生地と粒餡
土曜日。他校が会場となった練習試合、行きは鋭斗のおばちゃんが車で送ってくれた。おばちゃんは午後から美容健康体操のカルチャースクールに行く予定があり、帰りは二人で電車に乗って帰るようにと言われていた。
今回の練習先は自分達の学校からは結構な距離があったため、部員の大半は親に車で送ってもらっていたが、後藤だけは朝4時半起きでチャリで来ていた。帰宅までに発生しうる危険リスクと、車に乗せた状態での交通事故発生リスクとを天秤に掛けた副顧問が、帰りは後藤をチャリごと車に乗せて帰ると言ったので、後藤が行きのように迷子になる心配は無くなった。
練習試合は昼を跨ぐので各自弁当持参だったのだが、後藤だけは Uber Eats に宅配ピザの持ち帰りを配達してもらっていた。鋭斗はいつも俺の分まで弁当を作ってくれるので、この日も好意に甘えて有り難くいただいた。彩り豊かで、愛情たっぷりんご入り。どのおかずも美味しく、にんじんしりしりとキャロットラペと人参グラッセが特に色鮮やかで、飾り切りされた林檎のウサギが特に美味しかった。試合結果はまずまずといった具合で、日頃の練習の成果がよく出ていたが、連係プレーでは課題点も多く見付かった。副顧問がまた張り切って練習メニューを組んでくれることだろう。
帰りの電車では、一緒になった後輩達と片足立ちでの我慢比べや試合を振り返る真面目な会話をしたりした。その後、到着した駅でそれぞれの方向に別れた。
線路沿いの道を手を繋いで歩き、道路端のスーパーの前に出ていた屋台で、粒餡の鯛焼きを一匹買った。
頭から食べるか尾から食べるかで鋭斗と盛り上がる。
「だよな! やっぱそうだよな、流石は鋭斗。餡子の詰まり具合を考えてもその一択だよな」
「ったり前ぇー。逆から食べる奴なんざ外道だ外道」
やっぱりお前とは親友だ、心の友だ、と肩を組み鯛焼きを交互に齧りつ、楽しい気分で駄弁っていたのだが……。
大判焼きかどら焼か、で鋭斗と揉めた。
タコ焼きではない、という点では意見が一致したが、俺は大判焼きと言って、鋭斗はどら焼と言って譲らない。
「じゃあ鋭斗は、商店街の『やまだ饅頭』のことも、どら焼って言うのかよ?」
「あれは最初っから『やまだ饅頭』のおやっさんが焼いて売ってる『やまだ饅頭』だ。勿論『やまだ饅頭』はどら焼じゃないし、あれはあくまでも『やまだ饅頭』だろ。そもそも、誰もあれのことをどら焼とも大判焼きとも呼ばないっつぅーの」
納得できない。意見の不一致。心の距離が辛い。早く共感したい。共感してほしい。
「いや、誰も大判焼きだとは呼ばなくても、強いて、敢えて言うなら、あれはやっぱり大判焼きだろ? 心の中では大判焼きっぽいなぁとか、きっと皆思ってるって」
「んな訳無ぇーし。あれは絶対に『やまだ饅頭』だから。『やまだ饅頭』以上でも『やまだ饅頭』以下でもねぇーよ。稔の目は節穴か? 『やまだ饅頭』とお前の眼球をすげ替えるぞコルァ」
「……鋭斗。巻き舌、上手いな」
冗談っぽく明るく返しながらも、鋭斗の尖った物言いに涙目になりそうだ。鋭斗による影響をもろに受けてしまう自分なので、精神的にちょいキツい。
「稔は舌の長さ足りてなさそうだもんな。雀にちょん切られたんじゃねぇーの? チョチュン、チョキン、チョヌン」
「チョヌン稔イムニダ。……舌切り雀、何か違うくないか? 雀の舌をキョキンとちょん切る話だったろ?」
チマチョゴリを着たおばあさんが雀の舌を木のまな板に押し付け、キッチン鋏でチョキンとちょん切る様子を思い浮かべる。背景には血で赤く染まった大量の白菜キムチ。カプサイシンが目に染みて血の涙が滴り落ちる。想像なのに、リアルに普通の涙が出てきた。鋭斗が目敏く気付き、タオルで優しくポンポンと拭いてくれる。
「雀の舌、鶏タンねぇ……鶏タンって食えんのかね? 鶏……トリスタンダクーニャ、それは絶海の孤島……。あ、後藤の奴、彼女出来たって言ってたな、後藤のクセに。後藤に彼女とかマジ受ける。彼女、黒目が粒餡なんじゃね? 恋は盲目っていうけどさ、にしても、だろ。きっと『やまだ饅頭』の味もどら焼の味も区別がつかないんだろうな、後藤の彼女も、後藤も。目玉も無けりゃ舌も無ぇ、可哀想に。月曜のバレンタイン、チョコですって言って『やまだ饅頭』あげても後藤の奴、どうせ気付かねぇーだろ」
いや、さすがにチョコと『やまだ饅頭』はバレるだろうけども。だが、『やまだ饅頭』の味と大判焼きやどら焼の味の区別が付かないのは、きっと後藤のせいだけじゃない。
「だって所詮、側の生地と粒餡の味がするだけの食べ物だから、『やまだ饅頭』。『やまだ饅頭』を『やまだ饅頭』足らしめるのは、焼くのが『やまだ饅頭』の親父さんっていう事実だけじゃん。舌が有ろうが無かろうが、目が有ろうが無かろうが、物を見ずに、それとは知らずに食べれば、あれはただの大判焼きだって」
「いや、どら焼だるぉうが」
何故ドスを効かせるのだろうか。意見の不一致が猶も辛い。共感が近いようで遠い。心が微妙にすれ違う。悲しみが伝わってしまわないように、たいして面白くもないけれど、それでも明るい雰囲気が出るよう意識しておどけた風に返す。
「巻き舌上手いなぁ、鋭斗。ロールケーキも舌で巻けるんじゃないか?」
「洋菓子混ぜてくんじゃねぇーよ。どら焼と大判焼きの話だるぉうが。あ、コンビニ寄るわ」
鋭斗のおばちゃんに買って帰るように言いつけられている牛乳を買うためコンビニに入った。
「なぁ、鋭斗……」
「あぁ、稔……お前の言わんとすることは分かる」
冷凍食品のコーナーに、その商品はあった。
ただし、何故か『今川焼』と表示されていた。
行きに送ってくれたおばちゃんのお礼に『今川焼』も買って帰った。
おばちゃんは美容健康体操からまだ戻って来ていなかったが、袋を開けトースターに一つ乗せて焼いてみた。鋭斗が牛乳多めでコーヒー牛乳を入れてくれる。
「さっき食べた鯛焼きと何が違うと思う?」
「やっぱ形状じゃねぇーの?」
「うん、同感」
交互に鋭斗と齧る。
甘くて旨い。
ほろりと涙が頬を伝うのを、よく気が付く鋭斗がタオルでポンポンと優しく拭いてくれ、頭をよしよし撫でてくれた。
「コンビニの方がレベル高い気がする。さっきの鯛焼きも最初は旨かったけど、食べてると途中から味が落ちた……というか、味に飽きたみたいになったし」
「あぁ、こっちの方が旨いな。稔が笑ってる方が食べてて旨ぇーし」
鋭斗が蕩けそうな甘い瞳で俺を見つめていた。
トースターに頭を突っ込みたい。普通に照れる。恥ずかしくて、またパクッと鋭斗が持つ『今川焼』を齧って誤魔化した。
月曜日、バレンタインデー。美意識の高いおばちゃんとイケオジなおじちゃんの努力と遺伝により、俺以外には基本調味料塩対応で口も悪い鋭斗だが、女子にはそこそこモテる。
部活に行く前も終わった後も、女子からラッピングされたチョコを渡されていた。
「今年もいっぱい貰ったんだ?」
「別に、欲しいとは思ってねぇーけど、断るのも面倒臭ぇーし。ホワイトデーのお返しなんて絶対にしねぇーけど。あ、稔はくれたらちゃんとお返しするから。どうする? コンビニ寄るか?」
「ふぇ!? う……ん、寄る」
入り口からぐるっと半時計回りに店内を歩く。昨日とは別のコンビニチェーンだが、冷凍商品のコーナーにはプライベートブランドの『今川焼』が置いてあった。
バレンタインと雛祭りとが入り乱れた商品から、鋭斗が「これがいい」と言ったチョコレートを買った。鋭斗のおばちゃん用の『今川焼』も。
「ははっ。カツアゲみてぇー」
「大丈夫だよ。ちゃんと、俺が買いたくて買ったんだし。……はい、あげる。貰って?」
チョコレートは店から出てすぐ鋭斗にあげた。照れる。恥ずかしい。ドキドキするから、繋いだ手を引っ張って走った。
また帰りに鋭斗の家に寄る。
「あらやだ。あんた達、また『回転焼き』買ってきたの?」
「老眼かよ。袋に商品名、書いてあんじゃん」
「おばちゃんはこれのこと大判焼きって言わない? 鋭斗はさ、昨日のとどっちが美味しいと思う?」
「稔が、あーんって言いながらあーんってしてくれたら、今日買った奴の方が旨いんじゃね?」
鋭斗は俺には加糖対応が基本だが、一昨日の刺々しい鋭斗がまだ記憶に新しいからか、普段よりも糖分が際立つように感じる。
「稔、目ぇー瞑って?」
「目に毒だから、あんた達、そういうことは他所でやりなさいな」
「……?」
毒って何が?と心配になるが、鋭斗が俺に酷いことをすることは絶対にない。言葉に従い目を閉じた。
ホットケーキみたいな、バターのような甘い匂いが鼻腔をくすぐり、ふにっ、と唇に何かが触れた。
舌をちょんっと伸ばしてみる。香ばしくて甘い。
「食べて?」
口を開くとそっと鋭斗が入れてくれる。
もぐもぐもぐ、何の音? 咀嚼する音ぉ~。
「大判焼き、の……クリーム入り?」
「ブブー。目ぇー開けてみ?」
皿の上にはロールケーキが乗っていた。
「鉄板で生地焼いて、粒餡とクリーム乗せて巻いてみた」
「舌で?」
「手巻きな。舌巻き巻き首巻き巻き手巻き巻き。チョコは貰う側のつもりだったから入れてねぇーけど」
形状がロールケーキだから、これなら言い争いにならずに済むだろう。
「ロールケーキ、だな。美味しい」
「そ、ロールケーキ。和風テイスト。ホワイトデーは首巻き巻き希望だから、稔の手作り」
「舌巻き巻き首巻き巻き手巻きまひ……巻き。それならさ、毛糸を選んで欲しいから、土曜の部活の後で買い物、付き合ってくれる?」
土曜日、部活の後は鋭斗とデートをする。
粒餡の鯛焼きを、一口ずつ齧りながら。