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墓守の中で

 こうして、わたしはヒデヒトの墓守(はかもり)をしている。

 それも長くなった。30年まではないが、それまでのいろいろをやめてからそのものを現すのは出来なくなった。やめてしまったものの中にすぐに勘定するクセも入ってるから勘定そのものはできないが、それでもそれに掌を置いてみるとそれまでのいろいろとやめてからのそれからと似た感じはするから、それくらいなものだろう。終めた(やめた)中にションベンを我慢するクセも入っているから、いまはもう膀胱は二つではなく当たり前の一つに戻っているのかもしれない。

 結局、牢屋の格子窓をションベンで溶かし脱獄するような荒っぽい真似は、あのときヒデヒトに「貢献できること」を尋ねられ、そのとき使ったあの一回っこっきり(いっかいこっきり)になってしまった。

 ヒデヒトと牢抜けしてからの30年、殺っている(やっている)のはヒデヒトひとりだから、わたしの持ち廻りはそのヒトの最期に向かい手向け(たむけ)片合掌(かたがっしょう)するだけ。それで、最期の(さいごの)片合掌(かたがっしょう)に使った腕は二度と動かない。使えない。放ったり捨てるわけにもいかないから、取り外し、背中の余った処を見つけ、くっつけていくしかない。

 新しいのが生えてくるまでの隻腕(せきわん)は不便だ。ヒデヒトもそれが分かっていたようで、次のが生えて手向けの片合掌できるまでま次のを殺らずに待ってくれていた。(ひもじ)くても待っててくれた。

 これも功徳かもしれない。

 背中に乗せた腕の数はハリセンボンのようになってるだろう。が、わたしは見えない。わたしが出来るのは、ただ、その重さに耐え兼ね背むし(せむし)躄り(いざり)を感じるだけだ。

 そのひとを前にしてわたしを横にしてヒデヒトはわたしの背中に埋まった片合掌を勘定してる。次のをはじめる前にする最初はいつもこうだ。ひぃ、ふぅ、みい、よぉ、いつ、むぅ、なな、やぁ、ここのつっ、とぅ、までの右の掌の指を10までいってかえってしたら、左掌の人差し指を1本たてて、次の10までの勘定に繋いでいく。これから殺る相手を待たせても、蠟燭で掌を冷た温かく固めるまでのこの厳か(このおごそか)を欠かすことはない。

 30年はそんなのの繰り返しだったから、それからの墓守りは始めたときから板についている。

 

 ヒデヒトの「このあたりでお仕舞いにしたい」が零れたとき、それが30年止められずに殺りつづけたことの仕舞いの御触れ(しまいのおふれ)なのだとすぐに分かった。上手く吐いてくれたものだと思った。こぼれたものが、都合何百(つごうなんびゃく)の稽古を経てきた舞台の上の(じつ)のような感じがした。

「もう、お前の片腕のっけるところないで、無うなってしもうたんや」

 と、己れが零したのをわたしに被けよう(かずけよう)とする。それは知ってる。とうに勘ずいてる。背むし(せむし)躄り(いざり)してるわたしの背中だもの。殺る(やる)度に、勘定する度に、掌に残った蠟の温みが冷めていくとき、それが仕舞いに向かってるくらい、とうに分かっている。厳か(おごそか)な勘定は終わったのだ。ヒデヒトは作業台を片付けるように、最期とはしなかった最後のヒトの縄を解く(なわをほどく)


 はじめてだった。

 シリアスでのしんみりがやってくる。3人いる舞台はわたしとヒデヒトの二人だけに戻った。

 それでもわたしは尋ねてみた。この前みたいに一緒に牢屋に入って、一緒に逃がしてやろうか、と。

 ヒデヒトは首を振る。お仕舞にするって言ったばかりなのに、それじゃ30年前(ふりだし)に戻るだけだ、と。

 ばかばかしくって笑うこともできやしない。ヒデヒトは笑った。わたしは微笑んだ。あるいは泣いていた。ふたりで笑うなんて初めてだと気付いたが、それを顔にも言葉にも表に出すことはしなかった。

 そうしてわたしたちはお仕舞いを舞った。

 舞はこきりこ節だった。拍子をとるササラはないが、デデれこデン、デデれこデンの調子ははじめから合っている。生来(せいらい)が背むしのヒデヒトと後生(ごしょう)で背むしになったわたしがかがんで対峙して舞うにはちょうどいい。

 デデレコデン、デデレコデンの合間の隙間に沢山の殺生が埋まる。マニ車のように廻ってく。いくらヒデヒトが大勢を殺ったからといって、天文学的数(てんもんがくてきかず)を操るチベットのマニ車には敵わない。すぐに達して、ポンと消えた。現のヒト(うつつのひと)というものは意外とあっけないものだと思った。

 ヒデヒトは此処にはいない。わたしはふたたび一人になった。

 いままでの因業を片付けなかればならないお上(おかみ)のためにお尋ね者の(からだ)は残ってはいたが、それは(むくろ)にすぎない。

 ヒデヒトの抜けた骸はヒデヒトが殺ったたくさんの余所さん(よそさん)と同じだ。わたしは立ち去る。ヒデヒトの所業を連れて山に入いる。


 

 百目蠟燭(ひゃくめろうそく)は難儀なものだ。

 毎朝の灯明のためにきっちり百匁で(こさ)える。起きてすぐする毎朝だ。墓守りといっても、ヒデヒトとヒデヒトが殺った骸(やったむくろ)が目当てでないから、各々(おのおの)が散ってるはずの漠とした西方(ばくとしたさいほう)に向かい、まだ練りたての温かさが残る(ヤツ)に灯す。

 丁度の百匁(ひゃくもんめ)を掌が覚えるまでは暫く掛かった。練っていくとヒデヒトのように両掌に蠟は残るから、その分を百匁に足した分量を溶かして練り上げるまでには修練がいった。

 こんなにまでなって、まだ修練だなんて。笑いたいが笑えない。一緒に笑う(やから)はいない。いないからの墓守りなのだ。

 こんなんならいっしょのお尋ね者は30年あったのだから、脇から覗くばかりでなく口を出して聞いておくんだった。しかし、わたしもヒデヒトもその場でなんの口をきいただろう。

 片合掌の引導渡す向かい側には、躯の中(みのなか)の血や肉を(うつつ)に引っ張り出すバイオレンスはない。その分それ以上に墓守りする()になっても筆舌に尽くしがたいで光景が小一時間流れるのである。

 丁度(ちょうど)百匁(ひゃくもんめ)掬いよう(すくいよう)を、わたしの尋ねる口もヒデヒトの答える口も持ち合わせてはいない。

 何時の世も誰の時代も今よりむかしの「あーだろ、こーだろ」は今にしか求め得ないものだ。


 今朝のかたちは(さま)になっている。もちろん百目蠟燭とそれが灯す灯明のかたちだ。白磁の長細い花器に載ったアーモンドの茜色がそのつぶらのままグラデーションを花開かせるのが理想だが、今朝はそれに近づけてる。


ヒデヒトとわたしの延々にお付き合いいただきありがとうございました。

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