第15話「ステージで輝く貴方を」③
そして響子さんに会った俺たちは外に出ていた。何故なら……。
『結構前に和奏ちゃんが、トイレに行くって行ってここを出て行ったんだけど、あまりにも長くて心配で見に行ったら、和奏ちゃんはここのどこにもいなくて……連絡も、繋がらないの。何か知らない?』
響子さんに、そう言われたからだった。
だから俺たちは急遽こうして外を探している、というわけだった。
「いた?」
「ううん、やっぱり見当たらない。……ねぇアキ、あんた、あの子はどこに行きそうだとかわかんない?」
「……」
キャンディの言葉に、俺は黙る。そしてそのまま首を横に振った。二人は、そっか、と呟く。
「……あいつ、学校で、このコンサートを楽しみにしてたと思ったのに……どうしたんだろう……」
「……あの人、すごい人なんでしょ? ……負担だと、思ったりしたのかも……」
ゼンとキャンディが暗い顔でそう会話を重ねた。それをジッと俺は眺めてから口を開く。
「……ここで井戸端会議してても意味ないだろ。……俺はあっち行くから、お前らはそっちを頼む」
「え? あ……うん」
「わ、わかった……」
俺の言葉に二人は戸惑いつつも頷いた。それを見てから、頼んだぞ、と言って俺は自分が指差した方向に走り出す。チラッ、と後ろを見ると、二人も動き出した。それを見てから、ホッ、と息を吐き出す。
……居場所に心当たりがない、というのは……。
……それは、嘘だ。
俺はスマホを開き、ここから近くのところを検索する。確認してすぐにしまうと、俺はまた走り出した。
コンサート会場からここまでは、さほど遠くなかった。……俺がやって来たのは、近くの公園。休日にも関わらず、子供は誰もいない。……こんなに晴れてるのに、もったいないな。
そう思いながら俺は、その公園の中心にあるドームのようなものの入り口に足をかけ、中を覗き込んだ。
そして小さく笑って、呟く。
「……みーつけた」
まるでかくれんぼをしている子供のように。
すると中でうずくまっていた少女は、弱々しく顔を上げた。
「……千秋……?」
俺はそのまま足に力を込め、中に入る。こう、高校生が二人入ると狭いもんだな。……昔俺たちが住んでいた家の近くにも似た遊具があったが、あの時は広くて仕方がない、秘密基地のようにも感じていたのに。
……お互い、成長してるんだな。
「……千秋、何でここに……」
「お前を見つけるのなんて慣れてる」
俺があっさり言うと、和奏は小さく笑った。細められたその瞳は、涙なのか、潤んでいる。
昔から和奏は、何かあるとこうしてこういうところに来ていた。
姿がすっぽり隠せるところ。特に、公園のドームとか。一回わかってしまえば、後は人間一人でも隠せそうな場所を探せばいいだけだ。
だから今回も、こうしてすぐ見つけられた。
ゼンとキャンディには悪いが、和奏はこんな姿を二人には見られたくないだろうと思って……まあ、気遣った。ガラじゃないけど、そんなことも言ってられない。
「……千秋は昔から、私のこと見つけるの、得意だったもんね」
和奏はそう言って再びうずくまった。ドームの中の片隅で、体育座りで、小さくなっている。
「……どうしたんだ」
俺はそんな和奏の前にしゃがんだ。その拍子に、足元の砂がジャリッ、と音をたてる。囲まれたこの場所で、それだけが響く。
「……沢山練習してただろ。辛そうな時もあったけど、それでも楽しそうだっただろ。……どうしたんだ?」
俺の問いに、和奏は答えない。しかし俺が黙って待っていると、和奏は少しだけ顔を上げて、そして小さく口を開いた。
「……怖いの」
「……何が怖い?」
「……ちょっと先の、未来。何もない、自分」
和奏の口調は、淡々としていた。その単調に、悲しみが滲む。
「……だって、皆すごいんだもん。あのおチビちゃんは……キャンディは、自分の家のことを乗り越えて、お兄さんより強くなろうって決めて、厳しいこと言われても練習して……ゼンも、弟子のことがあって、もう一度あいつと向き合おうとしてる。……強くなろうとしてる。千秋も、あんなことがあったのに、またピアノと向き合って、誰かを守れるくらい強くなろうとしてるし、コンクールに出るって、具体的な目標も決めた」
じゃあ、と和奏は呟いた。
「じゃあ、私は?」
和奏は、涙声で続ける。
「私には、何もない。皆強くなろうと、もっと上手くなろうって上を目指し続けてるのに……私にだけ、何もない。向上する、意志もない。……気づいたら、皆が遠くにいる。それが、怖くて、少しでも追いつきたくて……たまたまパパが持ちかけてくれた話を、承諾したの。……少しでも、何かが変わればいいなって、思って」
俺はそれを聞きながら、ただ黙り続けていた。……気づかなかった。全然。
和奏はずっと、焦っていたんだな。……俺は全然、和奏の前にいる、なんていう気はしなかったけど、でも、和奏は違ったんだ。
「でも、駄目だった。私は臆病だった。このまま人前に出るのが怖い。こんな半端な私で、皆納得してくれるかな。後ろで、笑われないかな。……自分の未熟さが、怖い」
怖いよ。
和奏は、今にも消え入りそうな声で呟く。その姿が、一瞬小学生の時の和奏の姿に見えた。しかし瞬きすると、すぐにその姿は消える。
……そうだ、和奏。お前はもう、小学生じゃないんだぞ。
「和奏」
俺は名前を呼ぶ。和奏は、微かに体を震わせた。
「誰だって、ステージの上に出るのは怖い。その日をどれだけ待ちわびて、練習を重ねて、どれだけ準備万端にしても、誰だってステージに立つのは、怖い」
自分の出番直前になって、出たくないと泣きわめくヤツなんてザラだ。そんなヤツ、五万といる。そこに上手さなんて関係ない。才能があっても無くても、プライドがあっても無くても、ステージに出るまでに、様々な恐怖が付き纏う。
人前に出るのが怖い、ってヤツもいる。まだ納得していない演奏をしたくない、ってヤツもいる。何が怖いのかもわかっていない、ってヤツもいる。
「でも俺たちは、その恐怖全てを振り払って、ステージに立たないといけないんだ」
それが、演奏家の役目だから。
「お前はここまで頑張ってきただろ。なのに、ここで蹲ってそれで終わりでいいのか? 今までにしてきた、重ねてきた努力が、全部無駄になるんだぞ」
俺は、知ってる。
苦しんで、苦しみ抜いて、それでも鍵盤から離れずに、練習し続けた和奏を。
ずっと、隣で見てきた。
「お前は過去の自分を、苦しみ抜いた自分を……追いつこうと努力した自分を、見捨てることになるんだぞ」
和奏は微かに顔を上げる。そして情けない顔で俺を見た。
だから俺は、手を差し出す。
「お前のいていい場所は、ここじゃないだろ。俺は、ステージの上で輝く和奏が見たい」
しばらく和奏は俺の手を見つめて……そして、小さく笑った。どこか嬉しがっているような、悲しんでいるような、そんな色を混ぜた瞳だったように思う。
すると和奏は、立ち上がった。俺の手を使わずに。宙を舞う俺の手に構わず、和奏はパッ、と軽い身のこなしでドームの外に出た。
慌てて俺がそれに続くと、和奏はドームの外の出っ張りに手をかけ、足をかけ、着々と上に登っていっていた。
「……和奏、何してんだよ」
「ちょっと待って!! もうちょっとで上に着くからっ……と!!」
和奏は上に着き、グーッ、と伸びをする。風が吹き、和奏の髪を揺らした。
「……もー、千秋はズルいなぁ……千秋にそう言われちゃ、私はステージの上で輝くしか選択肢が無くなっちゃうんだよね」
「何だよそれ……人のせいみたいに言うな」
「逆だよ逆。感謝してんの」
和奏はニシシ、と笑い、柵をしっかり握って、そして俺の方へ身を乗り出す。
「千秋!!」
「……何だよ」
戸惑う俺に、和奏は笑って言った。
「私、千秋のことが好き」
俺は、目を見開く。すると和奏は、あっ!! と思い出したように付け足した。
「ライクじゃなくて、ラブの方の好き、なんだからね!!」
和奏はいつもの調子で笑っている。笑っているが、その頬の色や潤む瞳から、恥ずかしがったり、緊張しているのがわかる。その緊張が俺にまで伝わってきて、俺まで恥ずかしくなってきた。
「……ごめん」
そして俺は、ただその一言だけ呟く。
「俺も、好きな人がいるから」
すると和奏はまた笑った。そこに嬉しさや悲しさは無かった。何と言うべきか、この感情は。
……喜び、だろうか。
嬉しさとはまた違う、喜び。
「うん、知ってた」
和奏はぴょんっと飛んで、下に降りてくる。所詮子供の遊具だ。高校生の俺たちがあそこから飛び降りても、よっぽどバランスを崩さない限り怪我はしない。
「……だって、ずっと見てたもん」
えへへ、と和奏は笑った。それに対し、俺は何も答えられない。和奏の気持ちに、俺は応えられない。
それをわかっていると言うように、和奏は俺の横を通り過ぎた。俺が振り返ると、和奏も俺を振り返っている。
「私、演奏するよ。あのステージで、輝いてくる」
だから、と和奏は言った。
「聴いててね。千秋のために、弾くよ」
俺は、黙る。そして、頷いた。すると和奏は笑う。
「ありがとね」
和奏は歩き出し、それから再び立ち止まって振り返った。
「そうだ!!」
「うわっ、何だよ急に」
突然のことに思わず後ろに踏ん反り返ってしまう。和奏は俺に人差し指を突きつけた。
「こういうの言うの、すっごい癪なんだけど!!」
「お、おう……」
癪なら、言わなければいいのでは、とも思ったが、今その言葉を挟む隙は無かった。和奏はその人差し指を下ろしてから言う。
「その千秋の好きな人も、千秋のことだいぶ好きだよ!!」
その言葉を脳で処理するのに、だいぶ時間がかかった。そして。
「はぁっ……!?」
思わず変な声が出る。俺の好きな人も、俺のことが、だいぶ好きって……は!? というか……!!
「お前、俺の好きなヤツ……」
「知ってるよ。知らないとでも思った? 近くで見てて、バレバレなんだって」
「それキャンディにも言われたんだが……」
俺は思わず額を抑える。え、じゃあ、ゼンも、俺のことが、好っ……って、いやまさか、そんなことっ……!!
「……だから、早く付き合って早く爆発しろ!! リア充!!」
その言葉に俺が顔を上げると、和奏はべーッ、と小さな舌を出して笑い、駆け出していた。俺は赤くなった頬に意識を向けつつも、彼女の背中を追う。……何だかんだ、和奏は立ち直ったようだ。
そして俺は、それを見届ける義務がある。




