1-46 熱
「……、……ィ、」
何かが聞こえる。
眠りから目覚める直前の揺蕩いに身を任せながら、聞こえてきたナニカに耳を澄ませる。
「……レイ、……、エンレイ!」
ようやく眠りから覚醒してきたようで、ユックリ目を開けるとまず目に入ってきたのはボヤけたクロユリさんの泣き顔だった。
「……リ、さん……」
「エンレイ!」
「……、……?」
クロユリさんが泣いている理由が分からなかったが、とにかくその涙を拭ってあげたくて、彼の目元に重怠い手を持っていく。
クロユリさんはそれに気づいて、私の手を両手で包んでくれた。あ、いや、涙を拭いたかったんだけど……まあいいか。
「お前さんは何故こうも倒れてばかりなんだ!」
「……? 倒れ、てた……?」
「そうだ。エンレイが三日も帰らないとツユクサさんからのSOSがランクS全員に来て、消える日の朝、森の方へ討伐に行ったっきりだって聞いたから、手が空いている皆でエンレイを、探、して……」
ボロボロと大粒の涙を流すクロユリさん。どうやら相当心配をかけてしまったらしいことは分かった。いや、それよりも……
「三日も……?」
そんなに時間が経っていたとは思わなかった。体感は半日程度なのに。いや、もっと短いかもしれない。
「そうだと言ってるだろう! それで森を探していたらこんな奥でエンレイは倒れてたし、どんなに呼び掛けても目を覚まさないし! どれだけ心配したか分かるか!?」
「……何故、そこまで?」
心配してくれている人に対して聞くことではないと分かっていても、どうしても聞かずにはいられなかった。だってクロユリさんとはまだ心配して貰えるほどの関係性を築けていないと思っていたから。
「誰だって仲間が倒れていたり、辛そうにしていたら心配するだろう! 馬鹿なこと聞くな!」
そう言ってクロユリさんは一層ボロボロと涙を溢した。ああ、そんなに涙を流したら目が解けてしまいそうだ。
腕を支えにしてなんとか重怠い体を起こして、今度こそクロユリさんの涙を己の手で拭う。するとクロユリさんは私の手に擦り寄ってきた。その仕草がまるで猫みたいで、胸がキュンッと締まるような錯覚がした。
それを隠すようにフッと笑みを零して、その錯覚を忘れようとした。何故忘れようと思ったのかまでは考えられなかったが。
「……笑うことないじゃないか。」
そしてそれをバッチリ見られたらしく、ムスッと拗ねたような顔で睨まれた。でも錯覚は悟られていないな、とどこか安堵する。
「すみません。クロユリさんが猫みたいだなって思ったら可愛くて。」
「こちとら心配で心配で仕方なかったのに、その仕打ちはどうかと思う。……まあ、エンレイが無事だったからいいけどさ。でもヴァイスとシュヴァルツは一心同体ってこと、ちゃんと分かってる?」
「それ、以前も聞きましたけど……どういうことなんですか?」
「ヴァイスとシュヴァルツは一心同体だからこそ、片方が死ねばもう片方も死んでしまう。そう言い伝えられているんだ。」
「え……」
「だからエンレイが死に向かってしまうと、俺も死んでしまうということになる、らしい。」
「で、でもそれってただの言い伝えってだけで……」
「いや、俺はエンレイと出会って、その意味を理解した。だからむしろ、何故エンレイが同じように感じないのか、そっちの方が分からない。」
「そん、な……」
「だからエンレイ、お前さんは俺の命をもその肩に背負っている、ということだ。」
「えぇ……それって責任重大じゃないですか……」
そんな重いことを言われても……どうしたらいいのやら。あまりの重責に口元が引きつってしまう。
「そうだ。だからほら、まずはその火傷を治せ。」
そう言ってクロユリさんは私の右頬を撫でた。確かそこはロートの進化系ガイストに脅された時に避け切れなかった魔法が当たった場所、だったような気がする。こんなかすり傷を治すマナが勿体無くてそのまま放置していたんだっけ。まあ、いつものことだ。
「お前さんは俺でもある。そんなお前さんをエンレイは蔑ろにできるか?」
私がそう言われて治さないわけがない。そんな確信すら持ってニヤリと意地悪く笑ったクロユリさん。その表情は今まで見たことのないようなもので。今日は彼の知らなかった顔を良く見るな、と心がざわついた。
今まで感じたことの無い類いのものだったからどう心の中で処理すればいいか分からなくて、とりあえず首を傾げておいた。
「ほらほら、ここだ。ここを火傷している。」
その首傾げが『傷の位置が分からない』と取られたのか、鏡がなくてもちゃんと分かるようにクロユリさんはその指で私の右頬をグルリと撫でる。フム、その範囲を火傷しているらしい。
これはきっと治すまで続くだろうな。そう直感した。……いや、諦観とも言えるだろうか。そんな気持ちでもって己のマナを頬へ流していく。
「ほぅ、本当に綺麗に治るもんなんだな。」
傷が治っていくサマを感心したようにマジマジと観察され、どこか気恥ずかしさを感じて顔が熱くなった。何でだろう。
「よし、エンレイも無事だったみたいだし、怪我も治ったし、帰ろうか。」
いち早く立ち上がったクロユリさんが私に手を差し出した。それに手を重ねるとそのまま上に引っ張りあげられた。
「おっと、」
そして慣れないソレに少し不安定を感じてたたらを踏んでしまったところを、クロユリさんに抱きとめられた。柔らかく感じる花のような香りと、初めて感じた他人の体温や息遣いに私はもうキャパオーバーで。トン、と腕を突っ張ってクロユリさんと距離をとった。
「ああ、悪い。急に近づいて。」
「え、あ、いや、その……」
いきなりだったとはいえ、さすがに失礼だったのでは。そんな悪い方向に思考が落ちていってしまう。それでも言葉になるのは取り留めのない音だけで。どうしよう、早く謝らなきゃ。早く早く早く……!
強迫的なまでの『早く』という言葉と、ドキドキと五月蝿い心音、それからさっき感じたクロユリさんの香りや体温。それらが脳内でグルグルごちゃ混ぜになって、自分のことなのに自分で制御できない恐怖へといつしか変わっていった。
「あー……おーい、そこまで人に触れられるのが嫌だとは思わなかった。すまな」
「エンレイ!」
クロユリさんの申し訳なさそうな言葉にかぶさるように聞こえたのは、サクラさんの鋭い声だった。
「エンレイ……良かった……無事で……」
まさかサクラさんにも探させてしまっていたとは思わず、一気に意識を現実へと戻された。そして私が何かを言葉にする前に、サクラさんは私の目の前にまで迫り、私の両頬をサクラさんの両手でグワシッと掴んだ。
「エンレイ、あなた酷い顔をしているわ。」
「ひゃ、ひゃくははん……」
「見える場所に傷はないみたいだけれども……なんか顔、熱くないかしら? まさか風邪を引いてしまったのかしら!?」
サクラさんは一人で勝手に結論を出しては納得してしまった。いや、顔が熱いのはさっきのクロユリさんの……
先ほど感じたものを思い出して、ブワッとまた顔が熱くなった。
「ああほら、また熱が上がったんじゃなくて!? さっさと帰るわよ!」
だからこれは熱じゃなくて、と言い訳をするための口は依然としてサクラさんの両手に潰され続け、どうしたものか、と途方に暮れてしまった。
「サクラ、ちょっと落ち着いて。」
「あらクロユリ様。エンレイは熱があるようなので、家までお願いしてもよろしいでしょうか。私では少し、荷が重くて。」
それって私の体重がものすごいってこと? ……ああ、いや、でもそうだよね。いくらランクSとはいえ、それは魔法の扱いに対してのものだし、サクラさんは女性だから私を担いで森を抜けるのは少し大変だろう。
だからこそクロユリさんにそれを頼もうとしているんだろうけれども……さっきの一瞬ですらあんなにドキドキしたのに、森を抜けるまでの間、もっと言えば白花家に着くまでずっと担がれたら……多分一生分心臓が働いてしまう。
「あー、そうしたいところなんだが、エンレイ、人に触れられるのが苦手っぽいんだ。だから……あ、ギンヨウを呼ぼう! それでゲルプ魔法で土のベッドを作って、担架みたいにして運んだらいいんじゃないか?」
ああ、クロユリさんに気を遣われている……。でもその提案は私の心臓を労わるという意味でありがたい。ギンヨウさんには労力をかけてしまうが、そうしてもらうのが最善であるような気がして、それに賛同しようとして……
しかしまだサクラさんに頬を潰されたままだったから、何も発言できなかった。
「エンレイ、別に人に触れられて嫌とかなかったはずですが……」
「え?」
「え?」
サクラさんとクロユリさんは顔を見合わせて、二人とも首を傾げた。
「エンレイ? どういうこと?」
「んぬー、ふんふん、にゅー!」
「ああ、ごめんなさい。ずっと頬を掴んだままだったわね。」
決死の訴えが届いたらしい。頬へかかっていた圧が消えて、晴れて私は自由の身になったのだった。




