お願いだから、婚約を解消されたいなんて言わないでくれ!
短編「婚約解消されたい令嬢と、解消したくない王子の俺」の後日譚です。前作を知らなくてもお楽しみいただけるとは思います。
俺の婚約者のアメリは今日も可愛い。
窓際の席で、陽の光に負けないくらい輝いている。そして、とても嬉しそうに友人と話しているようだ。
その姿を見ているだけで、俺は幸せになれる。耳を澄ますと、アメリの透き通るような声が聞こえてきて……
『ごめんなさい、再来週の休みの日は、先約があって……』
『もしかして、トーヤ殿下とデートですか?』
なにっ!? もしやサプライズでアメリと俺のデートの予定があったりするのか!?
俺の心は一気に浮き足立った。
『いえ、違いますよ。殿下はお忙しい方ですから』
えっ、違うのか?
忙しい、確かに忙しい。けれど、アメリのためなら、俺はいくらだって時間を作ってみせる。だから、そんな悲しそうな声で嘆かないでくれ。
『では、どなたと?』
そうだ、誰とだ? 俺以外の先約って一体誰となんだ!?
『ふふ、ずっと会いたいと思っていた……』
「殿下! またアメリ様の教室の前で、本当に一体何してるんですか!! 次は移動教室ですよ!!」
アメリの小鳥の囀りのような可愛らしい声を遮って、俺の側近のカイルが俺たちの恋路の邪魔をする。
俺はカイルに引っ張られ、アメリの教室から音楽ホールへと連行された。
「お前っ! 今、とっても重要なところだったんだぞ!!」
「はいはい。だからと言って、アメリ様の教室のドアに張り付いて、聞き耳を立てているのは、一国の王子として、いや、人間としてどうかと思いますよ」
俺は今、めちゃくちゃ蔑んだ目で見られてる。ゴミを見るような目だ。
「うぐっ、だから何だ!? 何が悪いっ!! 廊下からこっそりとアメリの一挙手一投足を見つめていただけだろ?」
「気持ち悪っ、完全にストーカーじゃないですか」
この側近、相変わらず失礼すぎる。
「だって、友達と和やかに話している自然なアメリも可愛すぎて、本当に少し愛でるだけのつもりだったんだ。そしたら、」
ずっと会いたいと思っていた……
「その続き! 誰だ!? 一体誰なんだ!? 先約だぞ? 俺とじゃないんだぞ!? ……はっ!? まさか、この流れでまた“婚約を解消されたい”とか言い出すんじゃないのか!? アメリには前科がある。まあ、あれはアメリの可愛い勘違いだけど。そんな勘違いをしてしまうところも、アメリのおちゃめで可愛いところなんだけどな」
「……今日も思考が暴走してますね」
「よし! こうしてはいられん!!」
俺はガバッと席を立ち上がった。
「あ、次は殿下の番なんですね。何を歌われるのですか?」
「アメリに捧げるラブソング」
俺は、本日六番目のキメ顔でカイルに告げた。
一番から五番目までのキメ顔は、全てアメリのためにとっておいてある。
「自作ですか。正確には『にゃめりに捧げるラブソング』ですよね」
その通り。いくらなんでも人前でアメリという神聖な名前を連呼して歌うのは恥ずかしすぎる。だから、“にゃめり”と誤魔化して歌う。
ちなみに、にゃめりはアメリが『私だと思って大切にしてくださいね♡』との手紙を添えて俺にくれた、この世で二番目に可愛い存在ーー猫のぬいぐるみだ。
もちろん一番目はアメリに決まっている。
アメリをにゃめりと誤魔化して歌っても、俺のアメリに対する気持ちは変わらない。アメリはにゃめりであって、にゃめりはアメリなのだから。
そして俺は、今の心境を少しだけ加えて、即興でアレンジをした。完璧。
「……相変わらず、殿下のお気持ちがダダ漏れな傑作でしたね」
「ああ、会心の出来だ」
感動してみんなが泣いていた。どうしてか、お腹も抱えていたけれど。
きっと、俺の歌にはみんなを笑顔にする力があるのだろう。さりげなく人気なんだ。次回作も期待されているくらい。
「さあ、授業も終わりだ。すぐにアメリの教室に向かおう」
今日はこの音楽の授業でお終いだ。
いつもは授業が終わったら執務の都合上まっすぐ王城へと帰る。けれど、今日に限ってはアメリの方が重要案件だ。
それなのに、
「えっ、アメリが、帰った……」
アメリの教室に着いた時には、すでにアメリの姿は見えなかった。
焦った俺は、アメリと先程仲良く話していたご令嬢を見つけ出し、すぐさま呼び止めた。
「はい。なんでも、再来週の休みの日にお招きするために、部屋の模様替えをするんだって張り切っておられましたよ」
「お、お招き!?」
家に招くのか!? ずっと会いたかったというお方を?
それをアメリの婚約者である俺に平然と言ってしまうあたり、このご令嬢は只者ではない気がする。
もしや!? アメリが俺との婚約を解消されたいがために送り込んだ刺客か!?
アメリほどではないけれど、可愛らしい見た目に反して、重要な事実をふんわりと俺に突きつける。
やましいことなど一切ないふりをして、きっと俺の出方を窺っているに違いない。
刺客として十分な資質を持っていると見受けられる。
このご令嬢、できる……
けれど、俺も今は何も気付いていないふりをして、この刺客から情報を聞き出さなくてはならない。
俺だって、これでも一国の王子、腕の見せ所だ。
「それ以外には、何か言っていなかったか?」
「えっと、あ! 一緒に寝るんだって……」
「い、い、い、一緒に、寝る!?」
終わった……
きっと既成事実を作ってしまおうという魂胆だ。
アメリ、そこまでその相手のことを? いや、だめだ、俺は絶対にアメリを手放すもんか!!
だったら、その相手よりも俺が魅力的な男になるしかない!!
俺はアメリ好みの男になるために、自分を磨き上げる決意を固めた。
「そのお方のことを教えてくれ」
「そのお方? お方!? ……えっと、確か名前は……」
「ちょっと待て、見た目、見た目はどんなだ?」
ここで、どこぞの貴族の子息の名が出てきたら結構ショックがでかい。生々しくて嫌だ。
だからと言って、隣国の王子だったらそれ以上にショックだ。
だから、まずはワンクッションをおこうと思う。一応、見た目だけなら俺にも自信があるから。
「見た目、ですか? 少し釣り上がった瞳が可愛いくて、艶々としていて、ずっといい子いい子したくなるけれど、抜け毛がひどいんですよね、そんなところも愛おしいんですけれど、ととても嬉しそうに仰られていました」
「抜け毛? それさえも愛おしい?」
そして嬉しそうに……
「もしかして、アメリは全身の毛が濃い方が好みなのか? 抜け毛さえも愛おしいってことは、ハゲてるところも可愛いってことか?」
刺客のご令嬢から、超有力情報を聞き出した俺は、帰りの馬車の中で自分がこれからどうあるべきかを考えていた。
俺は思わず自分の頭を触ってしまう。ふさふさしてる。
さらさらふさふさのこの髪は、俺の自慢でもあったのに。アメリの前では無意味だったとは、今まで全く気付きもしなかった。
「いっそ、剃るか。いや、無理。でも、アメリのためなら……」
俺はごくりと息を飲む。
「いや、まずはハゲる前の事を考えよう。全身毛むくじゃらで、アメリの気を引ける存在にならなくては……」
その時、深いため息が聞こえてきた。
「はあ、本当に残念な人ですよね……」
この側近、不敬極まりない。
カイル、お前、メガネを変えたからっていい気になるなよ。片眼鏡だなんて、随分と気取ったメガネを掛けやがって。
それから俺は努力した。研究も重ねて、毛がふさふさになるために育毛剤までも開発した。
けれど、全身毛むくじゃらになることは叶わなかった。どう考えても無理だった。
「やっぱり、体質による限界というものがあるのか。……だったら、もう偽りの姿に身を委ねるしかないのか」
俺は嘘で自分を塗り固める決意をしてしまった。まるで悪魔に魂を売ってしまった気分だ。
それから毎夜、寝る間も惜しんで、ちくちくちくちく。執務の休憩中にも、ちくちくちくちく。
「できた!」
会心の出来だ。
「これはすごい。殿下は本当に器用ですよね。殿下の、アメリ様に関することは全部自分の手で何とかしようとするところ、は尊敬に値します」
「ああ、どんどん褒めてくれ。思わず抱きしめたくなる手触りを意識したんだ。けれど、一作目の方が集中力も気力もあったから、絶対に上手くできたのに」
一作目は痛恨のパターンミスでサイズが小さく、泣く泣くお蔵入りした。
「コホン、育毛剤の方も売れ行きは驚くほど好調ですよ。殿下はやはり天賦の才がありますよね」
裏ルートで俺の開発した育毛剤を販売したら、めちゃくちゃ金になっているらしい。リピーター続出だ。
裏ルートといっても闇ルートではない。
ただ単に、表立って名乗りを上げられない方達が、裏ルートを頼り、こっそりと購入するらしい。
「みんな、困っているんだな」
けれど、アメリはそれさえも愛おしいと言ってくれる。天使か?
「ところで、カイルは何を作っているんだ?」
「ジェリーです」
「ジェリー?」
「ネズミの人形です」
「残念。俺とアメリ猫派だ。やはりお前とは趣味が合わないな」
そして今日は、アメリの部屋にあのお方が招かれる日。俺は奇襲をかける決意をした。
絶対に現場を押さえて見せる!!
「突然訪ねてきて申し訳ない」
「いえ、事前にお聞きしていましたから、何も問題ありませんよ。楽しみに待っておりました」
笑顔で出迎えてくれたアメリの父上の言葉を聞き、俺は無言でカイルを見た。
事前に連絡をしたら現場を抑えられなくなってしまうだろ、との怒りを込めて。
「何度も事前連絡なしに家にお訪ねするのは失礼にあたりますので、当然のことをしたまでです。サプライズをしたいから、アメリ様には内緒にしていただくようにと、予告状でお願いをしてありますからご安心を」
「なるほど」
さすがカイル。痒い所に手が届く男だ。
「アメリは部屋の中にいます。あと、トムもいますが、」
「トム!?」
「大丈夫ですよ。殿下の方がとても素敵ですから。絶対にアメリも喜びますよ。さあ、アメリの部屋へどうぞ」
トム、トム、トム、俺の頭の中は今、トムだらけだ。
「あのお方の名は、トムというのか」
国中のトムという名の男性が、俺の頭に中を埋め尽くしていた。俺は記憶力には自信がある。
あのお方の正体として、一番有力なのは、トムという名のカイルの顧客の男。
ワーナー兄弟の兄、御年80歳。
まだまだ現役ってことか、さすがレジェンドと言わざるを得ない。
けれど、トムトムばかり言ってはいられない。俺はアメリの部屋のドアの前に立った。そして、息を潜めてドアに耳を当てる。
『ふふ、トムったら可愛いんだから。本当に会いたかったわ!! 触っていい? きゃあ、柔らかいわね。ふふ、抱きしめたくなっちゃうよ。えっ、いいの? ……それじゃあ』
アメリが抱きしめる? そんなのだめだ!!
きっとこれを既成事実として「私は傷物になってしまったから、トーヤ様には相応しくありません。だから、婚約を解消されたいです」と言うつもりだ。
そんな事を考えてしまった俺の体は、次の瞬間には勝手に動いていた。
「だめだ!! アメリ、お願いだから、婚約を解消されたいなどと言わないでくれ!!」
「!?」
気付いたら、俺はアメリの部屋のドアを開け、部屋の中に飛び込んでいた。
俺の目に飛び込んできたのは、トムと熱い抱擁を交わすアメリの姿……
「えっ、トムって?」
猫だった。
「えっ、可愛い……」
アメリと猫の抱擁、やっべえ眼福。
「えっ、トーヤ様、嘘っ、可愛すぎです。抱きしめてもらいたい……」
抱きしめてほしい!?
アメリは今、トムよりも俺を見ている。
報われた。俺の三日三晩ちくちくした成果が。抱きしめたくなる手触りにこだわった甲斐があった。
「ああ、いくらでも抱きしめるぞ」
「本当ですか!?」
俺が手を広げて、嬉し涙を堪えるために上を見上げて待っていると、俺の胸に飛び込んできたのは、
「アメリ、いつの間にこんなに全身がもふもふに? ん? 全身がもふもふ? 全身が毛むくじゃら?」
トムだった。
「トーヤ様、とても可愛いです。トムともふもふ祭りですね」
顔を真っ赤に染めて、アメリが悶えてる。
「うわっ、アメリの方が可愛いって!!」
だから俺も悶える。そんな俺の腕の中でトムが離せと悶える。
「でも、ずるいです。トーヤ様だけ、そんな可愛い猫ちゃんの着ぐるみを着ているなんて」
俺は偽りの姿をしている。偽りでもアメリは受け入れてくれた。やっぱり天使か!
それよりも重大な事実が。
「もしかして、アメリも着たかったのか?」
アメリはこくりと頷いた。
しくじった〜!! これはペアルックで着るチャンスだったのでは!?
恋人たちの永遠の憧れペアルック。
何という失態を犯してしまったんだ俺は!! 最悪だ……
そこに颯爽と現れたのは、気取ったメガネを掛けたカイルだった。どうしてか、その頭にはシルクハットを被っている。
えっ、なんで? 邪魔じゃね?
シルクハットの中に手を入れて、まるで手品のように何かを取り出した。
「アメリ様のトムに、ジェリーをご用意致しました」
「まあ、トムのために! ありがとうございます」
一緒にちくちくしていたあのネズミのぬいぐるみは、トム用!?
そして、次にシルクハットの中から手品のように取り出したのは、
「そして、アメリ様にはこちらを。アメリ様専用の猫の着ぐるみです」
「えっ、本当ですか?」
カイルは一瞬にして、アメリの心を盗んでいった。歴戦を掻い潜った怪盗のように。
アメリは、俺と俺に抱かれたトムの存在を忘れてお着替えタイム。
トムはトムで、ジェリーを追いかけ回して遊び始めてしまった。
ひとりぼっちになってしまった俺は、カイルに詰め寄る。
「カイル、お前、全てを知っていたな。ちゃっかりジェリーまで用意しやがって」
「アメリ様のお家に招く猫がトムってことをですか? 当たり前じゃないですか。アメリ様だって、殿下という婚約者がいらっしゃるのに、男性を部屋に招いたりしませんよ。もし招くとしても、それをご友人に言うわけないでしょ」
ぐうの音も出ない。だから俺は話題を逸らす。
「じゃあ、もう一つ、アメリに渡した猫の着ぐるみって、俺が最初に作った猫の着ぐるみだよな?」
カイルに計測してもらった俺の寸法を元にパターンを起こして制作したはずなのに、出来上がってから、寸法を書いた紙を渡し間違えたとか意味不明な事を言われ、泣く泣くお蔵入りとなった幻の一作目。
「はい。初めにお渡しした寸法の紙は、アメリ様のものです」
「やっぱりか! まさか!? アメリの分も俺に作らせるために、わざと間違った寸法を俺に教えたのか?」
できる、この側近、やはりできる。
アメリが欲しがるのを予想して、事前にアメリ専用の猫の着ぐるみを用意しておくなんて。……作ったのは俺だけど。
いや、俺以外の者がアメリ専用の猫の着ぐるみを作ることなんて決して許されない。
まさか!? 俺のその気持ちさえも、カイルは読み取っていたのか?
カイル、お前は側近の中の側近だ!
けれど、ここで再び痛恨のミスが発覚した。
ちくしょう! アメリの寸法を記載した紙をカイルに返してしまった!! 思い出せ、俺は記憶力はいいはずだろ!!
けれど、煩悩が邪魔をして、うまく思い出せない。
悔しくて、俺はジェリーを追いかけるトムを追いかけた。そして撫でた。
そんな俺を不憫に思ったのか、トムが癒してくれる。やっぱり猫はいいな。
俺とトムが心を通わせ始めた時、アメリが戻ってきた。
「トーヤ様、どうですか? 似合いますか?」
天使が舞い降りた。
「アメリ、最高に可愛いよ!!」
神様ありがとう、そして、作った俺は天才だ。
「ふふ、トーヤ様もありがとうございます。今日はこれを着てトムと一緒に寝ます!」
熱い友情を交わしたはずなのに、一気にトムにジェラシーが芽生えた。
「ふっ」
「!?」
心なしかトムに鼻で笑われた気がした。いや、鼻で笑ったのはカイルだった。
本当に失礼な側近だ。失礼極まりない。
だが、そんなことよりも今はトムだ。トムのやつ、ずるいぞ、抜け駆けだ!!
だから、俺も知らぬうちに呟いていた。
「俺も一緒に……」
はっ!? 俺は今、何てことを言おうとしてしまったんだ!? このままでは、アメリにすけべな最低男だと思われてしまう。
「……もうっ、トーヤ様ったら、……結婚してから、ですよ。今はにゃめりちゃんで我慢していてくださいね」
恥ずかしそうに、アメリが約束してくれた。堪らず俺は元気よく返事をする。
「うんっ!!」
今ならきっと、過去最高の名曲が生まれる。そんな気がした。
そうだ! 完成したら結婚式で歌おう。