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第10話「オーストリアの歌姫【前編】」①

「……おや、気配が消えてる。……逃げられたか」


 男は一人そう呟き、楽しそうにニコニコと笑う。そして近くにある部屋に入った。

 そこでは、一人の少年が楽しそうに椅子に座り、足をブラブラとさせていた。少年は男の存在に気づき、顔を上げる。


「あ、お兄さん。どうしたの?」

「やぁ。……ここに三人のお兄さんとお姉さんたちが来なかったか? 一人は、僕の妹なんだけど」

「……ううん。来てないよ」

「そっか……」


 男はその笑みを絶やさないまま言った。


「……シラきってるんじゃないよね?」


 男からは、不思議なオーラが溢れていた。あっという間にその場を緊張感が覆う。一方少年は、そんなものに全く気づかないと言うように笑った。


「何の話?」

「……まぁ、いいや。どうせ直に迎えに行くし」


 男は緊張感を解いて、今度は優しげに笑う。しかしその不穏な言葉に、少年はわずかにぴくりと眉を動かした。そして男はそれを見逃さなかった。


「……ふふ、どうしたの?」

「……僕、お兄さんのこと、何て言うか知ってるよ」


 少年は男を不躾にも指を指して、言う。


「シスコン」

「……可愛い可愛い妹なんだ、当然でしょ?」


 しかし男は微塵も同様せず、少年の手をゆっくり握って下ろさせた。そして少年に向けて口を開く。


「……君が早く、前世のことを思い出してくれたらいいんだけどな……丸石勇林くん?」


 その言葉に少年は……勇林は、ユーリス・サーストンは、本当に僕にも前世があるのかなぁ。と言って、白々しく笑った。





 『コン・アニマ』に捕まって、その次の日。俺……森千秋は、普通に学校に来ていた。


 あの後、トンネルを進んでいくとそれは地下水道に繋がっており、近くの梯子を登り、マンホールから地上に出た。……正直めちゃくちゃ臭いとかがキツかったし、二度と入りたくない。

 不自然なほど動揺し、ゼンにピッタリとついて離れなかったキャンディはゼンに任せておいて、俺と和奏はそこで二人と別れた。


 キャンディのことは気になってたし、今日の学校でゼンに聞こうかと思っていたんだが……。


「……は? 休み?」


 思わず俺は一人で声を上げる。クラスメートの柊木麻冬と話していた和奏が俺を見た。


「何何? どうしたの?」

「……いや、ゼンが、今日休むって……」

「クソほどどうでも良かったわ」

「俺はキャンディのことをアイツに聞きたかったんだよ」

「あのおチビちゃんのことなら尚更どうでもいいわ。……ま、でも、あいつはあんなんで結構強いし、今度会う時にはケロッとしてるわよ」


 和奏はそう言って俺の前の席にドカッと座る。おい、そこの席のやつが困ってるぞ。


「千秋が心配しなくても大丈夫だって」


 和奏がそう言って笑う。俺はジッとその顔を見つめてから言った。


「……お前、アイツらのこと信用してるんだな」

「……はっ? えっ? 今のどこにそんな要素あったの? え? 私てっきり、お前って優しいんだな的展開求めてたんですけど?」

「和奏は元々優しいだろ」

「やだキュン……って違うから!! 私本当にあいつらのことなんてどうでもいいだけだから!!」

「はいはい」

「もー、千秋!!」


 和奏が顔を真っ赤にしながら俺に叫ぶ。朝から元気だな本当。先程まで和奏と話していた柊木も、元気ですね、和奏ちゃん……と半ば呆れ気味に呟いている。


 話も落ち着いたところで俺は再びスマホを見る。そこには依然としてゼンから来たメッセージ……『俺今日休むから、次行った時ノート見して!』という文面が映し出されていた。





 で、何で休みなんだよ。と俺は昼休みにゼンにメッセージを送った。するとほぼ即レスで、昨日のことあったでしょ? と返された。

 昨日のことって、キャンディか? と送ると、YES! と目が少女漫画並にドデカいクマが親指を立てているスタンプが送られてくる。何だこのスタンプ。


『キャンディが心配でさ、ちょっとキャンディのこと見張ってんの。本人に言ったら怒られるだろうけどさ』

『見張ってる?』

『うん。キャンディは今日普通に学校行ってるからね。俺が休んだの』


 その何とも言えない異質さに、俺は首を傾げた。心配だと言っても、わざわざ学校まで休んですることか? ……それくらい、ゼンはキャンディが大切なのか。

 ……また、ズキン、と心が痛くなった気がした。


 すると画面がパッと切り替わり、次いでコール音が流れてくる。滅多に人と電話なんかしない俺は、咄嗟にスマホを投げかけて慌てて抑えた。そしてそのディスプレイに表示された名前を見て、息が止まるような心地がする。

 ゼンから、電話だった。


「……も、もしもし……」

『あ。アキ。電話出るの遅かったね』

「……滅多に人と電話しないから、どうやって出るか忘れたんだよ……」

『あはは。アキ、友達全然いないもんねぇ』

「うるせぇ」


 俺がそう言うと、ゼンは電話の向こう側で楽しそうに笑う。


 ……電話って……何か、変な感じだな……何というか……その……耳元で喋られると、ゾワゾワするっていうか……。


「……それで、何だよ」

『んー、ずっと突っ立ってるだけだから飽きたし……アキの声が、聞きたくなっちゃって』

「……は?」


 その言葉に、何故か心臓が跳ね上がる。何でだ。この感覚は、あれだ。……ゼンが俺の近くにいて、俺に笑顔とかを見せた時、落ち着かなくなる、あの感覚と……。

 ……今ゼンは近くにいないのに、何でだ? やっぱり原因は別なのか?


「……キャンディは、どうなんだよ」

『一応普通に学校行ってるけど、やっぱり元気はないね。……昨日のこと、相当響いてるみたい』

「……昨日のことって、アイツの、お兄さんのことか……? 兄なのに、何であんなに動揺してたんだ?」

『……お兄さんだからこそ、なんだよねぇ……』


 ……やっぱり、この言い方、ゼンはキャンディが何であんな状態になってるのか、知ってるんだな。


「……何があったんだよ。前、キャンディに」

『……』


 ゼンは黙る。そして、向こう側で小さく笑うのがわかった。


「……何だよ」

『ううん。……アキが、心を開いてくれるようになったなぁって思って』

「なっ……」


 そう言われると普通に恥ずかしい。心を開いたって……それは、最初にくらべたら、そうかもしれないが……。


「……んなこと、どうでもいいんだよ。いいから、キャンディのことを……」

『ああ、うん。そうだね……。これからお兄さんもアキに関わってくるかもしれないし、話しておくか……』


 そう言ったゼンの言葉の続きを待つ。するとゼンは、あっ! と突然叫んだ。耳元で叫ばれた俺はその声が響いて思わずスマホを耳から離す。


「な、何だよ」

『ごめん俺ちょっと行くわ!! またかけ直す!! あっ、それか学校終わったらキャンディの学校とか家の近くとかそこら辺来て!! 俺どっかしらにはいると思うから!!』

「え? おい、ちょっ……」


 俺の戸惑いも虚しく、電話が切れた。ツーッ、ツーッ、と無情に鳴り響く音を聞きながら、俺はため息をつく。


 ……キャンディの学校とか家の近くって……アイツ、ストーカーみたいじゃねぇか……。

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