第四十九話「剣鬼と幻獣」
村人の死体を見て思わず涙が流れた。恐る恐る死体を触ってみると、生暖かく、感触も本物だったので、俺は焦りを感じながらも村を走り回って魔物を探す事にした。この村の何処かに、村を襲撃した魔物が居る事は間違いない。もしかすると、本当に幻獣のサイクロプスがこの村に居るのかもしれない。だが、どうして俺はこんな状況に居るんだ?
これは試験なのか? 死体は本物だった。現実としか思えないが、この状況を否定したい自分が居る。震えながら村を走ると、村人達が俺の姿を見て泣きついてきた。服には血がこびり付いており、大粒の涙を流して俺を見上げている。
「冒険者様……! どうかお助け下さい!」
「サイクロプスが……! 娘が見つからないんです!」
「やはりサイクロプスが居るんですね……分かりました。俺がなんとかしますから、すぐに非難して下さい」
村の地下には一時的に身を隠せる空間があるみたいなので、森に入るよりは安全だと考え、俺は村人達を探して避難を呼びかけながら、サイクロプスを探すために民家の屋根の飛び乗った。サイクロプスは気配を消しているのか、僅かな音を頼りに屋根を飛び移って移動を繰り返すと、俺は遂にサイクロプスを見つけた。
赤い皮膚に金属製の巨大な棍棒。身長は四メートル以上あり、赤子を抱いた女性と、腕から血を流す少女を見つめている。大きな一つ目を機敏に動かして俺達を見つめると、俺はクレイモアをサイクロプスに向けて少女と女性の前に立った。
「誰か一人を差し出せば他の者は見逃してやる。お前達で話し合って決めるんだな」
サイクロプスが気味の悪い笑みを浮かべると、赤子を抱いた女性が少女の背中を蹴り飛ばした。
「あんたが行きなさいよ! 私はこの子を守らなきゃならないんだから……!」
「ふざけないで! どうして私が! 誰か一人でいいならその子を差し出せばいいじゃない!」
「馬鹿な事を言わないで! 私はこの子を守るためなら何でもするわ! あなたを殺して差し出してもいい!」
不思議とどちらの人間も守りたくない気分になるのはどうしてだろうか。魔物を前にすると、人間の本性を知る事が出来る。普段いくら立派な事を言っている人間でも、魔物を前にすれば逃げ出し、相手を犠牲にしても生き延びようとする。
ヴィルヘルムさんの様に、ローゼさんを守るために敵の攻撃を受けたり、ティファニーの様に大怪我をした俺を無数の魔物から守り抜いてくれる人は殆ど居ないだろう。
それから暫く二人が口論を続けると、サイクロプスは微笑みながらよだれを垂らした。
「全く人間は醜い! この質問をすれば最後は必ず殺し合いになる。例外はない。冒険者よ、お前が誰か一人を殺して差し出してもいいぞ。生死は問わない。一人分の体を寄越せ。俺は腹が減っているんだ」
グラーフェさんに対しては、俺が命を差し出すと宣言したが、醜い言い争いを見ていると、次第に気分が悪くなってきた。どうしてこんな人間を助けなければならないんだ。冒険者をしてきて、俺の事を認めないレマルクの様な地域を守る事が非常に腹立たしかった。
だが、俺が魔物を狩れば地域がより安全になり、魔物と戦う力を持たない人が安心して暮らせるだろうと思って、今日まで必死に努力してきた。俺が守ってきた人間はこんな連中だったのか。俺の仲間の様に、愛する者を救うためなら、勇敢に魔物に立ち向かおうとする者は少ないのだろう。
赤子を守るために怪我をした少女を蹴り飛ばし、サイクロプスの方に押しやる悍ましい女。自分が助かりたいから赤子を差し出せと言い、女からどうにか赤子を奪おうとする少女。全く人間は醜い。だが、俺は冒険者なのだから、全ての人間を守らなければならない。
「俺の命を差し出します」
「そうよ! 村の人間じゃないんだから、あんたが死ねばいいのよ!」
「ええ! 冒険者なんだから、私達を守りながら死になさい!」
俺は女と少女の頬を力強く叩くと、サイクロプスの前に立った。
「さぁ、これで満足か? 俺を殺せば良い」
「ああ、満足だ。それではお前はこちらに来い」
俺はサイクロプスの足元に進むと、サイクロプスは俺の体を持ち上げた。それから満足気に笑みを浮かべ、口を大きく開いた。生きたままの俺を喰らおうとしているのだろう。このままでは確実に食い殺されるので、俺はサイクロプスの指をこじ開けて、瞬時に両手をサイクロプスの顔面に向けて火の魔力を溜めた。
「ファイアボール!」
巨大な炎の球を作り出して飛ばすと、サイクロプスは目にも留まらぬ速度で棍棒を振り、いとも簡単に炎の球を弾き飛ばした。一体どういう反射神経をしているのだろうか。俺のファイアボールを正確に弾き飛ばすとは。それからサイクロプスは怒り狂って棍棒を振り上げると、上空に雷雲が発生した。
「サンダーボルト!」
サイクロプスが棍棒を振り下ろすと、上空から一条の雷光が落ちた。反射的に敵の魔法を回避してサイクロプスの胸部まで飛び上がり、クレイモアで水平切りを放って敵の体を切り裂いた。サイクロプスは痛みの悶えながらも、怒り狂って棍棒を振り回し、民家を吹き飛ばした。
今まで出会った幻獣の中でも特に力が強く、獰猛で知能も高い。何と戦いづらい敵なのだろうか。ゴブリンロードを遥かに上回る筋力があり、尚且つ攻撃速度はゲイザーをも上回っている。
サイクロプスは俺を見下ろして棍棒を振り下ろすと、俺は瞬時に棍棒を回避し、敵の棍棒の上に立った。それから左手をサイクロプスの顔面に向けて炎の矢を放つと、サイクロプスは驚異的な反応速度で炎の矢を避けた。巨大な目はただ大きいだけではなく、敵の攻撃の軌道を正確に把握する力があるのだろう。
サイクロプスが棍棒を振ると、俺はバランスを崩して地面に落下を始めた。落下の最中にサイクロプスが俺の体を殴ると、俺の魔装は大きく変形し、息が止まるほどの激痛を感じた。力なく地面に落下すると、サイクロプスの巨大な足が俺の体を踏み潰した。
この圧倒的な力と、猛烈な痛み。これは幻影ではないのだ。俺は全身から火の魔力を放出してサイクロプスの足を焼くと、敵はやっと俺の体から足を退けた。侮辱的な攻撃に対して激昂し、クレイモアを鞘に仕舞うと、俺は全力で地面を蹴って飛び、拳を握ってサイクロプスの胸部を殴りつけた。骨が砕ける音がすると、俺の手は敵の肉に食い込んだ。そのままの状態で火の魔力を放出すると、サイクロプスの体は瞬く間に燃え上がった。
地面に着地してからクレイモアを抜き、地面を蹴って上空に飛び上がると、俺の体はサイクロプス目掛けて急降下を始めた。クレイモアを両手で握りしめ、力の限り敵の脳天に剣を振りおろすと、敵の頭骨が砕ける音が響いた。瞬間、クレイモアが根本から砕けた……。
武器を失った事によって悲しみを感じたが、たった一人でサイクロプスを討伐出来た事に喜びを感じた。サイクロプスの死骸は暫く燃え続け、赤子を抱いた女と少女はいつの間にか消えていた。
勝負を終えて安心したからか、サイクロプスに殴られた痛みを思い出し、俺は地面に倒れ込んだ。痛みの余り次第に意識が遠のくと、俺の頬に柔らかい手が触れた。
「クラウス……」
「え……? レベッカさん?」
慌てて目を開けると、そこはギルド教会だった。何が起こっているんだ? 確かにクレイモアは砕けており、全身に気だるさを感じるが、体の痛みは消えている。レベッカさんは目に涙を浮かべ、俺を抱きしめると、俺の顔には彼女の豊かな胸が触れた。ローブ越しでもかなり胸が大きい事は分かっていたが、なんとも言えない暖かさと柔らかさに幸福を覚えた。
「おめでとう、クラウス・ベルンシュタイン。冒険者ギルド・ラサラスの設立を許可する」
「ありがとうございます……グラーフェさん」
「今の心境は、何が起こったか分からない、といった感じかな」
「はい、村での出来事は一体何だったんですか?」
「君はアドリオンの商業区にある闘技場を知っているかな? そこでは様々な催し物が行われるのだが、ギルドマスターの適正試験も闘技場で開催されるのだ。さっき君が居た場所は闘技場、あの農村は闘技場の職員が作ったセットだ」
「まさか……! ですが、俺の剣は折れてますし、死体は本物でした!」
「限りなく本物に近い死体。あれは私の幻影魔法で作り出したものだ。それからサイクロプスも実物ではない。あれは魔物の容姿を忠実に再現出来る闇属性の悪魔、ベレムという生物だ」
「全て嘘だったという訳ですか?」
「そういう事だ。君はあの場で最善の行動を取った。正解は自分自身を差し出す事だった。私は民のために命を捨てる覚悟がない者はマスターになる資格が無いと判断しているのだ」
グラーフェさんは優しい笑みを浮かべ、会長室に俺とレベッカさんを通してくれた。レベッカさんは俺の手を握り、目に涙を浮かべながら喜んでいる。俺は本当にレベッカさんから愛されているのだな。
「以前、国家魔術師試験では受験者が命を落とすという話しを友人から聞いた事があるのですが、試験でもベレムという悪魔を使って今回の様に受験者の強さを判断するのでしょうか?」
「それは違う。今回はベレムを使ったが、国家魔術師試験では本物の魔物を用意する。一次試験では毎年四百名近くの受験者が命を落とす。反対に、二次試験では死者は少ない。最終試験では決闘を行うが、相手の命を奪う行為は禁止されている」
「国家魔術師試験では本物と戦う事になるんですね」
「そうだ。しかし、先程のサイクロプスも実物のサイクロプスをモデルにしているから、本物と大差ない力を持っていた。実質、クラウスは自分一人の力でサイクロプスを仕留めたという事だ。やはり、剣鬼という二つ名は伊達ではないのだな」
「圧倒的な強さでした。サイクロプスとは二度と出会いたくありません」
「来年の国家魔術師試験でも幻獣クラスの魔物が登場する事が決まっている。一人で幻獣を仕留める事が出来ない者は、国家魔術師になる資格はないと思っている。勿論、最終試験で勝ち抜けば称号自体は与えるが、そんな者が国家魔術師になっても、長生きは出来ない」
俺は遂に一人で幻獣と討伐出来るまでの力を手に入れたのか。グラーフェさんの言葉に感動を覚えながらも、国家魔術師試験で幻獣を討伐すると考えると、今から気が重くなってきた。
「本来なら先程の試験は、サイクロプスがクラウスを飲み込んだ瞬間、ギルド協会に転移する仕組みになっていた。だが、君は勇敢にもサイクロプスに挑み、圧倒的な力でねじ伏せてしまった。まさか。殴ってサイクロプスの骨を折る者が存在するとは思わなかった! 私は君の戦い方にすっかり惚れてしまった……」
「無我夢中でした。敵の攻撃に腹が立ったので、全力で拳を叩きつけましたよ」
「とてつもない筋力だな。人間としての心を持つ悪魔か。剣鬼、クラウス・ベルンシュタイン。偉大なるギルドマスターの誕生に立ち会えて嬉しいよ。こんなに興奮した日は、レベッカが国家魔術師試験に合格した時以来だろうか」
「光栄です。グラーフェさん」
「それから、先程は挑発する様な事を言って悪かった。試験の最中にも、村人が君を挑発したが、あれも私の魔法が作り上げた幻影だ。到底守りたいと思えない相手を前にしても、冷静に判断出来る力があるかどうか、確かめさせて貰ったんだ」
「道理で性格が悪すぎる村人だと思いました」
「そうだろう。我ながら良く出来ている試験だと思う」
それから俺はグラーフェさんから何度も試験の内容を称賛され、折れたクレイモアを直すために、腕利きの鍛冶職人をして貰う事になった。グラーフェさんは羊皮紙に羽根ペンを走らせ、これを持っていけば格安で武器を修理してくれると言って俺に差し出した。どうやら国家魔術師御用達の職人らしく、武具の製造に関してはファステンバーグ王国で右に出る者は居ないらしい。
国王陛下が儀式の際に使う剣や、国家魔術師が身に付ける装備を専門的に作ってるらしく、一般の冒険者相手には武具を作らないのだとか。ギルドマスターの資格を得て、国家魔術師の紹介状がなければ会う事すら出来ない、非常に多忙で、最高の腕を持つ方らしい。
「ギルドの運営で分からない事があればいつでも私を訪ねてくるが良い。まぁ、クラウスが国家魔術師試験に合格すれば、来年からは共に魔物討伐をする事になると思うが、今後の活躍を期待しているぞ」
「ありがとうございます。グラーフェさんのご期待に添える様に頑張ります」
俺はグラーフェ会長と硬い握手を交わしてから、レベッカさんとギルド会館を出て、早速クレイモアを修理を依頼しに行く事にした……。




