カーラの力
「まずいな。カーラの暴走を止めなくては、この周辺が消滅すること間違いなしだ」
ミシェルの目つきが変わる。今までと違い、顔からは余裕が消えた。全力の魔力をその身に纏い、カーラへ向かって突進する。
すでにカーラの意識はない。
この暴走を止めるのは至難の業。
最善策は何か──ミシェルは本能で行動した。
強くもあり優しい抱擁。カーラを後ろから包み込み、暴走した力を抑え込む。月痕を補うように、魔力がカーラに注がれる。月が満ちていき、膨大なエネルギーは少しずつ小さくなっていく。
ゼロになるまで抑え込まなければ──。
ミシェルは繊細な魔力コントロールで、カーラの暴走を静かに止めた。
「ここは……。妾はいったい何を……」
「ようやくお目覚めか。キミは力を暴走させたんだ。危うくこの一帯が消し飛ぶところだったんだよ」
「そうだったのか。まさかヴァンパイアの王に助けられるとは──」
犬猿の仲だろうとお礼は必要。しかしカーラは気づいてしまう。胸を揉むように置かれているミシェルの手に。思考が一瞬停止し、遅れて羞恥心がやってきた。
可愛らしい悲鳴とともに、強烈なビンタを繰り出すカーラ。完全に不意打ちの攻撃にも関わらず、ミシェルの素早い反応がビンタを防いだ。
「いきなり何をするのだ」
「胸! 妾の胸を揉んでいたろうに!」
「胸……? すまない、必死だったから気づかなかった。それは悪いことをしたな」
「もういいからっ。妾の暴走を止めてくれたのだから、褒美くらいは必要じゃな」
「褒美とはいったい……。それよりもだ、カーラ。パンドーラで暴走すれば、魔族の国は跡形もなくなるぞ」
会話が噛み合っていないまま、ミシェルは問題の核心に触れた。
「そうじゃな。このまま戻って、もし暴走でもしたら……」
カーラの脳裏に浮かぶパンドーラの破滅。今まで暴走しなかったのは奇跡としか言いようがない。身に余るほどの力──少なくとも現時点でのカーラでは制御不能であった。
「よし、決めたぞ。妾はミシェルについて行く。何よりも、妾を辱めたのじゃ。責任を取ってもらわんとな?」
「俺は何もしていないはずだが」
「細かいことは気にするな。ほれ、パンドーラではなく世界を見て回るぞ。きっと探し物も見つかるはずじゃ」
赤く染った顔のまま、カーラはミシェルの手を強引に握り締める。行き先は未定。困惑するミシェルを他所に、カーラの心臓は心地よいリズムを奏でていた。
「というわけなんです。誘拐というより、勝手について来たといいますか……」
「そうでしたか。つまりは、話がこじれて誘拐になった。と言うべきですね」
「あの女の性格は昔から強引だったのね。自分の立場を考えて行動しなさいよねっ。ミシェルさんに迷惑がかかってるじゃない」
「リアさんはカーラを知ってるんですよね。あれ、そうなりますと……千年前に封じたのって──」
リアは慌ててミシェルの口を塞ぐ。ミシェル以外にユリアだと知られたくない。いやそれ以前に、千年前の戦いの真実が露呈するのを恐れた。
歴史は勝者が作るもの。
都合のいいよう塗り替えた。
この秘密は、たとえミシェルにも知られてはいけなかった。
「ほ、ほら、誘拐じゃなかったんだからさ。アーデルハイドさんが魔族を説得すれば、常闇の国は安泰じゃないのっ。これで解決だねっ」
「リア殿、私はミシェル様の婚約者です。千年という時間は、思った以上に長く寂しかった。ですから、この際にミシェル様を常闇の国へ連れて帰ります」
これ以上は待てない。それがアーデルハイドの本音。悠久の愛でさえ、会えないと寂しくなるもの。心に空いた大きな穴が苦しみを与えてくる。
ミシェルの帰りを待ち続けるのは疲れた。
真実の愛なら自分が教えてみせる。
アーデルハイドが一番欲しいもの──それはミシェルの温もりだった。
「そんなのダメよっ。だってミシェルさんは……。とにかく、絶対に連れていかせないからっ!」
千年変わらぬ想いはリアも同じ。ミシェルと出会い故郷を助けられた。絶望しかない未来が希望の光彩になった瞬間。あの時の気持ちは、どれだけ年月が経とうとも忘れた事はなかった。
平和なサンクチュエールを原因不明な病が蔓延する。光の属性である精霊が反転。闇精霊となり他の精霊を襲い始める。平和な世界が崩壊し、国内は混乱の坩堝へと落ちてしまった。
「ユリア様、サンクチュエールで何が起きてるのでしょう? 何者かの策略でしょうか」
「この地に侵入者とは考えにくいよ」
「でも先日、ヴァンパイアが侵入しましたよね?」
「言われてみれば……」
確かにミシェルというヴァンパイアの侵入を許してしまっている。あの場は敵意なしとして判断し、国内の行動を制限しなかった。タイミングだけ考えると、怪しいのは間違いなしと断言できる。
これ以上、被害の拡大は避けたいところ。
今すぐにでも拘束すべきか。
ユリアは難しい判断を迫られた。
「一度、確認する必要があるね。大至急ミシェルさんの居場所を突き止めて。私が直接話をするから」
国の存続に関わる危機。王女として早急に解決しなければならない。最悪のケースを想定し覚悟を決める必要がある。
相手はヴァンパイアの王。
戦闘になれば国民への被害は甚大なもの。
仮に倒したとしても、属性反転が収まる保証はない。
心が路頭に迷い、正しさは忘却の彼方へ消えてしまった。




