たどり着いた先で待ち受けるもの
「ミシェル、セラムが見えてきましたわ。今日は宿に泊まりましょうか。その先どうするかは、明日決めるとしますか」
「僕はアリス皇女に従うだけです。では、従者として宿を探してきますね?」
ひと足先に街へ向かおうとするミシェル。大きな一歩を踏み出した瞬間、アリスに力強く引っ張られ仰け反ってしまう。
勢いが予想以上で背面から転倒。
頭を打つも物理的なダメージはなし。
見上げる景色は黄昏よりも暗かった。
「わたくしを置いてくつもりなのね。やっぱり邪魔だった、というわけですか。いいのです、それでミシェルが幸せなら、わたくしはこの悲しみにも耐えてみせますから」
漆黒色に染まるアリスの瞳は生気が感じられない。世界の終わりとも思える空気。ミシェルは焦り脱兎のごとく起き上がる。すかさずアリスを宥めようと詰め寄った。
「違いますから。僕はアリス皇女を邪魔だなんて思ってませんよ」
「そ、それじゃ、どう思ってるのかしら?」
瞳に生気が戻り漆黒色は反転。黄金色に光り輝き、純粋な眼差しを向ける。期待に胸を膨らませているのが丸分かりだった。
「前にも言ったじゃないですか。僕にとってアリス皇女は特別な存在なんですよ。ですから、邪魔なんて思ったことすらありませんよ」
「もう一度……お願いですから、もう一度言って!」
「えっと、僕にとってアリス皇女は──」
二度目の言葉に悶え苦しむアリス。軽く踏む地団駄姿が可愛すぎ。実年齢よりも遥かに幼く見えてしまう。歓喜の宴に酔いしれ無言でミシェルの背中を叩いていた。
中立都市セラムに到着したのは満月が出てから。暖かな灯火と月明かりに照らされ、ミシェル達は夜を明かす宿を探す。夜道を歩き続けること数分。ひときわ大きな建物が見えてきた。
近づくと暗闇に覆われていた正体が露になる。
橙色の光はどこか幻想的。
冷えきった体を暖めようと中へ足を踏み入れた。
静まり返った室内は心が落ち着く。木製の造りはどことなく安心感を覚える。長年暮らしているような錯覚に陥ってしまった。
「いらっしゃいだにゃん。お客さん、宿泊を希望かにゃん?」
戸惑うふたりに声をかける女性の獣人。幼さが残り、一見すると成人していないようであった。
「部屋は空いてますか? もちろん一部屋でいんですけど」
「お待ちください、アリス皇女。まさか、僕は外で寝るということですか?」
僅かに不安の色を浮かべたミシェル。動揺する姿は非常に珍しい。精神状態がもはや限界寸前。奈落の底へ転落寸前まで追い詰められた。
己の属性である闇が、冷たい水のように意識の底から這い上がってくる。
同化してしまえば気持ちが楽になるはず。
だがそれでも──ミシェルは必死に抵抗してみせた。
「安心していいわよ、ミシェル。わたくしがミシェルをひとりにすると思います? 部屋をひとつにしたのはね、少しでも長く一緒にいたいからよ」
「そうでしたか。僕が浅はかでした。アリス皇女を信じなかっただなんて……」
「そう自分を責めないで。わたくしは気にしてませんから。その程度のことでミシェルを嫌いになりませんもの」
凍てつく水は一瞬でお湯へと変化。全身に温もりを与え、心の奥から熱くなってくる。安堵という光はミシェルにとって眩しく、そして心地よくもあった。
「ありがとうございます。では、一部屋お願いします」
「了解だにゃ」
獣人の女性は明るく返事し、ふたりを部屋まで案内した。
部屋は思った以上に広い。ベッドは幸いにもふたつ。安心したような、少し残念なような。ミシェルの心は複雑な模様を描いていた。
「一応確認しますが、ベッドはふたつ使いますよね?」
「あら、ミシェル。そんなにわたくしと一緒のベッドがよろしいですの?」
唇に当てる人差し指が妖艶さを増幅させる。滅多に見せないアリスの表情。拝めたら幸運なほど希少で、見た事があるのはミシェルだけ。他の誰にもさらけ出さない顔だった。
「そ、それは……。からかわないでくださいよ、アリス皇女。僕はもう寝ますからね」
「照れちゃって可愛いですわ。あっ……ご飯まだでした。一食ぐらいなら抜いても平気よね」
夜に強いミシェルをたったひと言で撃沈。アリスの魅力は属性すら超越するほど強い。ミシェルの寝顔で空腹を満たし、アリスは夢の世界へと旅立っていった。




