「十二湖は、今日も蒼い」7
「う、ん……」
横たわってた彼女が声を上げる。
熊を屠ったあの力を思い出し、身体が固くなった。
―いつでもドアを閉められるように、両足入れておこうかしら
そんな私の心を読んだかのように、クロストレックはシステムスタンバイになっていた。
ゆっくり起き上がった彼女は、こちらを見ると
「こんにちは」
頭を下げて挨拶をしてきた。
最大限警戒していたところにそれか?
思わず脱力しそうになる。
「あれ?わたし、どうしてここに寝ていたのでしょう?
えっと……」
そう言ってこちらを見つめてくる。
水色のワンピースにロングヘアー。
顔立ちも可愛らしくまるでアイドルのような彼女。
―血まみれでさえなければ
「あなた、覚えてないの?」
「覚えて……そうでした。
私、日本キャニオンに行って映え写真を撮ろうって連れてこられたんです。
そうしたら……そうしたら」
静かに泣き始めた。
「大丈夫?」
「崖下に行って写真を撮っていたら熊が出て、逃げようしたんです。
その時、彼氏が――私を熊の方に突き飛ばしたんです。
熊に引っかかれたのまでは思い出しました」
『随分と酷い彼氏とやらだな』
カールでもそう思ったのか。
本当に小さな声で呟いた。
「で、その後は?」
「その後?」
不思議そうな顔をして見つめてくる。
「襲われて助かったのは何故か、覚えているのかしら?」
「襲われて……そう、背中を向けて逃げようとしたのですが、ひっかかれたはず、です」
そう言えば彼女の背中は見てない気がする。
「ごめんね、そのままゆっくり回って背中、見せてくれる?」
「こう、ですか?」
カーペットの上で立ち膝をついてゆっくり回る彼女。
『これは、明らかに治癒能力も向上させられている』
彼女のワンピースの背中には大きな裂け目が3つと、血まみれになった布と皮膚。
そして、治癒したばかりのようなピンクの皮膚が、まるで傷跡のように見えていた。
そう、熊の爪痕そっくりに。
「背中に痛みはないかしら?」
「痛み、ですか?特にない気がしますけど、なぜそんなことを?」
怪訝そうな表情で聞き返してくる。
当然だろうと思いつつ、返事はせずにこちらとしては当たり前のことを指摘した。
「自分の姿、見てごらんなさい」
そう言ってドアミラーを指差す。
立ち上がった彼女はドアに近寄ってくる。
一応身構えたが、歩く仕草などは普通の女の子だった。
前かがみになり、ミラーに顔を映す。
「赤い?なにかの塗料とかかしら?」
まさか返り血や自分の血だとは思わないだろう。
「体も確認してみて」
そう告げると、自分の身体を見下ろし、次に腕や脇を確認する。
「これっていったい?」
「落ち着いて聞いてね?
それ、あなたの血と熊を倒したときに浴びた返り血なのよ」
”きゅうっ”
そんな声とも音ともつかないものを残して、彼女は倒れ込んだ。
『現状把握が追いつかず、気を失ったようだ』
「そうよねぇ。私だって普段だったらそうなってるわね」
『そうか。ところでどうする?』
「どうするって?」
『彼女だ。私の仲間はあとで考えるとしても、麓が近いとは言え、このまま捨ておくのは君が気にするのだろう?』
「さっきのを見る限りは彼女自身が危険そうではなさそうだし、彼女も乗せて一旦移動しましょ」
『どこに向かう?』
「まずはドラッグストアと服屋とかしら。
このまま彼女が帰ったら町中パニックよね、ホラーゲームから出てきた人だもの」
『ここから最寄りとなると、深浦駅に向かうとホームセンターとドラッグストアがある。
しかし、彼女を見る限り休憩や食事をさせてリラックスさせたほうが良い気がするのだが、どうだろう』
「あら、随分と細やかな気配りを彼女にはするのね?
もしかして惚れちゃったとか?」
『繰り返すが、私には性的欲求は存在しない。
スムーズに情報を聞き出すには喫茶店でお茶をしながら、食事をして腹を満たすなどが人間には大事なのだろう?』
「まあ、確かにね。でも、だとしたら深浦だとこの時間から向かっても開いてる店が少なくない?」
時計はもうすぐ17時を示している。
『それなら、ホームセンターまでは地図上で8kmほど遠くなるが、八峰町に向かってはどうか。
その後、能代市に行けば飲食可能な店の選択肢は大分増える。
彼女をどうするか次第だが、考慮しなければ能代東インターから乗れば比較的スムーズに自宅に戻れる』
「そのほうがよさそうね。どっちにしても早いうちに彼女を綺麗にしちゃいましょ」
クロストレックの後部座席に彼女を乗せ、カーペットをラゲッジに敷きなおす。
「温泉、これじゃあ今日は無理だわね」
文句を言いつつ下りきり、突き当たった十二湖からの道。
左にウインカーをだして、能代方面へと向かう。
『君は残念だろうが、私は再チューニングを既に済ませている』
「はいはい、便利なことね。
下手すれば今日中にシャワーすら浴びれないわよ」
『私はスタンドの洗車機でも構わないぞ』
「あんた、洗車要求するの?」
『ボディ表面は常に美しくないと、空気抵抗が増える』
「んなわけあるか!」




