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第二十八話「生命と復活」

 クラウスをファイアゴブリンの家に運び入れると、私はすっかり疲れ果てて座り込んでしまった。男の人を運ぶのってこんなに疲れるんだ。それから私は水分を確保するために水場を探しに行く事にした。狂戦士の果実を栽培するにも、水が無ければ育てる事は出来ないのだから、きっとどこかに水場がある筈。


 喉に乾きを感じ、狂戦士の果実で高ぶっていた感情も静まり始めた。黒い果実が生る森を歩き続けると、またしてもファイアゴブリンに遭遇した。一体この十一階層には何体の魔物が暮らしているのだろうか。


 体にボロの布を纏ったファイアゴブリンは、果実を栽培するために魔石を用いて水を作り出している。水属性の魔石があれば、魔力によって水を作り出す事が出来る。巨大迷路に水場があるのではなく、魔法によって水を確保していたんだ。


 ファイアゴブリンを仕留めて魔石を奪い、水を作り出してクラウスに飲ませてあげよう。この劣悪な環境で生き延びるには水分が必要不可欠なのだから。ベルトに挟んでいたナイフを右手で引き抜き、物音を立てずにファイアゴブリンに忍び寄る。


 敵の首元にナイフを突き立て、左手で敵の口を塞ぐ。ファイアゴブリンは暫くもがき苦しんだ後、静かに命を落とした。生きるためには魔物を仕留めなければならないんだ。やっと冒険者として覚悟を持つ事が出来たのか、魔物との戦闘に恐れを感じなくなった。


 それから魔石を奪い、地面を掘ってファイアゴブリンの死骸を隠した。かなりの重労働に肉体は疲れ果てているが、徐々に魔物を討伐する技術が上昇している事に驚きを感じている。ヴェルナーで魔石屋として暮らしていた私は、肉体労働とは無縁だった。


 私の仕事は、町で魔石を買い付け、汚れ切った魔石を美しく研磨し、魔石が秘める魔法についてお客さんに説明できる様に知識を付け、実際に接客する。激しく体を動かす機会も無かったから、今日は人生で感じた事も無い程、体が重く、筋肉は悲鳴を上げている。すぐに休まなければ……。


 それから私は狂戦士の果実をいくつか収獲し、クラウスが待つ家に戻った。クラウスは既に目を覚ましていたのか、両足の痛みに耐えながらも、ファイアゴブリンの肉を食べている。私は魔石の力を借りて水を作り出してクラウスに飲ませると、彼は大量の水を飲んでから、ゆっくりと横になった。


「大丈夫……?」

「ああ。少しずつだけど痛みは引いてきているよ。だけど、暫くは動けそうにない……」「それなら良かった。完治するまではここで滞在しましょう」

「ここは……? 魔物の家かい?」

「そう。ファイアゴブリンが暮らしていた家よ」

「という事は、一人でファイアゴブリンを狩ったんだね。凄いよ……」


 クラウスが力なく微笑みながら私を見つめると、私の胸は高鳴った。自分の痛みや恐怖心を口に出す事も出来るのに、私が初めてファイアゴブリンを仕留めた事を褒めてくれるんだ。本当に自分の事なんて考えていないみたい。だけど、あまりにも他人の事だけを考えすぎているから、いつか他人を守るために自分の命までを犠牲にしそうで怖い……。


「ティファニー、俺達はヴェルナーに戻れると思うかい……?」

「当たり前でしょう。私達は必ず生還して冒険者生活を続けるの」

「俺達二人でゴブリンロードを仕留めなければならないという訳か……」

「そうなるわね。脱出する手段も分からないけど、焦らずに迷路を攻略すればきっと出られるわ。ヴィルヘルムさんはたった一人でこの迷路から生還したのだから」


 十五歳の時に、巨大迷路で恋人と仲間を失ったヴィルヘルムさんが、一人でこの空間から出る事が出来た。当時のヴィルヘルムさんよりも、クラウスの方が遥かに強い事は間違いない。今は怪我をしているけど、クラウスは自己再生の力によって復活する事が出来る。


 時間があればクラウスがこの状況を打破してくれる筈。私がこの家を死守し、クラウスを守らなければならないんだ……。



 クラウスと隠れ家での生活を始めた私は、迷路を少しずつ攻略しながら、クラウスのために食料を確保し、時折狂戦士の果実を与えて彼の怪我を一日でも早く治せるように努力した。隠れ家に魔物が接近すれば、ナイフを持って敵の背後から忍び寄り、静かに敵を切り裂く。それから私は新たな風の魔法を身に付けた。


 風の魔力を刃に変えて放つウィンドブローという魔法。以前母から教わった事はあったけど、その時は一度も成功させる事は出来なかった。だけど、クラウスを守るために毎日魔法の習得に励んだからか、鋭利な風の刃を放つ術を身に付けた。風のエンチャントをナイフに掛けて攻撃速度を強化しながらも遠距離の敵には刃を放つ戦い方を身に付けた。


 新たな戦い方を身に付けてからは、ファイアゴブリン程度の魔物なら物音すら立てずに仕留められる様になった。それから私は更に巨大迷路の探索を続けると、古い時代の墓地を見つけた。墓地にはスケルトンやガーゴイルの巣になっており、近づいただけでも総攻撃を仕掛けられそうだったので、私はスケルトンを遠距離から仕留めて魔石を集める事にした。


 闇属性の魔石を持つスケルトンは、胸部に黒い小さな魔石が輝いているので、遠目でも分かる。魔石を持つスケルトンが仲間の群れから離れた時を狙い、ナイフを頭部に叩きつける。ファイアゴブリンが使用していたナイフはかなり頑丈なのか、魔物を狩り続けても刃こぼれ一つしない。


 スケルトンの魔石を五つ入手した私は、クラウスが待つ隠れ家に向かって歩き始めた。今日はやけにファイアゴブリンの動きが活発だ。ファイアゴブリンにもパーティーがあるのか、七体から八体程度で構成される集団が武具の手入れをしている。もしかすると、ダンジョンを出て近隣の地域を襲撃しようと企んでいるのではないだろうか。


 時折、ダンジョンから魔物の集団が出て来てヴェルナーを襲う事がある。ダンジョン内の魔物は冒険者達が定期的に駆逐して生息数を削る決まりになっているが、十一階層まで降りられる冒険者は殆ど居ないからか、元気に育ったファイアゴブリンの群れは人間を襲う時を心待ちにしているのだろう。魔物の集団をダンジョンから出す訳にはいかないんだ……。


 ファイアゴブリンの群れを指揮する様に、一体の巨体のゴブリンが居る事に気がついた。身長は二メートル程度。黒い鎧を纏っており、通常のゴブリンよりも遥かに筋肉が大きく発達している。手には両刃の大剣を持っており、巨体のゴブリンの隣にはローブを纏った男が立っている。


 男が杖を振ると、地面からは無数のゴーレムが現れた。あの人物は確か、ヴェルナーでヴィルヘルムさんを挑発したアウリール・バイエル。それに、巨体のゴブリンは間違いなく幻獣のゴブリンロードだわ。


 バイエルとゴブリンロードが繋がっていたとは……! これは一刻も早くヴェルナーに戻ってギルドに報告しなければならない。だけど、まだクラウスの怪我は完治していない。かろうじて立ち上がる事は出来るけど、ゴーレムを操るバイエルとゴブリンロードを同時に相手出来る程の力はない。


 私は大急ぎで隠れ家に戻ると、クラウスが室内で剣を振っていた。下半身の筋肉は以前にも増して肥大しており、全身から魔力がほとばしっている。


「もう立てるの……?」

「ああ。随分良くなったよ。七日も寝たきりだったんだ、体を動かさないと筋肉が鈍りそうで」

「それより、外にバイエルとゴブリンロードが居たわ……」

「なんだって?」


 クラウスは動揺しながらも、口元に笑みを浮かべた。強敵が自分の近くに存在すると知ったからか、それとも体の調子が思ったよりも良いからか、彼はそれから無言で剣を振り続けると、巨大迷路に魔力の動きを感じた。


 爆発的な氷の魔力が炸裂し、天井付近に光の玉が浮いている。誰か冒険者が救出に来てくれたのかしら。


「ヴィルヘルムさんの魔法か……遂にゴブリンロードを仕留める時が来たんだね」

「嘘……? ヴィルヘルムさんが来ているの?」

「間違いないよ。それに、強い聖属性の使い手と一緒に来ているのだろうね。多分、バラックさんと共に俺達を助けに来てくれたんだ!」


 クラウスは急いで魔装を纏うと、私はスケルトンから奪った魔石を渡した。彼は魔石を握りつぶすと、魔石からは黒い魔力が流れた。魔力が魔装に吸収されると、クラウスの体から感じる魔力が強まった。それからクラウスは狂戦士の果実を食べると、ロングソードを抜いて私の手を握った。


「行こう! ローゼさんを殺したゴブリンロードを仕留めるんだ!」

「ええ……!」


 私は動揺しながらも、自信に満ち溢れたクラウスの顔を見て気分が高揚した。クラウスならきっと幻獣をも仕留めてくれるに違いない……!



〈クラウス視点〉


 縦穴に落ちた瞬間、俺はグロックの罠に嵌ったと悟った。全ては俺とティファニーを縦穴に落とすための演技だったのだ。しかし何故だ? 俺はヴェルナーに来たばかり、他人と交流する事も少なく、日々魔物討伐を生業として暮らしているだけだ。他人から恨まれる覚えは無い。


 細々と魔石屋として働いてたティファニーも他人から恨まれる様な生き方はしていないだろう。どうも引っかかる。俺達は何かを見落としているんだ。ダンジョン内の冒険者を無差別的に縦穴に突き落とし、人間の命を奪う犯罪者なのか? まさか、その可能性は低いだろう。


 他人を殺める事に快感でも感じているのなら、俺やティファニーの様な二人組ではなく、一人でダンジョンに潜っている冒険者を罠に嵌める。それに、俺達はアーセナルの冒険者だと名乗っている。わざわざヴェルナーで最も加入者数の多いギルドのメンバーを罠に嵌めるとは。ヴェルナーに個人的な恨みでも抱いているのだろうか。


 いくらグロックの犯行動機を推測しても理解出来ない。激痛に悶えなが、自分が置かれた状況や人生を恨みそうになったが、前向きに考えなければ生きる希望を見出す事すら出来ない。痛みを感じながらも、自己再生の力で両足は徐々に回復をしており、体内の闇属性の魔力は増えつつある。


 時間さえあれば俺は以前よりも強靭な肉体を手に入れる事が出来るだろう。デーモン相手に右の拳で攻撃を仕掛け、拳が砕けた時も、回復時には以前よりも遥かに頑丈な拳に変わっていた。悪魔とは、戦闘を行えば行う程強くなれるのだろう。もう俺は人間ですらないのだ、今は体内に宿る悪魔の力を信じて完全回復を待つまでだ……。


 ティファニーは短期間で魔力を大幅に強化する事に成功し、表情も以前より逞しくなった。もう既にティファニーは町の魔石屋ではない。魔物討伐を生業とする、日常的に命のやり取りをする屈強な魔術師へと成長を遂げた。


 彼女は杖とナイフを使い分けて戦っているのか、ナイフから風の刃を飛ばして敵を攻撃し、杖からはウィンドショットの魔法を放って敵を近づけずに仕留めている。魔物相手に怯えていたティファニーが、この数日で頼れる攻撃魔法の使い手へと成長を遂げたのだ。


 やはり人間を変えるのは覚悟と修練。魔物を狩らなければ生き延びられない環境に居れば、誰でも実力を開花させ、屈強な冒険者になれる可能性がある。劣悪な環境で己を支えるのは覚悟のみ。何が何でもこの環境から脱すると誓い、魔物を狩るための力を求めて鍛錬を積めば、短期間に爆発的に強くなれる。


 一介の村人だった俺が一ヶ月間の洞窟の生活で、精神も肉体も鍛える事が出来た様に、この最悪な環境がティファニーを成長させたのだ。ティファニーとならゴブリンロードだって倒せるだろう。


 この足さえ治れば、ティファニーを守りながら出口を探す事だって出来る。俺は狂戦士の果実を食べ、ひたすら魔物の肉を喰らい、栄養を飽和状態になるまで詰め込んだ。猛烈な吐き気を感じても、体を癒やすためには大量の肉が必要だと体が感じているから、俺はひたすら胃に食物を詰め込んだ。


 悪魔になった俺の体は、栄養を摂取すればする程、肉体が充実する。足が少しずつ動く様になってからは、腹筋や壁倒立なんかをして上半身の筋肉に負担を掛け続けた。それから足が動く様になってからは、室内で素振りを始めた。両足はまだ使い物にならないが、それでも上半身の筋肉を鈍らせる訳にはいかないから、徹底的に肉体を追い詰めた。


 そんな生活が七日続いた時、ティファニーが血相を変えて戻ってきた。アウリール・バイエルと幻獣のゴブリンロードが十一階層に居ると。俺はティファニーの言葉を聞いた瞬間に悟った。バイエルがグロックに指示をして俺達を縦穴に落としたのだろうと。


 敵の意図は分からないが、売られた喧嘩は買うまでだ。よくもティファニーを泣かせたな! 復讐してやる……。民を守る冒険者を攻撃したらどうなるか、徹底的に思い知らせてやる。


 俺はロングソードを抜くと、ティファニーの手を握って敵を探し始めた……。

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