5 罰 -2
冴子の目の前に現れた車いすの男と、その後ろに控えるワゴン車と三人の男たちを見て、俺は怒りも感じたが、どちらかというとうんざりした。
男というのは、女を痛めつけようとした時、どうして同じような発想しかできないのだろう。
冴子は恐怖からか、声を上げることもなく、立ち尽くしている。
車いすの男、市井は何を言うまでもなく、冴子を見上げている。自分のこの姿をさらすのが、何より効果的だと、分かっているのだろう。
三人の男たちが冴子を押さえつけようとしても、冴子は抵抗しなかった。
まるで力が抜けてしまったかのように、ワゴンの方へ引きずられていく。
俺は軽く肩を回すと、男たちの方へ跳躍した。
別に訓練されたわけでもない、ぐれた素人集団だ。倒すのに五秒もかからない。
あっという間に沈んだ三人を残して、逃げようとする市井の車いすを思い切り蹴り飛ばすと、市井はうめき声を上げて路上に転がった。
俺はしゃがみこんだ冴子を振り返ると、手を差し伸べた。
「大丈夫ですか、矢島さん」
冴子の視線はしばらく彷徨い、急に驚いたように俺を見上げた。
「え?真田さんですか?」
今気が付いたらしい。こんなことなら変装でもして、ごまかせばよかった。
「ええ、俺ももたもたしてたらこんな時間になって、たまたま」
本当はずっと張り付いていたのだが。
ガブの情報と冴子の様子から、市井が冴子を襲わせるのは一度ではないかもしれないと踏んだ俺たちは、俺かアキラどちらかが冴子に張り付くことにした。
まぁ、予想は的中で、今日がそうだったわけだが、俺が付いている時でよかった。
俺がアキラを呼ぶと、アキラはすぐに車でやってきた。
「俺の友人です。今日は乗せて帰ってもらってください。早く帰った方がいい」
俺がそう促すと、冴子は戸惑った顔をしたが、素直にアキラの車に乗り込んだ。
状況が掴めてないようだったが、早く帰った方がいいのは、冴子もそう思ったのだろう。
アキラの車を見送ると、俺はさて、と市井の方に向き直った。
道の端で横倒しになっている車いすを起こすと、市井の側に膝をついた。
「何なんだよ、お前」
市井は体を起こし、気丈にも、憎々し気に俺を睨みつけてきた。
市井は俺の顔に見覚えがないようだった。
それはそれでよしとして、俺は本題に入った。
「どうしてこんなことをするのか、と訊きたいところだけど……復讐か?」
俺の言葉に市井の目は一瞬見開かれ、すぐにスッと細くなった
「なんだ、あんた知ってるのか。あいつが何をしたのかってことも」
市井が、身体が痛いから座らせてくれと言うので、俺は車いすに座らせてやった。
足の筋肉がもう落ちているせいか、痩せた市井の身体は、驚くほど軽かった。
「だからって、こんなやり方は感心しないな。他の男に彼女を襲わせて、お前はそれで気が晴れるのか?」
市井は唇をきつく噛みしめ黙っていたが、しばらくして、「仕方ないだろ」と絞り出すように吐き出した。
「許せるか?あいつのせいで、俺の身体はこんなになって、仕事もクビになった。新しい仕事を探そうにも、雇ってくれるところなんてない。あっても、障がい者枠だ。この足はもう一生動かないし、結婚もできないだろう。思い描いていた未来は、もう何も叶わない」
感情が昂ったのか、市井の声は次第に震えてきた。
「なのに、あいつは何の罰も受けずに、ロストアンガー施術とやらで、何事もなかったかのように生活してやがる」
「ふざけんな」と、市井は大声で叫んだ。
それから急におとなしくなった。全身が震えている。市井は頭を抱え、嗚咽を漏らした。
「今でも夢に見る。親しい奴が、急に俺を滅多打ちにする。周りにいる人間が急に変わってしまうんじゃないかと、恐怖に陥る。なぁ、あんた、分かるか?」
市井は顔を上げた。目が血走っている。
「好きな女に殺されかけたってことが、どういうことか」
「紗英子がロストアンガーを受けたって知って、彼女の前に現れたのか?」
俺は静かに尋ねた。
バケモノになった人間は、もう襲ってはこない。彼女に殺されかけた市井は、それを聞いて憤ったと同時に、チャンスだと思っただろう。何をしても、反撃されることはない。
市井は笑った。
涙と鼻水にまみれ、人間の醜いものが全部現れたような歪んだ笑みだった。
「そうだよ。俺はこの恐怖から立ち直りたかった。恐怖を乗り越えたかったら、俺が恐怖を与える側になればいい」
「それが男たちによる暴行か」
俺が吐き捨てるように言うと、市井は嘲るように言った。
「そうさ。それが一番効くだろ、あの変態親父には」
「親父?」
急に話題の対象が変わって、俺は聞き返した。
親父というのは、誰の親父だ?
嫌な予感というか、予感が確信に変わる嫌な気分に、胸が悪くなった。
「あいつの父親だよ。俺と紗英子が付き合い始めたのが、あいつの父親にバレた時、あの親父は紗英子を家に閉じ込めて出さなかった。俺がいくら連絡してもつながらない。一週間後やっと会社に出てきたと思ったら、紗英子は俺を避けるようになっていた。納得がいかなくて、紗英子と話をしようと、あいつの帰宅時間に待ち伏せていたところで……」
そこで市井が言葉を切った。それがストーカー疑惑の真相らしい。
「入院中にその親父が、一度だけこっそり病室に来た。謝罪かと思ったら、脅してきやがった」
……これに懲りたら、二度と娘に近づくな。
「あの親子は異常だ」
市井はそう言って口を噤んだ。まだ身体が震えていた。
俺はポケットに手を突っ込んで、バマホを探した。
冴子が怯えていたのは市井じゃない。
彼女が恐れているのは……
バマホを探し当てる前に、スマホが鳴った。
「マルさん?すぐに来て!」
出ると、悲鳴のようなアキラの声が耳に飛び込んできた。
「どうした?」
「冴子を野島家に送ったんですけど、それから父親が帰ってきて、家の中が騒がしいんです。何言ってるのか聞き取れないんですけど、なんかすごく興奮して怒鳴ってて。悲鳴も聞こえるから、ちょっと先に入ってみます」
話しているうちに、バマホを探し当てた。
画面を見た瞬間、俺は慌てて、スマホに向かって叫んだ。
「待て、アキラ!レベル4だ!」
レベル4…末期警戒レベル。
レベル4になったからと言って、すぐにレベル5になるわけではない。だが、ならないとも限らない。
レベル5になると同時にバケモノはクラッシュする。
アキラが息を呑んだのが気配で分かった。
「じゃあ、余計急がなきゃ。早く来てくださいね、マルさん」
そう言うと、通話が切れた。
くそっ
クラッシュしたバケモノは周りの物を全て破壊する。それは対象を選ばない。
俺は男たちが乗ってきたワゴンに飛び乗った。予想通り、鍵は差しっぱなしになっていた。
ドアを閉めるのももどかしく、エンジンをかける。
間に合ってくれ。




