ひさめ巡洋艦戦記
昭和十八年、春。
南海の彼方、ある群島の北方にて、日本海軍機動艦隊は決戦を迎えようとしていた。
新鋭巡洋艦〈ひさめ〉は、戦艦や空母とは異なる静かな存在だった。
軽巡と重巡の中間にあるその艦は、公式には「第二種巡洋艦」と呼ばれている。
けれど、誰もがそう言った。「得体の知れない艦だ」と。
艦隊主力の陰に置かれがちなこの艦に、杉田大尉は就任して三ヶ月。
その間に砲術班の再編と主砲射撃訓練を繰り返し、ようやくこの艦の“性格”を掴みかけていた。
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一
「敵艦隊、進路〇八〇、速度十五ノットにて接近中――」
通信長の報が艦橋を走る。
杉田は第一艦橋の後方、測距所から海図上の方位を睨みつける。敵は予想通り、正面から南東に回り込む動き。
「主砲、前部二基に装填完了。距離一万六千――」
この艦〈ひさめ〉には、15.5センチ三連装砲が四基、計十二門ある。
重巡より小ぶりだが、その連射性は軽巡以上。しかも装填と旋回速度に優れ、間断ない斉射が可能だ。
「前部斉射、用意……!」
号令が発せられる刹那、右舷前方に、敵の水柱が立つ。
敵重巡の先制砲撃。さほどの精度ではない――が、侮れば貫かれる。
「一斉射、撃てッ!」
ひさめの前甲板、二基の三連装砲が火を噴く。
閃光と黒煙。軽快な装填音。そして十秒後――
「命中一、至近弾二!」
観測手の声に、艦橋がざわつく。
「砲撃精度、悪くない。よし、敵に近づくぞ!」
艦長・野田中佐の声が鋭く響く。
〈ひさめ〉の推進軸が唸り、35ノットの速力で前へ出る。
それは“巡洋艦”にあるまじき速さだった。
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二
「前へ出るぞ、ひさめが蓋をする。水雷隊はその内側から回れ!」
通信機を通じて、駆逐艦〈ゆらぎ〉、〈すずか〉が続く。
“斬り込み隊”が形成されていく――
この瞬間、杉田は理解した。
〈ひさめ〉は、艦隊決戦の「刃」だ。主力を守る盾ではない。
剣となり、雷撃を導き、敵を刻む。
敵艦は、旧式の重巡三隻と軽巡一隻。火力だけなら圧倒的だ。
だが〈ひさめ〉の速力と、正確無比な射撃が敵陣形を崩す。
「敵軽巡、右舷へ離脱! 重巡、散開!」
「主砲、右舷斉射、間隔連射ッ!」
杉田の声が走ると、右舷の砲塔が火を噴いた。
連装高角砲もその背後で吠える。弾幕が空を裂き、敵の射線を断つ。
「魚雷斉射、〈すずか〉より発射!」
艦隊戦の最中、ひさめの右舷魚雷発射管からも蒼白い水柱が走る。
二発、三発、五発――
「命中! 敵重巡、一番艦大破!」
敵艦隊の先頭が傾き、火柱を上げた。
その瞬間、〈ひさめ〉は舵を切る。敵の懐へ滑り込むように――
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三
決戦は、開始から二十分で勝敗が決した。
敵重巡二隻は沈没、一隻が炎上後退。軽巡は追撃を振り切って撤退。
〈ひさめ〉は、主砲弾三発被弾、うち一発が艦尾近くに命中したが、致命傷には至らず。
「大尉、被害報告がまとまりました」
副官が言う。
「火災小、死傷者六名。主砲機構は全て使用可能。魚雷装填は完了済みです」
杉田は頷いた。
「……初陣にしては上々だ。いや、出来すぎだな」
ふと、視線を前に向ける。
煙の中から朝日が昇る。濃い灰色の海面に、霙のような雨が小さく散っていた。
それは、まるでこの艦の名を祝福するようだった。
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四(戦後資料)
「ひさめ型巡洋艦」は、軽巡でも重巡でもない“中量級打撃艦”として4隻建造された。
初戦において敵艦隊を主砲・魚雷で撃破した実績により、以後の機動部隊には必ず1隻以上が随伴した。
海戦における“刃”としての性能は高く評価され、後年の量産巡洋艦(あられ型)の設計基礎となる。