滑稽列伝 優孟より 孫叔敖
孫叔敖は楚の丞相、賢人である。史記にはそう書かれている。むしろそうとしか書かれていない。
春秋左氏傳によれば邲の戦いで莊王の窮地を救い、淮南子によれば治水に功があったとされる。
莊王は孟子や荀子に春秋五覇のひとりと数えられる名君で「鳴かず飛ばず」「鼎の軽重を問う」などのエピソードで知られる。その覇業を支えたのだからなるほど孫叔敖は賢人であろう。
さて孫叔敖、姓は羋、氏は蔿、諱は敖という。彼の甥に蔿子馮がいて、彼もまた楚の丞相として名をあげた。彼らの一族は後に孫姓を称したので、孫の叔父の敖さん、ということで孫叔敖と呼ばれているのだろう。
彼は先述のとおり優れた人物であった。功があっても誇らず、位を賜ってもおごらず、よく施し、人を扶け、自重した。
「孫叔敖さま。うちの村で採れた野菜ですじゃ。どうぞお納めくだされ」
「これは見事な野菜だな。私ひとりではもったいない。国庫に納め、王に献じよう。感謝する」
「孫叔敖さま。視察に来て下さり誠にありがとうございます。ここから先はお車での移動ができませぬよって20メートルばっかしご足労いただけませぬか」
「承知した」
「孫叔敖さま。生活が苦しく、明日の食べ物にも事欠いております。どうか恵んで下さらぬか」
「民の困窮はひとえに丞相たる私の不徳の致すところ。家にあるものは好きに持っていくがよい」
故に貧しかった。困ったのはその家族である。
「父上。お加減はいかがでしょうか」
「私はもう長くはないようだ」
「そんな……」
床に伏せる孫叔敖を息子(一説には孫安という名らしい)が心配そうに看ている。
「私が死んだら、お前は必ず生活に困るだろうな」
「そ、そのようなことは」
覇王に仕える丞相の家。なのに部屋にはなにもない。
広い屋敷に机と筆硯、あと布団だけ。王から下賜された剣は許可を得て武人へ、玉は功績のあった部下に、書は優秀な若者へやってしまった。
「よい。ただ、もし本当にどうしようもなくなったら優孟に会いに行きなさい。そして孫叔敖の子と伝えるのだ」
「優孟さま?」
「左様。楽師の優孟だ。妻のこと。頼むぞ」
国に尽くし生涯を捧げた孫叔敖が死んだ後、残された妻と子は生活に困るようになった。
広い屋敷を引き払い、粗末な家に。絹の衣は麻に、粟は豆に。母もまもなく病を得た。
「母上。働きに行ってまいります」
「いつも済まないねえ」
毎日、薪を運んで働くもその日の生活費を得るので精いっぱい。
さらに日が経つと子も病を患い、いよいよ窮乏し、食にさえ事欠くようになった。
(父上)
子は己の不甲斐なさを呪った。隣では老いた母が咳き込んでいる。
栄養のあるものさえ食べさせることができれば治る。それだけなのに。
(申し訳ありません)
できない。金がなければ稼ぐ能もない。腕は骨と皮だけ。床に伏した父と同じくらい細くなってしまっている。
「そうだ」
ふと子は父の最期の教えを思い出した。背に腹は代えられない。朦朧とした頭で布団を抜け出し、都へ。
人目を避けるように小路をゆけば活気にあふれる市があり、おいしそうな食べ物が並んでいる。
じっと目をつむって大路へ。と、なにやら人だかりができている。
ふらつきながら輪に加わると、
「優孟さま。うちで採れた白菜ですじゃ。どうぞ、お納め下さい」
「へえ~。こりゃ立派なもんだ。野菜も育てるもんに似るんだな。どおりで歯が臭いってな」
「優孟さま。隣村のもんと村の境界線で争っておって、仲裁をお願いできませぬか」
「おいおい君。そんなようちなことで揉めるなよ。隣村のもんにも言っといてくれ」
「優孟さま。近頃山賊がでるのです。どうか討伐してくだされ」
「そりゃ大変だ。そうとおくないうちに掃討するよう進言しておくわ」
聞き覚えのある名がする。
(あれが優孟)
孫叔敖とはまるで違う。背が高くおしゃべりで、親し気な男である。
「お前さん。どうしたんだい? 随分顔色が悪そうだけど」
隣にいる男が声をかけたが、子は応えることなく道へ倒れこんだ。
「おい。君、大丈夫か」
優孟が人をかき分け、駆け寄る。
「優孟さま……」
「どうした?」
が、子は突っ伏したままなにも言えずにいる。
――いまここで父の名を出して物乞いなんかしたらどうなる。
落ちぶれた丞相の子を人々はどう思うだろうか。己が無能を嗤われる分にはかまわない。だが、もし、すこしでも父の不明とみなされたら。
(そんなこと……)
父は偉大だった。よく民を愛し国を治めた。そんな父が誇りだった。だからこそ、こんな不出来な子のために、死後その名に傷がつくようなことがあってはならない。
しかし、いまここでなにも言わなかったら母はどうなる? 失意の中、死なせてしまうのか?
自分の命だけなら惜しくはない。けど、母は……。
(いったいどうすれば)
老いた母。一国の丞相を支えた女の最期をあのような粗末な小屋で迎えさせてよいものか。
(すべて、私がいたらないばかりに!!)
涙がこぼれる。この涙を父が健在であるときに流せたら。子はそう思わずにいられない。
身を起こそうと地面に手をつき、体を起こす。その手はまるで父のようで……。
――ああ。この手はなんのためにあるのだ。
父の手はよく働く人の手をしていた。節々が固く、皮膚はボロボロでやせ細って、でも力強い。なのに、この手はそっくりなのに、たったひとりの母すらまっとうさせることができないなんて。
(父上。申し訳ありません)
ふと父の言葉がよぎった。いつも正しい父の言葉。虚ろな心はいつものようにその言葉に従い、言った。
「私は、孫叔敖の子です」
ざわざわ騒ぎが広がる。
(言ってしまった……)
これからどのような憐れみを受けるか。あるいは情けをかけられるか。その親切が刃となって心を斬りつける前に、子は身を伏せ丸く、額を地面にこすりつけた。
が、そうはならなかった。
「孫叔敖って誰だ?」
人々は孫叔敖を知らなかった。丞相の名を、これほどまでに国を栄えさせた男の名を、あろうことか誰も知らないのだ。
(そうか)
ただ子は知っている。父の偉大さを。だからこそ思い至る。
――功を成しても有せず
もし功を成しても「王のご意向によるものです」と慎み、あるいは「部下の手柄です」と譲れば、いったいどこにその名が残ると言うのだ。
公明正大であれば悪は栄えず、争う前に治めれば問題にならず。よく治まった国で賊がはびこることなどありえようか? そんな国で、名をあげる政治家がいるだろうか?
そして優孟も知っている。宮勤めで前任の丞相を知らぬわけがないし、
「おお、孫叔敖殿にご子息がおられたとは」
彼は賢人だ。賢人は賢人を知る。道隠れて名なしというが、掃き清められた道にも徳を見出すのが賢人だ。
優孟はそっと子を抱き起すと、その顔に青ざめた。
「お父上に似ておられる」
やつれた子の姿は、自らを顧みず民のために政務に励みやせ衰えた晩年の孫叔敖を彷彿とさせる。
「貴方にはいくべきところがあります」
彼は子とその母を自宅に招くと、食べ物や衣を与え、厚く遇した。
それから一年余りが経った。
宮殿では莊王が家臣らと酒を呑み、談笑している。と、そこへ優孟があらわれた。
「莊王。お引き合わせしたい人物がおります。いまよろしいか?」
「構わぬぞ」
盃を置き、身なりを正してまもなく、深衣を着た孫叔敖の子がやってきた。
「孫叔敖が生き返った!?」
莊王はおろか家臣一同が驚き声をあげた。
「こちらは孫叔敖殿のご子息にございます」
「おお左様か。まるで生き写しではないか」
莊王はしげしげと子をみつめ、
「その方はいまなにをしておる?」
問うた。子は畏れ多く答えられず、代わって優孟が答える。
「私のところで食客をしております」
「これは良いことを聞いた!」
莊王はうんうん頷く。
「実はいま、優孟を丞相の座につけてはどうかと、皆と話していたところだ」
「それは畏れ多い……」
「いやいや、お主ならば十分に務められよう。それに孫叔敖の子が補佐するとなれば、なんの憂いがあろうか」
「うーむ。しかしそのような大任、私に務まりますかいまひとつ自信がありません。妻にも相談してみますので、三日ほど時間をいただけないでしょうか」
「よいよい。良く考えてみよ」
ふたりは礼をして、辞した。
三日後。優孟は再び莊王のもとを訪ねた。
「して、返答はいかに」
「妻が申しますには……」
優孟は楽師としてのひょうきんな顔を引き締め、答えた。
「慎んでお断りせよと。そんなものは割に合わないと」
これには莊王も驚き、背筋を伸ばして訳を話すよう求めた。
「妻曰く。孫叔敖を御覧なさい。あれほど楚のために忠を尽くし、国をよく治めたにもかかわらず、いまその子はわずかばかりの土地すらも与えられず、貧困に窮して薪を運んで暮らしているではありませんか。これでは丞相になるなんて自殺するのと変わらない。と」
「それは……」
「莊王はご存じでしょうか。いま都ではこのような歌が流行っています。山で田畑を耕しても食べていけない。かといって身を起こして役人になっても、丞相の遺族ですら生活に困っているのにどうして暮らしていけようか。いっそ悪事に手を染めれば生活はできようが、そんな恥辱には耐えられないし、やがて捕まって一族郎党刑に処されてしまうだろう」
莊王は不覚を悟り、
「……優孟。よく申してくれた。忠言感謝する」
あらためて孫叔敖の子を召しだして、
「孫叔敖の功を賞し、その方を寝丘の地の四百戸に封じる。厚く祖廟を祀れよ」
父孫叔敖の労を労った。
子は母を伴って寝丘の地を訪れた。寝丘は楚でもっとも痩せた土地だ。
「お待ちしておりました」
だからこそ孫叔敖のことを知っている。貧者によく施し、荒む心に一灯をともした男の名を。
以降、十代にわたり孫の家は途切れなかったという。