身代金について
外から戻ってきた一郎は、
取り乱す美波をソファに座らせると、
「こんなモノが」
そう言って、筧にポラロイドを差し出した。
「やはりな」
ポラロイドを受け取った筧が言った。
「?どういう事だ?」
一郎が怪訝な表情で聞いた。
「ホシはこの家に警察や部外者がいないか、
確認する為にこれを置いてチャイムを
鳴らしたんだ」
「え?」
「出て行ったのは、お前と奥さんだけ。
ホシは安心して取引を続けてくるだろう」
「・・・・という事は、こちらを
見張ってる?」
一郎は怪訝な表情で言った。
「ああ。近くにいる」
やはり、自分が出て行かなくて良かった。
ホシは中々慎重な様だ。
筧は衰えていない自分の勘に満足した。
よし。ホシの思う通りに事を運ばせるんだ。
俺が金を奪うまでは。
それまでは、この夫婦にあくまで協力的な姿勢を見せてやる。
筧がポラロイドをテーブルに置いた。
と、同時に同じくテーブル上に置いていた一郎のスマホが鳴った。
一郎と筧が画面を見る。
「ホシか?」
筧の問いに一郎が頷くと、スマホの通話をオープンにした。
「!」
着信音で我に返った美波もスマホを注視する。
「・・・・もしもし?」
一郎の声に応答が無い。静かな息遣いだけが聞こえる。
3人は顔を見合わせた。
「もしもし?もしもし?」
一郎は、もう一度声を発した。
ー・・・・け、警察には連絡してないな?ー
緊張した声が返って来た。
「もちろんだ」
ーよし。え~と・・・・この後も誰も近づけるなー
たどたどしい言い方に筧は眉を潜めた。
ハイエースの運転席。
勇次は、トートバッグに入れてあったB5ノートを
見ながら電話していた。
ノートには、鉄男のレクチャーがメモされている。
「じゃ、じゃあお金をおろしに行こうか」
ーわかったー
勇次の耳に、お父さんの声が返って来た。
「五千万だぞ」
金額を言いながら、勇次は息を呑んだ。
ーわかってるー
「レ、レンガにしろよ」
ーレンガ?なんだ、それは?ー
お父さんの訝しげな声が返ってきた。
勇次は慌ててガラケーを耳から離し、通話口を掌で塞いだ。
レンガって何だっけ!?てか、あの人から聞いてない!
教えてくれてない!
「もしもし?もしもし!?」
怪訝な一郎の問いかけに、相手が何も言わなくなった。
美波も、相手の異変に不安げな表情を浮かべる。
筧は何か考えると、辺りを見回した。
新聞を積み立てたラックが壁掛けの液晶テレビの脇にあった。
その中から広告を抜き取り、同じくテレビ脇のサイドボードに
置いてあったボールペンを取り、急いで何かを書くと
一郎の目の前に差し出した。
一郎が筧の書いたメモに目をやる。
『レンガ→現金を1千万ずつ、ビニールでパック』
理解した一郎が頷くと、
ーと、とにかくレンガだ。レンガだぞー
慌てふためいた様な、ヤケクソじみた犯人の声が返ってきた。
「わかった」
一郎は答えた。
ーへ?ー
今度は気の抜けた様な声。
ーそ、そうか。よかったぁー
終いには安堵した声。
「よかった?」
一郎は怪訝な声で返した。
美波と筧も訝しげな表情。
ーえ?いや!とにかく、え~と、
お金をおろしに行くときは車を使うなー
筧がまた、メモにボールペンを走らせた。
「・・・・五千万だぞ?重さにすれば、
5kgだ。それを持って長距離歩かせる気か?」
一郎はまた筧が書いたメモを見ながら言った。
ーえ!?・・・・まぁその・・・・こ、子供の為だ。我慢しろー
通話が一方的に切れた。
筧がしばし思案し、口を開く。
「ホシは素人だな。
言ってる内容はそれっぽいが、言葉使いから
悪党特有の匂いがない」
不思議だった。
『レンガ』は隠語だ。チャイムを押し、息子の
写真で揺さぶりをかける慎重な手練れのクセに
そんな事も知らないなんて。
その答えを一郎が切り出した。
「昨夜と違う」
「あ?」
一郎に同意を求められた美波が頷く。
「昨夜の声と違うんです」
美波が言った。
「昨夜の奴はもっとドッシリ落ち着いてた」
一郎が続く。
「声色も、もっと怖かったし」
美波が更に続くと、一郎も頷いた。
どういう事だ?昨夜の奴と違うとは?
こういった交渉は窓口は1つにしとくもんだ。
止む無い理由が出来て、変更するにしても・・・・
更に優秀な奴が出てくるならまだしも、
素人を寄越すとは。
筧はしばし考えるが、すぐに頭を切り替えた。
疑問はあるが、相手が無能なら尚更こっちの思うツボだ。
「まあ、こっちのやる事は一つだ。
とにかく銀行へ行ってくれ」
筧は言った。
「あ、ああ」
一郎は不安げ、そして不服そうに答えた。
「ひとつ言っておく。ホシはお前を尾行する」
「え!?」
筧の助言に一郎が更に不安な声を上げた。
美波も不安な表情を筧に投げる。
「心配ない。尾行するのは、お前が誰か外部ー特に警察と
接触しないか、確認するためだ。
歩けと言ってきたのも
車で移動されるよりは尾行しやすいからな」
一郎に助言しながら改めて思った。
これも理に適ってる。抜け目がない。
だからこそ、さっきの奴には違和感を感じる。
チグハグだ。
頭を切り替えたつもりだったが、やはり気になった。
「じゃあ、尾行してきたところを捕まえよう」
一郎の言葉が筧の思案を遮った。
筧はもう一度、自分に念を押す。ある程度はホシの思うままに進めるんだ。
「ホシがお前を尾行する奴だけとは、限らないぞ」
「え?」
「俺の推測じゃ、ホシは1人じゃない。例えば、行きずりの
性的略取が目的の誘拐ならば単独犯行はあり得るが、
これは周到な身代金誘拐だ。お前が出てった後も
尾行する奴とは別にこの家を見張る奴が最低でもいる可能性は捨てきれない。
尾行してきた奴にお前が不用意に手を出して、仲間に連絡されたら?
子供の命が危険に晒されるぞ?」
美波が両手で口を押えた。
「だから、もし尾行に気付いても何もするな」
一郎は理解を示しつつ、不安な表情を筧に投げた。
「逆に、こっちが金を運んでる途中に襲われたりはしないのか?」
「それはない」
筧はそう言って、テーブル上のポラロイドを再び手にした。
「こんな事するんだ。ホシは用心深い。
そんな奴が日中、人目につきやすい公の道端で襲うなんて
リスクを負うとは思えない」
一郎は筧の言葉に納得しつつも、一抹の不安を払拭できないまま
妻を見やった。
美波も、掛ける言葉を見つけられずただ、夫を見返した。
「ホシを捕まえるのは取引、金を渡した後だ」
筧が言うと、一郎が顔を上気させた。
「おい!渡す前に捕まえろよ!!」
「待てよ」
筧は一郎をたしなめて続けた。
「身代金の受け渡しをして子供を無事に取り返すのと同時に
俺がホシを追跡してアジトを突き止める。
ホシは俺の存在を知らないからな。気づくはずがない。
そしたら警察に連絡して一気に踏み込むんだ。
短期決戦で金も使われちまう前に取り戻せる。
とにかく、まずは金を持ち帰るんだ」
「・・・・わかった」
一郎は答えた。不満げな表情で。
美波は祈った。ただ、息子の無事を。




