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第16話「波乱のコンクール」①

 会場はザワザワとしている。そんな中俺は一人、その片隅でジッと座っていた。……まあ話す人もいないし。頭の中では音楽が流れているから、退屈することもない。ヘッドフォンが無くても周りの音が気にならないというのは、集中出来ている証拠だろうか。

 そんなことを考えていると、ふと横から聴き慣れた音がした。それは足音と、喋り声。身に馴染んだ、雰囲気。


「……あっ、アキ。いたいた」


 声をかけられ、俺は今度こそ顔を上げる。そこには見慣れた顔が並んでいた。


「……ゼン、和奏わかな、キャンディ。三人とも、来てくれてありがとう」


 俺──もり千秋ちあきが素直に礼を言うと、三人はニコッと笑う。


「そりゃ来るでしょ〜。なんてったって、千秋の晴れ舞台なんだからねっ!!」

「……それは大袈裟だ」

「大袈裟なんかじゃないって〜」


 そう言って和奏が俺の背中をバシバシと叩いた。いや普通に痛い。顔をあげると、至近距離で目が合う。和奏は一瞬目を見開いてから、再び人懐っこく笑った。……そのことに、少しホッとなる。


 ……何故なら俺は、彼女のことをフッてしまったばかりだから。

 それ以降和奏は、少し気まずそうにはしつつも以前と変わらずに俺と接してくれている。……ありがたい話だ。


 俺がそんなことを考えていると、ゼンが和奏の横からひょこっと顔を出す。


「ほら、アキ。頼まれた物持ってきたよ〜」

「……ああ、ありがとう」


 差し出されたビニール袋を受け取ってから、俺は中身を確認した後取り出した。……それは、新品同様に淡く光を反射する、ローファー。


「いや〜、でもびっくりしたよ。本番前に突然連絡が来て、どうしたんだろうと思ったら……まさかの、アキの家からローファーを取ってきてほしい、なんてお願いされるなんて思ってなかったから」

「うっ……だって、仕方ないだろ。ここに着いてから気づいたんだから……」


 俺が今履いているのは、スニーカー。流石にローファーの方がいいだろう。約八分くらいなら、普段履かないローファーも耐えられるだろから。


「……いよいよ本番なのね」

「……ああ」


 キャンディの言葉に、俺は頷く。そう、本番なのだ。……俺が出ると決めた、「全日本学生音楽コンクール」高校の部、予選。

 東京大会は毎年夏の後半の方に予選が開催される。そのため、俺は夏休みの最終日にこうして大会の予選にやって来ていた。……お陰で俺の高校初の夏休みは、ほぼ全てピアノに捧げた。宿題もそこまで多くなかったから、助かったが……。


「……やっぱり、人多いね〜」

「……それなりに大きい大会だし、ここで勝ったら全国大会にも出られて名も広がる。相手に不足無しだな」

「……結構余裕じゃない。アキ」


 呆れ気味にキャンディが呟く。俺は苦笑いを浮かべながら言った。


「……たぶん、頭に緊張が追いついてないだけだ」

「……ふーん、大丈夫なの?」

「たぶん……」


 俺は小さく呟く。そう、俺はこれから演奏するのだというのに、全くと言っていいほど緊張していなかった。傍から見れば、確かに余裕に見えるのだろう。……ただ単に、これから大会に出るのだという実感がない可能性もある。そこは俺自身も、少し心配だ。


「……まっ、アキらしく演奏出来るならきっと大丈夫だよ。緊張しすぎて実力が発揮出来ないよりいいでしょ」

「……そうだな」


 そう言ったゼンと目が合い、俺は思わずすぐに目をそらしてしまう。不自然になっていないか、一気に不安になったが……何も言っては来ないから、恐らく大丈夫だろう。



 ……アキ。



 この前俺は、気づいてしまった。ゼンはきっと、俺のことが好きだ。でも、俺じゃない。……俺越しに見える、「森下もりしたあき」が好きなのだと。俺の前世だと言われている、その男が好きなのだと。


 三人に悟られないように、こっそりため息をつく。……本当、大事なことの前に面倒なことに気がついてしまった。

 こんな調子で俺は大丈夫なのだろうか。その面に関しては、やはり不安だ。


「じゃあ私たちはもう客席入るから、またね」

「……おう。寄ってくれてありがとな」

「いいってことよ」


 ゼンがそう言うと、三人はまるで示し合わせたようにビシッ、とピースサインを取る。……本当に仲がいいな。お前ら。

 呆れつつも俺はピースサインを返して三人を見送った。これで正解なのかは、わからないが。


 するとそこでふと、周りの声が耳に入り始める。



「……ほら、あれだよ。〝死のピアニスト〟の息子……」

「……あの一件以降、親子ともにメディアに一切出てこなかったのに……」

「……何でこのタイミングで出て来たんだろうな……」

「……親があれで、息子はどんな演奏をするんだか」

「……森千秋に関しては、全くと言っていいほど大会に出てないし、資料もないからな……」

「……ダークホース、って感じになるのかな……」



 ……すっかり俺も有名人だな。にしてもコイツら、その声量で俺に聞こえてないとでも思っているのだろうか。思わず先程とは違う意味のため息が押し出される。……こうなることは予想していた。この界隈に戻ってきたら最後、俺は見世物パンダだからな。

 ……もうそこまで気にしていないとはいえ、こう言われるのは素直に腹が立つし、嫌な気分だ。


 その声から逃げるように立ち上がろうと腰を浮かせようとする。しかし目の前に人影があり、それは叶わなかった。

 ゆっくり足から腰、上半身、とかけて顔を見上げる。……そこには、スーツを纏った茶髪の青年がいた。スポーツでもやっていそうな顔だ。……職員、にしては若すぎるような気も……それに、職員だという名札も付けていない。

 ということは……参加者か?


「……お前が森千秋か?」


 するとその青年が口を開く。思ったより低い声でビックリした。……本当に参加者か、不安になってきた。


「……お前は誰だよ」

「俺から質問してるんだから、俺の質問に答えろ」

「……名前聞くなら、そっちから名乗るのが礼儀じゃないのか?」

「……チッ」


 俺が強気に返すと、その青年はわかりやすく舌打ちをする。どうするのか、と反応を伺っていると、青年は再び口を開いた。


「……吉柳きりゅうかいだ」


 きりゅう、かい。頭の中でその名前を反芻させる。……わかっていたことだが、その名前は聞き覚えがない。ただ周りのヤツらが興味津々にこちらを覗き、吉柳海だ、と言う声も聞こえるから、コイツはそれなりに有名人なのだろう。

 俺はまた小さくため息をついて言った。


「……そうだよ。俺は、森千秋だ」


 その答えに、彼……吉柳は何も言わない。ただ無遠慮にジロジロと俺の全身を三周くらい見回すだけだった。

 何の用だよ、と俺が言おうとした時、吉柳が口を開く。


「……ふぅん。弱そうだな」


 弱そう。


 まさかそんな言葉が出るとは思わず、俺はまた頭の中でその言葉を反芻させた。……何に対しての、弱そうなんだ? まさかコイツも、『コン・アニマ』や『グラーヴェ』の周辺の関係者だったりするのか……。と、俺が警戒したのも束の間。


「そんな女みたいなほっそい腕で、一体どんな演奏をするんだか。たかが知れるな」


 その言葉に、少しだけホッとする。どうやらコイツはそこら辺の関係者では無いらしい。だったいいのだが……。


 ……って、良くない。全然良くない。腕だけで、めちゃくちゃ舐められてるじゃねぇか。確かにブランクはあるが、渡り合えないほどではない仕上がり、むしろ越すようなクオリティにしてきたのだから。


「……それは聴いてみたらわかることだろ」

「あ? ……意外に強気なんだな」

「そっくりそのままお返しする」


 俺は再び吉柳の体つきを観察した。無駄がなく、鍛え抜かれた体。ピアノは鍵盤楽器だが、よく打楽器だとも言われる。ハンマーが、弦を叩くからだ。確かに曲によっては、鍵盤楽器というより打楽器だということをよく意識させられる。……とにかく、ピアノにはそれなりに腕力も必要だ。そういう意味では、彼は優秀なピアニストだと言えるのだろう。

 ……まあ演奏を聴いてみるに越したことはないから、一概には何とも言えないが。


「……ったく、こんなんが本当にもり一冬かずとさんの息子なのか? 拍子抜けにならないといいんだが……」


 その名前に、もはや条件反射で体が反応した。一気に呼吸が乱れ、全身から血の気が引くのがわかる。しかしすぐに首を横に振り、深呼吸をするとそれは収まった。……この名前を聞くことはこれからもっとあるだろうし、今から慣れておかなければ。いや、それよりも。


「……お前……父に、憧れてるのか?」

「……その言葉だと、やっぱりお前は一冬さんの息子なのか。ああ。当たり前だろ? あんなにすごいピアニスト、俺の人生の中で後にも先にもあの人だけだぜ」


 そう言う吉柳の瞳は、輝いている。本当に彼に憧れているようだ。


「〝死のピアニスト〟なんて言われるようになっちまってから、この名前を出すと盛大に煙たがれるんだけどよ……でも、あの人の演奏がすごいことに変わりは無いだろ。……それに、ムカつくんだよな。こういう人を貶めるみたいな陰口みたいなのはよ」


 そこで吉柳が突然、周りの人たちをギロリと睨んだ。こちらの会話に耳を澄ませていたヤツらは、ビクッ、と体を震わせる。そこで俺は、コイツが俺のことをとやかく言っていたヤツらを牽制してくれたことがわかった。

 俺がジッ、と彼を見つめていると、彼は少し目を見開いてから俺のことを睨みつける。


「……勘違いすんなよ。俺は俺のポリシーに従っただけだし、余計なことでお前が実力を発揮出来なかったら、それこそ拍子抜けなだけなんだからな」


 ……別に俺は何も言っていないのに、庇った自覚はあるらしい。俺は思わず小さく笑ってしまった。


「な、何だよ」

「いや……色々ありがとな」

「は……はぁ!? 何だよお前、女みたいにナヨナヨした顔しやがって……!!」


 それは、褒められているのか……いや、そんなわけ無いな。というか、女みたいにナヨナヨした顔って何だ。俺がそんなことを思っていると。


「かーい♡ まーた貴方は他の出演者にちょっかいを出していますのー?」

「うわっ!?」


 吉柳が短く悲鳴を上げる。どうやら誰かが吉柳に飛び付いてきたようだ。吉柳は少しだけ振り返り、ゲッ、と声を出す。


阿妻あづま……!!」

「あらぁ、海、昔みたいに『伊吹いぶき♡』と呼んでくれたら良いのにぃ」

「そんな気持ちわりぃ声で呼んだ覚えはない!!」


 吉柳は軽く大暴れして、何とかその女……阿妻? を振り払おうとしているが、彼女はしっかりと吉柳のことをホールドしていた。

 するとバチッ、と彼女と目が合った。そしてその視線に、思わず固まる。……何故なら彼女は、とても〝強い〟目を、していたから。


「あら……あらあら!! 森千秋さんでは!? 有名人に会えて光栄ですわぁ」

「……どうも」


 有名人、のところに様々な含みがあった気がして、俺はそれだけ返す。彼女は楽しそうにクスクスと笑うだけだった。


「私は阿妻あづま伊吹いぶき。彼、吉柳海の幼馴染みですわ」

「……森千秋です」

「ふふ、律儀な方ですのね」


 阿妻は吉柳の腕に抱きつきながら言う。


「まあ私も、貴方のライバル……ということになりますから、これ以上の自己紹介は省きますわ。ライバルと馴れ合うほど、私は暇ではありませんから。……というわけで海。行きましょ♡」

「え? あ、おい、阿妻……っわ!? ちょっ、引っ張るんじゃねぇぇぇぇ……!!」


 その吉柳の悲鳴が段々遠ざかっていった。俺はそれを見ながら、小さく呟く。


「……結局……何だったんだ、アイツらは……」

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