彼女は宇宙人
僕のクラスには、少し変わった女子がいる。
彼女は、自分のことを「宇宙人」と言っている。
もちろん、角が生えているわけでも、腕が四本あるわけでもない。給食では牛乳を飲むし、体育の授業では普通に息を切らす。テスト前には隣の席にいる僕からノートを借りる。
それでも、彼女は毎朝教室に入ってくると、窓の外を見て言う。
「今日も、地球の空は綺麗だね」
僕たちは、それを聞いて笑う。
彼女も笑う。
だから、その笑顔が彼女にとって、「地球人」のふりをするための練習だなんて、誰も知らなかった。
ある日、彼女が学校を休んだ。
先生は「体調不良のため」と説明したが、クラスのみんなは好き勝手なことを言った。
「宇宙に帰っちゃったんじゃない?」
「隕石を止めてるのかも」
「地球人で実験してるのかもよ」
言い方はさまざまだったが、どれも彼女の「宇宙人」という設定を少しからかうような、軽い噂ばかりだった。
その日の放課後、先生が僕に声をかけてきた。
どうしても届けなければならないプリントがあるとのことで、クラス委員である僕に、彼女の家まで届けて欲しいのだという。
どうして僕が、と思わないこともなかった。
けれど、以前、彼女からこんなことを言われていたのを思い出した。
「もし私が学校を休んだら、届け物とかしてくれると嬉しいな」
僕は、彼女の様子を見に行くのも兼ねて、先生から渡された住所へと向かった。
彼女が住んでいるという家は、「宇宙人」が住んでるとは思えないほど、どこにでもある普通のアパートだった。
彼女の部屋の前まで行き、インターホンを押す。けれど、しばらく待っても誰も出てこない。
もう一度押そうとした時、部屋の中から、何かが落ちる音が聞こえた。
やがて、ドアがほんの少しだけ開き、彼女が顔を出す。
学校にいる時とは違い、髪は乱れ、制服ではなく、体に合っていない大きな服を着ていた。頬は少し痩せて見え、唇も乾いている。
彼女は片手でドアを押さえ、僕を家の中へ入れまいとするように、隙間から見える部屋の中を隠していた。
けれど、わずかに開いたドアの向こうが見えた。
玄関には、何日分あるのか分からない郵便物が積み重なり、脱ぎ捨てられた衣服が靴の上まで覆いかぶさっている。部屋の奥には、現れていない食器や空になったペットボトルが散らばっていた。窓は締め切られ、薄暗い室内には、こもったようなにおいが漂っている。
冷蔵庫の音だけが、部屋の中で妙に大きく響いていた。
そして、いつもの彼女と何よりも違っていたのは、その顔に大きな痣があったことだった。
僕の表情に気づいたのか、彼女は痣を隠すように手を当てた。
「まだ地球の重力に慣れてなくて。それでできた傷」
彼女はそう言って笑った。
けれど僕は、その笑顔に対し、いつものように笑い返すことができなかった。
彼女と話していると、部屋の奥から女性の声が聞こえてきた。
「誰を連れてきたの?」
「その子にも、宇宙人だなんて言ってるの?」
彼女は、その言葉を取り繕うように、慌てて説明した。
「違うの、家の中でも宇宙人って冗談で呼んでるだけで、特に深い意味はないの」
けれど、その声が聞こえるたびに、彼女の表情は少しずつこわばっていった。
「ここじゃなんだから、近くの公園に行かない?」
彼女は僕の返事を待たず、逃げるように部屋の外に出た。
僕もそのあとを追い、二人でアパートを離れた。
公園のベンチで、僕は彼女に問いかけた。
「宇宙人っていうのは、いつから言ってるの?」
「地球に来たのは小学四年生の時。地球に墜落したの」
彼女はいつものように、冗談めかして言った。
けれど、僕が真剣な顔をしているのに気づいたのか、彼女はしばらく黙ったあと、ゆっくりと話し始めた。
「お母さんがね、私のことを拾ったって言ったの。病院で取り違えられたんだって。『うちの子なんかじゃない』って。最初は、そんなことないって思ってたの」
「でもね、違うって言われ続けられたら、違うほうが楽なの」
彼女は空を見上げた。
「私が人間だったら、どうして愛されないのか分からないでしょ? でも、宇宙人ならしょうがないの。だって、地球人と宇宙人だから」
僕はすぐに、警察や先生に連絡すべきだと彼女に伝えた。けれど、彼女は強く首を振った。
「誰にも言わないで」
「言ったのがばれたら、もっと酷くなる」
助けを求めることさえ、彼女にとっては恐ろしいことなのだ。
しかし、彼女はしばらく黙り込んだあと、震える声で続けた。
「でも、このままなのも嫌」
「教えて。自分じゃどうしようもない時、地球人はなんて言うの?」
彼女の痩せた頬を、一筋の涙が伝っていった。
誰に相談するか悩んだ末、僕たちは、いちばん身近な大人である先生に相談することにした。
「僕から先生に、全部を説明することはできない。だから、君自身の言葉で話して欲しい。話せるところだけでいいから」
彼女は僕のスマホを握りしめ、震える声で、少しずつ電話の向こうにいる先生へ話し始めた。
「家に帰りたくないです」
「でも、どうしたらいいか分かりません」
彼女はしばらく黙り込んだ。
それから、先ほど教えた言葉を、ゆっくりと口にした。
「先生……助けてください」
それから僕たちは、先生が児童相談所の職員と一緒に迎えに来るまで、二人で話をしていた。
好きな本のこと。
おいしかった食べ物のこと。
好きな教科や苦手な食べ物、苦手な教科のこと。
できるだけ彼女が嫌な記憶を思い出さずに済むように、僕は他愛のない話を続けた。
僕と話している彼女は、年相応の笑顔を見せていた。
その姿は、とても「宇宙人」には見えなかった。
先生と一緒に来た児童相談所の職員によると、彼女はそのまま児童相談所で保護されることになったそうだ。
少なくとも、あの家に戻ることはない。
それを聞いた彼女は、ほっとしたような、それでいて少し寂しそうな表情を浮かべていた。
数週間後、彼女は再び学校へ戻ってきた。
顔にあった痣はすっかり消えていて、見た目だけなら、学校を休む前と何も変わっていなかった。
「宇宙に帰らなかったんだ」
クラスメイトの一人が、からかうように声をかける。
彼女は以前のように笑おうとした。けれど、途中でその笑顔をやめた。
「うん、帰る場所がなかったから」
教室が静まり返る。
けれど彼女は気にする様子もなく、僕の隣の席に座った。
そして、少しの沈黙のあと、僕に向かって言った。
「地球にも、もう少し住んでみようかな」
彼女が帰ってきた日の夜、彼女からメッセージが届いた。
「ここに来て、初めて自分の食べたいものを選んだの。地球には、こんなにたくさんの食べ物があるんだね」
僕は、彼女に返信した。
「明日の学校で、君の好きな食べ物について教えてよ」




