魔獣討伐
「ミシェルさん、アリスちゃん、一生のお願いだから助けてー。魔獣が、魔獣が何匹もいるなんて聞いてなかったよー」
ダダ漏れな弱音を漏らしながら、リアが全力で走ってくる。背後に見えるは大きな砂煙。津波のように押し寄せ、ときおり漆黒を纏った獣の姿が見えた。
遠くからでも分かる大きさ。
轟音が空気を振動させる。
張り詰める緊張に、ミシェルはアリスを大地へと降ろした。
「アリス様、このままでは初仕事が失敗に終わってしまいます」
「そうね。わたくしの辞書に失敗を刻むわけにはいきませんもの」
鞘から剣を抜くアリス。戦闘態勢に入り、頭の中からはついたウソが消える。眼差しは真剣そのもの。本気を出さねば──魔法を詠唱し、魔獣との戦いに備えた。
「黄昏より暗きもの、深淵に浮かぶ風月よ、我が問いかけに応えその力を示せ。月華光耀天河招来!」
暖かい光がアリスの全身を包み込む。
輝く神光を放ち、強者の風格が備わる。
迫り来る魔獣を前に、アリスは大地を蹴り立ち向かっていった。
リアとすれ違い、得意の剣技で魔獣に斬りかかる。身体能力が大幅に上がっているのは魔法の効果。目にも映らぬスピードは、魔獣を瞬く間に細切れにする。すかさず群れの中心へ飛び込み、戦女神のように暴れ回った。
数十体の魔獣に全く怯んでいない。
美しい剣技の舞いは綺羅星のよう。
魔獣の攻撃を華麗にかわす姿は幻月のようであった。
「アリスちゃん、見かけによらず凄い」
想像以上の強さにリアは絶句。だがいいとこなしでは、ミシェルが幻滅するに違いない。逃げる足を止め振り返り、得意の精霊魔法で汚名返上しようとした。
「晩照の輝きよ、赫焉に見初められし精霊の名において命ずる、いでよ、ティターニア!」
幻想的な赤い光に包まれた美しい精霊。煌めく翼を広げると、無数の羽根が猛スピードで魔獣目掛けて飛んでいく。
破壊力は凄まじく、数の暴力が魔獣を塵へと返す。
今なら魔獣の意識はアリスに向いている。
この期こそチャンスと言わんばかりに、リアは遠慮なく攻撃し続けた。
「ちょっと、悪女リア! わたくしに当たるところでしたわ」
「むっ、仕留めきれなかった。魔獣とともに消し飛ばすつもりだったのに」
本気で悔しがるリア。その顔は陰影のような暗さ。助けられた恩は存在せず、頭の中はミシェルを奪い返すことだけ。魔獣とアリスを片付けられれば、長年の想いが実現するはずだった。
「助けた恩も忘れたつもりかしら?」
「疲れたとかウソついて、私に押し付けたのは誰かなー?」
アリスの攻撃目標がリアへと切り替わった瞬間。魔獣を引き連れる姿はまるで悪の皇女そのもの。仕事だというのも忘れ、溜め込んだ怨みを一気に吐き出した。
研ぎ澄まされた剣技がリアを襲う。
辛うじてかわすと、身代わりに魔獣が消え去った。
お返しと言わんばかりに今度はリアの攻撃。ティターニアから放たれた光焔が周囲を焼き尽くす。
逃げ場は完全に塞がれ、勝負は決着したかと思われた。しかし炎の壁を両断し、アリスの剣技が炸裂。ティターニアと鍔迫り合いにまで発展する。
ふたりの争いに巻き込まれる魔獣たち。
戦場と化したゴルゴ平原から跡形もなく消滅した。
「ふ、ふたりともケンカはダメですよ。今は仕事中じゃないですか」
荒ぶった心を鎮める魔法の言葉。
アリスとリアが同時に反応し、動きを完全に止めた。
「仕方ありませんわ。ミシェルに免じて許してあげるわ」
「それはこっちのセリフだしっ! でもこれで仕事は片付いたかな?」
「色々ありましたけど、初仕事が無事に終わって──」
激闘は終焉を迎えた──はずだったが、ミシェルたちの足元を巨大な隻影が通過する。
その正体を見極めようと、上空へ視線を向けるミシェル。瞳が捉えたのは翼の生えた巨大な獣。縦横無尽に空を支配し、まさに王者と呼ぶに相応しかった。
「あれは……まさか魔獣王スティジアンですわ。古文書に記載されし厄災がどうして……」
「遥か昔に封印されたって聞いたけど。誰かが蘇らせたのかな」
恐怖で固まるアリスに対し、リアは沈着冷静だった。
伝説とも言える厄災を前に、アリスは絶望の檻に閉じ込められる。絶対的強者が持つ冥闇に呑み込まれてしまった。
「アリス様、落ち着いてください。まだ切り札があるじゃないですか」
淵底に沈んだアリスをミシェルが皓月で照らす。冷えきった心に熱を与え、ミシェルが暗然の世界から引き上げた。
眩しすぎる金光はアリスに勇気を与える。
忘却の彼方へ置き去りにされた記憶。それが鮮明に蘇ってきた。恐れるものは何もない。アリスの瞳は光華を取り戻していた。




