第二十七話「命の炎」
〈ティファニー視点〉
体中に痛みを感じながら起き上がると、そこには両足から大量の血を流すクラウスが横たわっていた。両足は粉々に砕けているのか、痛みの余り意識を失っているみたいだ。意識を失う直前まで私を守ろうとしてくれていたのだろう、私の体を抱きしめるように覆いかぶさっている。
クラウスの患部を確認すると、既に血が止まっていた。これが悪魔の力、自己再生の効果だろうか。それでも大量の血を流し、両足が砕けているからだろうか、クラウスが目を覚ます事はない。むしろ意識を失っている方が良い。意識が戻ればこの激痛と向き合わなければならないのだから……。
クラウス……。あなたはどうしていつも他人を守って犠牲になるの……? 私達はグロックさんに騙されたんだわ。私がグロックさんを守りながら魔物を退けていた時、グロックさんは私を縦穴に突き落とした。
ここは一体どこなのだろう。天井は遥かに高く、縦穴があった形跡すらない。私達が落下してきた穴がないのだ。グロックさんが地属性の魔法で穴を塞いだのかしら。これは私達を殺すために仕掛けられた罠なんだ……。
まるで城塞都市の様に、周囲は背の高い壁で囲まれている。所々に背の低い石の建造物がいくつも建っており、天井付近には赤い魔力を放つ魔石が埋まっている。不気味な光が広大な空間を照らしている。
ここには独自の生態系があるのか、火の魔力を持つファイアゴブリンが見た事もない果実を栽培している。私はクラウスの体を引きずって壁の影に身を隠すと、ゴブリン達の行動を監視する事にした。
きっとここが以前ヴィルヘルムさんが話していた十一階層、巨大迷路なんだわ。背の高い石の壁がそびえ立っており、魔物達が暮らす家が点在している。壁に阻まれて出口を探す事すら出来ない。実際に迷路を走り回れば出口を探し出す事は出来るかもしれないけど、歩く事すらままならないクラウスを背負いながら、迷路を進む事は自殺行為。
それに、この十一階層には幻獣のゴブリンロードが生息している。今の私に出来る事は、クラウスが回復するまで身を隠せる場所を確保する事。幸い、クラウスは時間さえあれば怪我は完治する。悪魔の力とは本当に便利なものだけど、完治するまで一体どれだけ時間が掛かるか分からない。クラウスの怪我が完治するまで、魔物が徘徊する十一階層でクラウスを守り抜かなければならないんだ。
確かクラウスは『黒の魔装が体内の闇属性を強化し、悪魔の力が上昇した』と言っていた。この言葉から推測するに、闇属性の魔力を高める事が出来れば、クラウスの自己再生の効果が上がるという事だ。闇属性を秘める魔物を討伐して魔石を集め、クラウスの傍に置いておけば良いのだろうか?
それに、クラウスは森で討伐したレッサーデーモンの肉を食べていた。魔物の肉を食べると体の調子が良いとも言っていた。洞窟で暮らしていた時はゴブリンの肉やブラックウルフの肉を食べて暮らしていたと話していたし、やはり栄養も必要でしょう……。
まずはクラウスを隠せる場所を見つけ、体内に闇属性を秘める魔物を仕留める。それから魔石や肉を集めてクラウスの元に持ち帰る。目が覚めたクラウスが魔物を肉を摂取すれば、怪我の回復も早くなるに違いない。
私はクラウスの銀色の髪を撫でると、ファイアゴブリン達が捨てたであろう、魔物の骨を掻き集めた。きっとこれはファイアゴブリン達が食べた魔物の残骸なんだわ。骨をクラウスの体の上に乗せ、魔物達から見つからない様に隠すと、私は杖を握り締めて、クラウスが安全に身を隠せる場所を探す事にした。
「すぐに戻るからね……私が絶対にあなたを守る……」
小声でクラウスに別れを告げると、私は所持品が全て消えている事に気がついた。持ち物は父が遺してくれた銀の杖だけ。きっと落下の最中に何処かに落としたのでしょう……。
水と食料を確保しなければならないわ。魔物の肉があれば暫くは生きていけるから、まずは隠れられる場所を探しながら魔物を討伐しよう。
迷路を徘徊する魔物達から見つからない様に移動を続けると、私は一軒の家を見つけた。他の家から少し離れており、周囲には黒い果実が生る木々が生い茂っている。家が遮蔽物に囲まれているから、この場所ならクラウスを隠せるに違いないわ……。
家を監視していると、二体のファイアゴブリンが出てきた。通常のゴブリンよりも体が大きく、身長は百六十センチ程。全身の筋肉が発達しており、火属性を体内に秘める魔物。実際に目にするのは初めてだけど、何度も図鑑で見てきたからすぐに分かる。
せめて敵が一体なら襲撃する事も出来るけど、戦った事すらない魔物を二体同時に相手にして、物音すら立てずに仕留められるだろうか。いいえ……。きっと私には不可能。魔物の巣になっている巨大迷路で魔法を炸裂させれば、たちまち魔物が束になって襲い掛かってくるでしょう。
だけど、一度十一階層まで降りたヴィルヘルムさんは、どうやって上層まで上がったのかしら。ヴィルヘルムさんがゴブリンロードから襲われた話は聞いたけど、生還した方法は教えて貰わなかった。あまりにも辛そうに話すから、質問出来なかったんだ。
クラウスもヴィルヘルムさんも、幻獣を前にしても一歩も引かずに戦い、愛する者を守りながら怪我を負った。それでも今は更なる強さを求めて生きている。本当に尊敬出来る人達……。
今度は私がクラウスを守らなければならないんだ。二体のファイアゴブリンを仕留め、家を乗っ取り、クラウスを運び入れよう。風の魔法は威力を高めれば必ず大きな音が出る。物音を立てずに初見の魔物を二体相手にして勝利を収めなければならない。きっと私には不可能……。
せめて一体ずつ相手に出来れば良いのだけど、ファイアゴブリンが眠りに就くまで待ってみようか。クラウスの怪我だってすぐには治らないんだ。時間ならある。焦ってはいけない……。
二体のファイアゴブリンが家の外に出た後、小さな黒い果実をもいで食べ始めた。腰には綺麗に研磨されたナイフを差しており、接近戦闘が得意だという事が想像出来る。体格は私よりも大きく、筋肉も発達しているから、不意打ちで仕留めなければならないわね……。
ファイアゴブリンを目の当たりにしても、不思議と恐怖心が沸かない。ここで私が恐れていては、大怪我をしてまで私を助けてくれたクラウスに失礼だから。国家魔術師になると心に誓っているのだから、ファイアゴブリン程度の魔物を恐れてはいけないんだ……。
銀の杖を握りながら木陰に身を隠し、ゆっくりとファイアゴブリン達に近づく、背の低いファイアゴブリンは何処かに用事があるのか、小さな革の袋を持つと、ゆっくりと森を抜けて迷路を歩いて行った。これは絶好の攻撃の機会だ。
杖をファイアゴブリンに向けながら、永遠と敵の動きを監視し続ける。もう何時間ファイアゴブリンを見つめているだろう。暫くすると、ファイアゴブリンは大きなあくびをしてからゆっくりと室内に戻った。きっとこれから眠りに就くんだ。
私はファイアゴブリンの後を追い、家の入り口まで着た。室内を覗くと、食い散らかした魔物の骨や服などが乱雑と置かれていた。部屋の置くには毛布が敷かれており、体の大きなファイアゴブリンが毛布の上で寝息を立てている。
魔法を使わずに敵を仕留める方法はないだろうか。風の魔法はどうしても騒音が出る。一切の音を出さずに、一撃でファイアゴブリンを仕留める方法があるはず。クラウスならどうするだろうか? ゆっくりとファイアゴブリンに近づき、首に剣を突き立てるだろう。そうだ、ファイアゴブリンのナイフを奪って敵の首を突けば良い。
ゆっくりとファイアゴブリンに近づくと、私はファイアゴブリンの腰に差さっているナイフに手を伸ばした。瞬間、背後に魔物の気配を感じた。背の低いファイアゴブリンが帰宅していたのだ。ファイアゴブリンが私を睨みつけながら右手を突き出し、火の魔力を放出しようとした瞬間、私は眠っているファイアゴブリンからナイフを盗み、敵の右手に深々と突き立てた。
それから銀の杖を敵の顔面に向け、圧縮した風の魔力を放出すると、ファイアゴブリンは顔面に魔法を直撃したからか、鼻から血を流して倒れた。大きな音を立ててファイアゴブリンが倒れたからか、眠りに就いていたファイアゴブリンが目を覚ました。
敵は私の姿を見た後、怪我を負っている仲間を見下ろし、悍ましい表情を浮かべて拳を振り上げた。敵の動作に反応する様にウィンドショットの魔法を腹部に放つと、魔力が炸裂する破裂音が響いた。威力を上げすぎると騒音が大きくなる。気をつけなければたちまち魔物の集団に包囲されてしまうでしょう。
私は倒れているファイアゴブリンからナイフを引き抜くと、無我夢中で敵に切りかかった。左手でナイフを持ち、右手に持った杖から風の魔力を飛ばして敵の動きを封じる。強力な風を浴びたファイアゴブリンが攻撃の手を止めた瞬間、私は敵の首にナイフを突き刺した。ファイアゴブリンはもがきながらナイフを引き抜こうとしているが、私は全力でナイフを押し付けているからか、なかなかナイフを抜けない様だ。
暫くするとファイアゴブリンは息絶えたのか、ゆっくりと座り込む様に姿勢を崩すと、私はナイフを引き抜いて勝利を確信した。たった二体の魔物を倒すだけなのに、何発も魔法を使用し、必要以上に騒音を立ててしまった。だけど、これでクラウスをこの家に隠せる。
他のファイアゴブリンがこの家を尋ねてきても大丈夫な様に、まずは二体のファイアゴブリンの死骸を埋めよう。大柄のファイアゴブリンは体内に魔石を持っていたのか、私は魔石を切り取ってから、敵の肉を少しだけ頂いた。本当はファイアゴブリンの肉なんて食べたくないけど、食料が無ければ生き延びる事は出来ない。背に腹は代えられないわね……。
時間を掛けて家の裏手に穴を掘り、ファイアゴブリンの死骸を捨てた。それから二本のナイフをベルトに差し、魔石を懐に仕舞ってから、クラウスを迎えるために室内を掃除した。体を動かしたから随分お腹が減ってしまったけど、どうも魔物の肉を食べる気にはなれない。クラウスなら躊躇なく食べるのでしょうけど。
そういえば、家の周囲に生っている黒い果実は人間が食べられる物なのだろうか。私は家を出て森に入り、こぶし大の黒い果実を手にした。ナイフで果実を裂くと私は以前図鑑で見た果実を思い出した。
これは多分、狂戦士の果実。一つ食べれば体力を魔力が回復し、体は活力で漲るが、非常に獰猛な性格に変わる。ダンジョンの深層にのみ実を付ける特殊な果実で、二つ食べれば精神を制御出来なくなり、敵味方関係なく襲い始める。単独でダンジョン攻略をする冒険者が、魔力と体力が尽きた時に手を伸ばす最後の手段だと、書物には書かれていた。
私は黒い果実を一つ取り、ナイフで果肉を切ってから口に入れた。爽やかな甘味を感じると、体は次第に火照り出し、枯渇していた体力と魔力が徐々に回復を始めた。沈んでいた気分も爽やかになり、今ならファイアゴブリンを何体でも狩れそうな気がする。
きっと一時的に気分を高揚させる効果があるのだろう。私は果実を全て口に入れたい衝動を堪えながら、クラウスの元に向かって走り始めた。狂戦士の果実のお陰で体調は抜群に良く、頭は冴え渡っている。クラウスを隠すために積み重ねた骨をどけると、苦痛に顔を歪めるクラウスが私を見つめた。顔からは脂汗が流れ、訴えかけるような目で私を見ている。
「ティファニー……怪我はない……?」
「え? 私は大丈夫よ。クラウス……どうしてこんな状況で私の心配をしてくれるの……?」
「ティファニーは俺が守るって決めたからね……だけど、こんな無様な姿を見せてしまった……すまない……俺がもっと強かったら……俺がグロックの正体を見破っていたら……」
「クラウス。私があなたを守るわ。だから安心して……」
「痛いよ……ティファニー。足の感覚がないんだ。痛みで気が狂いそうだよ……助けて……」
大粒の涙を流しながら静かに激痛に堪えるクラウスを見て、私の瞳からは涙が溢れた。自分が大怪我をしていても、私に怪我が無いか尋ねてくれるのだから。こんな人はこの世界にクラウス以外には存在しないと思う。本当に私の事を大切に思ってくれているんだ。なんて意思の強い人なんだろう。
クラウスは魔物に私達の居場所を察知されない様に、骨を噛んで痛みに耐え、涙を流し続けている。普通の人間なら大声で苦痛を叫ぶ筈。だけどクラウスは静かに痛みに耐えている。足を僅かに動かすだけで激痛が走るのか、それでも私の体を見て怪我がないか確認しているのだろう……。
「大丈夫……? ティファニー……? 俺が絶対に君を守るよ……」
「馬鹿……大丈夫に決まってるじゃない……」
「良かった……」
私は狂戦士の果実をクラウスに渡すと、彼は躊躇せずに果実を食べた。少しでも栄養を多く摂取すれば、怪我の完治を早める事が出来る筈。
私はどうしてクラウスが剣鬼と呼ばれているのか知りたかった。ただ剣の技術が高い冒険者ならいくらでも存在する。クラウスは冒険者登録の際に、石版が剣鬼だと認めた人物。石版は魔力を注いだ者の正体を暴く。石版が相手の正体を間違える事はない。
激痛に悶えながらも周囲を確認し、魔物に見つからない様に痛みに耐えるクラウスを見て確信した。これが剣鬼なんだ。どれだけ痛くても魔物の魔の手から生き延びる方法を模索する精神力、最悪な状況をも切り開く圧倒的な意思の強さ。彼の実力はマスターを吹き飛ばす程のものだという事は知っている。それに、妹をレッサーデーモンから守ってくれた。
強さだけではなく、精神力が伴った剣の達人。剣鬼、クラウス・ベルンシュタイン。私は本当に偉大な冒険者に守られているんだ。クラウスを支えられる魔術師になりたい。どんな状況に居ても私を気遣ってくれる彼を守るんだ。
それから私がクラウスを背負うと、クラウスは両足に痛みが走ったのか、大粒の涙を流しながらも、何度も自分で歩けると言った。どう考えても歩ける訳がないのに、私を気遣ってくれているんだ。
クラウスの気遣いは嬉しいけど、私もクラウスを守るために本気で生きると決めた。二人でこの状況を切り抜け、ヴェルナーに生還すると心に誓ったのだから、もう少し私を頼って欲しい……。クラウスから見れば、私はろくに魔物すら狩れない弱い女だろうけど、私は民を守る国家魔術師になるんだ……。
クラウス一人守れないで、私の偉大な夢を叶える事は不可能。
「大丈夫……私があなたを守るから……」
「……」
クラウスは激痛の余り意識を失ったみたい。痛みが絶頂を迎えても、周囲の魔物に気づかれない様に、一人で苦しみに耐える彼の精神の強さ。一体どんな環境が一介の村人を剣鬼に変えてしまったのだろうか……。
私はクラウスを背負いながら、ゆっくりと隠れ家を目指して歩き出した……。




