第12話「音を立てた無音」②
日も落ちきってしまったし、勇林の「不吉だ」という言葉も受けてテンションも下がったため、今日はここで解散となった。ちなみにハーブティはしっかりと全員で飲んだ。
街灯や家の明かりなどですっかり見えない、しかし一等星だけがそこに鎮座している空を眺める。何か星が動いてる、と思ったらただの人工衛星だった。
「……ピアニストは手が命、か……」
「え? 何か言った?」
振り返って和奏がそう聞き返し、俺は何でもない、と言う。そして拳を握りしめた。
……正直、その言葉は、俺が受け取っていいものではないと思う。もうピアノをやめた俺に、ピアノを捨てた俺に、その言葉を受け取る資格はない。手なんて怪我をしても、もう気にしない。……いや、完全に気にしないなんて、無理だとは思うが。
昔よりもずっと大きくなった手を、空に掲げる。今もピアノをやっていたら、この手で音楽を刻んでいただろうか。鍵盤の上を踊っていたのだろうか。
そこまで考えて、ふっ、と笑ってしまう。
タラレバの話をしてても、仕方ないな。
「……和奏」
「ん? なぁに?」
前を歩いていた和奏はクルッと振り返り、ニコッと笑う。後ろ向きで歩くと危ないぞ、と声をかけてから俺は言った。
「……俺がピアノをやめたことについて、どう思ってる?」
「……え?」
和奏はキョトン、としてから静かに考え込むように、顎に手を添える。そして返した。
「……私は、千秋のピアノが好きだから、またやって欲しいとは思うけどさ」
俺は、相槌を打つ。
「まあ、千秋がやりたくないなら、別にいいと思うよ。それが、千秋の幸せならさ」
そう言って和奏は、再びニコッ、と笑った。
「……千秋の幸せは、千秋自身が一番知ってるはずでしょ?」
「……」
……俺の幸せ、か。
俺の、幸せは……。
「にしても、どうしたの? 急に。ピアノ、また始める気になった?」
「……そんなんじゃねぇよ」
「ん、そっか」
和奏はそれ以上問ってくることなく、再び俺の先を歩く。縁石の上に乗り、両手を羽みたいに広げながらユラユラと歩いた。また危ないぞ、と声をかけておく。しかしまあ、車は全然通らないから、心配するのは捻挫だけだが。
「……でも私はさ」
「?」
「ピアノを弾いてる千秋、すごく幸せそうに見えるよ。例え本物のピアノじゃなくて、能力でも、すごく喜んでるんだと思う」
「……そうか?」
「そうだよ」
キャンディと同じように、キャンディと同じような表情で、和奏は頷く。
「千秋が、それを認めたくなくてもさ」
和奏は足を止めた。そして俺を振り返る。
「まっ! 私は千秋が選ぶ道ならなーんでも応援するからねっ!! 心配しないで、ドーンと構えておいてよ!!」
「うるさい。近所迷惑だろ」
「ひっど!! せっかく人がこーまで言ってあげたってゆーのにさー!!」
「ありがたいが、迷惑なもんは迷惑だ」
俺の言葉に、和奏はえーっ、と言ってからニシシ、と笑う。本当に昔から、何でも絵になる顔だ。こんな暗い中でもキラキラしてるように見えるし、これが和奏の魅力なのだろう。
そこでふと、和奏は俺から視線を外して空を見上げた。
「……でもまあ、千秋は最後きっと、私のことは選ばないんだろうね……」
「……え? 何か言ったか?」
上手く聞こえなくて俺が聞き返すと和奏は、何でもないよっ、と言う。そして歩き出すのに、俺は隣に並ぶのだった。
次の日も学校だった。……元々引きこもりだった俺が、昼は学校に行って放課後は……まあ、色々トラブルやら練習に付き合うやらで外をほっつき歩き回っているだなんて、よく体力保ってるな。いや、高校生となるとこのくらいが丁度いいのか? 確かに、引きこもってばかりだった頃よりは心地良く眠れている気がする。
……ゼンに会ってから、何もかも変わっちまったな。本当……。
俺はヘッドフォンで適当なラジオを流しながら、学校へ向かう。どうせ途中でゼンに捕まるから、それまでの暇潰しだ。興味のないニュースばかりで、暇潰しにもならないが。現代社会の時事問題を解くのには役立つ。
そこで俺は。
ゾワッ!! と背筋が凍るような心地がし、ヘッドフォンを外しつつ振り返った。
「っ……!!」
そこには、一人の青年が立っていた。俺と同い年くらいだろうか。俺を見て、薄く笑っている。ゾワゾワと、鳥肌が立つ。全身が、震えている。……コイツは、ヤバい、と、体が危険信号を発していた。
キャンディのお兄さんにも、ここまでの気迫は感じなかったのに。
「……意外と敏感なんだな。まぁ、そうでもないと、あの方の隣に立つ資格はない。……俺に早々に無益な殺しをさせないでくれて、感謝する」
「……何なんだよ、お前は……」
絞り出すように声を発する。口の中が渇いていた。ドッ、ドッ、と、心臓が脈を重く刻む。恐怖だ、と、思った。
これは、恐怖だ。
「衣川八遠」
きぬかわ、やえん、聞いたことのない名前だった。
八遠は、ニイッ、と唇の端を歪ませて言う。
「前世の名を、ヤーコプ・シルリバー。……愛しきMeister、ゼン・フロライトのたった一人の弟子だ」
ヤーコプ。
『……ヤーコプが日本に向かって来ているようだ』
『そうか……あいつが』
『私も気を配るが、ゼン。お前は特に気を配っておくべきだ』
『……うん、もちろん』
ヤーコプって、あの、ゼンと勇林が話していた……!? しかも、ゼンの、たった一人の、弟子……!?
反射的に、ほぼ無意識に、俺は足を一歩後ろに引いてから、背を向けて駆け出す。とにかく、コイツから離れてッ……!!
すると背中に、声がかかる。
「はは。馬鹿だな。こんなにお前に殺気を向けているやつに、背を向けるだなんて」
そして、次の瞬間。
耳元で、盛大な雑音が響いた。
「っ、かッ、はッ……!!」
心底、気持ちが悪い音だった。騒音、黒板を引っ掻く音、発泡スチロールが擦れる音、そんな生理的に受け付けない音を全て詰め合わせたような、そんな風に思ってくれたらいい。頭が、揺れる。奥底から、痛む。ずっと耳元で響くと、気持ち悪くて、吐きそうだった。
……音だけで、こんなッ……。
気づくと俺は、地面に倒れていたようだ。ぼやける視界の先で、八遠は笑う。
その手には、確かに、爛々と光を反射する指揮棒が握られていた。




