第12話「音を立てた無音」③
「ねぇ、今日、アキ休み?」
私──和奏は、ゼンにそう聞かれて顔を上げる。それからフイッ、と目をそらした。ぶっちゃけこいつはライバルだし、なるべく顔は合わせたくない。
「さあ? 知らなーい。一緒に登校してないしね。でも、一回家覗いたときは起きてたし、元気そうだったけど」
「……ふーん」
ゼンはそう言って、私の横の席に座る。
「……行き途中で会わなかったから、珍しいなぁって」
「……それは確かに」
千秋は、学校へ行くのは面倒くさがるが、一度行き始めたらちゃんと来る。もちろん時間は守る。忘れ物に気づいても、取りに帰らないタイプ。
……そんな千秋が、いつもの時間にいない、か……。
ガシャン、と耳元で音が聞こえた気がした。食器の、割れる音。……変に、胸騒ぎがする。
「……ねぇ」
「……うん」
私たちは、言い知れぬ不安を前に、顔を見合わせた。しかし、どちらも何も言わなかった。この不安を表す言葉を、私たちは持ち合わせていない。
そこでふと、私のスマホが震えた。一瞬止まってから、もしかしたら千秋からの連絡かもしれない、と思ってスマホを見る。そして。
「……何これ」
「……何、見して」
私が断る暇もなく、ゼンが私のスマホを奪い取る。そして私と同じように、目を見開いた。
あちゃあ、と心の中で呟く。ゼンが、無言で怒っているのが、わかってしまったから。
結果的にそれは、千秋からのメッセージだった。しかし、千秋からのものではなかった。
……私のスマホには、千秋が、傷を負って、弱った顔で眠っている写真が、届いたのだ。
シュッ、シュッ、と、規則正しい音が聞こえて目を覚ます。ゆっくり目を開き、俺はその違和感に気づいた。……両手を、両足を、拘束されている。しかしそれはロープなとではなく……枷のような、ものだった。手術台のようなものに寝かされ、ほぼ大の字と言える体勢にされている。指や口、ある程度の自由はあった。
それからハッとなる。そうだ、俺は、八遠にやられて……。
辺りを見回すと、それはどこかの廃墟のようだった。古びたコンクリートの壁に、割れた窓ガラスが目に映る。人目に付かなそうな場所だ。
「……ようやく起きたんだな。あまり俺を待たせるなよ、森下秋」
「……八遠……」
俺はそう呟いてから、彼の手に視線を落とす。彼の手には……大きなナタが、握られていた。どうやら先程の何かを擦る音のようなものは、これの刃を研いでいた音であるらしい。
……いや、この音楽の能力を使っていく周りの環境の中で、初めての物理武器なんだが。
そんなこの状況に似合わないことを考えていると、八遠はナタを肩に担いで言った。
「安心しろ。これで殺すわけじゃない」
「……」
「……いや、いっそ殺してくれた方がいいって泣き叫ぶようなことをしてやる。殺して下さいって言われても、そうしてやるものか」
八遠は悪どい顔で笑い、近くの椅子に座って俺の顔を覗き込むようにする。
「森下秋。俺はお前と、話がしたいんだ」
「……話……? というか俺は、森下秋じゃないんだが……」
「はは、そんな白々しいことを言って、ここから逃してもらおうっていう魂胆か? それで、はいそうですかって、逃がすわけ無いだろ」
……駄目だコイツ、話通じねぇし話聞く気もねぇな……。
「……話って、何の話だよ」
「はは、白々しい口調ばかりだな。……お前、まさか前世で俺に何をされたか、忘れてなんてないよな?」
……前世の記憶なんてないから、必然的に白々しい口調になるだけなんだが。そして全く覚えていない。そもそもそんな記憶存在しないのだ(二回目)。勝手に色々言われても困る。……森下秋、コイツを何か怒らせて恨みでも買わせるようなマネしたのか? こっちが被害被ってるんだぞ、おい。
八遠は俺に近寄ってくる。そして、ナタで俺の顎を持ち上げ、無理矢理彼の方向を向かされた。
「……こう見ると、本当に無様だな。森下秋」
「……俺は、森千秋だ」
「お前の名前なんて、どうでもいい」
八遠は真顔でそう言い放ち、更に俺の顎を持ち上げる。
「それに、言われなくても知っている。……有名人の息子だからな。お前は」
その言葉に。
……思わず、全身が石になってしまったかのように、固まるのがわかった。
すると俺の反応を見て、八遠はニヤリと笑う。
「お前が、森千秋が、音楽をやめた理由。……おかしすぎて笑えたよ。確かにお前に、音楽をやる資格なんて無い」
「っ……!!」
ドッ、ドッ、と再び心臓が重く音を立て、嫌な汗が頬を流れる。頭の中のパンドラの箱が、カタカタと音を立てているのがわかった。嫌だ、やめろ。それは、開けたらいけない。開ければ、俺は……。
……俺はっ……。
「……お前が、俺の、何を知ってるんだよッ……!!」
「言われたいのか? 近年稀に見るドMだな」
八遠は馬鹿にするように俺を笑い続ける。そして、俺の耳元に口を近づけ、言った。
言い放って、しまった。
「……森千秋。お前は〝死のピアニスト〟、森一冬の、息子だ。……そんなお前は、ピアノなんて弾いちゃいけないんだよ」
森、一冬。
それは、俺がこの世で一番忌み嫌う名で、この世で一番、聞いてきた名だ。
頭の中で、ピアノの音が鳴り響く。その音が俺を責め立てる。嫌だ、やめろ。聴きたくない……!!
「……安心しろよ。俺がお前を、開放してやるから」
そう言って八遠は、俺の顎に添えていたナタを、今度は俺の指に添えた。
「指さえなくなれば、お前は二度とピアノが弾けないだろ?」
その声が、その言葉が、俺の脳にじんわりと染み込む。波紋のように広がっていく。……そうだ、指さえ無ければ、俺は、もうどんなことがあっても、ピアノを弾かなくていい。ピアノから、離れられる。
……痛いだろうか。痛いだろうな。でも、この心の痛みがずっと続くくらいならば。
……いっそ……一思いに、〝ピアニストの森千秋〟を、殺してくれ。




