1-60 託す
私一人が慌てふためいている一方で、ツユクサさんは涙を流しながらまたそのページを左から右へと撫でるように翳した。
「……エンレイ。」
「ひっ、ひゃいっ!?」
「この本、見つけてくれてありがとう。」
「いっ、いえっ! たまたま目に入っただけですからっ!」
「ふふ、そう。……じゃあこの本はあなたにあげるから、あとは好きに使いなさい。」
ツユクサさんはそう言ってその本を私に差し出した。が、そんなことできるはずもない。だってあのいつもニコニコしているツユクサさんが涙を流すほど感情を揺さぶる本だ。きっと彼女にとって重要なものだろうことはこんな私でも分かった。だから、
「いえ、受け取るわけにはいきません。それはツユクサさんが持っていた方が……」
「私のことは気にしなくていいのよ。私は今、一度目を通した。それで良いの。」
「でも……」
「それにヴァイス属性でもない私が持っていても宝の持ち腐れよ。だからこの本はあなたに託す。それじゃあ駄目かしら?」
「……わ、かりました。大事にします。」
「ええ、そうしてちょうだい。」
涙の跡が残るツユクサさんが、それでも穏やかな笑顔を見せた。
この本はツユクサさんにとって大事。でもそれを私に託す、と言った。ヴァイス属性持ちとしてその心に報いるためにも、魔法をきちんと習得しなければならない。そんな決意に満ちた感情で胸がいっぱいになった。
…………
ツユクサさんから託された本は、その想いでズッシリと重く感じた。それと同時にこの本を扱う者として相応しくありたい、己の未来図の指針としよう、そんな決意を己に課した。
ということで今日は徹夜で魔法の習得をしよう。そう考えた瞬間、バッとヘデラが私の目の前に立ち塞がった。
「エンレイ様、それだけはいけませんよ。」
「な、ななな何のこと?」
「そんなに目を泳がせて……どうせ魔法の習得のために徹夜でもしようとか考えていらっしゃるのでしょう?」
「ぎくっ」
「……はぁー、なんとなく、エンレイ様のことが分かってきた気がします。」
しみじみと、それはもうしみじみと、ヘデラは首を縦に振った。
「私、のこと……?」
藪から棒に、一体なんだろう? ヘデラの考えていることが分からず私は首を傾げる。
「はい! エンレイ様は嘘がド下手でいらっしゃいますが、その嘘がつけない正直者なところが私とても大好きでございます!」
「……、」
なんだろう、どんな深刻なことを言われるかと思えば、褒められているのか貶されているのか微妙なラインの感想をもらうとは。
「と、まぁ、そんなことは置いておいて。」
ヘデラさんやい、そんなことって言ったな? 私、一応あなたの主人なのだが??
「主人に健やかに毎日を過ごしていただけるよう、私という存在があるのです。それなのに徹夜とか! 私は許しませんよ!」
「でも……」
一日でも早く習得しないと、と焦りばかりが募って眠れやしないだろうし。眠れないとウダウダゴロゴロしているよりも練習していた方がまだ有意義だと思うんだ。
ということを簡潔に伝えてみると、ヘデラはムンッと難しい顔をこちらに向けた。
「……エンレイ様の言い分は理解いたしました。それなら私が勝手をしてもよろしいですよね? ええ、そうしましょう!」
「え、ヘデラ……?」
「そうと決まれば準備ですー!」
まさかヘデラが自己完結をして部屋を飛び出していくとはつゆほど思わず、私はポカンと口を開けてその背中を眺めるしかできなかった。
……いや、良いように考えれば、徹夜駄目派のヘデラが部屋から出ていったということは、もうここには私一人しかいないわけで。魔法の練習し放題、というわけである。
「よし、じゃあ練習しようっと。」
託された本を机の上に広げ、本を読みながら空色のカゲロウ魔法を練習していくことにした。
『空色のカゲロウ魔法は幻を見せる。ということでアイツに使っている時のイメージを聞くと、どうやら今あるものの上からヴェールで覆うように違う映像を映している、とのこと。』
「フム、結構詳しく使い方とかが載っているもんなのね。」
──まるで私のため、みたい。
いやいや、それはさすがに自意識過剰かな。声に出さなくて良かった。ジワジワと恥ずかしさで顔が熱くなっていくのが自分でも分かる。
「よ、よし! 実際にやってみよう!」
恥ずかしさを振り払うためにも取り敢えずこの机にあるペンにその魔法をかけてみる。でもこれが何だったら幻っぽく見えるだろう。
「ウーン……」
あれ、これって私の想像力によってできることが限られてくるのでは……?
想像力に乏しい私に、この魔法を扱い切れるだろうか、と少し不安になったところで。ハッと思い出したことがあった。
「そういえばこの本の著者の近くにいたヴァイス属性持ちは、風邪を誤魔化すためにばかり使っていた、とか言っていなかったっけ?」
なるほど、それなら良い考えがあるじゃあないか。ニヤリと悪巧みの笑みを浮かべ、そそくさとベッドの近くまで行く。そうして机から持ってきたペンを枕に置き、アレを強く想像してからマナを流す──
…………
──ヘデラside
睡眠導入として良さそうなホットミルクを作りに厨房まで赴き、出来上がったソレをエンレイ様のお部屋まで運ぶ。
「エンレイ様、ヘデラです。」
扉をノックして声をかける。が、エンレイ様からの応答がない。何かオカシイと失礼も承知でバタンと扉を開け放つと、そこにいたのは……
「ぎゃぁーーー! エンレイ様が二人ぃぃーーー!?」
ベッドに横になって眠るエンレイ様と、眠るエンレイ様に向かって手を伸ばしているエンレイ様。明らかにどちらかが偽物なのだろうが、私には判別がつかない。
こ、こんな時はどうすれば……
一人アワアワと慌てふためいていると、私の叫び声を聞きつけたツユクサ様とキンレンカ先輩が部屋に入ってきた。
「ヘデラっ! 一体何、が……」
緊迫したように私へと質問をするツユクサ様。しかし私が答えるまでもなくツユクサ様自身でその異変に気が付いた。
「……エンレイ、何か言い訳はあるかしら?」
そして大体の状況を把握したツユクサ様は、エンレイ様に向けていつも以上に口角を上げて笑った。しかしその笑みからゴゴゴ、と冷たい圧を感じるように感じるのは、多分気のせいではないと思う。圧を向けられていない私ですら悪寒に震えてしまう。
そんな圧を真正面から受けた手を伸ばしている方のエンレイ様がこちらに走ってきてツユクサ様の目の前で正座し、震える声で『ごめんなさい』と謝った。
「それは何に対しての謝罪かしら?」
「……卑怯な手を使おうとしたことです。」
「具体的には?」
「……ちゃんと眠らないとヘデラに怒られるけど徹夜で魔法の練習がしたかったので、空色魔法の練習がてら眠る自分の幻を作り出してアリバイ作りをしようとしたことです。」
「そう、正直にありがとう。」
え、あのベッドで今も眠り続けるエンレイ様は魔法で作り出したってことですか!? ……ヴァイス属性の魔法とは、かくも不思議なものなんですね。ちょっと現実逃避したくなった。
表面的な知識は頭に入れていたと思っていたけど、実際この目で見る魔法はもっと違うものに見えた。
「で、その企みは頓挫したみたいだけど、これからどうするの?」
「ハイ、大人シク眠リマス。」
「そう。じゃああっちのエンレイは消しておきなさいよ?」
「……、」
ツユクサ様にそう言われたエンレイ様は何故か目をパチクリ瞬かせ、そうしてから幻とツユクサ様を交互に見始めた。それを四度ほど繰り返した辺りで、エンレイ様はサッと顔を青ざめさせた。
「エンレイ?」
「……、け、」
「け?」
「消し方……分からないです……」
「その本に書いてないの?」
「っ、」
ツユクサ様の一言にエンレイ様はハッと気がついた様子で机に走った。そして焦ったようにページを幾度も捲り、幻を消す方法を探していく。




