも煩わしいし家にいるのも好きではなかった。
帰宅路を歩いていると今までなら人の気配がする住宅街も殺害事件が起こってからは随分と静かになってしまった。
みんなが助け合って生きているような温かい町だったのに寂しいもんだな、とレクイエムのように鼻歌を歌った。
短い住宅街を抜けると小さな駅があり、そこは打って変わり警察官やマスコミが増えていた。
今まで人の出入りのなかったラーメン屋も満員になるほどだ。
その横を通りすぎると改札の隣に交番があるのだが、いつもの年老いた警察官ではなく若い男が立っていた。
今回のことで若い警察官に交代したのだろうか、とつい見すぎてしまったのか若い警察官は「おかえり」と笑いかけた。
嘘っぽい笑顔だった。
だけどこういう人たのめに"好青年"という言葉があるのだろうと理解した。
小さくお時儀をしてすぐさま過ぎ去った。
「一ヵ月も経つのに犯人が捕まらないなんて」
母は怒るように新聞を弾いた。
テーブルでご飯を食べる僕、その前で話す母。いつもの光景だった。
「別にこの町でなくても仕事はできるし引っ越そうか?」
母の話はつづく。返事もしていないのに。
疑問形で投げかけてくるくせに母は返事を待たず話しをつづける。
父が母と離婚を決めたのもなんとなく理解できた。
話しだすと止まらない。自分が納得できるまで話しはどんどんと進んでいく。
どんどんどんどん。取り残される。
僕たちと母のあいだにできた距離は少しずつだけどでも確実に大きな大きなものになっていき、そして修復不可能なまでの距離になってしまったのだ。
【7月20日】
顔を殴られた。
体を殴られたり蹴られたりすることはよくあったが顔は初めてだった。
容赦がなくなっていくんだな、と他人事のようにぼんやりと考えていた。
屋上で過ごす放課後、唇の端をさすりながら溜息をついた。
もたれ掛かっているフェンスが壊れ、このまま一緒に落ちてしまったらどうなってしまうのだろう。
落っこちる自分を想像する。まず頭が割れて体が地面に叩きつけられ骨が砕け肉が飛び散るのだろうか。想像するとぞくぞくした。
―――ガタン、と扉の開く音がしたので咄嗟に身構えた。
開いた扉に目をやると同じクラスの女子が脅えるようにこちらを見ていた。
この時間に屋上へくるヤツは今までいなかったので少し驚いた。
「あっ……ごめんなさい」
彼女はか細い声でつぶやいた。
「梶……く、ん」
居座る気なのか、と言うように睨みつけると彼女は泣き腫らした目をしていた。
そういえば最近クラスの女子から無視をされていたことを思い出した。ただのケンカだと思っていたが。
「唇……切れてるよ」
彼女は僕の側にきて「はい」、とハンカチを差し出したが目を逸らした。
無言で立ち上がり、その場を去ろうとしたが腕を掴まれ制止された。
「待って……! ……あたし、あたし、」
彼女は必死なのか腕が痛くなるほど力いっぱい握りしめていた。
そして溜まっていたものを全て吐き出すようにまくしたてた。
「しにっ死にたいんだっ梶くんは、どうして死ななかったの!?」
"どうして死ななかったの"その言葉を聞いて彼女は僕を探してここまで来たのだと分かった。
彼女はたぶん、僕の手首に残る傷跡のことを言っているのだろう。
彼女の想像通り、僕は一度だけ自分の手首を切ったことがある。
学校に馴染めない自分。いつのまにか始まった暴力。話はじめると止まらない母。
躊躇うことなく簡単に手首を切った。だけど切った途端なんだか違う、と感じた。
死にたいとは少し違う。でもそれが何なのかは分からなかった。
ただ思った以上に興奮していたようで深く切ったつもりはなかったが血が止まらずどくどくと流れつづけていた。
流れる血をながめながら心の奥底で「失敗した」と囁く冷静な自分がいた。
失敗したのは深さではなく母だった。
案の定病院に運ばれた僕の隣で母は狂うほど泣き叫んでいた。「どうして」と母はもちろん医者にも聞かれた。
もとっもらしい嘘をついた。「父がいなくて寂しかった」半分ウソで半分ホントウだ。
「なに?お前死にたいの?」
彼女は深刻そうな顔をして頷くので鼻で笑ってしまった。
「クラスの女子に無視されてるだけで? くだらねぇ」
「……でも、でも梶くんも死にたいからリスカしたんでしょう?」
「はっお前と一緒にすんな」
そう吐き捨てて屋上を後にした。
階段を下りている途中、母を思い出していた。
この町に引っ越してきた頃、隣に住むおばさんは「困ったことがあったら言ってね」と言った。
優しくて親切そうな人だった。だけど母は何が気に食わなかったのか「お節介ね」とおばさんが帰った途端に冷たい声で吐き捨てた。
そのときの母の声と彼女に吐き捨てた僕の声が似ていたような気がした。
学校を出ると夕日が沈みかけていた。綺麗なオレンジ色をした空が黒く塗りつぶされていくような不気味な空だった。
住宅街にさし掛かる前に木々や雑草が生い茂った薄暗い場所があり、昨日と同じように鼻歌を歌いながら歩いていると、そこからかさかさという小さな音とともに僅かに雑草が揺れていた。
風か何かだろうと思っていたのだが、その音と揺れはだんだんと大きなものとなっていった。
すると突然生い茂った雑草の中から少し太ったガタイのいい男が息を切らしながら現れた。
顔は見えなかったが少し慌てているように見えた。反射的に物陰に隠れその様子を見ていると男はそのまま僕の存在に気づかず逆の方向へと歩いて行った。
その場所から暫く動くことが出来ず心臓はばくばくと脈打っていた。
心のなかで「もしかして」という予感があったからだ。
―――もしかして。もしかして。もしかして。
男が現れた草むらへ近寄って見ると生い茂った草むらに男が通ったであろう道が微妙に出来あがっていた。
辺りを見回し誰もいないことを確認してから草むらへ一歩、足を踏み入れた。
―――もしかして。もしかして。もしかして。
足を一歩一歩進めるたび自分の口角が上がっていることに気がついていた。
だけど進むことに夢中になっていて「どうして」という気持ちはなかった。
歩みを止めず男が通ったことで出来た道を歩いた。
草が踏まれ青臭い独特の臭いがした。
一歩、一歩、いつの間にか早歩きになっていく。
セミがうるさく鳴きつづけ体から汗が流れ落ちるのを感じる。無造作に汗を拭っているとぴしゃっと何かが跳ねる音がした。
真赤、そんな言葉が頭に思い浮かんだ。
女であろう人が仰向けになって倒れている。腹部からは赤黒い血が飛び散っていた。
ああ、残酷。残酷だ。
もう少しで腹の中が見えてしまいそうなほどへこんでしまっている。
息が荒くなった。
ガクンと倒れるように膝をつき、鞄で下半身を隠した。
自分の息遣いが真横で聞こえる。
はぁ はぁ はぁ はぁ
そっと鞄を持ち上げ下半身を確認した。
―――興奮している……。
何で。何で。
視界がぐにゃりと曲がり倒れそうになる体をなんとか堪えた。
死体と思われる女性の唇が目に入った。
口紅を塗っている。真っ赤な口紅。
でもそれは綺麗に塗られているものではなく興奮したように力強く、唇からはみ出してしまっていた。
顎までつづく赤い口紅。
自分の湿った指が女の人の唇に伸びていくのが見える。
はぁ はぁ はぁ はぁ
吐き気襲った。慌ててその場から離れ、吐かないよう手で口を押さえながら走った。
走って走って走っているあいだも死体のことを考えていた。
―――死んでる。死んでる。死んでる。
人が死んでる。
元いた道に戻った後もそのまま走りつづけた。
彼女は刺されていた。何度も何度も刺され腹がへこみ中身が見えそうになるまで。
その場にうずくまりとうとう吐いた。
そして一瞬で視界が真っ黒になり消えていった。
誰かの声がした。でもだんだんと遠くなっていく。意識が遠くなっていく。
助けて、誰か。ここは暗くて恐い。