第20話「Our Love,Our Magic」③
暖かな木漏れ日に目を閉じた。尻から伝わる木の椅子の柔らかさが木漏れ日と相まって心地良く、眠たくなってくる。……本格的にウトウトしてきたところで、俺は自分の両頬を軽くつねった。人を待っているのだから、こんな所で寝るわけにはいかない。
俺は空中に手を乗せた。まるで、そう、見えないピアノを弾くように。
指を動かし、俺は曲を弾き始めた。見えないメロディーを、頭の中に響かせていく。……なんて心地良い時間なのだろうと、俺は微笑みながら思った。
調子良く指が乗ってきたところで、新たな声が耳に入ってきた。
「アキ!!」
俺は手を止め、顔を上げる。前から、見知った顔がこちらに手を振って走ってきていた。
「ごめんごめん、忘れ物に気づいて一旦家に戻ったら、こんな時間になっちゃって……」
「……」
「……アキー? 何で黙ってるのー、ごめんって……」
彼はそこまで言ってから、あ、と呟く。そしてその後、あー、とか、うー、とか言葉なく呻くように呟き、頬を少しだけ赤く染めてから言った。
「遅れて、ごめん。……千秋」
俺は小さく笑い、依然として恥ずかしそうにしている彼に言う。
「おせぇよ。……善」
あの「第二次ウィーン音楽聖戦」から月日は経ち、気づけばもう二月中旬になっていた。
「黄金のホール」はほぼ全焼。負傷者、重症者多数。しかし奇跡的と言うべきか、死者は誰一人出ることはなかった。
終わった。終わらせたんだ。俺が、俺たちが、あの戦争を。前世という過去のしがらみも、全て飛び越えて。
もともと帰る予定だった日に、勇林が「私はここに残り、『黄金のホール』再建を目指す」と言い、何故かハルネスが「じゃあ僕も付き合いますよ」と言い、二人を残して俺たちは日本に帰ってきた。
そして、俺は。
空港に着いて日本に帰ってきた、というところで、善に告白された。
俺も、君のことが好き。
真面目な顔でそう言われ、俺は、無理してないか? と聞いた。すると彼は首を横に振り、全然そんなことない。と答えた。
正直、君の言う通り俺は……君を通して、森下秋を見ていたかもしれない。それでも今俺が好きなのは、君だよ。森千秋。……他でもない、他の誰でもない、君のことが好きなんだ。
その言葉が、嬉しくて、何だか面白くて、俺は思わず笑ってしまった。すると彼は、何で笑うの、と不満そうに口を尖らせた。俺は笑いながら、嬉しいんだよ、と率直な感想を言った。彼は納得はいっていないような表情をしつつも、俺に言った。
俺と付き合ってください。
俺は笑いながら、頷いた。
俺なんかで良ければ。
そうして俺たちは、晴れて付き合い始めたのだった。
……だが、だからと言って何かをするわけでもなく。
そもそも俺は「全日本学生音楽コンクール」の地方本選を控えているのだ。ぶっちゃけ付き合って嬉しいとかそういう余韻に浸かってる暇も、世の恋人たちのようにイチャつく時間も、俺にはない!!
というわけで俺たちは付き合ったものの、そこまで変わることはなかった。今はコンクールの方に集中してるからあまりドキドキ感がないが、終わったら遅れてやってくるのだろうか。
……まあ、関係はそこまで変わった気はしないが、俺はあることだけ彼に提案した。
それは俺のことを「アキ」ではなく、「千秋」と呼ぶこと。
……彼は俺、森千秋のことが好きだと言ってくれたし、俺の気分的な問題だが、やっぱり……過去の男がチラつく感が否めない。俺の心中を察してか、彼は俺の提案をすぐに飲んでくれた。しかし。
やっぱり長い間「アキ」で慣れ親しんでいたからだろう。すぐに「アキ」と呼ばれ、「千秋」と言うと何故かめちゃくちゃ恥ずかしがる。
「……つーか、『アキ』に『ち』を付けるだけだろ。何をそんなに恥ずかしいことがあるんだ」
「だって!! 改めて名前呼ぶのって、なんか恥ずかしいじゃん……。……千秋、は、俺の名前呼ぶの恥ずかしくないの!?」
「初対面で名前呼びを強いてきたヤツはどこの誰だ」
ですよね、と善は弱々しく呟く。確かに名前を呼ぶなんて和奏以外いなかったから最初は恥ずかしかったが、もう慣れた。……というか、もう名前呼びの提案、付き合ってから約半年だぞ? もう慣れてもいいだろ。
「あー……まあ、いいよ。とりあえずお前のせいで遅くなってんだから早く行くぞ」
「ひっどい。事実だけどひっどい!!」
そう泣き喚く善に対し、俺は左手の手袋を外して……そのまま彼に、左手を差し出した。
「……え、何、お手?」
「んなわけないだろ。……恋人が手ぇ繋いで、何かおかしいことあるか」
恋人、と善は小さく呟く。そして嬉しそうに微笑んでから、俺の手に右手を重ねた。
「いいの? いつも恥ずかしがってやってくれないのに」
「……人もいないしな」
「それに、これからピアノ弾くんだから手温めてなくていいの?」
「……お前が温めてくれるだろ」
善の問いに、俺は淡々と答えていく。そっか、と善は呟き、俺の手をギュッと握った。
「……千秋の手、あったかい」
「……お前の手は、冷たいな。左手、これ付けてろよ」
俺は先程まで付けていた左手用の手袋を差し出す。善はありがとう、と言ってそれを左手にはめた。
そして手を繋いだまま、二人で歩いていく。
「……あれからもう、五ヶ月くらい? 早いなぁ」
「勇林から、何か連絡とかは来てるのか?」
「うん。『黄金のホール』の再建、順調に進んでるみたいだよ。師匠が台頭になってビシバシやってるみたい」
「……作業員、しごかれてるのか。可哀想に……」
「……うん、そうだね……」
善は乾いた笑みを浮かべる。普段のレッスンがアレなのだ。優しいが、人を使うことに全く躊躇がない。そういう意味で……まあ、合掌しておこう。
「……あ、来た来た。おーい!! 千秋ーっ!! ゼン!!」
すると前から声が聞こえて俺たちは顔を上げる。視線の先には、和奏とキャンディが並んで立っていた。
「遅かったじゃない」
「コイツが遅刻」
「「あー……」」
「二人とも!! そんな目して俺を見ない!!」
和奏とキャンディに対し、善がそう叫ぶ。一方二人は、あはは、と声を上げて笑っていた。
「に、しても〜。こんな真冬に負けないくらい、お熱いこと」
「……いいだろ別に」
和奏の茶化しに対し、俺はそう吐き捨てる。手は繋いだままだ。
「お前らも似たようなもんだろ」
「まあね〜」
「……ちょっとアキ、じゃなかった。千秋。そうやって茶化さないでよ!! カナも……!!」
「だって堂々としてない方が逆に恥ずかしくない?」
和奏はそう言ってあっさりと笑う。一方キャンディは、真っ赤になってかすかに震えていた。
なんでも、俺もものすごく驚いたのだが……和奏から告白して、この二人は付き合いだしたらしい。キャンディはあくまでお試しだと主張しているが、彼女の言動からしてもう充分キャンディが和奏のことを好きなことは一目瞭然である。……幼馴染が幸せになるというのは、素直に嬉しいことだ。
そして和奏は依然としてキャンディを名前で呼び、キャンディは前世の名前である奏と今の名前である和奏の共通部分を取って、カナと呼ぶことにしたらしい。
……まあとにかく、本人たちはめちゃくちゃ楽しそうだ。言い合いしたりと、その光景は変わらないが。仲のいい証拠でもあるのだろう。
「……ってお前ら、いい加減中入らせろ。寒いだろ」
「あっ、そうだったわね」
「いや〜、ごめんごめん」
「全く謝罪の意が感じられないぞ女性陣……」
俺はそう言いつつも、建物の中に入るべく歩き出した二人に付いて行った。入る直前で、流石に善の手は離した。
暖房の効いた室内に入り、ホッと息をつく。マフラーを取って上着を脱ぎ、ようやく心地良いくらいになった。
「あっ、お母さん!! お父さん『さん』!! お兄ちゃん来たよ!!」
聞き慣れた声がし、俺がそちらを向くと……こちらに駆け寄ってくる小柄な人影があった。そして勢いよく、こちらに飛び込んでくる。俺はしっかりとそれを受け止めた。
「春万。先来てたんだな」
「うんっ!! お母さんとお父さん『さん』と一緒に来たよ。でもお兄ちゃん、遅かったね」
「……悪いなー。待ち合わせしてたヤツが遅刻したもんだから」
俺の言葉に、後ろにいた善がギクッ、と体を震わせる。
「約束、破られちゃったの?」
「ま、結局間に合ってるからセーフだろ」
「そっか」
春万はそう言って俺の腕から飛び降りる。そして華麗に着地出来るあたり、やはり春万は強かだ。
俺が顔を上げると、母さんと父さんも俺に近寄ってきていた。二人に向け、俺は微笑む。
「千秋、迷わずに来れた?」
「ああ。……父さんが昔、コンサートしたことある所だったからな」
「……そうだな。……とても懐かしい所だ」
父さんはそう言ってキョロキョロと周りを見回す。その様子に母さんは、そうね、と言って嬉しそうに笑った。
……あの日、俺と父さんが家に帰った日……まず父さんは、母さんにめちゃくちゃ怒られていた。
そしてその後、抱きしめられていた。
おかえり、と母さんが嬉しそうに笑うのに対し、父さんは泣きそうな顔で、ただいま、と小さく答えていた。
その光景に俺も少し感じるところがあり、一人だけキョトンとしている春万に、俺は何も言えなかった。しかしついに春万に、あの人は誰? と聞かれた。
俺は少し説明に迷ってから、あの人は俺たちのお父さんだよ、と言った。
もしかしたら春万はあの人を、この先も自分の父親だと思えないかもしれない。それでも、あの人は俺たちの父親だってことは、知っておいてほしい。
俺の言葉の意味を、春万はよくわかってはいないようだった。でも、確かに頷いてくれた。……この先、春万がどんな選択をするかはわからないが……今は、これでいいのだろう。
とりあえず今の春万は父さんのことを、まだ他人みたいなものだと思っているようで、お父さん「さん」という呼び方が定着していた。いつか後半の「さん」が取れる日が来るといいのだが。
……なんて、俺は、そう思ってしまうのだ。
「じゃあ俺、そろそろ行くわ」
「……ああ。客席で見てるからな。……三人で」
「……うん」
父さんの言葉に俺は頷く。振り返ると、和奏やキャンディ……善も、俺を見て笑って頷いてくれた。それに促されるように、俺は一人で去っていく。
これから立つ、舞台に向けて。




