第七十話「国家魔術師として」
普段の習慣からか、今日も早朝に目が覚めた。遂にエルザを救えるという気持ちと、初めて受験する国家魔術師試験の内容に対する不安を覚えた。王都アドリオンには既に大勢の冒険者が訪れており、魔族の出現の噂がアドリオンでも広がっているからか、新たな国家魔術師の誕生を心待ちにしている市民が多い様だ。ラサラスにも市民達が訪れ、俺達の国家魔術師試験合格を応援してくれる人も多い。
「マスター。入ってもいいかしら」
「おはよう、ララ」
扉の向こうからララの透き通る心地の良い声が聞こえてきた。扉を開けると、彼女は小さな手で大皿を持ち、大量の料理を載せたものを俺に渡してくれた。今は朝の四時頃だろうか。忘れもしない去年の二月一日、レーヴェがデーモン率いる魔物の群れに襲撃された。あれから一年経ったのだな……。随分長い間鍛錬を積んできた気がする。
「俺のために用意してくれたのかい?」
「勿論。私のマスターなんだから。これを食べて力を付けて頂戴」
「ありがとう。ララ」
大皿の上にはブラックウルフのステーキと、デーモンの乾燥肉とチーズを挟んだパン、それから狂戦士の果実が載っている。市場でもなかなか手に入らない狂戦士の果実は、ここ最近は値段が徐々に上がっており、今日の国家魔術師試験の際に狂戦士の果実を使用する冒険者も多い様だ。冒険者達が大量に買い込むから品薄状態が続いていたので、試験当日に狂戦士の果実を用意する事は不可能だと思っていた。
しかし、この果実は使いどころが難しい代物だ。強い闇属性を含む物なので、大量に摂取すれば一時的に精神が乱れ、感情が高ぶり、自分の意思で肉体を制御出来なくなる。限りなく獣に近い存在になり、本能的に狩りを始めるのだ。この果実を食べた者が人間や魔物を見境なしに襲い始めるので、狂戦士の果実という名前が付いている。
ブラックウルフのステーキを切ってゆっくりと食べ、精神を落ち着かせるために葡萄酒を一口飲む。試験は八時からだから、時間にはかなり余裕がある。本来ならレベッカさんと訓練をしている時間に、部屋で休んでいる事がとても新鮮で、久しぶりにゆとりのある朝の時間を満喫する事にした。
「体調はどう? 合格、出来るよね?」
「体の具合も魔力も完璧だよ。疲労も抜けてるし、気分も落ち着いている」
「そう……私のマスターならきっと合格するって期待しているからね」
「私の……? ありがとう。必ず合格してみせるよ」
連日の激しすぎる訓練により、肉体の状態は人生で最も充実している。魔力を使い続けているからだろうか、周囲の魔力の雰囲気が手に取る様に分かる。ギルド内の離れた場所に居る仲間の動きさえ理解出来るのだ。従って、ララが扉に近づいてきた時も、すぐにララだと分かった。体内に強い魔力を秘めている相手程察知しやすい。
パンにデーモンの肉とチーズを挟んだ物を食べる。ララが俺よりも早い時間に起きて料理をしてくれたと思うと、無性に嬉しくなった。ララの期待に答えるためにも、俺を鍛えてくれたレベッカさんの弟子として最高の結果を残すためにも、今日の国家魔術師試験を一位で合格してみせる。俺の目標はフェニックスの召喚書を手に入れる事だ。一位以外で合格しても意味がないんだ……。
まさか一介の村人だった俺が、国家魔術師試験に挑戦する事になるとは思わなかった。思えばデーモンの襲撃が俺の人生を変えたのだ。苦痛ばかりだったが、仲間達が居たから今日まで頑張れた。俺を信じてくれる仲間達のために、アドリオンで最強のギルドマスターだと証明して見せる。
忘れていたが、昨日は俺とララの十六歳の誕生日だった。エルザとは誕生日が一日しか違わないので、毎年同じ日に誕生日を祝っていたが、自分の誕生日さえ忘れていた。誕生日を祝う時間も無かったから、レベッカさんが訓練の後に小さなケーキを買ってくれたのだ。今日、国家魔術師試験終了後、ヴィルヘルムさんとリーゼロッテさんが結婚式を挙げるから、その時に俺達の誕生日も祝って貰える事になっている。
「マスター。私に居場所をくれてありがとう」
「どうしたの? 急に」
「国家魔術師試験って、多くの受験者が命を落とすのでしょう? もしかしたらマスターとも今日でお別れになるかもしれないから……」
「縁起の悪い事を言わないでくれよ。だけど、ありがとう。これからもララと一緒に居られる様に、必ず生き延びて試験に合格するよ」
ララは俺の肩によじ登ると、小さな手を俺の頬に添え、優しく口付けをしてくれた。ララと触れ合っている時が最も魔力が充実する。同じ闇属性を秘める生物だからだろう。近くに居るだけで心地良さを感じるのだ。
それから俺は悪魔の魔装を身に纏い、デーモンイーターを持った。狂戦士の果実を食べると活力が漲り、魔力が極限まで高まった。ララと共に一階に降りて素振りを始める。まだ試験まで時間があるのだ、筋肉を動かして戦いの勘を研ぎ澄まし、肉体を温めておこう。
ゆっくりと剣技を確認する様にデーモンイーターを振り続けると、仲間達が降りてきた。ティファニーは緊張した面持ちで試験の内容をあれこれ予想し、ヴィルヘルムさんは緊張が限界に達したのか、腕を組んだままじっと床を見つめている。リーゼロッテさんはクラウディウスさんと木剣で打ち合っている。
レベッカ師匠、妖精の館のアドルフィーネさん、発明家のキルステン男爵とガーディアンのクリステル、鍛冶職人のロタールさん、戦士のロイスさん。それからボリスとブリュンヒルデがギルドに集まると、仲間達は俺達に励ましの言葉を掛けてくれた。ヴィルヘルムさんは頭が真っ白になっているのか、呆然としながら静かに頷いてレベッカさんの話を聞いている。
「一次試験は魔法能力を測る試験だけど、同時に冒険者としての資質、国家魔術師になった際に都市を防衛出来るかどうか、魔物に対する強さや精神力などの総合的な力が試される内容だから、試験の最中の行動が全て選考の対象になっていると考えた方が良いわ。私が受験した時は市民を救いながら魔物を討伐するという内容だった」
「選考に落ちる基準はあるんですか?」
「救出すべき対象を死なせない事。これさえ守れたら一次試験は通過出来るわ。ただ、一次試験で半数近くの受験者は落脱すると考えていいわ。二次試験を受けるに値する冒険者を選別するものだから、試験の内容は通常のクエストよりも遥かに難易度が高い」
受験者の魔法の能力を測りながら、冒険者として適切な行動が出来るかどうかを調べる内容なのだろう。試験内容が全く予想出来ないが、突然のクエストや討伐依頼は慣れているので、どんな状況にも対応出来る自信はある。恐らく一次試験は簡単にパス出来るだろう。
「二次試験は戦闘能力試験。これは至ってシンプルで、受験者の強さを測るものよ。ただ自分自身の強さを証明すればいい。魔物の討伐数によって得点が決まる仕組みになっていて、より強い魔物を仕留めれば一気にポイントを稼ぐ事が出来る。反対に、他の受験者に高ポイントの魔物を討伐されたら、ポイントを稼ぐ機会を失うから気をつける事。二次試験の得点上位者、十名のみが最終試験に進む事が出来る」
「最終試験は決闘なんですよね?」
「ええ。どちらかが敗北を認めるまで戦う。相手に致命傷を与える、命を奪う行為は禁止されいるから、くれぐれも対戦相手を必要以上に痛めつけない様に。また、一定の時間が経過しても試合が終わらない際には、戦闘の技術を判断し合格者を決める。勝者の五名には国家魔術師の称号が授けられ、一位から三位には賞品が贈られる」
一位が聖獣、フェニックスの召喚書、二位が幻獣、ユニコーンの召喚書。三位が幻獣、アイスドラゴンの召喚書だ。
「ですが、順位はどうやって決まるんですか?」
「二次試験の得点がそのまま順位になるの。だから、二次試験でいかに多くの魔物を狩り、ポイントを稼ぐかが重要になってくる。ちなみに、私は一位で合格する事が出来たわ。私の時は一位合格者だけが賞金を百万ゴールド貰えたの」
「百万ですか……途方もない金額ですね」
「そうよ。今回は一位から三位までは五十万ゴールドずつ貰えるみたいね。ヴィルヘルム、男なら必ず三位までに入って、リーゼロッテとの新婚生活の資金にしなさいね」
「勿論です、レベッカさん」
レベッカさんから一通り試験についての説明を受けると、俺達は遂にギルドを出た。町は国家魔術師試験を観戦する市民達や受験者で溢れており、何万人もの人が闘技場に向かって進んでいる。それから俺達受験者五名は受付で所属のギルドとレベル等を伝えると、遂に試験を受験するための準備が整った。
試験を観戦する仲間達と別れてから控室に入ると、千人を軽く超える冒険者の集団が待機していた。魔法を唱えて試験に備える者や、武器を振る者、受験者同士で口論をする者など、様々な受験者が居るが、どうから俺達が最も若い様だ。
十五歳や十六歳程の若い受験者は見当たらない。というのも、受験をするにはレベル四十を超えていなければならないから、若い駆け出しの冒険者は居ないのだ。中年の冒険者の姿も多く、若い俺達が控室に居るからだろうか、露骨に怪訝な表情を浮かべている。地方から着た冒険者達は俺達ラサラスのメンバーの風貌を知らないが、アドリオンや近隣の地域の冒険者達は俺達を見て、ラサラスの冒険者だとすぐに理解した。
「今年は剣鬼が受験するのか。一位は剣鬼で決まりって訳だ。全くツイてないよ」
「まさか、十代の若造に負ける筈がないだろうが」
「剣鬼の隣に居るのって、剣聖、クラウディウス・シュタインか! レマルクの英雄がどうしてここに……!」
「大陸で最強のギルド、ラサラスのメンバーが五人も受験するのか。今年の合格は諦めた方が良さそうだな。幻獣を二体同時に討伐する冒険者集団に敵う筈がないんだ……」
俺達を見て嘆く者も居るが、罵声を放つ者も居る。『討伐した幻獣が低レベルだったのではないか』『剣鬼や剣聖とは名ばかりで、闇属性を秘めた人間ですら無い魔物』だと言う受験者も居るが、何を言われても俺は人間を守るために戦い続けているので、心無い言葉によって気持ちが揺れ動く事もない。
どうやら一次試験の準備が整った様だ。控室に今回の試験の監督、ギルド協会のグラーフェ会長と試験官達が入ると、控室は一気に静まり返った。
「私はアドリオンのギルド協会会長、国家魔術師のガブリエル・グラーフェだ。今回の試験の監督を務める。この場で冒険者諸君に発表しなければならない事がある。最近、ゼクレス大陸に魔族が出現したと噂になっているが、あれは事実だ。ここに居る冒険者ギルド・ラサラスのギルドマスター、剣鬼、クラウス・ベルンシュタインが魔族を退ける事に成功したのだ」
冒険者達はグラーフェ会長の突然の告白に驚き、中には試験を放棄して逃げ出す者も居る。魔族が人間を殺め、魔王が大陸の支配を始めている事は事実なのだ。デーモンやレッドドラゴンをも従わせる事が出来る魔王が、人間の地を何度も襲撃している。魔物を放って地域を襲撃しているから、背後に魔王が居る事は分からなかったが、デーモンやギラ・アイスナー、ディースでの魔族の言葉が魔王の存在を明言している。一般の市民には情報を規制していたが、なぜ今日このタイミングで魔族の出現を発表したのだろうか。
「五百年程前に魔王が大陸を支配したが、ファステンバーグ王国とハイデン王国の国家魔術師、三百人からなる討伐隊が魔王と配下の魔物、魔族を仕留める事に成功した。たった一人の王を仕留めるために、二百九十人もの国家魔術師が命を落としたのだ。それも、我々が暮らす今の時代よりも、遥かに高レベルの魔物が多く生息していた時代の話だ。今回の国家魔術師試験に合格すれば、魔王討伐作戦に参加して貰う事になる。新米の国家魔術師の手を借りなければならない程、事態は深刻なのだ。国家魔術師になり、魔王との戦闘を望まない者、民を守るために命を捨てる決意が無い者は去れ! 中途半端な決意で試験を受けに来た者に用は無い!」
グラーフェ会長の言葉を聞いて、慌てて控室から飛び出す受験者が数十名。試験に合格すれば魔王討伐のために駆り出されるのだ。本気で国家魔術師を目指す者以外にはあまりにも荷が重い。
「だが、これは諸君の名を上げる機会でもある! 魔王討伐作戦に参加出来るのだ! 己の力で魔王を討ち、民を守るために人生を捧げる決意した者はこの場に残れ。国家魔術師とは大陸で暮らす民を守る力! 弱き者に用はない!」
グラーフェ会長が怒鳴ると、興味本位で試験に臨もうとしていた者達はすぐに逃げ出した。グラーフェ会長に煽られて逃げる様では、とてもではないが魔族の支配から人間を守る事は難しい。それから受験者達が三百名程控室から退出すると、八百名程が残った。己の力で民を守ると誓った最高の冒険者達のみが残ったのだ。
「国家魔術師試験の合格者は毎年五名だが、二次試験で好成績を残した者はアドリオンの有名ギルドから加入の依頼等が来る事も多い。今日は冒険者として名を上げる最高の機会だ! 己の力を市民の前で証明しろ!」
グラーフェ会長の言葉と共に控室は盛り上がり、冒険者達は武器を構え、緊張した面持ちで入場口を見つめた。グラーフェ会長が一次試験開始の合図をすると、闘技場に続く扉がゆっくり開き、熱狂的な歓声が聞こえてきた……。




