滑稽列伝より 西門豹 その一
魏の文侯のとき(中国戦国時代初期)、西門豹という男がいた。
豹は鄴(※現在の河北省邯鄲市臨漳県の西。三国志的にはあの韓馥がいるところ)の令(※行政長官。江戸の三奉行に近い)に任じられると、さっそく現地へ赴いて長老に話を聞いた。
豹問:「なんか困ってることある?」
老曰:「河に住む神さまが、毎年妻を娶るので大変なのじゃ」
豹の眉がぴくりと動く。
「なにそれ? 詳しく聞かせてほしいんだけど」
「令の部下に三老というものどもがおってな、民に重い税金を課しておるのじゃ。納めた税金のうち二、三割くらいを神さまの結婚式にかかる経費として計上して、余ったら巫女と三老とで山分けして持ってってしまってのう」
長老は語気を強める。
「その上、神さまの妻にするから若い女の子を上納しろと言うんじゃ」
「若い女……」
豹の顔がみるみる赤くなった。長老はなおも続けて、
「かわいそうなことに連れていかれた女の子はお風呂に入れさせられ、新品の絹の服を着せて、河の近くの宮殿に住まわされるのじゃ。それからは毎日牛肉やらお酒やらを食べたり呑んだりのどんちゃん騒ぎで……」
悔しそうに言う。
「なんてひどい……」
若い女というだけでそんな贅沢な暮らしができるなんて。
――性差別。
この戦国の世にあってそんな差別が許されようはずがない。
怒髪冠を衝くがじっと堪えて、
「その後はどうなる?」
さらに尋ねた。
「十日余り経って血色がよくなったころ、お化粧をしてベッドにのせ、河に浮かべるのじゃ」
「河に浮かべてどうする?」
「だいたい十里くらい流されたところで沈むのじゃ」
ざまあみろ。豹の顔がほころぶ。が、よくよく考えてみるとそうではない。悪趣味極まりないではないか!
「つまりそんなつまらん見世物のためにお金と娘とが徴収されているのだな?」
「そうですじゃ。お金と人手と物資と時間とをつぎ込んでこんな催しを見せられる五重苦。それを年単位で繰り返すのでわしらは『五輪』と呼んでいましてのう。近頃はこれを嫌がって子どものいる家庭は遠くに引っ越しますじゃ」
「なるほど」
鄴は歴史ある都市だというのになぜこんなにも少子高齢化が進み過疎っているのか、理由を知った豹は大きくうなずいた。
「アホくさ。止めたら? その祭り」
しかし長老は首を横に振る。
「とんでもない! これをやらないと河の神さまが怒って洪水がおきるのじゃ」
「え、なんかそういう統計あるんですか?」
「三老がそう言うとりますじゃ」
自身の部下にあたる三老の悪行を知った豹はこれを懲らしめるべく、
「今度、その祭りやるときは俺も呼んでね」
一計を案じることにした。
さて祭りの日。豹は娘のいる宮殿を訪ねた。
「やあやあ、皆様お集まりで」
そこには三老をはじめ、主だった役人、金持ち、権力者が集まっていた。さらに宮殿の外には二、三千人の観衆が動員され、まさに街をあげての一大イベントの体を成している。
結婚式の首魁は三老ではなく齢七十にもなる巫女の老女で、きらびやかな衣装を着て、十人もの弟子を侍らせている。
「これは西門豹殿。よう参られた」
「ああ。今日は楽しませてもらうよ」
巫女が開幕の挨拶をすると、大工が飛んだり跳ねたり、珍妙な格好をした者どもが寸劇を披露した。
式はしめやかに進められ、いよいよ娘を河に流す段に差し掛かる。と、
「ちょっと待って。その娘、ブスじゃない?」
豹は驚いて娘の顔を指さした。
「そんなのを嫁がせたら河の神さまが怒るんじゃない?」
「そ、そうですかのう?」
この期に及んでそんなことを言われても困る。内心憤る巫女の背を、
「後日、もっとかわいい娘を送るから、とりあえずそう伝えといて」
ポンっと押した。
「ワシが、ですかの?」
「あなた巫女でしょ? ほかに誰がいるの?」
「いやあ、もっとほかの若いもんでも……」
「いやいや、こんな大事なことほかの人には頼めないでしょ。おい」
豹の部下の役人たちが駆けつけ、
「丁重にお送りしろ」
巫女を河に流した。
しばらく待ったが巫女は浮かび上がってこない。
「心配だなー。心配だなー」
豹は気が気ではなく、
「おい。巫女の弟子たち。様子を見てきてはもらえんか」
矢継ぎ早に使者を立てることにした。
「いやあ、巫女さまは話が長いのでそれで遅くなっているのかも」
「じゃあ、切り上げるよう伝えてくれ」
ひとり。だがこれも戻って来ず、
「次」
ふたり。結局、三人も流したが誰も戻って来ない。
「あ、もしかして、いま送ったの今年のお嫁さんだと勘違いしてる?」
老女もそうだが、流した弟子も全員女。もしや河の神さまはお愉しみなのでは?
「それは困る! 三老。いま送ったのは違うから返してほしいと伝えてくれ!」
「えっ?!」
部下に三老を流させてしばらく、河を眺めて見守っていたがなんの音沙汰もない。
(なぜ戻って来ない……?)
豹に焦りの色が浮かぶ。握り込んだかんざしがペキンと折れた。
「おい。どうして連中は戻って来ないんだ?」
しびれを切らして残る主催者たちへ尋ねると、全員がひれ伏し、頭を床に叩きつけ、
「わかりません!」
答えた。あまりにも強く叩きつけるので額からは血が流れ、青くなっている。
「そうか。もしかしたら神さまはどっちもイケる口だったのかもしれんな。盛り上がってるところに水を差すのも悪いし今日のところは引き揚げるか。なんかあったら使いが来るだろう」
式はこれでお開きとなった。
「君も帰っていいよ」
嫁ぐはずだった娘は、
「誰がブスじゃ!! ボケェ!!」
豹の左頬を張り倒すと、
「外見至上主義者め」
そう吐き捨てて去った。
男も女もない。老いも若きもない。河の神さまの多様性に感じ入った人々は以降、結婚式をやろうとは口にしなくなった。
一方で流された人々は河の神さまのもと、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。