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第14話「証明開始」④

「……でも、嬉しいなぁ」

「え?」

「アキがそうやって、また自分からピアノを弾きたいって言ってくれることが」


 ゼンはそう言って振り返り、笑った。その横顔は真っ赤な夕日に染まっている。金髪がかった茶髪がキラキラと輝いていた。


「……何でそれで、お前が喜ぶんだよ」

「アキの、ファンとして?」

「いや、俺に問われても」


 俺はそう言ってから思わず目をそらし、ゼンの隣に立って歩く。ドキドキするが、悪い気はしない。まるで何度も気持ちを確かめているようだ。この鼓動を。このときめきを。


「でもアキ」

「ん?」

「ずっとそれ、俺に言いたがってたの?」

「……ああ」


 俺は頷いてから言う。


「……ほら、前お前に、その……何かあったら、俺に一番に言ってほしいって言っただろ。だから俺も、こういうのはゼンに一番に言ったほうがいいかなって思って……」

「ああ……そういう……」

「……後は……」


 俺は息を呑み、グッ、と、腹に力を込めて少しだけ勇気を出して言った。


「……俺が個人的に、お前に一番に、言いたかった」

「……え……」


 ゼンの戸惑ったような声が聴こえる。一度出した勇気は、あっという間にその一声でどこかへ飛んで行った。


「おっ、お前にはっ、その……話、聞いてもらったし。つまり、ピアノを再開するきっかけになった、から、俺のピアノ、好きって、言ってくれたし……だから、お礼も兼ねるっつーか……」

「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ……」

「なっ……何だよ……」


 ゼンは盛大なため息をついてから、何故か俺から目をそらすようにしている。口を左手で抑えて、何かを言うのを堪えているようだった。ゼンの方が背が高いため、その表情はよく見えない。


「……も〜〜〜〜っ……やっぱアキ、ズルい……」

「……だから、何がだよ……」


 ゼンが俺を見る。その頬は少し赤く、少し真顔で、俺のことを見つめていた。何となくその瞳が熱を持っている気がして、ドキン、と心臓が音を立てる。

 思わず立ち止って、ゼンも立ち止まる。しばらく無言で二人、見つめ合った。何か言おうと口を開けば、この時間が終わってしまう。わかっていたのは、それだけだった。


 耳元で、心臓の鼓動が聴こえる。俺の気持ちを教えるように、早く波打っている。うるさいな。もう、もう知ってる。もう知ったよ。俺の気持ちは、もう気づいたよ。


「……アキ」


 先にその沈黙を破ったのは、ゼンだった。そう呼ばれ、俺の心臓がまた音を立てる。立ててから、思わず俺は今の状況も忘れて不思議に思った。何だか、違う。何かが違う。この心臓の音は、嬉しいとは少し違う。

 何だか、痛い。好きだと気づく前の、あの感覚に似ていた。


「……ありがとね」


 その声で、再び俺はハッとなる。それから言った。


「……いや、ありがとうって、何の話だよ」

「んー、何となく。……俺を、一番の拠り所にしてくれたんだなーって、思ってさ」


 思わず変な声が出そうになる。いや、間違ってない。間違ってないが。そう改めて、しかも本人に言われるのは、なんとも恥ずかしい。穴があったら入りたい。


「……あれ、アキー。今の、否定するとこですよー」

「……別に、間違って、ねぇし……」


 ……いや、恥ずかしい。自分で言ってアレだが、本当に恥ずかしい。もう限界だった。俺は踵を返し、歩き出そうとする。すると──。



 ──グイッ、と、腕を引かれた。



 思わず顔をしかめてしまうほどの強い力で。顔をあげると、ゼンの真顔が目の前にあった。眉はひそめられており、どこか悲しくて、苦しそうである。その顔を見て、俺はその痛みさえ忘れた。


「……ゼン……?」


 俺が名前を呼ぶと、ゼンはハッとしたように目を見開いた。そして俺の腕を掴む手に気がつくと、慌てたようにバンザイをする。


「ごっ、ごめん!! 急に……あはは、俺、何やってるんだろ……痛くなかった?」

「す、少しは痛かったが……別に、お前が気にするほどじゃないから、大丈夫だよ」

「……ほんとごめん」


 ゼンの顔が、また少し暗くなった。心なしか、青ざめているようにも見える。俺は思わず不安になって、その顔を覗き込むように見上げた。


「……大丈夫だって」

「……うん」


 俺が念を押すと、ゼンも少し微笑んで頷く。とりあえず、暗い顔はどこかへ行った。そのことに、ため息が出るほど安心してしまう。……他のやつじゃ、きっとこうはならない。


「ほら、キャンディの練習見に行くんだろ。早く行こうぜ」

「……そうだね」


 俺が歩き出すと、ゼンも俺の隣に並ぶ。俺がその横顔を見上げると、ゼンはどうしたの? と言って笑った。何でもねぇよ、と返しておく。思わず照れてしまって足早になると、そのペースに遅れたゼンは、小さく呟いた。


「……勝手に動くなよ、俺の体……」



 そしてそんな俺たちの光景を、遠くから見つめる人影があった。その人物は、持っていたチラシを、手の中で握り潰す。それから身を翻し、反対方向へと歩き出した。





 家に帰った俺は、あの部屋のドアの前に立つ。しばらく深呼吸をしていると、途中で春万に、明日は一緒に学校に行こうね、と誘われた。約束するよ、と返してから、改めて深呼吸をする。

 そして手を出し、ゆっくり、優しく、軽く、まるで鐘を突くかのように、柔らかな音を響かせる。


 ──コンコン。


 俺のノックの音が響いた。しかし、部屋の中から返事はない。わかっていたことだ。だが、構わずに俺は口を開く。


「……俺はあの日から、ピアノを弾くのが怖かった。お前の息子だってだけで後ろ指をさされて、ピアノなんて、音楽なんてクソ喰らえと思った。ピアノをやめて、音楽を嫌って、それで、平和だった。あの世界から出れば、アンタを知ってる人なんて少なかったからな」


 でも、と言って俺は拳を握りしめる。手に入れた勇気を、抱きしめるように。


「……それを、俺に許してくれない人がいた。どれだけ俺が拒んでも、扉を叩いてくる人がいた。壊そうとして乗り越えて来ようとする人がいた。そこまでして、俺のことを迎えに来てくれた人がいた」


 ゼンの顔を思い出す。もう学校も終わったのに、わざわざ着替えて来てくれたあの日を。俺がパーカーのフードで顔を隠しても、何も言わないでくれた優しさを。


「俺のピアノを、好きだって言ってくれたんだ。アンタみたいに、誰かを不幸にしてしまうかもしれないって不安になっていた俺に、俺のピアノを聴くと幸せになるって、言ってくれたんだ」


 言いながら、泣きそうになってくる。どれだけこのドアの向こう側を恨んだだろう。どれだけ悲しんだだろう。今は、その気の一切も起きることがない。


「……本当に、迷惑なやつで。いくら嫌だって言っても、一つも言うことなんて聞いてくれねぇ。ただ真っ直ぐな笑顔で、俺に手を貸してくれるんだ」


 その瞳に、何度救われただろう。

 その手に、何度支えられてきただろう。


 彼の全てに、何度恋をしただろう。


「だから俺は、ピアノを弾くよ」


 助けてくれた彼のために。俺の幸せや意志を尊重してくれた幼馴染みのために。俺はピアニストだと教えてくれた大人びた小学生のために。

 そして、あの日ピアノを弾くのを怖がった自分のために。


 もう一度。


「何があるかわからない。また傷つくだろう。でも、大丈夫だって、そう思えるんだ」


 確証もない。それでも、きっと俺はもう迷わない。死ぬまで、ピアノの傍に俺の全てがある。


 俺は、証明するのだろう。音楽は、こんなにも素敵で、明るくて、悲しくて、照れくさい。色々な宝物を隠していることを。

 俺のピアノを聴く全ての人に。そして俺自身に。


 俺の幸せを、証明する。


「俺は、アンタを越えるピアニストになる」


 もう一度、ドアをノックした。優しい音だ。とても心地良い。


「だから、聴いていてくれ」


 返事はなかった。わかってる。俺は笑って踵を返した。階段を上がって、自分の部屋へと戻る。とりあえず、意思表示が出来た。何度も自分に言い聞かせた。これで、意志が本格的に固まった。深呼吸をして、両手の拳を握りしめる。


 ここからは、俺の全てをかけた勝負だ。



 ──カタン。



 下の静寂の部屋では、その静寂を打ち破る微かな音がしていた。

 千秋の決意の回でした。高校生が出れるピアノのコンクールってどんなのがあるんだろう? と調べまくっていたのが懐かしいです。演奏動画を見たりしてそのすごさにひっくり返ったりしていました。「いつか本物のコンクールを見に行きたい」と当時の私が書いているのですが、結局まだ叶っていませんね。行ってみたいねぇ。

 あと作中で出した「新世界より」は、私が当時弾いていた曲ですね。私の場合はエレクトーン(電子オルガン)だったのですが。今の千秋にピッタリだと思い、そのまま選曲しました。

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