第2話「音域の化物」②
「──っ!!」
耳が痛い。鼓膜の許容範囲を完全に超えてる、いや、卓越してる。
「アキ!!」
「いっ……つ……」
と呟くが、そんな自分の声も歌声に阻まれて聞こえない。
段々頭がぼんやりしてきた。呼吸も、思考も、ままならない。
くっそ……ムカつくな……。
本当に、ゼンのことなんてどうでもいいが、こうしてやられっぱなしなのは腹が立つ。
だから。
膝をついて、立ち上がる。
その服装は前回と同じ、燕尾服。
目の前には、透明なピアノ。
軽く指を動かして、準備体操をする。
それから深呼吸をし、キャンディの方を見た。
指を鍵盤に乗せて、叩く。
ポーーーーーンッと音がして、キャンディの声がその音が響いていた瞬間だけ、聞こえなくなる。
ピアノの音は耳に心地よくて、でも俺の嫌いな音で。
声が聞こえる気がした。君になんて弾かれたくないと、そんな声が。
……俺なんかが、弾いてごめん。
でも、協力してほしいんだ。
スゥ、と息を吸って鍵盤を叩く。
このピアノの鍵盤は88個だけじゃない。無限にある。望めば、どんな音だって出せる。
……大丈夫、大丈夫だ。
そう、思うのに。
音が、出ない。
いや、出てはいる。ピアノ特有の音が響いている。
でも違う。
……これは、俺の音じゃない。
またキャンディの声が耳に入ってくる。さっきまで、あんなに気にならなかったのに。
やばい、指まで疲れてきた。目の前の、出すべき音が、見えない。
……やっぱり、だめか。
音楽が嫌いな俺に、答えてなんてくれないのか……。
指がもつれて、不協和音がその場に響く。
それだけで耳が痛かったのに、キャンディの声もしっかり入ってきてまた痛みを累乗してくる。
くそ、しっかりしろ。
一度背負ったことを、中途半端に投げるなっ……!!
意識が朦朧としてきた、その時。
「アキ!!」
ゼンの声が、聞こえた。
そっちを見ると、ゼンの真っ直ぐな瞳と目が合う。
「アキ、音楽は、強制じゃない!! 自分からやるんだ!! やりたくなきゃ、やらなくたっていいんだ!!」
やりたくなきゃ、やらなくていい。
その言葉が、俺の中の何かを軽くした気がした。
「アキ、君は、音楽をしたい!?」
音楽を。
俺が。
俺自身が。
どうしたいか。
俺は、少しも考えずに、答えを出した。
「わからない……」
でも、わからないから。
わからないから。
「答えを出したい……」
つまり俺は。
「やりてぇんだよ、馬鹿……!!」
答えを見つけたい。
俺のことを満たしているこの気持ちは何なのか。
熱くて、痛くて、どうしようもなくて、でも失いたくない。この気持ちを。
知りたい。確かめたい。
「じゃあ楽しめーーーー!!」
ゼンの声が耳に入る。
世界に、俺とゼンしかいない。
そんな錯覚に、囚われた気がした。
俺は倒れかけた体を、一歩足を前に出して、踏ん張って、前を向く。
指先が、熱い。
……ああ、嫌だ。こんな。
馬鹿みたいに、熱くなって。
こんなの、俺のキャラじゃないのに。
……こんなに、音楽って、楽しかったっけ。
キャンディがその場に膝をつく。
それを見届けて俺は。
意識を失った。
『……あき』
『……ちあき』
『……千秋』
名前を呼ばれて、ゆっくり目を開く。
そこは、灰色の世界だった。何もない、なんだか寂しい世界。
いや……何かはある。
大きな、なんの変哲もない、グランドピアノ。
『ようやく会えたな』
そんな声が聞こえて振り返る。
「……誰だ?」
『さぁな』
人影がある。誰かがいる。でも、顔が見えない。
その人物は、ピアノの前に座っていた。
すました顔をしていると、見えないのにわかった。
なんだこれ。変に、懐かしい。
名前がわかる。なのに、喉につっかえたみたいに、出てこない。
「お前は……!!」
思わず手を伸ばす。絶対に、届かないとわかっていて。
『俺が知りたいか?』
気づくと目の前に、そいつがいた。
びくっとなってから……俺は、ゆっくり、頷く。
『じゃあ俺のところに来い。大丈夫、お前なら届くよ』
「……どうすれば行ける?」
『そのくらい自分で考えろ。頭があるんだから』
コイツ……めちゃくちゃ上から目線だな……ムカつく……。
『……まあ、ヒントくらいは出してやってもいいか』
ソイツは笑って、ピアノの鍵盤を指先で叩く。
それだけで、世界に色がつく。この世界は灰色なのに、色がついた。
……コイツ……すごい……。
『ゼンを1人にするな』
「……ゼンを?」
『そうだ。……アイツといれば、アイツと戦っていれば、見えてくるものがきっとある』
ソイツは立ち上がって、俺の胸元を指先でトン、と叩く。さっきのピアノを弾くのと、同じように。
『そうすればいずれ、お前の知りたいこの気持ちも、わかってくるはずだ』
「……本当だな?」
『ああ、約束する』
ソイツの言葉は、なぜか信用できた。
だから俺は頷く。
ソイツは満足そうに頷き返し、言う。
『もう時間だ。超うるさく、呼んでくるやつがいるからな』
その言葉の通り、段々遠くから声が聞こえてくる。
アキ。
そう、俺を呼んでいる。
……アイツか……。
ここまで来てアイツに振り回されるのか、とうんざりする。でも気分は悪くない。
「また会えるか?」
『ああ、必ず』
「そうか」
ソイツは椅子に座り、ピアノを弾き始める。
『またな、千秋』
練習曲作品10第3番ホ長調。
通称、別れの曲。
「アキ〜〜〜!! 目ぇ覚ませってばぁ〜〜〜~!!」
「……騒がしいな……起きたよ……」
俺はそう言いつつ起き上がる。
それから俺は、少し違和感に気づいた。
……何か、夢を見ていたような……。
とても、懐かしいような、そんな夢を。
「アキ、何かおかしいとこ無い!? 体調悪くない!? 大丈夫!?」
「大丈夫だがお前の声が頭に響く……」
「ほらゼン、アキが困ってるでしょ。それに私が見るから離れて」
そこに新たな声が入ってくる。いや、散々聞いたばかりだが。
キャンディの服装は既にもう元に戻っており、髪型も再びツインテールになっていた。
「……つか、ここは……俺の部屋?」
キャンディがゼンを追い出してから俺の問いに答える。
「そーだよ。アキが倒れてから、ゼンがここまで運んだの。あんたのお母さん、ゼンにメロメロだったよ」
「母さん……」
まあゼンは顔はいいからな。顔は。
「……ゼン、今はああいう感じで元気だけど、あんたが倒れたとき、すごく取り乱してた。すごく、心配してたんだよ」
「……うん」
「まあ私のせいだけどさー……あんたあんまり無理しないでね? あんな感じに毎回取り乱されたらこっちも困るから」
「どんな取り乱し方だよ……」
俺が小さくツッコむと、キャンディは俺に近づき、額に手を添える。
「うん、熱は無さそうだね。しばらくは無理しないで、能力も使わないこと」
「……お前は医者か」
「いや、完全にヤブだけど。……これくらいさせてよ。最後に会ったのどれくらい前だと思ってるの?」
「いや知らねぇし……」
当たり前かのように前世の話をされても困るのだが……。
「……アキは、やっぱり強かったよ」
「え?」
「次戦うときは絶対、負けないんだから!!」
キャンディがそう言って部屋から出ていく。いや待て、次があるのか? 聞いてないぞ……。
そう思ってたところに、ゼンが部屋に飛び込んできた。
「アキーーー!!」
「うるせぇ……頭痛いだろ……」
「はっ!? やっぱり体調が……!!」
「お前のせいで悪化する」
俺はそう言ってゼンの頭を押すが、ゼンはびくともしない。
俺を抱きしめるその体は……小さく、震えていた。
俺を失うのが怖いと、そう言ってるように見えるのは俺の自意識過剰だろうか。
抵抗するのをやめて俺はゼンに体を預ける。
「……ゼン」
そう呼んでその頭の上に手を乗せる。
「……俺は、大丈夫だから」
「……うん」
ゼンがそう小さく呟く。
それから話し始めた。
「……俺、アキが傷つくのを見るのは、もう嫌だ」
「……あっそう」
「俺ね、アキが大事だよ」
ゼンがそう、なんの恥ずかしげもなく言う。
「アキが大事だから」
「……」
「……無理しないで」
お願い、と言われて、別に無理するつもりは毛頭ないし、頷いておいた。
ゼンは俺から離れ、床にあぐらをかく。
「……まぁ俺がいなければ、アキがキャンディに絡まれることもなかったんだけど」
「……そうだ、ゼン」
俺はふと思い出したというか、思いついたことを言おうと思ってその名を呼ぶ。
どうして自分がこう思っているのかわからないけれど、でも大事なことだった。
これを、言わなければ。
「お前が何かと戦ってるなら、俺も一緒に戦わせてくれ」
俺は、ゼンの隣にいなくてはいけない。
どうしてこう思うのか、本当にわからないけど。
これが俺にとって必要なことなんだ。
「だめだ」
答えは、すぐに返ってきた。
その答えに俺は、顔を上げる。
ゼンは暗い顔をして、俺と視線を合わせないまま言った。
「だめだ。アキには、戦わせない」
俺達の間に、少し亀裂が生じた気がした。
キャンディちゃん、お気に入りです。




