6.Side Story ~ミサコの恋物語~(2)
結局、私と課長の関係は今までと何ら変わらず、部下と上司のままだった。課長は何事もなかったかのように私に接してくる。私は心に引っかかりがありながらも、日々の業務に追われる中で、いつも通りの私でやっていくしかなかった。
「私、どうしてあの人が好きなんだろう?」
私は入社二年目のとき、書類を電車に置き忘れたことがある。課長は、終点になり得る駅に片っ端から電話を入れて、書類が流れ着いた先を特定した。その時の上司は酷い剣幕で私を責めたが、課長は「二年目の新人に持たせた奴が悪い」と私をかばってくれた。
彼はそうやって、なんだかんだと部下の面倒を見ては、上司のフォローも常に忘れず、仕事のできる中間管理職として、日々活躍している。引き籠りだの堅物だのと揶揄されながらも、彼を慕う社員は多いのだ。
「僕に気を配るのはもう止めてください。これは、上司からの命令です。」
そう言った彼の言葉を、私は思い出した。私は確かに彼の部下だ。上司の命令には従わなければならない。でも、勤務外ならそんなの関係ないよね?
私は週末になると、彼に教えた「紅茶のお店」に入り浸るようになっていた。山積みにした漫画を読みながら、紅茶を何杯もお替りして、彼が来るのを待つ。お店の人の視線が気になるが、そんなことはどうでもいい。そう、私は意地になっているのだ。
そんなことを初めて、三週間目となったその日。
「いらっしゃいませー。」
店員の声が聞こえ、ドアが開く音がした。私が期待せずに目をやると、彼がタコの口をしてこちらを見ていた。私は手を挙げて、小さく「おいでおいで」をした。
向かいに座った彼が口を開いた。
「居るかもしれないとは思ったけど、本当に居るとはね。何?その漫画の山。」
ラフな格好の彼からは、いつもの堅物な雰囲気は微塵も感じなかった。
「課長。いえ。業務外なので、コウタロウさん?私はあなたが来るのを、ここで待っていたのです。」
「そう。なんか、もの凄くお待たせしてしまったのかな。」
「ええ。店員さんの視線が痛くなる程度には。」
彼は笑い出した。
「はははっ。ここでは上司の命令は無効か。」
「そうですよ。目一杯気を配らせて頂きます。」
「とりあえず、注文しても良いかな?お勧めの紅茶は、、、」
「アッサムです。ここのオリジナルブレンド。私はいつもこれです。」
課長はアッサム・ティーを美味しそうに飲みながら、話を始めた。
「ミサコさん。僕、会社を辞めることになりました。」
予想外の言葉に私は混乱した。
「ええ?どうしてです?そろそろ部長が見えてくるって所じゃないですか。」
「入社した時から決めていたんです。部長になってしまうと簡単に辞めるとは言えなくなる。そろそろ『潮時』です。」
「辞めなければならない『事情』があるんですね。」
彼は何も言わない。私は、今日が最後のチャンスなのだと思った。
「私、コウタロウさんと仲良くなりたいんです。その事情というのは、会社の外でも変わらないんでしょうか?」
「変わりません。申し訳ないが、僕は誰とも仲良くするつもりはない。」
「嘘です。それが本心だったら、何も言わずに居なくなるだけでいいじゃないですか。私に打ち明けたのは、きっと本心がそうではないからです。」
彼は何かに気が付いたのか、下を向いて考え込んでいた。
「私にその『事情』を教えてください。力になれるかは判りません。でも、業務外なら気を配っても良いんですよね?お世話になった恩返しを」
そこまで聞いて、彼は悲しそうな顔で語気を強めた。
「他人に話せるような事情ではない!気持ちは嬉しいけど!」
堅物の引き籠りエリートは、仮面だった。中身はこんなに弱い、普通の人なんだ。私は、どうしてもこの人の閉じた心をこじ開けたくなった。
「他人でなければ、話してくれるのね?だったら、あなたに結婚を申し込みます。そうすれば、少なくとも赤の他人ではなくなるでしょう?」
店の中がざわついた。無意識に声が大きくなってしまった。
「後悔すると思う。信じてもらえない。絶対。」
「『する』か『しない』かは、聞いた後で決めます。」
その後、彼が話してくれた「事情」の中身は、到底信じられない世迷言だった。彼が「成り代わり」であることはまだ信じられる。しかし「不老不死」と言うのは、とても受け入れられるものではない。
「ほら!やっぱり信じてない!話してて、自分の頭がオカシイのかと思う位だもの。」
私の顔を見て、彼が言った。
「何か不老不死だと判る『エビデンス』はないの?」
私は、彼が職場でよく口にした言葉で「根拠」を示すよう要求した。
「今はまだ、身分上の年齢と体の年齢にあまり差が無いから。あと十年もすると、明らかにおかしいなぁって、なると思うんだけど。」
「そんな曖昧な事で、信用を得られると思ってるんですか?」
「勘弁してよ。ここで仕事の意趣返しをされるとは思わなかった。参ったな。」
情けない彼の顔を見て、可笑しくなってしまった。私はやはりこの人が「好き」だ。私はちょっと悩んだが、一足跳びに最後のカードを切ることを決心した。
「コウタロウさん。私『する』か『しない』か決めました。」
「え?何を?後悔する?やっぱり?」
「違いますよ。結婚『します』。結婚してください!私と!」
再び店内がざわついた。
「ちょっと待った!何言ってるの!?話聞いてた?不老不死だよ?ミサコさんが歳を取っても、僕は今のままなの。ダメでしょ。どう考えても不幸になる。」
「何のエビデンスもないのに、そんな話を信用しろと言われても。それに、十年も待ってたらこっちが行き遅れになっちゃう!」
店のそこかしこからクスクスと笑い声が聞こえる。私は構わず続けた。
「万が一それが本当だったとして、私にとってはメリットしかありません。老後は面倒を見てもらえるし、あなたの介護をしなければならないリスクもない。」
「言われてみればそうかも。」
「なので。私の気配り、受け取って頂けませんか?」
二人の目が合ったまま、少しの間を置くと、彼は泣きそうな顔になって返事をしてくれた。
「はい。よろしくお願いします!」
店中から口笛と共に拍手が沸き上がる。我に返った私たちは、笑いを堪え切れていない店員に代金を手渡すと、釣りも受け取らずに店から飛び出して走り続けた。
「もう!お気に入りのお店だったのに!二度と行かれない!」
「ごめんごめん!でも半分はミサコさんのせいだよね?」
「そうよ!」
息が上がって立ち止まる。
「やっぱり、後悔すると、思うんだけどなぁ。本当に僕で良い?」
息を切らせてこう言った彼の顔をみて、私はやっと彼の本心を見た気がした。
「『する』か、『しない』かは、最期に決めます!」
彼の話が本当だったと信じざるを得なくなったのは、それから十年ほど後のことだ。




