4 罪 -1
「ありがとうございましたー」
俺の渾身の笑顔を、客は一瞥することもなく、店を後にした。
この笑顔を作るのに、俺がどれだけ練習したと思ってるんだ、と文句を言いたくなるが、相手は客なのだから仕方がない。
「真田さん、だいぶ表情が柔らかくなりましたね」
今回の対象者、野島紗英子、改め矢島冴子が、にこやかに褒めてくれた。「真田」というのは、急遽付けた、俺の偽名だ。
近くにいる方が、探るにしても、守るにしても、都合がいいだろうということで、俺は冴子が働くレンタルショップでバイトをすることにした。
どう考えてもアキラの方が適役だと思うこの役を、どうして俺がしているかというと、バケモノ嫌いで、コミュ障気味のアキラに断固拒否されたからだ。
「あんな狭い店内で、バケモノと一緒なんて無理。しかもあの店長と働くなんて、あり得ない。ボロがでます」と、社会人にあるまじき「無理宣言」を堂々とされて、俺はしぶしぶこちらを引き受けることにした。無理強いはパワハラ告発される恐れがある。
アキラにはその代わり、野島家を探る方を頼んだ。
役割を振ってしまえば、確かにそちらの方がアキラには適任かもしれない。褒められたことではないが、アキラは他人様の家に忍び込むことが得意だ。
それに怪しいおっさんの俺がうろついていれば不審に思われるが、ピチピチの十九歳の女子がうろついていても、「よく見るなぁ、あの子」と不思議に思われる程度で済むだろう。
店の従業員に「このオッサン、リストラされたのかな?」という憐れみの視線に耐えるくらいなんでもない。
それに、もし冴子がクラッシュした時、彼女を浄化できるのは、俺しかいない。
この店に入って、一週間ほどしかたっていないが、冴子は面倒見がよく、新人の俺に懇切丁寧に教えてくれる。
とても男を下半身不随になるまで殴った女だとは思えない。
この冴子の性格が、ロストアンガー施術以降に構築された性格かは分からない。
少なくとも俺は、現在の冴子の性格を好ましく思ったし、パニックを起こし暴力を振るってしまうような危うさも感じられなかった。
そう、知らなければ、彼女がバケモノだとは誰も気が付かないだろう。
ただ、確かに、ストーカー気質の男を引き寄せてしまうかもしれないというのは感じた。
紗英子が犯した事件では、被害者の男はストーカー行為をしていたと認められなかったが、脅威を感じさせたことには変わりなかっただろう。
たとえ途中まででも、紗英子は十分怖かったのだ。
アキラが言うように、店長は冴子を気に入っているようだった。ただ、問題になるような店長の行動は見られなかった。あくまで男の俺から見ればだが。
相手が嫌だと思えばセクハラになるのなら、冴子は確かに店長が好きではないようだった。
こりゃ確かに、腹の子の父親が店長ってことは絶対ないな。
「矢島さんって、彼氏いないんすかね」
俺は一緒に働いている上田さんというおばちゃんに、こっそり訊いてみた。いつでもどこでも、おばちゃんは強い味方だ。現にこのおばちゃんは冴子を気に入っていて、さりげなく店長のアプローチから冴子を守っている。
冴子が休憩に入っている時に、さりげなく訊いたつもりだったのに、上田さんがぎょっとした顔をしたので、こちらまで驚いてしまった。
「シッ」上田さんは怖い顔で、俺を制止すると、スパイみたいな目で休憩室の方を伺った。
「あんたも矢島さん狙ってるのかい?」
殺し屋のような抑えた声に、俺の声も自然と低く、囁くような声になる。
「そんなんじゃないですけど、単なる興味で」
これは本当だから、本心でそう言うと、上田さんは重々しく頷いた。
「それならいいけどさ。矢島さん家、お父さんがすごく厳しい人なんだって。仕事終わったら、すぐ帰らなきゃならないし、彼氏なんてとんでもないって言ってたよ」
「え?だって、彼女もういい大人ですよね?」
俺が驚いて見せると、上田さんは我が意を得たりと頷いた。
「そうでしょ?ちょっと、おかしいよね? だから店長みたいなのに、好かれちゃったりするんだよ」
上田さんが興に乗って、ブツブツ文句を並べたてるのを聞きながら、俺は一つの可能性が頭に浮かんでいた。
俺は無理やりその可能性を打ち消した。決めつけるのは、時期尚早だ。
だが、その可能性が本当なら、冴子はどうするだろう。
冴子というバケモノは。




