1-22 無意識
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『××××、××××、起きて。』
聞き覚えのあるような無いような男性の声が聞こえた気がして、私の意識は一気に覚醒する。フッと目を開けると、辺り一面真っ黒で何も見えなかった。
真っ黒な空間にいるか、目が見えていない状態なのかまでは分からないな。
『××××、君には幸せになってほしいんだ。だから、どうか……』
聞いているだけで心臓が掴まれたように痛くなるこの声は、いったい誰のもの……?
親しくない人から、もっと言えば声だけの怪しい人から幸せを願われているというのに、嫌悪感を抱くよりも前に私の目からツゥっと涙が零れていた。
……何故? 己の反射的な反応も、この声も、何も分からない。
「ねえ、あなたは……誰?」
『僕のことは知らなくて良い。覚えていなくて良い。……でも、そうだな、君はその返答じゃあ納得してくれないだろうし……』
見知らぬ声の主はウーンと悩んだような声を漏らし、それから数秒して『そうだ』とまた声を上げた。
『じゃあ僕のことはバラ、とでも呼んでよ。』
「バラさん……?」
『そう、一本の薔薇。僕にはどうしても忘れられない愛しい人がいるから、その人を想って。』
「そう、ですか……」
本名を教えてもらえなかった不信感よりも、忘れられない人がいると言った時のバラさんの声が聞いていられなくなるほど痛々しくて、それ以上聞き出すことが叶わなかった。
さらに言えば赤の他人が彼に掛けてあげられる言葉なんてものはなくて、黙り込むしかできなかった。
『あ、そうそう。そんな話をしに来たわけじゃあないんだよ。××××、一刻も早く目覚めなさい。』
暗く沈んでいく空気を破るように、バラさんは努めて明るくそう言い放つ。そして強引にも本題だろう言葉を投げかけてきた。
「目覚めろと言われましても……そもそも私、今眠っているんですか?」
『そう、これは夢だ。それも限りなく死に近い夢。だから君は一刻も早く現実に戻らなければならない。』
「バラさんは……?」
『自分のことよりも他人を優先するのは変わらないんだね。でも安心して、僕はもう死んでいる人間だから。それより君はこの世とあの世を彷徨っているんだ。早く戻らないと、戻れなくなる。』
バラさんはまるで自分のことのように私を急かす。そんなに私に生きていてほしいのだろうか?
「……私はこのまま死んだ方が良い気がしますけど。」
『それは駄目だ。それでは君の運命が消えてしまう。』
「運命……?」
『ああ、こちらの話だ。気にしないでくれ。それより、ほら、聞こえてこないか?』
「何が……?」
『君に向けられた声が。その声の方に向かいなさい。大丈夫、これからはきっと幸せになれるから。』
急かすバラさんに促されるがまま、無意識のうちに声が聞こえてくる方へと私は足を進めていた。何故か、そうしなければならないような気がして。
『……最後に、××××。【幸せになりなさい】』
バラさんのそんな呟きに気が付かないくらい、私は新たに聞こえてきた声に集中していた。
………………
…………
……
「エンレイ!」
「……ん、」
フワッと意識が覚醒していき、ゆっくりと目を開ける。まだボンヤリとする視界に映ったのは赤と黒。赤はきっと声からしてもサクラさんだろう。
パチパチと瞬きを繰り返して、ようやく視界がハッキリしてきた。
「ああ、良かった。目を覚ましたのね。」
サクラさんのホッと安堵したような顔が一番最初に見えた。
「……ぁ、」
「サクラ、まずラナンキュラスを呼ばないといけないんじゃないか?」
「ああ、それもそうですわね。」
「……」
「……」
サクラさんの他にいたのはクロユリさんだったらしい。二人のやり取りをジッと見つめ──何たって体が動かないのだ──、今がどういう状況なのか把握に努める。
が、ラナンキュラス大先生を呼ぶと言っていた割に二人ともここから動く様子も見せず、結局何故私は眠っていたのかもあの襲撃がどうなったのかも分からなかった。
「あ、ちょっとお二人さん! こいつが目覚めたら教えてって言ったじゃん!」
どうしたものかと横たわったまま思案していると、キーンとラナンキュラス大先生の大声が耳に入ってきた。
目覚めて間もないうちにそんな大声を聞いたからか、ちょっと頭も痛くなってきた気がした。気のせいかもしれないけど。
「ほらほら二人とも退いた退いた! エンレイも嫌なら嫌と言え!」
「ぁ……、……」
喉が張り付いたように声が出せず、ラナンキュラス大先生に返事ができなかった。ああ、どうしよう。これではラナンキュラス大先生に『返事をしろ』と怒られてしまう。
焦ったようにヒュッと息を呑むと、ラナンキュラス大先生はハイハイとテキトーにあしらった。
「まずは水飲め。話はそれからだ!」
ラナンキュラス大先生は吸い飲みを口元まで持ってきてくれて、甲斐甲斐しく水を飲ませてくれた。言葉は荒っぽいが、看病においての気遣いは完璧である。さすが療養施設ノコギリ荘のトップ。
「で、起き上がれそうか?」
「……な、んとか?」
グググ……と体を起こそうと力を入れてみるが、数センチ浮いただけで力尽きてしまった。
ポテンとベッドに逆戻りし、やっぱり無理だと表情で訴えてみた。
「なんだその変顔。無理なら無理と言え。」
変顔って……。決死の訴えを変顔と一刀両断されるなんて。ラナンキュラス大先生、こんな時くらい優しい言葉をくれても良いじゃないか。
そう思ってプゥっと頬を膨らませて抗議してみるが、ラナンキュラス大先生は素知らぬ顔。……まあ、顔と言っても相変わらず仮面で素顔は見えないけれども。
「まあ無理もないがな! 何せ一週間も眠っていたんだからな? 何たって怪我が酷くて! お前、前教えた治癒魔法はどうしたよ? あ゙あ゙ん゙?」
チンピラのようなラナンキュラス大先生の説教に納得がいかない、と自分で自覚できるほどの変顔をしてしまう。
「なんだその顔は! 喧嘩売ってんのか!」
「そもそも私、意識を失う直前のことを思い出せないんですけど。ガイストの大群に襲われて、それで……」
「……はぁ? それこそちゃんちゃらおかしいだろ? お前が放った魔法(仮)が巨大なロート魔法を相殺して、その余波でガイストが六割以上壊れたんだぞ? だから後は数で押し切って人間が勝利したんだ。……まあ、こちらの犠牲も多かったがな。」
「……え? 私、魔法なんて治癒しか使ってないですよ。」
「は? 治癒を使っていたのに酷い怪我を負ったってわけ?」
「あ、治癒は隊員さんたちに……」
「まず自分に使えこのバカタレェ!!!」
ビターンと額を打たれた。痛い。仮にも重症人にする所業でしょうかラナンキュラス大先生!!
「じゃああれはなんだって言うんだ……?」
「エンレイの話だけでは分からない、というわけね。」
少し離れたところからボソボソと会話をしているサクラさんとクロユリさん。ちょ、私もそっちに逃げたいんですけど。説教は嫌なんで。
ぐぬぬ、動かない体が憎い……
「おいエンレイ、聞いているのか……?」
と、説教以外のことに気を取られていたのを察知したラナンキュラス大先生のドスの効いた声が響き渡る。
それを聞いて冷や汗がダラダラと吹き出してくるのは自然の摂理というものだろう。
「ちゃんと話を聞けーーー!!」
「ぎゃーー!!」
この説教はこの部屋に人が新たにやって来るまで続いたのだった。




