寝顔と仏頂面
悪夢の中で見た作品を元に、今後の身の振り方を考える回です。
「少しだけお休みください」
泣き疲れて眠ってしまった若奥様をベッドにそっと横たわらせて、布団を掛ける。
輿入れだというのに適当にあてがわれたのであろう、サイズの合っていないドレスにそっと触れる。
作品の中だけの情報で彼女を捉えてしまうのは危険だけれども、作品の記憶がある私が介入している以上、この方を失う事を考えるよりも、出来るだけ健康な体で、穏やかな日々を過ごして頂きたいと思う。
今日既に作品の強制力が利いて、階段から落下したのであれば、作中に合わせて一年以内に彼女は瀕死の状態になるだろう。
事故か病気か、原因は分らないが、それらの苦難を乗り越えられるような体力を付けておいて欲しいし、無事に一年を超えたらさっさと離婚して、物語の表舞台から飛び降りて自由な生活をしても良いと思う。
次期当主夫人として割かれた予算を貯めておいて、平民として暮らせばのんびり出来ると考えられるので、離婚後は私と一緒に偽の姉妹として生活するのもいいんじゃないかしら。
案外それも楽しそうだけど、ここの安定した高収入は魅力的なのよね。
まぁ、まずは、若奥様の栄養失調と精神的な支えに力を割こうと思う。
そのためには、雇い主のスタンツェ様に若奥様の最低限の生活の保障を確認しないと行けない。
あと、今日の失敗で私が解雇止めにならないようにしないと行けないから、どうにか交渉出来ないかな・・・と若奥様の寝顔を見ながら考える。
作品の中のスタンツェ様は<武>の家系に生まれながら、宰相府で働かれている文官だ。
第二騎士団の団長を務めるご当主と遠戚に当たる夫人、第一騎士団の副団長を務める弟君が、<武>の家系そのものという雰囲気で、少し年の離れた三男坊が貴族令息が通う学園の生徒であり寮生活をされている。
高貴な身分かつ跡取り息子、イケメン、秀才と来て、クールな顔立ちで夜会ですら塩対応な彼の横の席を誰が射止めるか、国中の貴族令嬢が牽制し合いながら狙っていたと、本人は知っているのだろうか。
「あ・・・うん。知っているんだわ」
作中のスタンツェ様は『人の心の声が聞こえる』能力があり、赤子の頃から良く泣く子だった。
周りの人の無神経な本音が幼子に刺さる様は想像するだけでも、体が震える。
そして、令嬢達の騒がしい心の内は、スタンツェ様には筒抜けで、相当な負担が掛かったのだろう。
従者であり幼なじみのアドソン様だけは、本音に愛情が籠もっていたことから、スタンツェ様がずっと一緒にいてもストレスが少ない人なのだ。
最終的には、物語のヒロインに出会い、紆余曲折を経て、スタンツェ様が周囲を信頼出来るようになるのだった。
「下手に作戦を考えるのは無駄で、心からお願いしたいことを話せば良いのかな?」
現段階はスタンツェ様は、アドソン様くらいしか信頼していない。
そして、心の声が聞こえることをアドソンさんは知らない可能性がある。
若奥様をいじめた訳ではないが物語の強制力が勝って、彼女が放置されてしまうのか、私か彼女がスタンツェ様と交渉する機会を得られるか、勝負に出よう。
心に決めて、若奥様の主室から退室する。
***********
「・・・思いの外早かったな・・・」
「何か言いましたか?」
「いえ、少し緊張しているだけです」
「今日あったことを報告するだけです。若奥様は受け入れてくださったのでしょう?」
主室から退室し、スティーブン様に報告をした所、雇い主であるスタンツェ様が帰宅されたので、今日あったことを直接報告するように指示が出た。
決心はしたけれど、そんなにすぐにあると思わないよね、チャンス。
とうとう、執務室の扉が開かれ、仏頂面の主人公がお目見えしたのだった。
ちゃんと報告出来るかな・・・私・・・
スティーブンって名前の響き、執事にぴったりだと思うんですよ。
表の顔は良い人そのものですが、<武>の家系の傍系出身、現当主の従者を務め、執事を任されているってことは、色々やれるってことですよねぇ。
「若い頃のことは、想像にお任せしますよ」