クズ男に浮気されたので復讐する〜今更やめてくれと言われてももう遅い〜
のっけから唐突で申し訳ないが、「便器の単位」をご存知だろうか。
博覧強記な読者諸賢は、ひょっとしたら既に──とっくに知っているのかも知れないが。
であるならココでは、生温かい目で雑学の披露を見守っていて欲しいと思う。
感じ入っている振りを、ココではして欲しいと思う。
……語り部たる私としては、矢張り、意地を貼りたい気持ちがあるのだ。
「……」
「……」
あ、ごめんやっぱり、以下の会話を聞いてからにしてもらって良いかな?
ちょっと事情が変わった。
ていうか共感して欲しいから、構成的にはコレで正解なんだけれど──ともあれ。
私は決めた。
私と彼との痴話喧嘩を。
ここ一週間に渡り繰り広げられた、極めてパーソナルな痴話喧嘩を、皆様に披露すると、決めた。
「なんで、浮気したの?」
「だから浮気じゃ無いんだって」
どうやら開き直ったらしい彼は、そんな、牽強付会な物言いを、大真面目に主張するのだった。
──顔色に焦りが見えない。
きっと余裕こいているのだ。
「……あのねぇ」
は?
というのが素直な感想だ。
浮気じゃない?
恋人である私に隠れて、他の女とパコパコした事が?
「パコパコとか言うなよ、品がない」
「浮気よりマシよ」
「だから浮気じゃ──」
「ふざけないで!」
一拍置いて、言う。
「少なくとも! 私は貴方と真剣に付き合って来た! 十年よ──十年! 小学生が成人しかねない年月を、真剣にお付き合いして来たのよ!?」
「そうだね」
「それを──浮気した挙句! こんな程度、不貞にはあたらないと言うの!?」
「不貞には当たる」
「はぁ!?」
自家撞着──矛盾も良い所!
この男は何が言いたのか!
そんな怒りを、もっともな怒りを、しかし彼は、それでもしなやかに流した。
しなやかに、したたかに。
剽軽と、受け流すのだった。
「不貞なんだよ──この場合。浮気では無いけれど、不貞では──ある」
「そ、それはどういう!」
「だから、君とは遊びだった、って事」
「は──」
二の句を継げなかった。
喋れなかった。
今この男は、なんと言ったのだ?
この十年が、私の十年が。
遊びだった──と、そう言ったのか?
「……あ」
ココで気づく。
気づいてしまう。
浮気じゃないと言うさっきの発言は、私から見て奴が知らない女と「浮気」したのではなく、知らない女から見て私が奴との「浮気」をした、と言う事なのか?
だから私の言う「浮気」ではなくて、寧ろ「不貞」だと言う事なのか?
「嘘……よね?」
「マジだよ」
思考が追いつかないまま、話は続く。
「遊びなんだよ、あ、そ、び。君はこの十年、俺に穴として使われていたって事」
「あ──穴? 私の事を穴と言ったの!?」
「? 何も不思議は無いよ」
今の事を──今言った事を。
彼が本気で言っているのなら、私は私を、心底見損なう事になる。
そんなに見る目がなかったのか。
そんなに盲目的だったのか。
しかし──そんな私の落胆を傍目に、彼は、更なる絶望を強いるのだった。
「おかしな事は言ってない筈さ」
「そんなわけないでしょう!? どうあっても穴は酷い誹りよ!」
「いやだから、キミはそれで正解なんだよ」
コレは雑学なんだけれどね、と、続け様に──言う。
「"便器"の単位は穴なんだよ」
「──っ!」
ココで答え合わせだ。
そう、便器の単位は。
肉便器の単位は──穴。
コレだけでも覚えて帰って欲しい。
※
「私が穴なら穴で良いのよ、そのまま奴の墓穴になるまで」
一人呟いた。
復讐である。
私は彼に復讐する──そのことを決意すべく、呟いた。
「手は幾らでもある」
私は奴の弱みを握っている。
隠れて女と浮気している事ではなく、私と浮気していた事実の方だけれど。
「言われてみれば、って所もあるのよね」
恥ずべき事だが私はデブである。
自他共に認める肥満体型で、自他共に認めない痩身体型だ。
──デブ。
あとついでにブス。
デブだったら必然的にブス──みたいな所はあるが、取り敢えずここも要因なのだろう。
なんの要因って?
奴に舐められた要因だよ。
私が復讐する原因で、奴との確執の原因だよ。
「でも、ココは変えない」
何で奴を見返すのに、私が苦労しなければならない。
アイツ一人だけ苦しむべきなのだ。
出来れば死ぬべきだ。
殺しはしないけれど。
「復讐の時は一週間後、それまでに奴の奥さんと繋がるのよ!」
私の決意は、固く、太い。
※
奴の携帯は押さえてある。
いや、携帯自体は押さえていないんだけれど、奴の携帯を無断で確認した時、とっくに奴の奥さん(彼女かな?)の番号は押さえてある。
──奥さんと繋がれる。
コレは荒唐無稽な作戦じゃない。
極めてリアリスティックに、奴を追い詰める「現実」なのだ。
《プルルルルル……》
善は急げだ。
私は早速電話を掛けた。
「もしもし」
『もしもし……どちら様です?』
「貴方の彼氏──夫かな? の、浮気相手です」
『は、はぁっ!? それ、一体どういう──』
「そのままの意味です。浮気相手。不倫相手の方が正確なのかも知れませんが」
『待って……話が飲み込めない。不倫したの? あの人が? 貴方と?』
浮気と不倫の二択で不倫を選ぶ辺り、奴とこの人が夫婦であったのは、どうやら間違いないようだった。
「そうです。不倫です。貴方は裏切られたんです」
『そ、そんな……あの人はいい人よ……?』
「分かります。私も十年くらい騙されましたから」
『え──じゅ、十年!? 私も彼とは十年付き合ってますから……最初から?』
「……そうみたいですね」
あの野郎、何で奴だ。
最初から奥さんの協力を仰ぐつもりだったが、計画としてではなく、心から共に復讐がしたくなった。
「奥さん、お願いがあります」
『な、何でしょう』
改めて、改まって、私は正妻の彼女に具申した。
「共に協力して──奴に復讐しませんか?」
返答は二つ返事だった。
※
「あら、奇遇じゃない」
「……なんだ、お前かよ」
随分な言い草だった。
不倫をしたのはお前の方なのに。
奴は加害者で、私は被害者であるはずなのに。
「ここら辺に住んでたのね」
「……調べたのか」
「まあね」
奴は天を仰いで──目を瞑って。
独り言のようにこう言った。
「……穴の癖に」
反省していないようで誠に結構。
コレでなんの負い目もなく復讐が出来る。
「お前さぁ……っ! 復縁でもしにきたの!?」
「ポジティブね。復讐に決まってんでしょ馬鹿」
「復讐……?」
胡乱な表情だった。
出来ないとでも思うのだろうか。
「……今なら見逃してやるから、帰れ」
「立場を見誤らないで。その台詞は本来コッチの台詞よ」
いや、見逃さないけれど、と結んで、私は奴と正対した。
「一応聞いておいてあげるのだけれど、なんで私と……」
──付き合ったの?
そう聞こうとして、止めた。
聞きたかったけれど。
私は付き合っていた訳じゃない。
私は弄ばれたのだ。
だからこその、復讐。
「なんで──なんで私と」
勢いのまま、というわけにもいかず。
私は訥々と、自分でも悲しくなる質問をした。
「せめて不倫でも、不倫でさえ、私と付き合ってくれなかったの?」
不倫だから結末は同じだけど。
復讐は変わらないけど。
不倫だからこそ、せめて真剣な関係であって欲しかった。
少しでも本気で、私の事を──見て欲しかった。
「……? お前みたいなデブ、相手する訳ないだろ」
そう言った。
「何言ってんだ?」みたいな顔で、素直に──邪悪に。
「──そう、完膚なき迄にやっていいワケね」
再三した決意を、改めて、した。
もう揺るがない。
もう許されない。
「アンタがクズ野郎なのはわかった。だけど──」
「何がして〜んだよ、何しに来たんだよ〜」
「だから復しゅ……」
「あー? 白秋の刻って? 確かにお前年増だもんなぁ!」
「だから話を……」
「デブ! ピーマンの肉詰め! 中身みっちり!」
「……あのねぇ」
呆れた。
こんな小学生みたいな人間と、私は真面目に付き合っていたのか。
「人の話は最後まで聞きなさい」
「お、反論? 反論なの?」
「そうよ反論よ」
「言ってみろよ」
「言われなくても」
目を瞑って、言う。
「確かに私は太っているのかもしれない」
かもじゃないだろ、と合いの手が入ったが、一旦無視する。
「デブかもしれない。ピーマンの肉詰めかもしれない。中身みっちりかもしれない──でもね」
睥睨しつつ、言う。
「仮に中身みっちりでも、アンタみたいに中身の無い人間に比べたら、そんな事、むしろ美点と扱われて然るべきなのよ」
※
「は、はぁ!? なんでそんな事テメェに──」
「あら、急に饒舌ね? やっぱり図星だったかしら?」
「※$&×□☆♭!%○ ‼︎」
言いたい事は言った。
後はやるだけだ。
復讐を──思うがまま、徹底的に執行するだけ。
息を吸った。
酸素が肺一杯に収まった。
少し笑って、こう続けた。
「言い忘れてたけど、もう奥さんに話は通しているのよ」
「はぁ!?」
驚愕の表情だった。
やっぱりたかを括っていたのだ。
「良い人よねぇ、貴方を許す事はないけれど、弁明があれば聞いてあげる、と、そう言っていたわ」
「……お前が伝言してくれるのか?」
「そうよ」
「……そうか」
反省の言葉を待つ。
私にその言葉は届かないけれど、彼等夫婦の関係に、願わくば、後味の良い終末を。
本当なら、私が迎えたかったエンディングを。
せめて、彼等だけでも──と。
そう思った。
「ブアアアアァァァーーーーーッカ!! 俺と結婚出来ただけ有難いと思えクソ女ァ!!」
期待は裏切られた。
結末はクソで塗りたくられた。
「……やっぱり、最後までそうなのね? アンタは」
「勝手に期待して落ち込んでんじゃねぇーよアバズレ!」
奴の顔は酷く歪んでいた。
善性をカケラも感じさせない、純正の邪悪という感じだった。
「あの人は──あの人はチャンスをくれていたのよ?」
「何がだよォ!? どうせ許さないなら同じ事だろ!?」
「……本当に分かってないのね」
呆れた。
心底呆れた。
結果が伴わなければ、何をしても良いと思ってやがる。
本当は──その結果を変える事のできる、最後のチャンスだったかも知れないのに。
「あの人はね、アンタの奥さんはね。最後の最後まで、アンタを許そうと努力していたのよ」
「意味のわからない事をゴチャゴチャと──」
「そう? なら説明してあげるわよ」
これ以上蔑めないという冷めた目線で、私は奴を睨め下ろした。
実際には奴の方が背は高いし、だから見上げる形なんだけれど、精神的には、私が奴を見下ろすのだった。
「あの人はね、アンタが弁明さえしてくれれば、それでも、許してあげるつもりだったのよ。言うならアンタは、最後にテストされていたってワケ」
「え──テス、ト?」
「弁明をする意味がなくなっても、ちゃんと弁明するかどうか、のね」
奴は色を失った。
より正確を期するなら青ざめていた。
頭が真っ白になって、総合して言えば「顔面蒼白」の様相を呈していた。
暫くは口をぱくぱくとさせて、間抜けにも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたのだが、それでも捲土重来の機会を欲っしてか、訥々とこう続けるのだった。
「で、でも、伝言するまでアイツには伝わらない……!」
『聞いてたよ最初から。実は通話繋がってるんだよね』
「なっ!?」
突き出すようにされた(突き出したのは私)スマホには、奴の奥さんの電話番号が記されていた。
音声の波長に大きな変化は無いのだけれど、だからこそ、もうこれ以上のチャンスがない事実が、鮮明に受け取られるのだった。
「あ……えと…………コレは、誤解で……」
『何が誤解なの?』
「べ、弁明の機会をくれ!」
『君がさっき無碍にした奴?』
「──ッ!」
今度こそ終わりだ、と言う顔だった。
二段構えの絶望を与えて、コレで満足──な訳がない。
まだやれる事はあるのだから。
向き合うべき罪科は未だ、重い。
『でも、そうね。私だけじゃ判断しかねるし、他の人にも聞いてみようかしら』
「は?」
『お父さん、お母さん』
理解の範疇をどうやら超えたらしく、奴は目を白黒させるばかりだった。
でも終わらない。
私と奥さんの受けた痛みは、この程度で収まるほどチンケでは無い。
『君の事は信頼していたのだがね、遠野君』
『ハッキリ言って失望しました。もう二度と、娘に近づかないで下さい』
もう奴は失神寸前であった。
ああ、だの、うう、だの、呻き声のような何かを漏らすだけになってしまった。
それでもまだ弱いと思ったのか、奥さんの手により、計画外のストーリーが展開された。
『あ、因みにだけど、「君の」お父さんとお母さんにも、一応話は通してるよ?』
その台詞を聞き、奴は生き返ったようにハッとした。
電気ショックで気を失った人間が、電気ショックで意識を取り戻したみたいな風情があって、なんだか滑稽だと思った。
『田中さんから聞いたよ。お前とは絶縁だ』
『もう私の子供とは思いません。二度と顔を見せないで頂戴』
失神を通り越して、奴は失禁してしまった。
最初こそ「ズボンに一つの点」程度だったのだが、そこから放射線状に広がり、終いには大陸よろしくの様相を呈していた。
「お……お前、俺が可哀想とか、思わないのかァ……?」
汚ね、と言うのが素直な感想であり、そこに同情が挟まる事は無かった。
「ぐ……ぐす…………」
果ては泣き出してしまった。
いい加減やり過ぎたか、と情に絆されかけた瞬間、私はすぐさま、失望する事になるのだった。
「でも……それでも、いいんだ、俺はイケメンだ。勝ち組だ」
呆れた自己肯定感だった。
あのしっかりした感じの両親からは考えられないカスであった。
「そう、俺は二枚目なんだ。これ以上のアドバンテージなんて、他にない」
「私は三枚目だから一枚上手ね」
「ヌギピピンビイイイイイイイ!!!!」
暴走したスプリンクラーが私に肉薄し、遂に暴力に訴え出した──しかし。
「フン──ァ!」
「グブルリュエエエビプァァビュアアア!!!!!!」
その一滴も被る事なく、私は奴を一閃した。
考えはしなかったのだろうか。
自称二枚目の奴はもやしっ子で、私は重量級なんだから、いざ戦闘に際したら、自分に勝ち目が無い事くらい。
「ザマァ見ろ! カス野郎!!」
〜後日談〜
アレから奴は様子がおかしくなって、どこか別の街へと引っ越していった。
完全勝利である。
祝勝会と称して、私は慎ましいパーティを開いた。
彼女の自宅で、私と、二人。
いい雰囲気だった。
だから私は、勢い、彼女に告白してしまった。
返事は、OKであった。
可愛らしい笑顔に、私は幸福の絶頂に至るのを感じた。
同じ立場に至って、改めて。
同じ男として、奴と同じ轍は踏むまい、と。
そう、決意するのであった。
両刀使いのバイのオカマだから、人一倍、頑張る、と。
そう強く、強く強く。
心に決意するのであった。