第四十四話「農村の防衛」
クレイモアが敵の腹部に深々と突き刺さると、炎を纏う大剣が敵を炎上させた。闇が徐々に晴れて魔物の顔が浮かび上がった。頭部から二本の白い角が生えており、爪は刃物の様に鋭利で、体長は二メートルを超える。黒い肌に大きく盛り上がった筋肉。魔獣クラスの魔物、レッサーデーモンだ。
モーセルから程近い森に、どうしてレッサーデーモンの様な強力な魔物が潜んでいるのだ。レッサーデーモン以外にも、俺達の周囲には無数のブラックウルフとトロル、それからファイアゴブリンが居る。トロル・ラミア召喚事件の犯人が、またしても地域を襲おうとしているのだろうか。
レッサーデーモンがクレイモアを引き抜こうとした瞬間、俺は柄を全力で握りしめた。それから左手を敵の顔面に向けて火の魔力を込める。
「ファイアボルト!」
巨大な炎の矢がレッサーデーモンの顔面をかすめると、レッサーデーモンは俺の魔法の威力に狼狽して後退した。瞬間、クレイモアを引き抜いて跳躍し、全力で水平切りを放った。レッサーデーモンの首に向けて両刃の大剣を走らせると、敵の肉と骨を立つ感覚が手に伝わってきた。
レッサーデーモンの首が宙を飛ぶと、俺は敵の首を叩き切った。たった三回の攻撃でレッサーデーモンを仕留められる程成長したのか。今の俺はレーヴェに居た頃の俺とは違う。あの頃は仲間と力を合わせなければレッサーデーモンを狩る事は出来なかったが。しかし、今では余裕を持って敵を圧倒出来る力がある。
ブラックウルフの群れが一斉にティファニーに襲いかかると、彼女は目にも留まらぬ速度でナイフを振り下ろし、風の刃を飛ばして次々とブラックウルフを切り裂いた。ブラックウルフが爪でティファニーを切り裂こうとしても、敵の爪が彼女の体に触れる事は決して無かった。
ティファニーは敵の爪をナイフで受け止めると、左手で杖を抜いて敵の心臓に押し当て、風の魔力を炸裂させ、敵の体に巨大な風穴を開けた。何と頼れる魔術師なのだろうか。体は細いが圧倒的な戦闘の技術で、力に頼らずにブラックウルフの群れを一瞬で狩り尽くした。
俺はクレイモアを鞘に仕舞い、トロルの群れに飛び込んだ。三十体程のトロルが一斉に襲い掛かってきたが、俺は敵の拳を左手で受け止め、右の拳で敵の体を殴り上げた。二メートルをも超える巨体が軽々と宙に浮くと、俺は瞬時に飛び上がり、上空からトロルの体を殴りつけて地面に叩き落とした。
トロルの体が地面に激突した瞬間、全身の骨が砕ける気味の悪い音が静かな森に響いた。トロルの群れが仲間の死に狼狽した時、ティファニーが次々と敵のアキレス腱を断ち切った。既に立ち上がる事も出来なくなったトロルに対し、俺は上空で巨大な炎の球を作り上げ、全力で敵の群れに落とした。
炎の球が爆発すると、強烈な熱風が発生し、魔物の群れを木っ端微塵に吹き飛ばした。ファイアゴブリンの群れは戦う事を選ばずに逃げ出すと、俺とティファニーは敵の群れを追いかけた。一体何処に逃げるのだろうか。森で無数の魔物を召喚した人間が居る筈だ。きっとレマルクのトロル・ラミア召喚事件の真犯人が。
暫くファイアゴブリンの群れを追うと、魔物達は木々に囲まれた洞窟に入った。俺はティファニーと顔を見合わせると、静かに頷いてから洞窟に入った。広々とした洞窟の中には、人間を殺めて集めた武具や食料、無数の本が置かれている。
ここに人間が住んでいる事は間違いない。何者かがこの洞窟で魔物を召喚してモーセルを襲わせたのだ。モーセルで魔物が増え始めた時期と、レマルクでトロル・ラミア召喚事件が起こった時期が重なっているので、間違いなく同一犯の仕業である事は間違いないだろう。
それに気がかりなのは、レッサーデーモンの様な魔獣クラスの中でも高位に位置する者が居た事。犯人は一体どれだけ多くの召喚書を持っているのだろう。想像すらしたくない。もし幻獣や聖獣の召喚書を持っていたら。村や町を壊滅させる事は容易い。
国家魔術師が暮らす王都アドリオンの様な大都市は簡単に壊滅する事は無いだろうか、レマルク、レーヴェ、モーセル、ヴェルナーの様な村や町は一日もあれば壊滅させる事が出来る。
俺達は追い詰めたファイアゴブリンを次々と狩ると、洞窟の入り口に人影を見つけた。俺は左手を敵に向けて火の魔力を集め、瞬時に炎の矢を放って飛ばした。フードをかぶった何者かは、俺の魔法を軽々と回避すると、洞窟内に炎を放って逃げ出した。ファイアゴブリンの死骸や、無数の本、油や衣類に火が着いて瞬く間に燃え上がると、俺達は急いで洞窟を出た。
急いでフードの人物を追うと、森で爆発的な咆哮があがった。聞いた事もない魔物の鳴き声に、肌を刺す様な強烈な魔力。敵の強さを瞬時に察した俺は、震えながらも声の元に向かって駆けた。
そこには、体長六メートル程の巨大な魔物が翼を広げて俺達を見つめていた。幻獣のレッドドラゴン。火属性のドラゴンで、全身が赤い鱗に覆われており、背中からは翼が生えている。頭部からは二本の鋭い角が生えており、全身の筋肉が異常なまでに発達している。書物でしか見た事のない魔物に狼狽しながらも、俺はティファニーを守るために敵の前に立った。
ティファニーはすっかり戦意を喪失し、震えながら俺の背後に隠れている。流石のティファニーもレッドドラゴンを前にしては武器を握る事も出来ないみたいだ。レッドドラゴンの背中にはフードの女が立っており、女がレッドドラゴンに指示を与えると、巨体の幻獣は尻尾を振って攻撃を仕掛けてきた。
ゲイザーの触手を何倍も太くした様な巨大な尻尾にクレイモアを振り下ろすと、鱗に覆われた肉を僅かに切り、クレイモアが止まった。俺は今まで全力で攻撃を仕掛けて、敵の肉を断ち切れなかった事はない。なんという驚異的な防御力だろうか。
レッドドラゴンは口を大きく開き、火炎を吐くと、俺は咄嗟に両手を突き出して炎を発生させた。レッドドラゴンの炎と俺が作り出した炎が空中で激突すると、爆風でフードが捲れ、犯人の顔があらわになった。
頬に剣で切り裂かれた傷があり、レッドドラゴンの皮膚の様な濁った赤色の髪に、血走った瞳。年齢は三十代程だろうか、まるで魔物の様な獰猛な雰囲気をした女が俺を睨みつけると、女が両手から炎を作り出し、レッドドラゴンの炎に注いだ。
幻獣のレッドドラゴンと女の炎が融合した瞬間、俺は敵の炎に耐えられなくなり、全身に炎を浴びた。肌が焼けても自己再生の力で瞬時に回復するから、敵の炎で即死する事はないが、ティファニーを守りきるのは不可能だ。
俺はティファニーの前に立ち、両手を広げて炎を全身に受け、背後で涙を流して座り込んでいるティファニーを守り続けた。自己再生の力の源でもある魔力が枯渇すれば俺はたちまち命を落とすだろう。ティファニーを守るために、激痛に耐えながら敵の火炎に耐え続けると、女はレッドドラゴンに攻撃を止めるようにと命令した。
助かったと思ったが、レッドドラゴンは俺を見下ろしながら巨大な尻尾を振った。既に魔力は枯渇し、肉体はボロ雑巾の様に使い物にならない。
両手でレッドドラゴン尻尾を受け止めると、強烈な痛みが両腕に走った。尻尾が俺の体を吹き飛ばすと、魔装は木っ端微塵に砕け、俺の体は高速で木に激突した。息が止まる程の衝撃を感じ、立つ事もままならない。両手の感覚もなく、俺は地面を這いつくばりながらティファニーを守るためにゆっくりと進んだ。
レッドドラゴンがティファニーに対して口を大きく開いた瞬間、俺はティファニーの死を悟った。大切な人を守る事が出来なかった……。俺がもっと強かったら、ティファニーを守る事が出来たのに。
ティファニーは大粒の涙を流して俺を見つめると、小さく手を振って微笑んだ。自分の死を悟っても俺に笑顔を見せてくれるのか……。
ティファニーが死ぬんだ。もっと早くに告白しておけば良かった。森に入るなら、クラウディウスさんと共に入るんだった。彼が居たら、俺達は今頃レッドドラゴンを仕留めていたかもしれない。
激痛を忘れてティファニーの最期の瞬間を予知した時、上空からバスタードソードを振り上げたクラウディウスさんとリーゼロッテさん、ウィンドホースに乗ったヴィルヘルムさんが駆け付けてきた。
ヴィルヘルムさんは無数の氷柱をレッドドラゴンに降らせ、リーゼロッテさんはレッドドラゴンの尻尾にレイピアを何度も突き立た。クラウディウスさんはティファニーを瞬時に抱き上げて俺の隣に運ぶと、激昂しながらレッドドラゴンに切りかかった。
レッドドラゴンが火炎を吐いた瞬間、ヴィルヘルムさんが瞬時に氷の壁を作り出し、リーゼロッテさんが飛び上がって強烈な光を作り上げた。リーゼロッテさんがレッドドラゴンの目をくらませると、女は突然の援軍に狼狽したのか、レッドドラゴンに命令をして上空に飛び上がった。
仲間の登場に深い安心を感じた瞬間、全身の痛みを思い出し、激痛の余り意識を失った……。
目が覚めると、不安げに俺を見つめるティファニーと、見知らぬ女性の姿があった。年齢は二十五歳程だろうか。美しい銀髪にサファイア色の瞳。深紅色のローブを着ており、柔和な表情を浮かべている。
女性が笑みを浮かべながら俺の体に触れると、自己再生の効果が高まり、両腕の怪我が瞬く間に回復を始めた。
ここはモーセルの村長の家だ。一体俺はどれだけ意識を失っていたのだろうか。両腕はまるで熱湯に浸かっているかの様に熱く、心地良さを感じる。女性が俺の体に触れて闇属性の魔力を注いでくれているのだろう。体内に魔力の流れを感じる。
「クラウス……」
「ティファニー。怪我はない?」
「ええ。助けてくれてありがとう。またクラウスに守られたね。弱い私でごめんなさい……レッドドラゴンを目にした瞬間、体が動かなくなったの……」
「ティファニーが無事なら良かったよ。守りきれなくてごめん……」
「うんん。クラウスが守ってくれたから私の命があるの。本当にありがとう……」
ティファニーは目に涙を浮かべると、眼鏡を外して俺を見つめた。それからゆっくりと俺に顔を近づけると、彼女は俺の頬に口づけをした。
ティファニーは恥ずかしくなったのか、すぐに部屋を出た。一体何が起こったのだろう。ティファニーが俺に口づけ? 今のは夢ではないのか? 今更だが緊張で胸が高鳴ってきた。
「ここはどこですか……?」
「ここは村長の家。クラウス、君は十日も眠っていたんだよ」
「失礼ですが、あなたは……?」
「私はアドリオンで活動する国家魔術師、レベッカ・フォン・ローゼンベルグ。モーセルから要請を受けて今朝駆け付けたのよ。剣鬼、クラウス・ベルンシュタイン。王都アドリオンでも話題になっていたけど、まさかこんなに早く会えるとは」
「わざわざ駆け付けて下さってありがとうございます。ローゼンベルグ様」
「私の事はレベッカでいいわ。成人を迎えたばかりの十五歳の男女が、幻獣のレッドドラゴンと遭遇して生き延びた。一体どういう運の強さなのかしら。それに、この驚異的な回復力。既にあなたの両腕は完治しているわ」
両手を握ってみると、以前よりも遥かに握力が強くなっている事に気がついた。不思議な事に、怪我を負って完治する度に、俺の肉体はより強靭なものに成長する。やはり悪魔の力は便利だな。それに、レベッカさんが俺に魔力を供給してくれたから、より早く怪我が治ったのだろう。
「クラウス。あなたが今までどんな人生を送ってきたか、ヴィルヘルムから聞いたわ。幻獣のデーモンに復讐するつもりなのね」
「はい。俺の人生の目標です」
「はっきり言っておくけど。今のあなたでは絶対にデーモンを仕留める事は出来ない。デーモンは限りなく聖獣に強い力を持つ幻獣。レッドドラゴンと同等、もしくはそれ以上の強さだと思っていいわ」
「レッドドラゴンと同等ですか……」
「ええ。それに知能も高い。武器を扱う事もある。幻獣のデーモンが全身に防具を身に着け、国宝級の武器を装備したら、たとえ国家魔術師でも一人では倒せないでしょう」
「俺がデーモンと遭遇した時は、敵は武具を身に着けていませんでした」
「それは運が良かったわね。だけど、今度は生き延びられるとも限らない。復讐なんてやめて平和に暮らすのはどう? あなた程の強さがあれば、国家魔術師の次に地域で強い冒険者になれるわ」
「いいえ。俺はエルザを襲ったデーモンを仕留めなければならないんです。俺から平和な生活を奪った忌々しい幻獣を放置して置くわけにはいきません!」
レベッカさんは可愛らしく微笑み、俺の頭を撫でると体内に彼女の魔力が流れ込んできた。しかし、闇属性を持つ国家魔術師も居るのだな。俺なんかとは比べ物にならない程の力を感じる。
「私が国家魔術師試験に合格したのは十五歳の時だった。それから十年間、国家魔術師として活動をしている。魔物討伐の功績が認められて騎士爵を得たけど、私は自分が貴族だとは思っていない。私は戦う力を持たない者のために己の力を使うだけ……」
「十五歳で国家魔術師試験に合格したんですか」
「そうよ。クラウスも来年の試験に合格すれば、私と同じ年齢で国家魔術師を始める事になるわね」
「レベッカさん。俺ではデーモンに勝てないと思うんですか?」
「ええ。レッドドラゴンすら倒せない貧弱な冒険者には到底無理よ。国家魔術師に任せておきなさい。ちなみに、レッドドラゴン程度の魔物なら、国家魔術師なら一撃で仕留める事が出来る。来年の二月一日までに、レッドドラゴンを剣一振りで倒せる実力を身に付ける事が出来なければ、試験に合格する事は不可能」
俺はレベッカさんの言葉に腹立ちを感じながらも、ティファニーを危険な目に合わせた自分自身の弱さに無性に腹が立った。
力が欲しい。悪質な魔物を圧倒的な力でねじ伏せられる冒険者に、国家魔術師になりたい……!
「レベッカさん! 俺を弟子にして下さい! どうしても強くなりたいんです! デーモンに復讐するためにも、国家魔術師試験で一位合格するためにも!」
「いいわよ。剣鬼が魔物に負けて引き下がる訳がないと思っていた。私があなたを本物の冒険者に、最高の国家魔術師にしてあげる」
レベッカさんは優しい笑みを浮かべると、俺は彼女と固い握手を交わした……。




