アリスの暴走と常闇の国の過去
「ミシェル様に牙を向けるのは許しません。このアーデルハイド、この身を挺にして守ってみせます」
「わたくしからミシェルを奪っておいて。この泥棒猫は厚かましすぎですわ。それにミシェル、あの言葉は偽りだったのかしら?」
見捨てたりしませんから──アリスの頭の中で木霊するミシェルの声。信じていた心が反転し、憎悪の塊となってアリスを侵食する。
止めたくても止まらない。
自分の身体ではない感覚。
心が悲鳴を上げ、今にも暴走しそうであった。
「アーデルハイド、ここは僕に任せてくれませんか?」
「ですが……」
「大丈夫、僕がアリス様を元に戻しますから」
毅然とした態度でミシェルは前に出た。策があるのか、迷う事なく真っ直ぐアリスの元へ歩み寄る。その顔は空明のような穏やかさが漂う。
愛狂うアリスは幽鬼の如く剣をミシェルに向ける。小刻みに震える手。何かを伝えたいようにも見えた。
「落ち着いてください、アリス様。僕の瞳を見てください。今のアリス様はまるで別人ですよ?」
「わたくしが別人……? 何を言っているのかしら、ミシェル。わたくしはわたくし。決して別人なんかでは──」
星火のような温もり。冷えきったアリスを癒してくれる。深淵に堕ちた心は清輝に照らされ、色鮮やかな景色を映し出す。
愛の抱擁とでも言うべきか。ミシェルの優しさが全てを包み込んだ。
抱きしめたアリスはいつもより小さく感じる。震える身体が何かのサインに違いない。狂気と化したアリスから涙がこぼれ、ミシェルの肌に温かさを伝えた。
「ミシェル、わたくしは……。わからない、なんなのよこの感情は。いったい、わたくしはどうしてしまったのです」
アリスの意識はそこで途絶えてしまった。
「何が起こってるのかな? アリスちゃんは無事なのっ!?」
「大丈夫ですよ、眠っているだけです」
「そっか。なら、ベッドに移動させないとねっ」
ミシェルがアリスを2階へと運ぶ。少しだけ寝顔を見るや、すぐにリアたちのもとへ戻っていった。
「アリスちゃんはどうだった?」
「今はグッスリ眠ってますよ」
「ひとまず落ち着いてよかったよ」
胸を撫で下ろすリア。豹変したアリスには驚いたが、疑惑が確信へと昇格した瞬間だった。間違いなくカーラが使う魔法。カーラの封印は確かにした。しかし、仮に何かしらの方法で蘇ったとしたら。
きっと目的は復讐と奪還。
止めなくてはミシェルを奪われる可能性がある。
一刻も早く行動に移したいものの、優先すべきは今置かれている現状の整理であった。
「さてと。さっきは醜態を晒してゴメンね。えっと、アーデルハイドさん。ミシェルさんを探してるってことは、やっぱり連れて帰るのかな?」
「はい。でなければ常闇の国は滅びますから」
リアの質問にアーデルハイドは即答した。
「アーデルハイド、その話を詳しく聞かせてくれませんか? 僕がいない間に何があったんです?」
千年という月日は決して短くない。平和だったはずの常闇の国。アーデルハイドは心の深部に秘めた出来事を語り始めた。
ミシェルが常闇の国を去って数年。国は荒天に見舞われ、嵐のような風が吹き荒れる。失われた抑止力の影響。想像以上に大きく、今や戦乱の時代へと突入してしまう。
派閥間の争いは日増しに拡大。
小競り合いが毎日続き、いつ爆発してもおかしくはなかった。
「アーデルハイド様、このままでは常闇の国は戦火にまみえてしまいます」
「わかっています。王が不在では混乱するだけです。誰かが常闇の国を治めなければ……」
「それならば、アーデルハイド様が王の座につけばよろしいのでは? ミシェル王の婚約者ですから」
「私がですか……」
側近の言葉にアーデルハイドは悩んだ。空の玉座さえ埋めれば事態が収拾するかもしれない。だが、自分が王の器を持っているのか。アーデルハイドの中で疑問が湧き上がる。
常闇の国は弱肉強食に近い。
ミシェルという絶対的強者がいたからこその平和。
偽りの平和──そう呼ばれても仕方がなく、ミシェルの代わりが務まるのかアーデルハイドは不安であった。
「私にはミシェル様ほどの力もカリスマ性もありません。ですが、この混乱に終止符を打つため、女王として君臨してみせます」
「では、さっそく準備致しますゆえ」
「お願いします。反対派は……私が力で屈服させるので。多少の犠牲は仕方ありませんね」
力こそミシェルに届かないとはいえ、アーデルハイドはかなりの実力者。腐食の月光と呼ばれ、その名を聞いただけで竦然とする者もいるほど。
女性ヴァンパイアの中では五本の指に入る。
だからこそ漆黒の支配者に相応しく、婚約者として選ばれた。
しかしながら最強と呼ぶにはほど遠い。
ヴァンパイアとは強者の集まり。性別を問わなければ、アーデルハイド以上の実力者は少なくはなかった。
戴冠式の日。アーデルハイドを女王として認めたのは僅かな派閥のみ。大半はボイコットで自分たちの意志を示していた。




