第四十六話「王都アドリオン」
背の高い石の城壁に囲まれた都市の入り口に馬車を進める。全身に防具を身につけたアドリオンの衛兵が俺達の馬車を制止した。衛兵達は御者台に座るレベッカさんの姿を見るや否や、慌てて頭を下げた。
「ローゼンベルグ様! お帰りをお待ちしておりました!」
「うむ、ご苦労。今日からアドリオンで剣鬼、クラウス・ベルンシュタインのパーティーが活動を始める」
「十五歳でゴブリンロードやゲイザーを討伐した剣鬼ですか! 天才的な冒険者がアドリオンで活動を始めるとは! アドリオンの防衛力が上がるのは喜ばしい事ですね」
「そうだな。それに、彼らは国家魔術師を目指している。試験合格後はアドリオンでの勤務を希望するらしい」
「剣鬼が国家魔術師試験を受験されるのですか。という事は、来年の合格枠は残り四人という訳ですね」
衛兵が微笑みながら俺を見つめると、俺は何だか恥ずかしくなって俯いた。合格が決まっている訳でもないのだから、残る時間を全て訓練に費やして少しでも強さを身に着けなければならない。
気さくな衛兵と別れてから町に入る。背の高い木造の住宅やお店が立ち並んでおり、美しい石畳が規則正しく敷かれている。町にはファントムナイトの姿も多く、アドリオンで生活をしているのだろう、鎧姿の魔物が楽しそうに買い物をしている光景は新鮮だ。
正門付近は商業区になっており、住宅やお店が密集している地域の様だ。武具を身に付ける冒険者の姿や、ローブを纏う魔術師、見た事も無い召喚獣を連れて買い物をする召喚師等、様々な職業の人達が暮らしている様だ。
「レベッカさん。アドリオンには魔物も多く暮らしているんですね」
「そうね。大抵の召喚獣は聖属性の魔物で、人間を襲う可能性が極めて低い種類のものが多いかな。町で魔物を召喚するには事前に衛兵に許可を得なければならないの」
「もし俺がクラウディウスさんを召喚するなら、その時も事前に申請をしなければならないんですね」
「そうよ。好き勝手に魔物を召喚して、召喚者が魔物を手懐けられずに町を襲ったら困るでしょう?」
「確かにそうですね。やはり、過去にアドリオンで召喚獣を利用した襲撃事件が起きたからでしょうか」
「多分そのせいね。私が生まれる前から、アドリオン内での召喚魔法は制限されていたわ。ところで、クラウス。今日はこれからどうするつもり?」
「まずは手頃な住宅を購入して冒険者ギルドとして申請をするつもりです」
「それなら、私の知り合いに古い酒場を持っている人が居るから話を付けてあげましょうか。一階が酒場で二階が宿になっていたの。もう五年くらい前に閉店したお店なのだけど、まだ買い手が見つからないみたいなの」
「本当ですか! 是非お願いします」
「任せて頂戴」
レベッカさんが目を輝かせて俺を見つめると、俺は師匠の美貌に胸が高鳴った。どうしてこんなに美しい師匠が未婚なのだろうか。二十五歳で国家魔術師という称号まである。時間もお金もかなり余裕があり、衛兵からの人望も厚い。
気さくで誰からも愛される最高の女性である事は間違いない。勿論、俺はティファニーの事が好きだが、レベッカさんは人間として好きだ。
「そんなに真剣に見つめられると恥ずかしいわ……」
「すみません! ついレベッカさんの美しさに見とれていました」
「本当に可愛い弟子ね。だけど、私は年下には興味がないの」
「それでは、どんな男の人が好みなんですか?」
「私よりも強い人かな」
「そんな人がこの世界に何人居ると思っているんですか?」
「確かに殆ど居ないかもしれないけど、自分より弱い男って嫌いなの。それに、私は一生独身でも良いと思っているの。こうして旅をする事も好きだし、魔法の練習さえしていれば楽しいからね」
レベッカさんが微笑むと、荷台から熱い視線を感じた。恐る恐る背後を振り返ると、ティファニーが頬を膨らませて俺を見つめていた。なんと可愛らしいのだろうか。彼女は時折、俺とレベッカさんが会話をしている最中にじっと俺を見つめている事がある。もしかして嫉妬しているのだろうか。まさか、付き合っている訳でもないのにそんな事はないか。
「商業区の先が中央区で、冒険者ギルドや宿が密集する地域なの。アドリオンを訪れた冒険者達は大抵この中央区で滞在するわ。これから紹介する酒場も中央区にあるの」
中央区は商業区よりも更に背の高い個性的な建物が多くあり、様々な冒険者ギルドが密集していて、馬車から町を眺めているだけでも心が高鳴る。俺が生まれ育ったレーヴェとは大違いだ。
レーヴェは閑静な農村だから、小さな民家と畑があるだけだ。何の見どころもない村。今更俺を追い出したレーヴェに戻りたいとは思わないが、エルザや両親さえ良ければ、将来はアドリオンで一緒に暮らすのも良いかなと思っている。
冒険者ギルド以外にも、召喚師ギルドや魔術師ギルド等があるが、やはり様々な職業の人間が加入している冒険者ギルドの方が加入者数が多いらしい。魔法系の専門的なギルドは、魔法の研究を行うための機関なのだとか。
魔物討伐を生業にするなら素直に冒険者ギルドに加入した方が、受注出来るクエストの数も多く、専門性も低いので、駆け出しでもお金を稼ぐ事が出来ると、レベッカさんから説明を受けた。
アーセナルで専属契約を結ぶ冒険者として活動をしている最中にも、俺の元にはアドリオンの冒険者ギルドから沢山の誘いの手紙が届いた。契約金も十万ゴールドを超える金額だったが、俺は自分達で新たなギルドを設立したかったので、全ての誘いを丁重に断った。
暫く馬車を進めると、路地を入った場所に小さな酒場を見つけた。二階建ての木造の酒場で、レベッカさんが酒場の扉を開くと、中からは赤ら顔の男性が出てきた。身長はヴィルヘルムさんよりも高く、体格は俺と同じくらいだろうか。全身の筋肉が大きく盛り上がっており、腰には二本のダガーを差している。短髪の黒髪を逆立てており、柔和な表情とは裏腹に、目つきは非常に鋭い。ひと目見て並の冒険者ではないと感じた。
「久しぶりだな、レベッカ! 酒でも飲みに来たのか?」
「久しぶりにお酒を飲むのも良いかもしれないわね。だけど、今日はあなたの人生を変えてくれる相手を連れてきたわ」
「なんだって? 酒場でも買い取ってくれるのか?」
「そうよ」
「まさか! 今日はなんて運が良いんだ! さぁ入ってくれ!」
二十代後半程の男性に案内されて室内に入ると、俺達は乱雑とした空間に言葉を失った。エールや葡萄酒の瓶が散乱しており、食べかけの料理や、腐敗が始まった果物、脱いだままの服や武具等が置かれているのだ。これでは買い手が現れないのも頷ける。
室内は広々としており、天井も高くて使い勝手は良さそうだ。以前は酒場だったからか、古ぼけたイスとテーブルが隅に積まれており、カウンターの奥には様々なエールが並べられている。お酒がある空間だけは掃除しているみたいだが、それ以外の場所は足の踏み場も無いほどに汚れきっている。
「ここは相変わらず汚いわね」
「それで、誰が俺の人生を変えてくれるって? 君か?」
男性がティファニーの手を握ると、ティファニーは恥ずかしそうに俺を見つめた。
「フェリックスは剣鬼ベルンシュタインの名を聞いた事はある?」
「勿論あるとも。町の酒場や冒険者ギルドは剣鬼の話題で持ち切りだからな! 十五歳でゲイザーとゴブリンロードを仕留め、剣聖を仲間に加えた最強の冒険者だろう。それがどうしたんだ?」
「その剣鬼がこの子なの」
レベッカさんが俺の肩に手を置いて微笑んだ瞬間、フェリックスさんは二本のダガーを引き抜いた。強烈な殺意を秘める瞳は恐ろしく、圧倒的な力の差を感じる。ゲイザーやゴブリンロード等とは比べ物にならない程の魔力を感じるのだ。俺は瞬時にクレイモアを抜くと、フェリックスさんは目にも留まらぬ速度でダガーの連撃を放ってきた。
どういう意図で攻撃をしているのか分からないが、二百キロの重りを付けたままでは、フェリックスさんの攻撃を受け止める事は難しい。何とかフェリックスさんの攻撃をクレイモアで受けると、彼は瞬時に俺の背後を回り、二本のダガーを俺の首に押し付けた。
「噂の剣鬼がこの程度の実力とは、幻獣討伐も奇跡だったのか?」
「クラウス、今のフェリックスの動きをどう思う?」
「恐ろしい速さですね。今の俺では到底敵いません」
「当たり前だ。十五歳の小僧が俺の剣を受けられる訳がない。十年後にまた遊んでやる」
フェリックスさんが勝ち誇った表情で俺を見つめると、レベッカさんがヴィルヘルムさんに耳打ちをした。ヴィルヘルムさんが驚きながらレベッカさんを見つめると、彼は満足げに笑みを浮かべた。
「国家魔術師のフェリックス・ブラウンさん! お会い出来て光栄です。私は魔術師のヴィルヘルム・カーフェンと申します。実は、私は賭け事が好きでして、フェリックスさんも賭け事がお好きだとレベッカさんが教えて下さったので、少し私と賭けをしませんか」
「どんな賭けだ? 内容次第では受けても良いだろう。丁度退屈をしていたところだ」
「クラウスがフェリックスさんに一撃でも攻撃を当てる事が出来れば、この酒場を譲って頂けませんか?」
「俺が酒場を賭けるのは良いが、もし俺が勝ったらどうなるんだ?」
「六十万ゴールドをお支払します」
「馬鹿な! 十代の小僧が六十万などという大金を持っている訳がないだろう!」
ヴィルヘルムさんは馬車に戻り、お金が詰まった宝箱を室内に運んだ。フェリックスさんは大金を目にした瞬間、ダガーを見つめながら長考した。一体ヴィルヘルムさんは何を考えているのだろうか。俺が国家魔術師相手に一撃を喰らわせる? 不可能に近い賭けをして所持金全て失うつもりなのだろうか。
だが、俺はヴィルヘルムさんを誰よりも信じている。この世界で俺の命を安心して任せられる数少ない友人だ。きっとヴィルヘルムさんなりの考えがあるのだろう。俺は彼の考えに人生を任せるだけだ。これくらいの覚悟がなければ、幻獣を前にした時に自分の背中を任せる事など、到底出来ないからな。
「剣鬼が俺に一撃でも喰らわせる事が出来れば、俺は剣鬼に酒場の権利を譲渡する。その代わり、剣鬼が攻撃を当てられなかったら、俺は六十万ゴールドを頂けるんだな」
「その通りです。恐縮ですが、この酒場に六十万などという大金を支払う物好きは居ないと思います。この機会を逃せば、フェリックスさんは今まで通り、自堕落な生活を送る事になりますよ」
「なかなか好き勝手言ってくれるじゃないか。しかし、お前の言っている事は事実だから反論が出来ない事が悔しい。それで、一体どれだけの時間攻撃を避けていれば良いんだ?」
「一分でどうですか?」
「それは無理な話だな。酒が回っている状態で若者の攻撃を一分も避けるとは」
「ファステンバーグ王国の最高戦力。国家魔術師ともあろうお方が、もしかして恐れているのですか? 剣鬼はたったの十五歳! 十年後に遊んでやると言った相手から、一分間攻撃を受けるだけで、六十万ゴールドもの大金を得られるんですよ!」
一分で国家魔術師に攻撃を直撃させる。不可能だ。この二百キロの重りを装備している状態では……。
「十秒だ! 十秒なら条件を飲んでやる!」
「フェリックスよ。国家魔術師のお前が十五歳の子供相手に十秒? 恥ずかしくないのか? 双剣のフェリックスの名が泣くぞ」
「勝てれば良いんだよ。さぁ始めよう!」
就寝時と風呂に入る時以外は重りを外す事が許されていない。というより、自分の意志では重りを降ろす事も出来ないのだ。レベッカさんは杖を抜いて俺に向けると、魔装を覆い隠していた重りが消えた。
やっと自由になれた事に最高の快感を感じながらも、クレイモアを再び構えると、遂に賭けが始まった……。




