第四十七話「賭けと衝突」
眠る時と風呂に入る時以外、二百キロの重りを外す事も出来なかった。レベッカさんを信じて徹底的に肉体を酷使し、筋肉の破壊と回復を永遠と続け、俺の体は生まれ変わった。肉体は俺の人生十五年間で最も充実しており、溢れ出んばかりの魔力は体内に留めておく事も難しい。
国家魔術師という強敵に興奮しながらも、冷静に相手の動作を分析出来る自分が居る事に驚きを感じる。フェリックスさんが二本のダガーを構えた瞬間、レベッカさんが試合開始の合図をした。
前回とは比べ物にならない程の速度で、次々とダガーで攻撃を仕掛けてくる。俺はクレイモアに炎を纏わせ、全力で水平斬りを放った。
フェリックスさんが二本のダガーで俺の剣を受け止めた瞬間、全身の筋肉を総動員させ、全ての魔力を放出する勢いでフェリックスさんの体を押した。瞬間、鋼鉄製のダガーがいとも簡単に折れた。遂に相手の武器を破壊出来る程の力を手に入れたという訳か。
フェリックスさんは瞬時に後退し、右手を頭上高く掲げると、地属性の魔力を放出して石の斧を作り上げた。巨大な石の斧を両手で握ると、鋭い垂直斬りを放ってきた。俺はフェリックスさんの攻撃を左手で受け止めると、石の斧を全力で握り、武器を木っ端微塵に砕いた。
悪魔である俺がレベッカさんの殺人的な訓練に耐え続け、徹底的に肉体を鍛えた結果、石をも握り潰せる握力を手に入れたのだ。人間時代なら到底考えられなかった力に驚きながらも、全力でフェリックスさんにクレイモアを叩き込んだ。フェリックスさんは斧を砕かれて狼狽したが、瞬時に後退して床に両手を付いた。
「ストーンウォール!」
フェリックスさんが魔法を唱えると、目の前の空間には高さ三メートル程の巨大な壁が出現した。これ程までに巨大な壁を瞬時に作り出せる魔法能力。ヴィルヘルムさんも防御魔法に精通しているが、氷の壁を作るよりも石を生み出す方が魔力の消費が激しい。
俺は左手を石の壁に向けて火の魔力を溜めた。ブラックウルフを仕留め、魔石から習得した攻撃魔法、ファイアボールを全力で撃ち込むと、石の壁は粉々に砕けた。フェリックスさんは防御魔法を破壊されて動揺しているのか、震えながら後ずさりした瞬間、俺は全力で床を蹴ってフェリックスさんの間合いに入った。左の拳を握りしめてフェリックスさんの腹部に全力で撃ち込むと、フェリックスさんは瞬時に両腕をクロスさせて防御した。
「ストーンシールド……」
フェリックスさんの体の前には石の盾が出現したが、俺はそのまま盾を殴り抜いて破壊し、フェリックスさんの腹部に拳を当てた。勝利を確信した瞬間、フェリックスさんの体が宙を舞い、入り口の扉を突き破って吹き飛んだ。それからフェリックスさんは通りの反対側の店に激突すると、力なく立ち上がって敗北を認めた。
「七秒ですね……レベッカさん」
「ええ。信じられない。本当にフェリックスを倒してしまうなんて!」
「俺にはクラウスの動きを目視出来ませんでした……」
「私も見えなかったわ」
「ティファニーには見えたのだろう? クラウスの攻撃が」
「ええ……僅かに見えました。だけどあまりにも早すぎて……」
仲間達が唖然とした表情を浮かべながら俺を見つめると、レベッカさんが俺を強く抱き締めた。
「私の弟子が国家魔術師を倒したんだ! これは本当に凄い事なのよ。一般の冒険者がファステンバーグ王国の最高戦力をたった七秒で倒したのだから! なんて強さなのかしら……クラウスならもしかしたら、聖獣をも一人で討伐出来る国家魔術師になれるかもしれない!」
「フェリックスさんに勝てたのは、彼がお酒を飲んでいたからですよ。きっと普段のフェリックスさんには敵わない筈です」
「お酒を飲んでいたから戦いに負けても良いという事はないの。私達国家魔術師は、魔物が不意に町を襲えば直ちに出動して市民を守る。たとえ大量のお酒を飲んでいても、就寝中でも、食事中でも戦いに負けてはいけないの」
「その通りだ、レベッカ。国家魔術師はいかなる敗北も許されない。王国の最高戦力なのだからな。勝負は俺の負けだよ。クラウス・ベルンシュタイン、君は間違いなく俺よりも強い! 来年の国家魔術師試験の観戦が楽しみで仕方がないよ。たった十五歳で俺をぶちのめす奴が居るんだからな!」
フェリックスさんが満面の笑みを浮かべながら俺に握手を求めると、俺はフェリックスさんと固い握手を交わし、力強く抱き合った。一度剣を交えれば友情を感じるのはどうしてだろうか。戦ってみて初めて相手の性格が分かる。戦いが相手の性質を教えてくれる事があるのだ。
「本当に凄いな。私も早くクラウスに追いつきたい……!」
「ティファニーは今でも十分強いと思うよ。エンチャントで攻撃速度を強化出来るんだから、将来は俺よりも早い攻撃を撃てる様になると思うし」
「同じ十五歳なのに、クラウスはいつも私を守ってくれるし、国家魔術師まで倒してしまうのだから。本当にいつもクラウスには驚かされるわ」
「ティファニーを守るのは当たり前の事だよ。俺が君を守ると誓ったんだから、何があっても守り抜くよ。俺が弱いから、時々ティファニーに迷惑を掛ける事もあるけど……それでも俺が君を守る」
「クラウス……」
ティファニーが俺の手に触れた瞬間、興奮で胸が激しく波立つのを感じた。好きな人に少し触れるだけでも緊張し、恥ずかしくなって、相手の顔を見る事も出来ない。俺は本当にティファニーの事が好きなのだろう。レーヴェを出てからすぐに出会った大切な仲間だ。これからも俺がティファニーや仲間達を守り抜くんだ……。
時には自分では敵わない相手と遭遇するかもしれないが、体を炎で燃やされても、両足の骨を砕いても、両腕の骨を折っても、愛する者はこの体で守り抜く。エルザを守れなかった苛立ちは、いくら時が過ぎても消えない。
レーヴェを襲ったデーモンに対する復讐心、レッドドラゴンと正体不明の召喚師に対する復讐心が俺を焦らせ、恐怖心が更なる力を求める原動力となる。
忌々しいレッドドラゴンを全力で殴り、一撃で敵の命を奪える程の爆発的な力が欲しい。尻尾を振るだけで俺の両腕を粉々に砕いたレッドドラゴンの事を考えただけで、怒りがこみ上げてくる。それに、ティファニーを泣かせた魔物だからだろう、強い復讐心が精神を支配しそうになる。
レッドドラゴンを召喚した女は一体何処に逃げたのだろうか。あの女がトロル・ラミア召喚事件の真犯人である事は間違いない。もしかするとレーヴェの付近でデーモンを召喚したのもあの女の仕業かもしれない。俺から平和な生活を奪った真犯人の可能性も極めて高い。何としても女を見つけ出して問い詰めなければ気が済まない。
「この建物は今日から君の物だ。好きに使うと良い」
「本当に頂いてもよろしいのですか?」
「勿論だ。国家魔術師が約束を破る訳にもいかないからな」
フェリックスさんから酒場の鍵と権利書を頂くと、俺は何だか申し訳なくなってしまった。それからフェリックスさんは荷物を纏め、颯爽と酒場を出た。
「ここを改装するにもまずは掃除をしなければならないわね。浮いたお金でフェアリーを雇うのはどう?」
「良い考えですね、リーゼロッテさん。フェアリーが居れば掃除もすぐに終わるでしょう」
「それじゃ私がフェアリーを探してくるわね」
「よろしくお願いします」
リーゼロッテさんはティファニーを連れて酒場を出た。アドリオンに来て一時間程が経っただろうか、まさかこんなに大きな酒場を手に入れる事が出来るとは。二階部は宿になっているのだから、今日から宿泊場所には困らないという訳だ。
「流石はヴィルヘルムね、国家魔術師を挑発して賭けを了承させるとは」
「クラウスなら重りがなければ勝てると思ったので、つい思い切った条件を提示してしまいました」
「結果は完全勝利。無料で新たな拠点を手に入れるとは……」
「あの、レベッカさんはヴィルヘルムさんに耳打ちをしていましたが、どんな事を話していたんですか?」
「あれはただ、フェリックスは賭け事が好きだと教えただけなの」
「そうだったんですね。やっぱりヴィルヘルムさんの話術は凄いです。六十万ゴールドも節約する事が出来たのですから」
「クラウスがフェリックスさんを倒したからだろう。素晴らしかったぞ。もはや俺では理解すら出来ない次元の戦いだった。動きが早すぎて目視すら出来なかったよ」
「ヴィルヘルムさんは魔法職ですからね。毎日剣を練習していたら、きっと目で追う事も出来た筈です」
「仲間がますます強くなるのは嬉しい事だ。さて、タダで頂いた酒でも飲もうか」
「今日はお祝いだから、ヴィルヘルムの重りも外してあげるわ。久しぶりにゆっくり休みましょうか」
こうして久しぶりに訓練を休む許可を頂き、俺達はティファニー達の帰りを待ちながらエールを飲む事にした。フェリックスさんが大陸中を回って買い集めた秘蔵のエールはどれも質が高く、ヴィルヘルムさんはすっかり酔が回ったみたいだ。丁度良い機会だからリーゼロッテさんとの関係を聞いてみようか。
「ヴィルヘルムさん、前から気になっていたんですけど。リーゼロッテさんとはどういう関係なんですか?」
「どうもこうも、ただの仲間だぞ」
「恋人同士という訳ではなかったんですね」
「勿論そうだ」
ヴィルヘルムさんはゴブレットにエールを注ぎ、氷の魔法でエールの温度を一気に下げると、幸せそうにエールを飲んだ。随分嬉しそうにお酒を飲むので、俺も一緒になってエールを大量に飲んだ。毎日吐き気を感じる程の栄養を摂取し、吸収しているからか、いつの間にか酒量も増えたみたいだ。
「それじゃあ、ヴィルヘルムさんはリーゼロッテさんの事が好きじゃないんですか?」
「多分……好きだと思う。しかし、まだ交際は考えらないな。俺の心の中にはまだローゼが居るみたいなんでな。もう暫く時間が掛かりそうだ」
「そうなんですね」
「俺の事よりも、クラウスはティファニーとどうなんだ?」
「進展はありませんよ。というよりも、レベッカさんとの約束で、国家魔術師試験に合格するまでは交際をしないと決めているんです」
「やはり弟子には厳しいんですね。レベッカさん」
「クラウスは異性と交際しながら訓練を詰める程、気持ちに余裕が無いと思ったから、特別にね」
それから俺達はエールを飲み、二階の宿を確認したりしながらティファニー達を待った。宿は全部で十五室あった。仲間達が暮らせればそれでいいので、俺達には十分過ぎる部屋数だ。久しぶりに野営をせずに、清潔な室内で眠れる事が何よりも嬉しい。
それからティファニーとリーゼロッテさんが戻ってくると、大量のフェアリーが一斉に室内に入ってきた。色とりどりの羽根が美しく、背の低い者も居れば身長が高くて大人びた者も居る。大抵は人間の子供に近い容姿をしているが、顔つきは個体によって大きく異る。
「それでは、この建物全体の掃除をお願いします。不要だと思った物は勝手に捨てて仕舞って構いません」
リーゼロッテさんがフェアリーに指示をすると、フェアリー達は一斉に仕事を始めた。体は小さいが、知能は人間と同等。それに、見た目以上に力がある。自分の体よりも大きなイスやテーブルを軽々と運ぶ事が出来るのだ。
俺達は自分達の荷物を馬車から出して部屋に入れた。レベッカさんはアドリオンに屋敷を持っているので、宿を使う必要はない。俺達四人が一部屋ずつ使っても、あと十一部屋も残っている。これから仲間が増えても部屋の数が足りなくなる事は無いだろう。いつかクラウディウスさんや、ヴェルナーのバラックさんも招待したい。
俺はクラウディウスさんとバラックさんに、無事にアドリオンに到着した事を伝えるために手紙を書いた。それから実家にも手紙を書くと、三通の手紙をフェアリーに渡して、それぞれモーセル、ヴェルナー、レーヴェに届けて貰う事にした。
かなり多めに配達料を支払うと、美しいフェアリーは楽しげに微笑んでから、俺の頬に口づけをした。それから彼女は羽根を開いて飛び上がると、一瞬で姿を消した。
暫くすると掃除が終わったので、俺はフェアリー達に給料を支払い、冒険者ギルドとして申請をするために、レベッカさんと共に町に出る事にした……。




