初仕事は平穏に終わるのだろうか
「当然ですわ。それにしましても、タイミングよく邪魔者が現れましたわね」
「無意味なイチャつきを観察してただけだよ? でもー、ミシェルさんが迷惑そうだったから出てきたの」
リアは意味深な流し目でミシェルに視線を送った。聖夜の密会をミシェルの記憶から引き出し、心をリア色に染め直す。アリスの存在を消し去り、意図的にふたりだけの世界を創り上げた。
異様な空気をアリスは感じ取る。疎外感に包まれ、心の奥が騒がしくなった。乙女の直感──このふたりには何かあると警告音が鳴り響いた。
「なるほど。悪女の妄想には困ったものですわ。ですが──ミシェル、わたくしに隠し事をしてませんか?」
鋭い指摘はミシェルの急所を貫く。疑懼から生まれた罪悪感に蝕まれ、胸の奥が激しく痛み始める。
真実を打ち明けるべきか。
ミシェルは憂悶の中で苦悩した。
「え、えっとですね。僕は何も──」
アリスが手にした包丁が、場の空気に深い意味をもたらす。絢爛な笑顔は恐怖を演出し、ミシェルから全ての言葉を奪い去った。
「アリスちゃん、こわーい。別に何もないのにねー。さっ、ミシェルさん、あっちに行ってよーよ」
ミシェルの腕に絡みつき、リアはアリスから強引に引き離す。勝ち誇った笑みを浮かべ、炯然とした態度でアリスの前から消えた。
ひとり残された、孤影のアリス。
包丁を握る力が強くなり、空気を震わせる。
心は昏天黒地へと堕ちてしまった。
「美味しかったです、アリス様。料理まで完璧とは恐れ入ります」
「これくらい朝飯前ですわ。ほらミシェル、顔にソースがついてますよ?」
アリスの人差し指がミシェルの顔へと伸びる。ソースを拭き取り、そのまま口の中へ。輝々の眼差しはリアを挑発しているよう。自分のものに手を出すな──そういう想いが溢れ出ていた。
「そうきたか。ミシェルさん、イヤなときはハッキリ言った方がいいよ」
「イヤなわけないですわ。そうですよね、ミシェル?」
両者から向けられる不穏な視線に、ミシェルの額から汗が流れ落ちる。どちらを選んでも地獄への一本道。逃げ場が見つけられず、すぐ後ろは奈落の底だった。
「えっとですね──あっ、今日はお客さんが来るといいですよね? やっぱり仕事しませんと」
話題を逸らし、ミシェルは新たな逃げ道を作る。天に祈りを捧げ、ふたりからの返事を緊張しながら待った。
「ミシェルさん、ちゃんと答えないと──」
「悪女リアは何もわかってないわね。ミシェル、わたくしだけは理解してますわ」
リアに追求されるかと思いきや、アリスがミシェルを庇った。正確には以心伝心だと妄想しているだけ。
ミシェルを愛し理解しているのは、自分以外に存在しない。
たとえそれが自己満足であったとしてもだ。
アリスの顔は月下のような優しさだった。
「ありがとうございます、アリス様。きっと今日は依頼が入ると思いますよ」
「どのような依頼が来るのかたのしみですわ」
唖然とするリアを放ったらかし、話を進めるミシェルとアリス。リアの存在感を消し去り、ふたりだけの甘い空間を作り上げる。それこそ魔法のようであり、誰にも邪魔されなかった。
しかしこのまま引き下がるリアではない。
荒ぶる心を鎮め、すぐに反撃へ打って出た。
「そういえばさ、昨日の夜はちゃんと眠れたかな? 私って寝床が変わると、眠れない体質なんだよねー」
禁じ手とも言える強硬手段。リアの魔法はミシェルの心を大きく揺さぶる。アリスが生成した魔法を打ち砕き、ミシェルの視線を奪ってみせた。
「ミシェルどうしたの? なんだか落ち着きがないように見えますわ」
「そ、そんなことないですよ。僕はよく眠れましたよ」
「へぇー、温もりとかどうだった? 感想、聞きたいな」
小悪魔顔のリアは誰にも止められない。断罪台への道が切り開かれ、ミシェルの運命は決まってしまった。
「すみませーん。もうお店やってますかー?」
救いの女神が現れる。絶体絶命の危機を救う声は、ミシェルの心に深く浸透する。リアとの密会をアリスが知れば──爽やかな朝が血の雨に変わるのは間違いなかった。
「今いきますねー。僕がお客さんの対応してきますよ」
逃げの一手。修羅場と化す前に争いを終焉させる。鼓動のリズムが激しくなる中、ミシェルは客の元へ駆け足で向かった。
「お待たせしました。今日はどういった要件でしょうか?」
「実はですね、セラムの南にあるゴルゴ平原なんですけど。魔獣が徘徊してて、通れないんですよ。セラムの治安維持部隊には管轄外と言われ、最近できたこのお店ならと思いまして」
必死に訴える女性は健気だった。
「わかりました。この依頼、僕が引き受けますね」
女性の両手を強く握り締めるミシェル。
初めての客に無我夢中。
だからこそ、背後から迫るふたつの厄災に気づけなかった。
「ミシェル? アナタひとりじゃポンコツで何も出来ないでしょ? わたくしが一緒に行ってあげますわ」
「私がミシェルさんの力になるよ? 魔獣なんて精霊魔法で瞬殺だもん」
ふたりの笑顔が恐怖でしかない。肩を叩かれ、ミシェルの心臓は破裂寸前。魔獣よりも難敵だと心の中では思っていた。
準備を終え、ミシェルたちはコンゴ平原へと向かう。両手に花とは言いようで、無言の圧力がミシェルを苦しめる。まさに愛の板挟み。長い道のりは永遠に続き、ミシェルの精神力は確実に削り取られた。
「ゴルゴ平原って、どんなところなんでしょうね」
耐えかねたミシェルがついに口を開く。何気ない日常会話なら、ふたりの衝突を回避可能にできる。
初仕事は成功を収めたい。
トラブルなく終える事を心から願う。
だが魔獣がどれほどの強さか不明。幸いにもミシェルには切り札があり、心配という言葉は辞書から姿を消した。




