王女、再び飲み会に潜入する
「マレーナ。アロイス王子が帰られるまで気を付けてね」
「大丈夫よお義姉様。私はっきり断ったもの」
「心配だわ。そんな急に肩を掴むような王子なんて。近づかないようにしてよ」
王太子宮の談話室で子どもたちと遊びながら、マレーナは義姉のユリアナと昨日あったことを話していた。昨日既に兄にも父にも連絡しておいたのと、連絡に来た近衛騎士からの報告があったのもあって、二人とも怒って直ぐに帰らせよう!などと言い出したのを一応止めたのはマレーナだ。どこの国も王都に二週間ほど滞在しているらしいのに一日で追い返すなど、国に帰って誇張されて報告されれば、インデスタ―王国が無礼な国として国際的に評判を下げることになるのを懸念したのだ。
そして今日義姉にその話をしたら、失礼で乱暴な王子だと言って怒り眉を顰め、危険だとマレーナを心配してくれた。マレーナがここに来たのも昨日のことがあって子どもたちと遊んで癒される為だ。
「ミカル。リンゴ食べる?」
「たべる~」
マレーナは小さく切ったリンゴをフォークに刺すとそっと差し出した。それをミカルがサクサクと美味しそうに食べている。自分と同じ髪の色と目。この子が次の王太子で国王だ。そう思うとこれから背負うものの大きさをまだ知らずにいる甥が、今だけはたっぷり愛情のみに溢れて生活して欲しいと願ってしまう。いずれは厳しい教育が待っているのだから。
「そうそう。夕食も食べて行くんでしょ?フレデリク様はいつもの皆さんと応接室で飲むから私たちだけよ」
「え?そうなの?あとで顔出そうっと」
「マレーナ。この前のようのなことはもうダメよ!コンラード様が驚いて腰を抜かしてらしたって聞いたわ」
「ふふふ。とっても気持ちよく寝てたのに叫び声で目が覚めちゃった。人肌を感じて眠るのって気持ちいわね。お義姉様もいつもあんな感じで眠っているんでしょ?いいなあ~」
「そ、そんな。夫婦だもの。一緒に眠るけど、あんなのはたまにしか着ないからね!」
「あら、誰も夜着の話なんてしてないわ。でもお義姉様は似合いそうよね。お兄様の趣味はどうかと思うけど。お義姉様にああいうのを着せたいって自分で買ってくるんでしょ?男の人ってみんなあんな願望があるのかしら?」
「それはどうかしら?私にはわからないわ。けど、フレデリク様がいつの間にか増やしているのよ。ああいうのがお好きな男性は多いのかもしれないわね。そうじゃないと困っちゃうわ」
「あはは。お兄様の趣味が少数派なのは嫌だものね」
「もう。マレーナってば」
そう言って頬を染める義姉は美しい。兄はこういう恥じらう妻を見たいのかしら?などと思いながら王太子宮での時間を過ごした。
子どもたちとの食事な慌ただしいが賑やかで楽しいし、義姉との会話も楽しくて、子どもたちを寝かしつけた後義姉と話していたらあっという間に9時になっていた。
「さて、ちょっと顔を出してくるわ」
「泊まるならいつもの部屋を使ってね。夜着は好きなのをクローゼットルームから持って行っていいわよ」
優しい義姉に頷くと夜着を一枚選んで客室に置いてから応接室に向かった。そしてノックをすると返事も待たずに扉を開ける。
「またマレーナか」
「お兄様。そんな言い方は酷いわ。私も混ぜてよ」
と言いながらも何食わぬ顔ですとんと兄の横にマレーナは座った。それに兄がワイングラスを渡し注いでくれる。
「飲み過ぎるなよ」
「ええ。大丈夫」
「おまえの大丈夫は当てにならない。なあコンラード」
「ゴホッ。ゴホッ。マレーナ王女殿下がそういうなら大丈夫だろ。僕が見ているよ」
「ほら。コンラードもああ言っているわ。はい。コンラードももっと飲みましょ」
マレーナは空になりかけていたコンラードのグラスになみなみとワインを注いだ。
「入れすぎだろ!」
「あら。どうせそのくらい直ぐ飲んじゃうんだから一緒よ」
そう言ってマレーナは笑った。
「マレーナ王女殿下。アロイス王子に絡まれたと聞いたが大丈夫か?」
テオドールが聞いてくる。
「大丈夫よ。妃になれ!って言うから、お断り!って言ったわ。王妃になりたくないなんて信じられないって感じだったわ。私は王妃になることよりこの国を良くしたいの。もっと安心して暮らせる国よ。大きな野望だわ。
あんなろくでもない王子に邪魔されたくないの」
マレーナはチーズをつまむとワインを口にした。
「だってね、降嫁して臣下になるより王妃になる方が良いだろって言うのよ。そんなの良いかどうかなんて行ってみないとわからないじゃない。どこの国の王女も他国に嫁いだからって幸せかというと違うかもしれないでしょ?
国益の為に政略結婚するわけだし、王太子に既に愛妾がいて王女の方を見てくれないかもしれないとか、王妃になったらなったでお飾りにするような国もあるかもしれないじゃない?
王妃ってなり方によっては魅力はあるけど、悲しい面もあるってこと。あくまでも政略的なもので、嫁いでも自由も楽しみもないとか。それを理解しないで嫁ぐと良いことないわよね。遠くに嫁いだらもう戻れないかもしれないし。
私だって父から友好関係を築く為に嫁いでくれって言われたらどこにでも行く覚悟はしていたけど、行かなくて良いって言うなら行かないわ。
父に私が国に残って国民の為になることをする方が国益だと言われたんだからその期待に応えないと。既にやりたいことがたくさんよ。だからお断りよね。
クレメンタール王国の国民に尽くしてくれ、みたいなことを言ってたけど、あの王子だと私がやりたいような政策をさせてくれるかもわからないし。それよりもインデスタ―王国の国民が大切だわ」
マレーナは一気にワインを飲み干した。そこに兄がまた注いでくれる。
「そうだよな。しかもクレメンタール王国はかなり遠いんだよ。船を使っても一か月以上かかるかな。陸路だとニか月か。そんな遠くには出せないな」
「ありがと。お兄様。頼もしいわ」
「マレーナ王女殿下は婿をもらうことになるから良い相手が見つかると良いな」
「テオお兄様ありがとう。でも頭の固いお婿さんはいらないわね。私が自由に仕事をして、お婿さんも自由に仕事をして、それでいてお互いを支え合えるような人が良いわ。難しいかしら?」
「難しくはないさ。お兄様がちゃんと見定めてやるからな」
「ふふ。見定め過ぎて婚期を逃す、なんてことにならないようにしてよ」
「フレデリクならそれもあるな。陛下もそうだろうし」
そう言ってテオドールが笑い、兄も笑った。しかしコンラードは笑っていなかった。
「コンラード、どうかした?」
「え?いや悪い。ぼうっとしてた。酔ってるのかな?」
そう言って頭を掻いている。
「まだまだ時間はあるぞ」
兄が全員のグラスを新しいものにすると別のワインを注ぎ始めた。
「これは一番南の王家の所領にある山沿いに作った葡萄畑の葡萄を使って作ったワインなんだ。そこの領地の特産品を作りたいと領地の責任者と7年前から話していてね、元々植えてあった葡萄は周りの地域でも収穫できるものだから、ワイン作りに適した品種の葡萄の栽培に切り替えて、やっと今年から出荷できるようになったんだよ。それが昨日届いたんだ。飲んでみてくれ」
兄が嬉しそうに勧めてくる。
「お兄様が学園生時代から任されていた所領ね。ついに良いワインが完成したってこと?」
「まあ良いから飲んでみろって」
マレーナは言われて口に含んでみた。
「美味しいわ!ちょっと辛口で、でも最後にフルーティーな香りが残るのね」
「確かに旨いな。まだ浅いが浅い方が旨いワインか」
「そうだな。白だから出荷量にもよるが、海沿いの国に売れるレベルだな」
「大変だったんだよ。二種類の葡萄を掛け合わせて、肥料にも拘って、浅くても美味しいワインにしたかったんだ。庶民でもちょっと頑張れば手に入るような。出荷量は今年は無理だが、再来年辺りから少しずつ輸出を考えているんだ。畑もかなり広くなってきたし」
兄が自慢気だ。自分たち兄妹はこうやって国の為になることを色々試して来た。兄のその一つが日の目を見ようとしている。
「じゃあ今年は国内のみ?」
「ああ。そう簡単に輸出はできないよ」
「そっかあ」
そんな話をしながらスルスルとワインが入って行くのを感じながらマレーナは幸せを嚙みしめていた。
コンラードといられるならどこでも良い。二人きりじゃなくても構わない。
父によって決壊された思いは溢れ出しとどまることを知らないかのように流れ続ける。もう遠くに行くのを覚悟していた自分ではないのだ。コンラードと一緒にいたいと言えるようになった。
コンラードに選ばれたい。そんな目でコンラードを見つめていたらふと目が合った。するとコンラードがサッと視線を外した。それにマレーナは衝撃を受けた。いつもならどうした?とか聞いてくれるのに、と。マレーナも気まずくなってテオドールを見ると苦笑していた。
「どうしたの?テオお兄様」
「いや。マレーナ王女殿下は今日も美しいなと思ってね」
「ふふ、でしょ?自分でもそう思う。毎日磨いてるもの。女性はみんな大変よ。美しくあろうと色々しなくてはならないから。誰かさんと違ってテオお兄様はきちんといつも褒めてくれて嬉しいわ」
「ぼ、僕だってマレーナが綺麗なのはわかってる!」
慌ててたように立ち上がったコンラードが言って来るのにマレーナは驚いた。
「あ、ありがとう。どうしたの?」
マレーナはそのままこちらを見ずに座ったコンラードに声をかけた。
「何もない。そのまま言っただけだ」
「こらこら。誉め言葉をもっと上手く言えないのか?おまえは。困った奴だな」
そう言って兄が笑っている。
「笑うところじゃない!」
そんなコンラードを不思議そうに見ると、やっと目が合ったがまた反らされてしまった。そしてテオドールを見るとまた苦笑をしているし、兄は楽しそうに胡桃を食べている。
マレーナは変な光景だなと思いながらワインを飲み干した。
マレーナは湯浴みをし客室のベッドの上に座っていた。
今夜も楽しかった。よくわからないこともあったけれど、最後は楽しくみんなで話せた。こんな日がいつまで続くかわからないがやれることはやりたい。コンラードの目にずっと映っていたい。
そんな欲求がどんどん生まれて消えることなく溜まっていく。マレーナは自分はこんなに欲深かったのかと思い知らされた。ついこの前までは他国に嫁ぐことを覚悟していたのに今ではもう考えられない。自分の覚悟なんて粉々だ。
父も兄も優しいが、マレーナを国の為なら友好関係を結ぶために嫁がすか、政争の道として使うのが当たり前だと思って生きてきた。それが王女の務めだと。
幸せな思い出があればそれだけで生きて行けると思っていた。なのに、一度手に入るかもしれないと思ったらもうダメだった。欲しくて欲しくて堪らない。
誰にも渡したくない。一緒にいたい。自分だけを見て欲しい。そして抱きしめて欲しい。会えば会うほど思いは募る。
カーテンを開けたままの窓からは満月が見えた。明るい月の光に照らされてマレーナは祈った。
「どうか私の思いを実らせてください」
そしてそのまま月を見上げ少しずつ酔いが醒めていくのを感じていた。
そんな時だった。ガチャリを扉が開く音がして、マレーナが振り向くとコンラードが立っていて目が合ったと思った瞬間、叫び声が王太子宮に響き渡った。
コンラードが扉を開けて座り込んだままマレーナを凝視している。マレーナもそんなコンラードを見つめた。
「何でまたいるんだよ!」
固まっていたのが解けたのかコンラードが叫んだ。
「それはこっちの台詞!ここは私がいつも使っている客室よ!」
「はぁ?!」
そこに複数人の足音が聞こえた。
「どうした!コンラード!」
「部屋に・・・・」
「はあ?おまえがいつも使っている部屋は隣の隣。ここはマレーナがいつも使っている客室だ。おまえ酔って間違えたな。っておい!マレーナ!何でそんなもの着てるんだ!」
そう言って兄が護衛たちを下がらせるとコンラードを部屋に押し込み自分も入って来た。
「早く何か着ろ!」
「私は何もしていないわ。お義姉様から着やすかったからまた夜着を借りただけ。コンラードが間違えて扉を開けたのよ」
マレーナが義姉のクローゼットルームから借りてきた夜着は、前回と同様肩紐式の肌が見えそうなほど透けている生地のものだ。着て恥ずかしかったものの、実はこの時期は肩紐式も生地の着心地も良いと思って、自分でもう少し生地が厚くて長さがあるものを最近買って着ている程だ。だから今回は義姉から普通に借りただけのつもりだったのに、こんなことになってしまって驚いているのはマレーナの方だ。
マレーナは何故怒られなければならないのかと思いながら側の椅子に掛けてあったガウンを取ろうとした。
「ちょっと待て、マレーナ」
コンラードが怒ったように指差してくる。
「え?どうしたの?」
「それは何だ?」
「それって何よ」
「良いから早くガウンを着ろ!」
兄が割って入って来たのでマレーナは取ったガウンを羽織った。コンラードが怒った目で見て来るのにマレーナは戸惑った。マレーナは今回は何もしていない。何故こんな顔をされねばならないのかわからなかった。
「コンラード、どうした?そんな顔をしたらマレーナが怯える」
兄の言葉にコンラードが自分の肩を叩いた。
「何?」
兄が問いかける。
「マレーナの肩に手跡がついていた。かなり強く掴まれたんじゃないのか?誰にされた?」
地を這うような声にマレーナは震えた。こんなコンラードの声は聞いたことがない。
「昨日アロイス王子に絡まれた時に突然掴まれたの」
「あのバカ王子か!」
「ちゃんと自分で払ったわ。護身術も習っているし」
「そんな問題じゃないだろ!他国の王女に勝手に触れて良い訳がないだろ!!」
「きゃっ!」
部屋に響いたコンラードの怒声にマレーナは肩をすくめた。
「落ち着け、コンラード。こちらから苦情も入れてあるから。まあ流石にあんなに跡がくっきりと付いている程とはさすがに思わなかったが。痛くないか?」
兄が優しく聞いてくる。
「ええ。その時は痛かったけど今は大丈夫」
「あいつ、絶対に許さない!!」
コンラードが立ち上がった。
「落ち着けって。あと二週間もしないうちにいなくなる人間なんだから。マレーナ。大丈夫だな?」
「大丈夫よ。それに次にまたされそうになったら逃げるし、今度はそう簡単に触らせないわ」
「当たり前だ!次に指一本でもマレーナに触れたら全部へし折ってやる!」
コンラードのあまりの剣幕にマレーナは驚いた。こんなコンラードは初めて見た。怒ったことなどなさそうなくらいいつもおおらかなのに。でもマレーナのことで怒ってくれていると思うと不思議と怖さはなかった。
「コンラード。怒ってくれてありがとう。次はもっと気を付けるわ」
マレーナはコンラードに笑いかけた。それに冷静になったのかコンラードが目を伏せる。
「怒鳴って悪かった。マレーナが悪い訳じゃないのに怖がらせたな」
「ううん。大丈夫。コンラードは悪くないわ。さあ寝ましょう。お兄様もコンラードも」
マレーナが促すと二人はとにかく気を付けるようにと言って去って行った。
マレーナは再びガウンを脱ぐと鏡を見た。確かに手跡がはっきり付いている。指の形が分かる程だ。痛みはないが、これが消えるまで肩を出す服は着れないなと思った。
そしてマレーナは笑みを浮かべた。コンラードが怒ってくれた。少しくらいはマレーナが大切だと思ってくれているからではないのか?何も思っていなければあそこまで怒らないだろう。例えそれが妹のように思っていることから来る感情だとしても。
気にかけてもらえたことに嬉しさを感じ枕を抱えてベッドに転がった。膝上の夜着がめくれているが気にならない。
「これ着てて良かった。お義姉様に感謝ね。いや、ある意味お兄様か。ふふ。怒ったコンラードも素敵だったわ。あんな風に怒るのね」
マレーナは目を閉じ、月の精霊スティーナに感謝した。