「十二湖は、今日も蒼い」5
―助ける?
いや、熊なんて私では対処不可能。
―逃げる?
いや、熊と対峙している女性を見捨てるわけにはいかない。
『遥』
「なによ、突然人の名前を呼び捨てにして。彼氏ヅラ?」
『ちがう。こちらから呼びかけることが無かったからどう呼べばいいかわからなかった。
嫌なら変えるが?』
「そんな場合じゃないわよ。
彼女も私もどうするのがベストか、考えてるんだから」
どっちにしたって後悔する羽目になってしまうのは明白。
だが、カールはこう告げた。
『恐らく彼女は潜在能力を全て引き出されているのだろう。
あれは多分、【憤怒】だ』
「ふんぬ?」
そう聞きかえすより早く、彼女が動いた。
どう考えても場に不釣り合いな水色のワンピースがくるっと膨らみ、足が空中高く舞い上がる。
―回し蹴り?
立ち上がっていた熊が揺れる。
『あの一瞬で蹴りを左右交互に頭部へと叩きこんでいる。
リミッターも外されているだろうから、多分、痛みすら感じていない』
「痛み?」
『熊をフルパワーで蹴って、通常の人間が身体に反動が来ないわけがない』
爪を立てようと腕を伸ばす熊に、彼女はゆっくりと腕を差し出す。
立ち尽くす熊と彼女。
全てが止まっていた。
ゆっくりと彼女が後ろに下がると、熊は立ったまま血を噴き出した。
彼女の手には、赤黒いなにかが掴まれていた。
『あれは、熊の心臓だろう』
「心臓?貫手で刺して引きちぎって?嘘でしょ……」
言葉が止まる。
あんな華奢に見える女性が、熊の厚い皮膚と脂肪だけでなく、心臓まで引きちぎる?
リミッターって、そういう意味?
『君がなにを、考えているか予想はつく。
多分、それを超える意味でリミッターが外されていると思う』
「熊は倒したのかもしれないけれど、今度は彼女に襲われないかしら?」
『その可能性は、多分ないだろう。彼女を見ればわかる』
カールがそう言うと、彼女はその場で崩れ落ちた。
『骨や血管を守るために、筋力を限界まで上げて肉の鎧にしていたのだろう。
あの体格では筋肉痛が当面続くのではないかな』
呆気にとられた。
「それって、筋力操作をしてたってこと?
それとあれだけの動きと力を出して筋肉痛で収まるわけ?」
『そうだろうね、細身な君よりも更に華奢に見える彼女が、素で熊より強いとはまるで思えない』
筋力操作についてはあっさり肯定した。
『それと、筋肉痛に関しては【リミッター解除】をして、筋力操作だけでなく人体の治癒能力や痛覚遮断なども含めた人体操作をしているだろう。
通常なら打撲どころではない肉体損傷や脱臼、骨折を防ぐほど強大な筋力操作の代償が、筋肉痛程度で終わるなら軽いものだろう』
「ふぅ~ん。で?」
カールに尋ねる。
「元凶らしきものは見えてるけど、どうすべきかしら?
彼女を介抱したほうがいい?
それとも倒した熊で熊鍋作って、みんなで仲良く食べるほうがいいかしら?」
『残念ながら見えているのが【憤怒】なら、仲良くするのは難しいかもしれない』
「さっきも言ってたわね。”ふんぬ”って怒りの”憤怒”のこと?」
『そうだ。だが詳細の説明はレベル3では解放されていないから、できない』
レベル3、と聞いて思い出した。
「そういえば、私のことを”色欲”って色ボケみたいに呼んでたわよね?
”色欲”に”憤怒”、ってもしかして【七つの大罪】、って奴かしら?」
「解釈はあっているが、これも詳細の説明はできない」
珍しくできないを連発するカールに、不穏な雰囲気を感じた。
ただ、カール自身がそれを意図しているかどうかはわからない。
「あ、言っておくわ。今後私を色欲とか呼んだら、タブレットだけでなくクロストレックも物理的に”ばらす”からね」
『……その言葉は重要な危険行為を誘引すると覚えておこう』
「にっこり」
わざわざ声に出してから笑顔を作る。




