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溺れる、連鎖  作者: miz
第2章 黒
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1. "××夫婦殺害事件"

 暗い暗いクローゼットの中、じめじめとした空気、妹が泣き叫ぶ声、衣類の匂い。

 妹を抱きかかえ耳を塞ぎ、クローゼットの外で行われていることを見せないよう必死だったのを覚えている。

 見ていた。俺は見ていたのだ。

 だけど"見た"ことは覚えているのに何を見たのかは思い出せないでいた。

 警察の人に俺が見たこと全てを鮮明に伝えようと唇を動かすが、その度に"見た"ことがちりちりに散らばっていってしまった。

「男がやってきて……それで!……その……そう!俺たちをクローゼットに押しこんで……」

 警察の人は「それで」と急かすことをせずむしろ「もういいから」と言いたげな悲しそうな表情をして頷いていた。

 雨に打たれて濡れた髪と目をよく覚えている。

「……ごめんなさい……思い出せません……」

 とうとう思い出せなかった。

 話すことを止めると彼は「つらかったね」と俺たちを力一杯抱きしめた。

 そのときようやく俺は、俺たちは"つらい経験"をしたのだ、と認識し視界が歪み彼の腕の中で大粒の涙を流した。



【6月6日】


 奇妙な夢を見るようになったのは確かに事件のせいなんだと思う。

 だけどそれだけだ。他に変わったことなんてひとつもない。

 普通。普通って何なのか分からないけれど普通に暮らしているヤツらと変わりやしなかった。

 心配そうに見る目や哀れに見られることも過去にはあったが、世間はすでに俺が目撃した事件のことなんてすっかり忘れている。8年前には"××夫婦殺害事件"などと立派な事件名を持っていたのだけれど。

 今朝久しぶりに奇妙な夢をみた理由は分かっている。

 夢が次第にリアルなものになっていることにも気づいていた。初めのころはぼやけていて何が何だか分からない暗いところからはじまった。

 だけど俺には確信のようなものがあった。

 始まりは、クローゼットの中。

 だけどそこには妹もあの日見た光景もなかった。ただクローゼットからはじまり、だらしなくほんの少しあいている扉をゆっくりと開けたのだ。

 そこには黒い真っ黒な階段が遥か下へとつづいていた。

 降りるのを躊躇って後ろを振り向くがそこにはクローゼットの壁しかない。逃げ道はない。ただ進め、と言われているようだった。

 一歩を恐るおそる踏み出し、クローゼットから離れると扉がすごい勢いで閉まったのか大きな音をたてた。

 急いで振り向きクローゼットを確認するがあるはずの取っ手はなく引くことができず押してみるがやはり開くことはなかった。

 ―――こうして奇妙な夢は始まった。

 階段を下りることしか出来ないその夢は、いまだその真っ黒な階段を下りつづけている。

 どこに向かいどこに行き着くのなんて知らない。ただ下っている。

 おぼろげな夢だったのも今では一段一段がはっきりと見え螺旋階段になっているのが分かる。左右には真っ黒な壁があるのも分かる。だが下って行く度体がだるく感じていた。


 ぼんやりとクラスメートがクラスメートを殴っている光景を眺めていた。

 ふと視線を窓から見えるグランドに移すと地面は大きな水たまりが出来あがり空はキレイな灰色で朝からしぶとく雨が降りつづいていた。

 もう一度ゆっくりとクラスメートたちに視線を戻すと殴られているクラスメートと目が合った。

 彼とはたまにこうして目が合うことがある。だけどそれは「助けて」と哀願するような目でもなければ怒りに満ちた目でもない。

 彼はいわゆる"イジメ"に遭っている。

 首謀者はたぶん俺。

 だけど「あいつイジメようぜ」なんて言った覚えはないし、暴力をはじめたわけでもない。

 だからといって「やめておけよ」とその行為を止めるような正義のヒーローでもなかった。

 クラスメートたちは悪魔が乗り移っているかのような奇妙な表情でクラスメートを殴ったり蹴ったりしていた。

 怒りでもない笑顔でもない悲しみでもない。普段とは想像もつかないような表情。どうしたら人間はこんな表情になれるのだろう。

 両親を殺した犯人もまたこんな表情をしていたのだろうか。

 そこまで考えて慌てて打ち消した。

「……先に帰る」

 声をかけると彼らはぱっと顔を上げ「そっか、じゃあ俺たちも」といつもの笑顔に戻る。

 殴られていたクラスメートも庇っていた顔を上げ床にほど近いところから俺をじっと見つめていた。

 それを横目に通り過ぎるとゆっくりと立ち上がる気配がした。


 クラスメートたちと駅前で別れると急いで改札へ向かった。

 すると改札の前にはすでに妹と1年ぶりとなる志紀(しき)さんの姿があった。

 妹は頬を染め志紀さんが話すことに笑顔で頷いていた。

 志紀さんもこんなに年の離れた妹と話すのも一苦労だろうに優しい表情で一生懸命話しをしていた。

 初めて出会ったころのように思えた。

 彼は8年前から何ひとつ変わっていないのだ、と安堵のようなものを感じていた。

 しばらくその様子を眺めていたかったが志紀さんが俺の姿に気づき「青山(あおやま)くん」と変わらない笑顔で8年前に変わった俺の名前を呼んだ。

「あ、お兄ちゃん!遅いよ!」

「悪い」

「久しぶりだね、青山くん」

「……どうも」

 志紀さんと一瞬目が合ったがすぐに逸らした。

「お母さん、今年は来れないんだって?」

「……そうみたいですね」

「……そっか……じゃあ行こうか」

 志紀さんは関係ないのに申し訳なさそうな顔をして俺の前に切符を差し出した。

 彼は"××夫婦殺害事件"の担当刑事だった。

 当時は新人である志紀さんとベテランだと思われる刑事が事件を担当していたのだが、その人は数年前に辞職したらしい。

 そのあとの詳しいことは知らないが警察は未だ犯人を捕まえられずにいた。

 彼はその後ろめたさからかこうして毎年命日になると墓参りに来てくれていた。

 8年。8年変わらず律儀で優しくて言葉で表せないくらいとてもいい人なのは分かっている。知っている。

 だけど、犯人はまだ捕まらずのうのうと暮らしている。そう思うと怒りが治まらなかった。

 犯人を恨まず警察を恨むなんて筋違いなのは分かっている。でも誰かを恨まなければこの気持ちはどこへ行けばいいのだ?

 "××夫婦殺害事件"の報道は、ある家族のある夫婦が殺された、と報道された。

 もちろん間違いではない。けど、けど俺たちからすれば単純に両親が殺されたわけではない。

 俺たちが家族に、ひとつになった日だったのだ。

 ただ両親が殺された可哀想な兄妹?違う違う。現実はもっと深くて遣りきれないものだった。

 事件の唯一の目撃者は俺だ。目撃したが犯人の顔も両親がどうやって殺されたのかも8年経った今でも思い出せずにいる。

 覚えていないが、その日のことは今でも鮮明に思い出せる。

 いつものように駄々をこねて母を困らせていた。いつものようで少し違ったのは母が俺を叱ったのだ。

 父と再婚してからはじめて俺を叱り抱きしめてくれた。

 そしてはじめて母を「お母さん」と呼べた日だった。

 きっとこの人とはこの先もずっとやっていける、子供ながらに感じた。

 感じていたのに。


 志紀さんは毎年、両親の墓の前で丁寧に手を合わせお辞儀をする。

 それを見下すように冷ややかな目で見てしまう。

 妹は「ありがとう、志紀さん」などと声をかけていたがお礼を言う義理なんてない。むしろ当たり前ではないか。

 妹の言葉にイラだった。

「……俺は、」

「青山くん?」

「……俺は、時効になんてさせませんよ。絶対。」

 思い切り彼を睨み傘を持った手に力が籠る。

 彼目がけて傘を投げつけたくなるような衝動を抑える。

 もし、もし犯人を捕えることができず時効が来てしまったら、と何度も何度も恐ろしいことを想像してしまう。

「あんたたちを絶対許さないッ!」

 そう怒鳴りつけると彼は一瞬驚くような表情をしたが目を逸らすことなく「分かってる」とつぶやいた。

 小さな声だったが雨の音に掻き消されることなく芯の通った言葉だった。

 涙が溢れそうになるのをぎゅっと堪え、足下が崩れそうになるのを必死に耐えた。

 彼を怒鳴ってしまった後悔と絶対に、絶対に許さないという気持ちがごちゃ混ぜになり頭に痛みが走った。

 その中で、あの日みた母の笑顔が頭から離れなかった―――

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