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孝恵本紀 より 劉盈 その一

 劉盈(りゅうえい)。劉邦と呂雉(りょち)の長男。紀元前210年、泗水郡(しすいぐん)沛県(はいけん)豊邑中陽里の生まれ。

 この頃は秦の末期。まもなく始皇帝が崩御し、二世皇帝胡亥が即位する。父・劉邦は泗水の亭長(※十里ごとに設けられた亭の長。庄屋みたいなもの)を務め、母・呂雉は名士の娘である。

 

 ある日、呂雉が畑で草取りをしていると老人がやってきて「水を飲ませてほしい」と頼まれた。

 呂雉は快く老人を家に招き、器に水を汲んで与えた。


「いやあ、助かりました」

「いえ」

「おや、よく見れば貴方は貴人の相をしておられる」

「まあ、お上手ですこと」

「いえいえ。私は人相見として長いこと生計を立てておりますが、これほど高貴な相を持つ方には初めてお目にかかります」


 老人は劉盈を見つけ、


「どうやら貴方が貴人の相をしておられるのは、この子のおかげのようです。大事になさってください」


 微笑むと去った。


 紀元前209年に陳勝・呉広の乱が起こると、その影響は彼らの住む(はい)にも及んだ。(乱の発生場所・蘄県大澤郷と沛は現在の地図では隣接する市。といっても点でみれば130km離れている)

 沛の県令は反乱軍に同調するかどうかで悩み、部下の蕭何(しょうか)曹參(そうしん)に相談した。


「いま乱の勢いは盛ん。歯向かえば沛は灰燼(かいじん)に帰すでしょう」

「むむっ。それはいかん」


 ふたりの意見を容れた県令であったが、自らが表立って動けば反乱軍討伐後に禍が及ぶ。


「代理を立てるのがよろしいでしょう」

「相応しいものがおるか?」

「野に劉邦という男がおります。彼の者は人望厚く、此度の儀にうってつけです」

「よろしい。そのものを頭目に仕立て、反乱軍に協力するフリをさせよう」


 すぐに劉邦のもとへ使者が立てられた。が、


(いや、待てよ。そのような男を招いては、かえって我が身が危ぶまれる)


 県令は意をひるがえし、先んじて劉邦の家族、呂雉とその子ふたりを人質にとり身の安全を図った。

 これに劉邦は一計を案じ、民衆を(あお)って県令を殺させることで三人を救出した。

 こうして県令に成り代わった劉邦は反秦軍へ身を投じる。


 劉邦は戦いで功を挙げ、紀元前206年、項羽によって漢王に封じられる。

 しかし呂雉ら家族は沛に留められた。項羽が劉邦を危険視していたので、あえて家族を遠ざけたのだろう。

 西楚の覇王を号した項羽はやがて諸侯の反乱を招いた。

 劉邦は当初こそ項羽に恭順の姿勢を示したものの、項羽が斉の反乱に手を焼いているのを見て牙を剥き、諸侯との連合軍56万人を率いて項羽の本拠である彭城(ほうじょう)(沛の南東に位置し、現在は同じ安徽省 宿州市に属する)を陥落させた。

 が、すぐに斉から戻った項羽に敗れた。紀元前205年4月。世にいう彭城の戦いである。

 敗走する劉邦は途中、沛に寄って劉盈と妹、ふたりの子を救出した。一方で呂雉と両親は楚軍に捕らえられている。(呂雉は紀元前203年9月まで虜囚の憂き目に遭った)

 一旦は助けられた劉盈であったが楚軍の追撃はすさまじく、劉邦に捨て置かれる。しかし夏侯嬰(かこうえい)に助けられ事なきを得た。


 紀元前205年6月。劉盈は太子に立てられた。5歳のことである。

 紀元前202年正月。劉邦は項羽を下して皇帝に即位し、呂雉は皇后に、劉盈は皇太子となった。

 紀元前200年。劉邦は自ら軍を率い、匈奴に寝返った韓王信と戦う。

 この頃、劉邦は劉盈の廃嫡を考えるようになった。

 劉盈は父に似ず、仁はあるが弱々しかった。天下はいまだ戦雲色濃く、治めるには強い統率力が求められる。替えて異母弟の劉如意(りゅうにょい)は劉邦によく似て英雄の風があった。

 劉如意の母・(せき)夫人の台頭を恐れた呂后は、兄の周呂侯・呂沢(りょたく)を留侯・張良のもとへ遣わした。


「やあこれは留侯殿。つつがなくや」

「ええ。周呂侯殿もお変わりなく」


 このとき張良は病気療養を理由に隠居生活をしていた。また淮陰侯・韓信とともに「韓信三篇」という兵法書を編纂したりしている。


「いやいや、近頃は心配事が多く難儀しておるところ」

「それはそれは……」

「本日参ったのはその件について、謀臣として名高い貴公のご意見を拝聴したい次第で」

「どのような件でしょうか?」

「おや、貴公もご存じでしょう? 近頃、陛下が廃太子をお考えの件です。仁政をもってせざれば、天下を平治するに能わずと申しますが、いったい劉盈様のどこにご不満なのか臣には計りかねるところ。あまりにも心配で夜も眠れませぬ。どうして貴公が枕を高くして眠ることができるのか教えていただけませぬか?」


 あからさまな挑発にも張良は涼しげである。


「世が乱れているとき、幸いにも私の策が用いられることもありましたが、いま天下は安定しています。陛下が太子を変えられたとて骨肉の間の話。臣がたとえ百人いたとしても策は用いられないでしょう」


 呂沢の多弁が火花なら、張良の返答は柳。


「では留侯殿。私のために策を立ててくださいませぬか?」


 呂沢が詰め寄ると張良の身がヂリリと焦げる。


「難しいですね」

「ここで、いくらでもお待ちします」

 

 これも政から身を遠ざけ、ひとり世俗から隠遁した報いか。

 観念した張良は策を授けた。


「陛下に招くことのできなかった賢人が天下に四人います。もし彼らを招聘することができたなら、陛下も考えをあらためるかもしれません」


 この四人とは、東園公、綺里季、夏黄公、角里のこと。商山四皓(しょうざんしこう)と呼ばれる。秦で七十名いた博士のうちの四人だという。


「そのような人物を招く方法がありましょうか?」

「玉や金、璧帛(へきはく)と劉盈様の書を持たせた使者を送り、固く請えば、応じるでしょう」


 呂沢は釈然としないが、そのまま呂后へ伝えた。

 呂后は劉盈のもとへ。


「盈。貴方が天下をよく治めるには賢人の助けが必要でしょう。聞けば商山四皓という賢人が山中にいるとか。ぜひ手紙を送ってみてはどうでしょう」


 劉盈は手紙をしたため、使いを出した。そして来た。


「お招きにあずかります」

「おお、これはこれは」


 商山四皓。迎える呂雉も呂沢も不思議だったろう。私利私欲で動くはずのない彼らが呂氏一族の保身に協力するとは。

 秦の(ろく)()みながら漢に降る不忠。皆八十を越えている。このまま隠れて餓死すれば伯夷(はくい)叔齊(しゅくせい)になれただろうに。なぜか?

 手紙。劉盈の誠意が四人の心を動かしたのだろう。

 彼らは良き師となり、劉盈を導いた。

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