第18話「貴方の知らない昔話、噛み合わなかった歯車、彼の罪」③
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俺はハッ、と目を見開いた。長い夢を見ていたような、そんな気分だった。でも現実はきっと、一秒だって経っていない。……。
「……今の、は……」
「……私の、記憶」
俺の言葉に、阿妻はそう答える。その瞳は、どこまでも悲しそうだった。悲しい、辛いと、まるで悲鳴を上げているような。先程その〝記憶〟を見たときの阿妻……イヴよりももっと、感情の感じられる瞳だった。
……いや、それよりも……。
「……あれが……森下秋……」
森下秋は、自身の恋人を庇って死んだ。
彼は、イヴを守り、ゼンを庇って、死んだ。
……初めて、客観的に森下秋を見た。なのに……何なのだろう。この、違和感のような……。
……〝初めて〟、見た? ……。
そこでフワッ、と風が頬を撫でた。この場には場違いなほどの柔らかな風で、何だ、と俺が眉をひそめると同時に。
俺は、近くの壁までブッ飛ばされていた。
しかし体は思いっきり壁にぶち当たったが、頭には何の痛みもない。不思議に思うと、頭だけは風がまるでクッションにでもなるように受け止められていた。……だが、しばらく動けなくなるには充分だった。
「ゼンっ……!!」
俺は思わず叫ぶ。彼は……指揮棒を構え、俺と阿妻を能力でブッ飛ばした彼は、悲しそうな顔をするだけで、何も答えなかった。……知られてしまった、とでも、言いたげな顔だった。そして彼は踵を返し、一人で歩き出す。……一人で、行くつもりなのか。
俺は地面に倒れて、それを追えない。頭は正常に働くのに、体が言うことを聞いてくれない。
「ッ……ゼンーーーーッッッッ!!!!」
俺は全力で叫ぶ。しかしゼンはそれでも、振り返ることは無かった。
俺と阿妻は、ただしばらく地面に倒れていた。阿妻も、起き上がることが出来ないらしかった。
「……何で俺に、お前の記憶を見せたんだよ」
口はきちんと動くため、俺は阿妻に向けそう尋ねる。阿妻はしばらく何も言わなかったが、やがて声が返ってきた。
「……言ったでしょう? 貴方だけ真実を知らないというのは、不公平だと思ったから」
「……」
俺が黙っていると、阿妻は続ける。
「……驚かないで聞いてほしいんだけど、森下秋とゼン・フロライトは、恋人同士だったの」
阿妻の前置きを心の中で咀嚼してから、俺は呟く。
「……知ってる」
「……あら、そうでしたの」
阿妻は平静を保ってそう言うが、その口調から阿妻が驚いているのがわかった。……いや、知ってるというか、正確には。
「……ゼンは、俺のことがだいぶ好きだから」
「……そうですね」
「……ただゼンは、俺じゃなくて……俺から見た、森下秋が好きなんだよ。……俺も、ゼンが好きだし、前世恋人とかでも、全然驚いたりしねぇ」
阿妻が俺の言葉に、かすかに息を呑むのがわかった。
「……好きなの? ゼンが」
「ああ」
「……そっか」
良かった、と、阿妻が、小さく呟いた気がした。
「……ここからは私の推測、だけれど、ほぼ当たっていると思いますわ。……ゼンはあの時、貴方……いえ、森下秋が、私とゼンのどちらを選んで助けるのか、試したくなったのだと思うの。森下秋は、私のことをとても大切にしてくれた……命懸けの場で、魔が差したのだと思うの。そしてその結果……森下秋は、亡くなった」
「……」
俺が記憶を見て、ゼンが俺たちを行動不能にし、その場から逃げ出した理由。
……なんとなく俺も、そんな気はしていた。そして、なんとなく確信している。
……アイツ、結構な頻度で何に関しても不安になるから。
「……私、貴方に謝りたいと思っていたの」
「……謝る?」
「……ええ」
阿妻はゆっくり相槌を打つ。
「貴方には前世の記憶がない。でも、私は……貴方が森下秋だと思って話す。良ければ貴方が、判断をして」
「……わかった」
「……ありがとう」
阿妻の声は、少しだけ微笑んでいるようだった。
「……私が婚約者になんてなってしまったせいで、貴方たちの関係にヒビを入れてごめんなさい。私がいなければ、きっと貴方たちはあの戦争を生き残っていた。……さっきはあたかも、ゼンだけが悪いみたいに言ってしまったわ。でも……私だって同罪。私だって能力があるんだから、何か出来たはずなのに……貴方に助けられたのに、私は、貴方を助けられなかった……」
ごめんなさい、と阿妻は呟く。今にも消え入りそうな声だった。
俺は轟音と悲鳴、揺れる地面を全身で感じながら、黙って天井を見上げて言う。
「……いいよ。誰も悪くない。森下秋の気持ちを試したくなったゼンも、不可抗力で婚約者になったお前も……二人を大切にして、助けようとした、森下秋も。誰も、悪くねぇよ」
そう、誰も悪くない。
ただほんの少し、噛み合わなかっただけだ。
「……相変わらず、優しいのね」
「……そうか?」
阿妻はクスクスと笑う。俺はただ首を傾げるだけだった。
「ありがとう。……少し、救われた」
「……そもそも、俺は森千秋だ。そういうことは、森下秋の墓場にでも言うんだな」
「ええ。……これが終わったら、そうするわ」
「……そうだな」
俺たちは示し合わせたわけでもなく、震える体にムチを打って、何とか体を起こす。俺はピアノを取り出し、指先で鍵盤を叩いた。すると音に合わせ、徐々に体力が回復していくのがわかる。阿妻も俺のピアノに、元気を取り戻しているようだった。
「……私までやらなくて、良かったのに」
「そういうわけにも、いかねぇだろ」
「……貴方その天然、彼以外にはやらない方がいいですわよ?」
「は?」
俺の言葉に阿妻は何も答えず、ただ立ち上がる。そして阿妻に手を差し出され、俺はその手を取り、立ち上がった。
「……貴方はどうするの?」
「ゼンを追う。……一発くらい殴って、目ぇ覚まさせてやんねぇとな」
「ふふ。貴方らしい、男勝りですわね」
「いや男勝りというか俺男なんだが……」
「……そういうところが、私は好きでしたわ」
その言葉に、俺は押し黙る。阿妻は再びふふっ、と笑った。
「告白ではないですわよ」
「……だよな」
「私、海のことが好きなんです。彼は私に、色々な感情を教えてくれた。……貴方じゃなかったのよ」
そのあっさりとした別の告白に、俺は目を見開いてから笑う。
「……なら、良かった」
阿妻は頷き、呟いた。
「……やっぱり貴方のピアノは変わらなく……優しい音をしているわ」
変わってなかったわ。貴方のピアノ。
これはある意味、彼女の最高の褒め言葉だったのかもしれない。
「……お前はどうする?」
「……しばらくここに残るわ。やることがあるから」
「……そうか」
「早く、行ってきたら?」
阿妻がそう急かすように言い、もう煤の掛かった、しかし変わらず美しい髪を、手で後ろへと華麗に払う。
「今度こそ、私のせいで貴方たちが生き残らないとか、絶対に嫌ですから」
「……ああ」
「……彼を、よろしくお願いしますわ」
「……頼まれた」
俺は頷き、ゼンの向かった方向へと足を必死に動かして走り出す。走りながら、服を能力専用のフォーマルなスーツに着替えた。
阿妻はそれを微笑みながら見送る。そしてゆっくりと振り返った……そこには。




