新たなる依頼者は混沌へと導く
「さっ、依頼も果たしましたし、セラムへ戻りますわよ」
「アリスちゃん、いいの? 一国の王子を殴って。戦争にでもなったら……」
「平気ですわ。わたくしにはミシェルがいますもの」
「はい、僕が必ずアリス様をお守りします」
不機嫌の極みなアリスは、ミシェルの手を握りその場から離れる。リアも置いてかれまいと、急いでふたりの後を追った。
「あらあら、随分と派手にやられたな」
「カーリアか。これでいいんだよな?」
「もちろん。アリスにバラの傷をつけましたし。これでサイエン王子の望むがまま」
ミシェルたちが去った後、サイエンの前にカーリアが姿を現す。不敵な笑みを浮かべ、何やら楽しそうにも見えた。
「よし、それじゃさっそく──」
「まだよ。あの魔法は発動するまで時間がかかるの。その間にやっておくことがあるでしょ?」
冷たい声でカーリアはサイエンを制止。
城へのゲートを開いた。
「そうだったな。では、先に帰ってるぜ」
黒い球体の中へサイエンは姿を消した。
「バカな男。利用されてるとも知らずにな」
不穏な言葉を残し、カーリアもゲートから城へと戻った。
中立都市セラムまで急ぎ足。特にアリスの精神的ダメージは甚大。店に着くまでずっとミシェルに抱きついていた。
「アリスちゃん、そろそろ代わってくれないかなっ」
「ダメに決まってますわ。この忌まわしき穢れは、ミシェルしか浄化できませんの」
疲弊した心を癒せるのはミシェルだけ。トラウマが蘇り襲ってきたのだ。身の毛もよだつような嫌悪感。そう簡単には振り払えず、愛の力がどうしても必要だった。
「ずるいー、私だって甘えたいのに」
「仕方ありませんね。でしたら、店番をお願いしますわ」
「どうして、どうして、店番なのーっ! ひどいよー」
「聞きなさい、悪女リア。ただの店番じゃないの。看板娘という名誉ある店番ですわ。最高の可愛さがなければ、名乗るのを許されないのですわ」
真剣な眼差しで嘘八百を並べるアリス。教祖のような身光を放ち、偽りを真実へと昇華させる。疑心を忘却の彼方へ葬り去り、洗脳の沼に引きずり込んだ。
煌びやかなアリスがリアには眩しすぎる。清光は神聖さを作り出し心を支配するほど。崇拝するに値し、リアを傀儡としてしまった。
「そ、そうね。世界一の美人である私にしか務まらないもんね。店番は私に任せて、アリスちゃんは心の傷を癒してきてね?」
勝利を勝ち取ったアリスは満面の笑み。心に刻まれたトラウマを癒そうと、ミシェルとともにセラムの探索へ出掛けた。
ひとり店番するリアはどこか楽しそう。アリスの話術に嵌められたとも知らず。好天から注ぐ天日に気持ちは穏やかだった。
「店番って言っても、暇だよねー。しかし、あの依頼がサイエン王子への告白って。しかもアリスちゃんが。まっ、顔は及第点だけど、性格が破綻してそうだしー」
長閑な時間が流れる中、リアは依頼での出来事を振り返る。冷静に考えれば依頼自体が怪しかった。
淵底に漆黒の疑懼が沈んでいる感覚。
穏やかな心は破壊され、荒ぶる波がリアを飲み込もうとしていた。
「そういえばアリスちゃんの傷。禍々しい気配を感じたんだよね。一瞬だったから、気のせいかもしれないけど」
心に引っかかる違和感。バラ自体は怪しい気配がなかった。いや、なかったはずだという思い込み。仮に何かしらの魔法がかけられていたのなら。
アリスの身が危険だということ。
恋のライバルではあるが、それとこれとは別問題。
何か手がかりはないか。古い記憶を呼び覚まそうと、碧海へ深く潜り込んだ。
微かな残光を頼りに探し続けるリア。些細な変化も見逃さないよう、海底を這いながら泳ぐ。心が必ずあると断言してくる。絶対に諦めてはいけない。水をかき分けていると、遠くで玲瓏の宝箱を見つけた。
「もしかして……。でもあの魔法は邪神カーラしか使えないはずだよ。今は封印されているし。だけど他に心当たりは……」
千年前に確かに封じた。
禁術に位置づけられる魔法は、カーラ以外誰にも使えない。
それとも類似の魔法でも存在するのだろうか。
謎が謎を呼び、リアの思考は混沌の沼に沈んでいった。
「──ません。あの、この店では困り事を解決してくれると聞いたのですが」
「は、はい。えっと、そうだよ。なんでも解決しちゃうんだからっ」
話しかけてきた女性は美しい。高貴な雰囲気を漂わせ、全身からは品位が溢れ出す。只者ではない──リアは一瞬で何かを感じ取った。
「それは助かります。実は探して欲しいひとがいるのです」
「なるほどー。安心していいからねっ。それで、特徴とかあったりす?」
「赤と青の瞳で珍しいのですが……」
「ふむふむ。赤と青の瞳だねっ。それは貴重な──」
リアは言葉を途中で飲み込んだ。
どこか見覚えのある瞳。むしろ胸の奥を刺激する。一度たりとも忘れるはずもなく、脳裏に焼き付いて離れない。だが偶然に決まっている。まさかとは思いつつ、その名を尋ねてみた。
「えっと、その方の名前って、わかるかな?」
「バミール・ミシェル様。この私、アーデルハイドの婚約者なのです」
時が止まり静寂が訪れた。
同姓同名か、それとも聞き間違いなのか。
もし、女性の言うミシェルと、リアの認識しているミシェルが同一のなら……。心は淵底へと沈み、二度と浮上しないのであった。




